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「生きた言葉」学び伝える アイヌ語継承者・関根摩耶さん(奄美3世) きょう「方言の日」

2022-02-19 | アイヌ民族関連
南海日日新聞2022年2月18日

危機的な状況にある言語・方言サミット(奄美大会)に参加した関根さん=2020年2月、奄美市名瀬
奄美にルーツを持つアイヌ語継承者がいる。インターネットなどを活用し、若者ならではの視点でアイヌ語やアイヌ文化を発信している関根摩耶さん(22)だ。アイヌ語と奄美方言は国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅の危機にあるとする言語。話し手が少なくなっている中、「生きた言葉」としてアイヌ語を学び伝える関根さんに、これからの言語継承の在り方について聞いた。
 ■消滅危機言語
 関根さんは祖父が瀬戸内町古仁屋出身の奄美3世。自身は人口の7~8割がアイヌ民族という北海道の平取町二風谷でアイヌ民族の子孫として生まれ育った。
 アイヌ文化に関わる仕事をなりわいとする家族の影響でアイヌ語を耳にする機会が多かった関根さんだが、普段の生活で使っていたのは主に日本語。ユネスコが定める指標によると、現在アイヌ語は消滅危機の度合いが最も高い「極めて深刻」な状態にあるとされている。
 アイヌ語を学ぶことで、アイヌ民族ならではの自然に対する向き合い方や言葉の奥深さなどについて理解が深まったという関根さん。2018年からは、より多くの人がアイヌを知るきっかけをつくろうと、動画投稿サイト「ユーチューブ」での発信を始めた。
 動画では、初心者にも分かりやすい内容でアイヌ語やアイヌ文化を紹介。冒頭のあいさつ「イランカラプテ」は日常で使う表現だが、「あなたの心にそっと触れさせてください」という意味もあるという。
 アイヌ語は文字を持たない言語。関根さんは「文字という制約がないからこそ過去にとらわれない自由さがあり、ユーモアあふれる多様な表現が生まれる」と語る。
 ■時代の変化に対応
 関根さんによると、近年アイヌ民族の血を引く若者たちの間でアイヌ語を学ぼうという意識が高まり、日常会話にアイヌ語を交えて話す光景が見られるようになったという。「言葉は流動的。文字があっても時代に合わせて変化している」と関根さん。「アイヌ語も時代に合わせて新しい言葉をつくっていかないと」と生きたアイヌ語の継承に取り組んでいる。
2020年2月、関根さんは奄美市で開催された「危機的な状況にある言語・方言サミット」にアイヌ語話者として出席。アイヌ語継承の活動などについて発表し、奄美の人たちとも親睦を深めた。
 関根さんは当初「言葉が無くなるのは自然の摂理、仕方がない」と考えていたが、アイヌ語を学び伝える中で「その言葉にしか表せないものがあり、多様な言語の豊さに気付いた」「ルーツがある奄美や奄美方言についても改めて意識するようになった」と話す。
 ■若者が使える環境を 
ユネスコによると、奄美方言の消滅危機の度合いは「危険」。方言を話す人の高齢化により、若い世代が島言葉を耳にする機会が少ないのが現状だ。
 島言葉の保存・継承を目指し、奄美群島では2月18日を「方言の日」とし、子どもたちによる島口劇や島言葉に関するイベントの実施など、例年さまざまな取り組みが行われている。
古里の言葉を残していくには、若い世代が生きた言葉として日常で気軽に使える環境が求められる。関根さんは「これからのアイヌ語・奄美方言の継承には、仕事や生活に役立つという需要をつくっていくことが大切」と語った。
https://www.nankainn.com/culture/「生きた言葉」学び伝える%E3%80%80アイヌ語継承者・関

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鹿児島・奄美で「方言の日」後世に受け継いでいくために

2022-02-19 | アイヌ民族関連
MBC南日本放送 2/18(金) 19:20配信
18日は奄美の方言を次世代に伝えようという取り組みも行われました。
奄美市住用町にある全校児童18人の東城小学校です。10年前から「方言の日」に、奄美の方言=シマ口を使ったカルタ大会を開いています。日ごろからシマ口のことわざカルタに接しているという子どもたち。先生が読み上げると素早く札を取っていました。
(6年生 榊幸太郎さん)「裏に書いてあるの(意味)を読んだりしたら分かるので、シマ口カルタってすごいと思います。ちょっと興味は湧いてきたかな」
(3年生 仁田尾乃愛さん)「(Q.カルタをすることによってちょっとずつ分かってくる?)分かってくる。おばあちゃんとかに聞いたりいっぱい調べる」
以前は、地域の高齢者が読み手として参加していましたが、2年前からはコロナ禍で参加できなくなりました。貴重な文化のシマ口ですが、日常で使われる場面も減り、その伝承は難しくなってきているといいます。
(東城小学校 川井功作教頭)「私たちの世代もシマ口が使えない大人もたくさんいますので、子どもたちに教えるというのも非常に難しいものがあります。私たちも勉強しながら子どもと一緒になってシマ口をおぼえていく」
コミュニティーエフエムの「あまみエフエム ディ!ウェイブ」では、毎週、1週間のニュースをシマ口で紹介する番組を放送しています。
放送しているのは、学校などでシマ口の教育活動に取り組む「伝える会」のメンバーです。方言は難しいと敬遠するのではなく、まずは使ってみることが大切だと話し(シマユムタ伝える会 保宜夫会長)「幼稚園生の中にも『ありがっさまりょうた』とか簡単な言葉は使っている。『からいも普通語』とか鹿児島でもいいますけど、混ぜたような言葉でもいいから言葉というのは文化ですから使っていってこうした番組を通して住民の意識に変化が生じているといいます。
(あまみエフエム 渡陽子さん)「今どの世代の方々もシマ口を大事に残していこうということを感じていると思っている」
ユネスコは2009年にアイヌ語や沖縄方言、奄美方言など日本の8つの地方の言葉を「消滅の危機にある言語」としました。なんとか後世に受け継いでいきたいと、取り組みが続けられています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2bd15933eeae9a7f3fb1a67ae844c9f661936d2

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<社説>ヘイト条例合憲 差別なき社会へ前進を

2022-02-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞02/18 05:00
 ヘイトスピーチの抑止策を定めた大阪市の条例が表現の自由を保障する憲法の規定に反するかどうかが争われた住民訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷は合憲とする初の判断を示した。
 違反したら氏名や団体名を公表するとした条例について「表現の自由の制限は合理的で必要やむを得ない限度にとどまる」とした。
 判決では条例が表現活動を一定の範囲で制約すると認めつつ、特定の民族への差別意識を助長し、加害を扇動する行為は抑止する必要性が高いと指摘した。
 最高裁がヘイトスピーチの有害性に着目し、差別を封じる意義を明確に示したことは大きい。
 各地での条例制定に向けた動きを後押しする可能性がある。
 多様な意見が阻害されることは本来あってはならないが、人間を差別し、尊厳を著しく傷つけるような言動は許されない。
 法令の整備と並行して差別解消への粘り強い取り組みを社会に広げていきたい。
 大阪市の条例は専門家らの審査会がヘイトに当たるか検討し、答申を受けた市長が認めた場合は実施団体や個人名を公表できる。
 原告は大阪市民らで政治的主張まで規制される恐れがあり、条例は無効だとして関連する公金支出約115万円について、当時市長だった吉村洋文大阪府知事に返還請求するよう市に求めた。
 国内では2016年にヘイトスピーチ解消法が施行されたが、表現の自由との兼ね合いで罰則のない理念法としている。そのため、実効性を高めようと独自に条例を制定する自治体が出てきた。
 川崎市の条例では市が氏名公表と同時に刑事告発し、裁判で有罪が確定すれば50万円以下の罰金が科される。ただ、ネットの投稿は対象外で課題となっている。
 ネット上では匿名の排外的な書き込みが後を絶たない。加害者の責任を追及するにも被害者の負担は大きく、時間がかかる。被害者の早期救済への仕組みが急務だ。
 かつて道内の地方議員が「アイヌ民族はもういない」と発言したり、沖縄県の米軍施設工事への反対派を機動隊員が「土人」と呼ぶなど、事実と全く異なる差別的言動は見過ごしてはならない。
 政府や国会は差別のない社会に向けて何が必要なのか、何をすべきなのか議論を深めるべきだ。
 教育などを通じて過去の歴史ときちんと向き合い、差別を生む社会の土壌自体を変えていくことも欠かせない。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/647090

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恐ろしくも美しい世界、ダンス×三味線×アイヌ・ウポポの音楽舞踊劇が開幕

2022-02-19 | アイヌ民族関連
ナタリー2022年2月18日 11:27 119
平山素子×本條秀慈郎×床絵美「音楽舞踊劇 IZUMI」が昨日2月17日に東京・シアタートラムで開幕した。

平山素子×本條秀慈郎×床絵美「音楽舞踊劇 IZUMI」より。(撮影:大洞博靖)
これは、“ダンス×三味線×アイヌ・ウポポ”のコラボレートにより立ち上げられる、新作音楽舞踊劇。アイルランドの詩人で劇作家のW.B.イェイツが能楽に想を得て執筆した戯曲「鷹の井戸」に出てくる“不死の水”をモチーフに、夢幻の世界を描き出す。
出演者の舞踊家・平山素子は、「私自身の身体も再生されるような悦びを感じています。『Izumi』を通して観客の皆さんにも、恐ろしくも美しい世界を体験していただければ幸せです」と開幕の喜びを語った。そのほかの出演者に、三味線奏者の本條秀慈郎、アイヌの伝承音楽ウポポを歌う床絵美。公演は20日まで。
https://natalie.mu/stage/news/466175

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D2C X、北海道・阿寒湖アイヌコタンと有田焼のコラボ「アイヌ文化を手元で感じる『アイヌ文様有田焼 皿』」の海外クラウドファンディング展開をサポート

2022-02-19 | アイヌ民族関連

~「Kickstarter(キックスターター)」で展開~
株式会社D2C X
PRTIMES 2022年2月18日 11時00分
株式会社D2C X(本社:東京都港区、代表取締役:萩原 良、以下D2C X)は、アイヌ文化の知的財産保護や普及啓発活動に取り組む一般社団法人阿寒アイヌコンサルン(北海道釧路市阿寒町 代表理事:廣野 洋)が佐賀県有田町の伝統工芸品である有田焼の窯元とコラボレーションして開発したアイヌ文様デザインの皿を、世界最大級の規模を誇るクラウドファンディングサービス「Kickstarter」(キックスターター)上で海外展開することをサポートいたしました。

本事業は、2022年1月にリリースした新規事業「X-border Crowdfunding」の第1弾となり、月間アクティブユーザーが最大220万人を誇る訪日外国人観光客向けWebメディア「tsunagu Japan」を運営するD2C Xが、自社で展開する越境クラウドファンディング事業を通じて得られた知見・ノウハウを活かして、日本企業・製品の海外クラウドファンディング展開をサポートする事業です。アカウント開設、企画立案、多言語記事制作、取材撮影、動画制作、CS対応、海外配送など、海外クラウドファンディングに必要な業務を、事業者様のニーズに合わせてご依頼頂くことが可能です。
今回のプロジェクトでは、阿寒湖アイヌの伝統の技と長い歴史に裏打ちされた有田焼の高い技術力が融合し開発された手に取りやすいアイヌ文様デザインの皿を、欧米を中心とした海外の方々へお届けする狙いで実施しております。プロジェクトの詳細は以下のリリースをご参照ください。
(https://akanainu-next.jp/news/?p=133)
【Kickstarter:Ainu Meets Arita - Unique Plates Made in Japan】
https://www.kickstarter.com/projects/akan-ainu-consuln/ainu-meets-arita-unique-plates-made-in-japan
依然として世界的な観光産業の復興が不透明な中、世界中の方々へ多くの優れた日本製品やサービスをお届けする取り組みにご興味を持たれましたら、是非お問い合わせ下さい。
■ 一般社団法人阿寒アイヌコンサルンについて
名称   :一般社団法人 阿寒アイヌコンサルン
代表者 :代表理事 廣野 洋
所在地 :北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4-7-19
事業内容 :アイヌ民族文化の知的財産保護、普及啓発活動及び知的財産管理
アイヌ文化デザインの商品開発、販売並びにそのコンサルティング及びマネジメント
URL    :https://a-ainucon.com/
■ 「Kickstarter」 (キックスターター) について
https://www.kickstarter.com/
2009年4月に米国ニューヨークで誕生、全世界で2,000万人以上のバッカー(プロジェクト支援者)が21万以上のプロジェクトを支援し、累計で63億米ドル以上の資金を提供している世界最大級のクラウドファンディングプラットフォームです。
(出典) https://www.kickstarter.com/help/stats?ref=about_subnav
■ 「tsunagu Japan」について
https://www.tsunagujapan.com/
月間220万MAU・Facebookフォロー総数87万以上を誇り、多言語で日本の観光情報を発信する訪日観光メディアです。英語、繁体字、簡体字、タイ語、韓国語、ベトナム語、インドネシア語の7言語に対応。また各言語ごとに、各国のカルチャーに精通するネイティブスタッフがその国に合ったコンテンツを編集し発信しています。
■ 株式会社D2C Xについて
会社名  :株式会社D2C X (読み:ディーツーシー クロス)
代表者  :萩原 良
本社住所 :東京都港区東新橋1-9-1 東京汐留ビルディング
事業内容 :海外向けインターネットメディアの運営
      海外向けマーケティングのコンサルティング
      海外向けプロモーション業務
      外国人向け人材紹介業務
      越境クラウドファンディング事業
      越境EC事業
URL   :https://www.d2cx.co.jp
沿革   :2013年09月 株式会社TSUNAGU 設立
      2014年07月 訪日観光メディア「tsunagu Japan」リリース
      2018年12月 D2Cグループ参画
      2019年01月 株式会社D2C X に社名変更
      2020年10月 越境クラウドファンディング事業開始
      2021年01月 外国人向け人材紹介事業開始
      2021年04月 越境EC事業
【事業に関するお問い合わせ】
株式会社D2C X 事業開発担当
E-mail:ec@d2cx.co.jp
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000026.000041189.html

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What’s in a name? 名前より重要なもの

2022-02-19 | 先住民族関連
Alpha Online 2022.2.25
私の新しい家はニューメキシコ州ラスクルーセスにある。この州の歴史は魅力的だと思うので、その理由をお伝えしたい。話すことはたくさんあって、最初に話すのに一番よいのは名前だ。
私たちの小さな町は、メキシコのすぐ隣りのリオ・グランデ川沿いにある。ニューメキシコ州はメキシコにちなんで名付けられたと思うかもしれないが、それは正しくない。
メキシコにも、ニューメキシコ州にも、コロンブス以前の文明と、先住民の文化と多くの戦争の1万3,000年を含む歴史がある。進んだ武器を持っていて欲の強いスペイン人の征服者たちは、16世紀に両方の領土を掌握し、「ニュースペイン」と名付けた。現代におけるメキシコは、アステカ人とメシカ人に統治されていた。彼らの帝国の主要拠点は、元々そこに住んでいた遊牧の民であるメシカ民族にちなんで名付けられた肥沃な地域メキシコ盆地にあった。この場所は、100万人以上の人口がいたニュースペインの重要な中心地だった。
フランシスコ・ヴァスケス・デ・コロナドが1540年にニューメキシコの探査を率いた。彼はここをメキシコ盆地にちなんで「ヌエボ・メヒコ」と呼んだ。銀の炭鉱と「金の都市」という物語に興奮して、スペイン人の征服者たちは入植地を建設し、先住民プエブロ族をキリスト教に改宗させようとした。
滅亡した先住民アナサジ族と、プエブロ族よりも前にあった他の先住民の洗練された文化は、スペイン人が到着するずっと前に、都市とかんがい設備を建設していた。プエブロ族は、半遊牧民のナバホ族とアパッチ族の多くの人口から分離したため、極めて分散的だった。さまざまな民族が、1680年代のスペイン人に対する歴史的な南西部の反乱に参加した。スペイン人は攻撃的な奇襲部隊から自らを守るため、18世紀初めまでに25ヵ所以上の要塞を建造した。
スペイン人たちは、25年に及ぶ独立戦争でようやくメキシコが主権を手に入れた1824年まで支配した。
メキシコはヌエボ・メヒコを掌握した。1848年、メキシコ=アメリカ戦争の後、メキシコはヌエボ・メヒコの領有権をアメリカに委譲した。ヌエボ・メヒコは、州になるまで―47番目の州として合衆国に承認されるまで―アメリカ領のままだった。
数世紀にわたる武力衝突と征服の結果、アステカ帝国のような誇り高い生産的な社会は消滅した。アステカ人の子孫わずか150万人が今でも耕作し、工芸品を作っていると言われている。その後、アメリカ政府と西部の領土へのアメリカ人入植者たちが、1,200万人のアメリカ先住民族の領土を侵略し、彼らの土地を盗み、多くの人々を殺し、生存者たちを居留地に閉じ込めた。現在、わずか500万人しか残っておらず、約8割が居留地で生活している。
歴史は教訓となる話になりうる。強欲と搾取は今でも存続していて、素晴らしい国が没落し、素晴らしい人々が滅びる可能性があることを私たちに思い出させる。歴史は重要である。
https://alpha.japantimes.co.jp/zenyaku/essay/202202/84379/

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北海道アイヌ伝統工芸展 山田祐治さん 一般工芸品部門 最優秀賞を受賞 白老

2022-02-19 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2022/2/18配信
 北海道アイヌ協会(大川勝理事長)の第55回北海道アイヌ伝統工芸展で、白老町の彫刻師山田祐治さん(67)の木彫作品が最優秀賞(道知事賞)=一般工芸品部門=を獲得した。ヒグマを手の形だけで表現した斬新なデザインや、卓越した木彫りの技が高く評価…
この続き:951文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/70192/

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ベンガル湾の北センチネル島がいまだに「ノーコロナ」のワケ

2022-02-19 | 先住民族関連
日刊ゲンダイ2022/02/19 06:00 更新日:2022/02/19 06:00
 2020年以来、新型コロナウイルスは世界中に蔓延(まんえん)しているが、いまだに感染が報告されていない「ノーコロナ」の場所もある。
 ベンガル湾に浮かぶ北センチネル島だ。
 英デーリー・スター紙によると、「地球上で最も人里離れた場所のひとつであり、他者に対して敵対的な行動を取る先住民族が住んでいるため」であるという。
 同島はインドの連邦直轄領で、約400人の先住民族が住んでいるが、外部から同島に上陸すると「悲劇的な事件が起きる」と言われてもおり、過去に殺害された来訪者もいた。
 6万年前から同島に住んでいるセンチネル人は、他者に対する態度が攻撃的であり、これまで文化人類学的な調査もあまり行われてこなかった。そうした理由もあり、ここまでコロナウイルスは同島に上陸していないという。
 インド政府は、センチネル人の文化を保護する意味と「非常に危険である」ことから、同島周辺3カイリ以内の立ち入りを禁止している。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/301547

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内田真弓さん×サラ・オレインさん 先住民文化に出会うオーストラリアの新しい旅

2022-02-19 | 先住民族関連
グローブ2022.02.18

アボリジナルアート・コーディネーター内田真弓さん(左)とサラ・オレインさん(右・下)
オーストラリアの大地に6万年前から暮らす先住民「アボリジナルピープル」。独自の言語や世界観、生活スタイルを受け継いできた先住民族の文化と出会えるのもオーストラリアの旅の魅力です。オーストラリア出身のアーティスト、サラ・オレインさんが、アボリジナルアートに魅せられ、オーストラリアの中央部の砂漠地帯に住む先住民たちと20年以上交流を続けるアボリジナルアート・コーディネーター内田真弓(うちだ・まゆみ)さんと、先住民文化の奥深い魅力やオーストラリア社会の変化について語り合いました。
ダイナミックな先住民アートに感動
サラ・オレインさん(以下、サラさん):きょうは、先住民の人々が描くアートを日本に紹介する活動を続けてきた、メルボルン在住のアボリジナルアート・コーディネーター内田真弓(うちだ・まゆみ)さんにアボリジナル文化とアートの魅力を伺います。真弓さんは日本の航空会社に勤めた後、オーストラリアに行かれたんですね。
内田真弓さん(以下、内田さん):そうなんです。日本では大きな会社にいて、今思えば不満も不安もなかったはずなんですけれど、24、25歳の頃に組織ではなく個人で勝負したいと思ったんです。日本の外で何か新しいことに挑戦したい、そして外国人に日本語を教える職業がおもしろそうだと思ったんです。資格も経験もない私が日本語教師になれる国を探して見つけたのがオーストラリアでした。当時、日本語を学ぶ人口が世界屈指だったんですよ。
サラさん:そうなんですね!
内田さん:当時はインターネットも使わず、携帯電話も持っていないから情報がないんです。旅行ガイドブック『地球の歩き方』を抱えて、1年間の無報酬のインターンシップ用のビザだけでオーストラリアに渡りました。
サラさん:日本語教師のボランティアをしていて、偶然、アボリジナルアートに出会ったわけですか。
内田さん:ええ。日本人は私だけ、という小さな村に派遣されたのですが、みんな親切にしてくれて、とにかく日本に帰りたくなかったです。現地で就職活動もしましたが、当時は失業率がとても高くて。日本に帰るしかないと腹をくくり、航空券を買いました。そして帰国前に、お土産を買おうと最寄りの大都市のメルボルンで街をうろうろしていたら、にわか雨が降ってきて、雨宿りのために飛び込んだのがアボリジナルアート専門のギャラリー(画廊)だったんです。
サラさん:すごい偶然ですね。そこにあったアボリジナルアートからどんな印象を受けましたか。
内田さん:そのときはまだ知識がないので、何が描かれているかは分からなかったんです。でもダイナミックなエネルギーに満ちあふれていて、力強くて。気づいたら画廊を歩き回っていました。アボリジナルアートが私の人生に初めて登場した瞬間でした。信じられないお話かもしれませんが、この後、ギャラリーのオーナーが話しかけてきて、思いを話しているうちに「ここで仕事をしないか」という話になり、気付けばそこで6年間働きました。
サラさん:まるで運命に導かれたようですね。
内田さん:そのギャラリーは、メルボルンから2,500kmぐらい離れた内陸の中央砂漠地帯で描かれた「点描画」だけを扱う専門店だったのですが、アボリジナル文化を深く知らない私はなかなか絵を売ることができずにいました。ですから、この絵がどこで誰によって描かれているのかを知り、目に見える美しさだけではなく絵のもっと奥の部分を学ばなくてはいけないと思い、砂漠の中のアボリジナル居住区に通い始めたんです。そこで、驚くほどすてきな人たちと出会い、もっと居住区に入り浸りたくて2000年に画廊を退職してフリーランスになりました。以来、居住区に通って自分が面白いと思った作家を見つけて、その作品を日本でプロモーションする活動をしています。
6万年前から現代へ、「物語」を描き継ぐ
サラさん:アボリジナルアートは、とてもドラマチックでカラフルで、パワーがありますよね。私も幼い頃から絵本などで目にして、先住民のお話はいくつか知っています。モチーフによく登場するヘビなどは、なじみのある不思議な存在です。アボリジナルピープルはアートで何を表現しているんでしょうか。
内田さん:彼らが絵を描くのは芸術のためではないんです。アボリジナルピープルは、文字文化を持たない「無文字社会」で6万年以上生きてきました。農耕や牧畜もしないで、水のない砂漠で生きてきた人たちの情報や知恵を伝達する手段が、「目で見る言語(visual language)」としての絵や、口伝の歌だったわけです。だから、彼らが自分の想像で絵を描くことは一切ありません。色やモチーフは自由ですが、すべて「ドリーミング」に基づいたお話を表現しています。
サラさん:なるほど。今、お話に出たアボリジナルピープルの世界観を表す「ドリーミング」「ドリームタイム」とはどんな概念なのでしょうか。
内田さん:「ドリーミング」「ドリームタイム」(*1)を一律に定義することは難しいと思うんです。なぜなら、オーストラリア大陸は日本の約20倍の広さがあって、アボリジナルピープルはさまざまな地域に600以上の異なる言語集団で暮らし、それぞれが「ドリーミング」を持っているからです。ただ、居住区を訪れるたびに彼らが今この瞬間も信じている物語があると感じます。彼らが生きていく上での大事なお話です。6万年前から何世代にもわたって紡がれているお話が、今もこうしてキャンバスの上で私たちの目に触れられることにロマンを感じます。
(*1)「ドリーミング」「ドリームタイム」=土地や精神性、伝承、文化などを結びつける複雑な信仰体系を受け継ぐアボリジナルピープルの、信仰の中心にあるものとされる。詳しくはこちらから
サラさん:「時間」の概念すら私たちとは違うと聞きます。それが表現されているアボリジナルアートは、すごく深いアートですよね。
内田さん:居住区でのアボリジナルピープルとの出会いも毎回、新鮮です。彼らの狩りに連れて行ってもらったこともあり、私が車を運転して彼らの案内で道なき道を行くんですが、彼らは標識も地図もない土地を隅々まで熟知して記憶しているんです。水のない乾燥した大地を、彼らは「ここは我々のスーパーマーケットだ」って言うんですよ。「何でもあるから」って。そして本当に動物や地中のイモムシを見つけ出すんです。不思議な話に聞こえるかもしれませんが、「大地の声を聞けば分かる」と言うのです。
サラさん:素晴らしいですね。
内田さん:居住区には普通のスーパーマーケットもあって、そこで何でも買えるんです。でも狩りにも行く。大地とのコミュニケーションを欠かさない人たちなんです。これが私たちと一緒に生きている現代のアボリジナルピープルの姿なんですね。狩りに行かない若者も増えていますが、私はいつも、まだ狩りに出かけ、歌を歌い、元々は体に描いていた絵をそのままキャンバスに描くような世代の画家たちの絵を探します。
先住民ガイドと時空を超えるアート体験
サラさん:伝統が続いていると聞けて、なんだかうれしいですね。そういう人たちが描く本物の絵に、日本の皆さんにもぜひ触れて欲しいです。壁画でも、オーストラリアの各地でアボリジナルピープルによるユニークな壁画を見ることができ、そのすばらしさと多様性は世界有数といわれていますよね。
内田さん:異なる土地では壁画に描かれる「ドリーミング」のお話も異なるんです。そして、それぞれの土地の岩の壁が「教室の黒板」のような役目を果たし、彼らの「物語」を次の世代に伝えています。ですから北部ノーザンテリトリーのカカドゥ国立公園の壁画はオーストラリアの旅でぜひ見ていただきたいアートのひとつです。今はオンラインでツアーの事前予約もできますし、やはり現地の人に物語を聞いて実際に見ることが豊かな旅にもつながると思います。さらに同じノーザンテリトリーのアーネムランドでは樹皮に物語を描いた樹皮画があります。これは木がたくさん生い茂る熱帯雨林のある土地ならではで、雨が少なく樹木の少ない砂漠地帯ではまず見られません。
サラさん:現地で感じられることが、なによりも旅の醍醐味ですね! 最近は旅行者でもアボリジナル文化の一端を体験できるツアーも充実しています。「ディスカバー・アボリジナル・エクスペリエンス」というプログラムには約130種類もツアーがあるんですよ。
内田さん:130種類も! そこがオーストラリアのユニークなところだと思います。美しい海岸があって、熱帯雨林があって、乾燥した砂漠があって。地域によってすべて表情が違います。こんな国、他にないと私は感じています。本当におもしろくて、どこに行っても楽しめるので、この国に30年近く住んでいますが、少しも飽きないですね(笑)
美術館で気軽に出会える、学べる
サラさん:より気軽に、街の観光でもアボリジナルアートに出会えるところもありますよね。シドニーのオーストラリア博物館や、アデレードの南オーストラリア美術館、キャンベラのオーストラリア国立美術館といった有名なミュージアムもありますし、街のアートギャラリーでも見ることができます。真弓さんのおすすめはどこですか。
内田さん:地元メルボルンのビクトリア国立美術館です。アボリジナルアートはかつて、美術館よりも学術研究の対象として博物館に展示されていました。ところが1980年代後半ぐらいに「先住民アート」として欧米で注目を浴びて現代美術として評価を高めたんです。今ではオーストラリア各地の美術館に素晴らしい作品を集めた専門コーナーもできて、「オーストラリアのアート」と認められています。
サラさん:うれしいですよね。今のお話もそうですが、先住民の人々を取り巻く状況に変化も感じています。私は言葉が大好きで、各地のコンサートに行くと、必ずその土地の方言で話すようにしているんです。言葉は変化するものだし、元々の言葉が失われることはどの国や文化でも起きていますが、数年前に出会ったソプラノ歌手デボラ・チータムさんも、アボリジナルピープルの歴史や文化をちゃんと認識して伝えることが大切とお話しされていました。近年になって「エアーズロック」が(先住民の言葉の)「ウルル」に名称を改められたり、国歌の歌詞も2021年に「We are young and free(私たちは若くて自由)」から「We are one and free(私たちは一つで自由)」に変更されたりと、歴史を尊重した変化も見られますよね。アートの分野でもこうした変化を感じますか。
内田さん:感じますね。アボリジナルアートは2000年にオーストラリアで開催されたスポーツの祭典でもシンボルになり、メルボルンを走るトラムのデザインにも採用されて、アボリジナルピープルのオーストラリア社会での位置づけは変わってきました。オーストラリアには毎年、「ナショナル・リコンシリエーション・ウィーク」(*2)があるんです。この国がどのように成り立っているのか誰もが知ろう、その中で先住民の歴史も、もう一度しっかり学ぼうということでイベントも増えてきています。
(*2)ナショナル・リコンシリエーション・ウィーク(National Reconciliation Week)=毎年5月27日~6月3日の1週間、国の成り立ちや歴史を振り返り先住民の文化を祝い、和解にむけた議論や活動を促進する。先住民を国民として認めた1967年5月27日の国民投票を記念して設けられた。
自分らしくいられる多様性の国、オーストラリア
サラさん:アボリジナル文化についてさまざま伺ってきましたが、30年近くオーストラリアに暮らしてきて、真弓さんがオーストラリアの魅力と感じる点はどんなところですか。
内田さん:多民族で多様性がある点も魅力です。私の隣人はマレーシア出身で、向かいに住んでいるマダムはイタリア出身。みんな違っていることが当たり前で、価値観はいろいろあっていいんだということをオーストラリアに長く暮らして感じます。自分が自分らしくいられる環境が、とても気に入っています。だからこそ、アボリジナル文化も大切にされ、世界にも注目されているのだと思います。
サラさん:アボリジナル文化のほかに、日本からの旅行者にオーストラリアで体験してほしいおすすめのアクティビティはありますか。
内田さん:いっぱいあります! メルボルンで乗れる熱気球もおすすめです。夜明けを眺めながら空中を散歩している感じになれます。ワイナリー巡りもぜひ。メルボルンから車で1時間ほどでブドウ畑が見えてくるんですよ。オーストラリアは、本当に身近に楽しみがたくさんある国です。「よし、あれをやるぞ」と構えなくても、「午後はワイナリーに行ってランチしよう」というふうに。メルボルンは「ガーデンシティー」と呼ばれるぐらい公園が多いので、カフェでサンドイッチとコーヒーを買って好きな本を1冊持って公園でゆっくり寝そべるなんていうのも、最高のぜいたくだと思います。
サラさん:私はビーチでランチをのんびりとるのも好きです!
内田さん:ビーチもすぐ近くにありますよね。私の住むメルボルンは日本と時差が2時間(*3)なので移動後の体が楽ですし、季節も正反対なので日本が寒い時期は、こちらは暖かいです。
(*3)オーストラリアの時差=州や夏時間によって日本との時差は異なる。メルボルンがあるビクトリア州の場合、例年10~4月の夏時間の期間中の時差は2時間。夏時間が終わると1時間に縮まる。
サラさん:新型コロナで現在アボリジナル居住区の往来もできなくなっているそうですが、コロナを経て、真弓さんの中で「旅すること」の価値や意味が変わりましたか。
内田さん:この2年間、旅することが本当に特別なことになりました。私にとって旅の醍醐味は、現場に赴いて、そこでしかできない体験をすることです。目に入ってくる景色が変わると思考も変わります。便利なデジタルツールがあるご時世ですが、アボリジナルピープルのように、変わらないもの、変えないもの、特別な場所がある以上、私は自分の足で現場に行きたいなと思っています。
サラさん:私も音楽家なので、直接触れる「ライブ感」を大切に思う感覚、分かります。「アフターコロナ」に居住区へ再び行ける日が待ち遠しいですね。今日は本当にありがとうございました。
内田真弓(うちだ・まゆみ)
茨城県出身。客室乗務員として勤めた航空会社を26歳で退社。1993年にアメリカへ1年間語学留学し、翌年に日本語教師になるためにオーストラリアに渡る。帰国間際にたまたま雨宿りで入ったメルボルンの画廊でアボリジナルアートに出会い、心を打たれる。これをきっかけにオーストラリアにとどまることを決め、この画廊にアートコンサルタントとして6年勤務。2000年に独立し、「Art Space Land of Dreams」を設立。中央砂漠に位置するアボリジナルの居住区に通い続け、アボリジナルピープルとの交流を20年以上続けている。著書に『砂漠で見つけた夢』(ベストセラーズ、2008年)。現在、東京都内のオーストラリア料理レストラン「SOUTH」で、自身が買い付けたアボリジナルアート約10点を常設展示・販売中。
サラ・オレイン(Sarah Àlainn)
オーストラリア出身。ヴォーカリスト、ヴァイオリニスト、作詞作曲家、コピーライター、翻訳家などマルチに活躍中。音が色で見える共感覚者でもある。シドニー大学出身で東京大学に留学後、「太陽の家」50周年記念式典にて上皇上皇后両陛下の御前で国歌独唱や、NHK大河ドラマ「西郷どん」劇中歌、テレビアニメ「約束のネバーランド」劇伴曲でも歌唱を担当。NHK「おとなの基礎英語」やNHKワールド「KABUKI KOOL」にも出演し、NHK夜ドラでは女優デビューも果たす。TOKYO FM「Peace of Mind ~土曜の朝のサラ・オレイン」では長年パーソナリティを担当。「オーストラリアnow」親善大使、「九州国立博物館」応援大使でもある。ベストアルバム「Timeless」発売中。
オーストラリアの最新情報はこちらから
オーストラリア政府観光局の公式サイトでは旅に役立つ基本情報やアクティビティ情報などを発信中。
オーストラリア政府観光局の公式サイト
オーストラリアのアボリジナル文化体験
https://globe.asahi.com/article/14545187

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富士山にそっくり山(さん) ③マオリ族の聖地より

2022-02-19 | 先住民族関連
Note 2022年2月18日 10:09 KU

前回に続き今回もニュージーランドで、富士山そっくり山を見に行きます!ニュージーランドにはもう一つ、それも個人的にはタラナキ山よりもそっくり山に見える山があります。
タラナキ山のあるエグモント国立公園から東へ。
北島の中央に位置するトンガリロ国立公園。マオリ族の聖地であり、ニュージーランドで最古の国立公園です。
マオリ族を知らない人も、オールブラックスの異名を持つラグビーニュージーランド代表が試合前に行う踊り「ハカ」はご存知かもしれませんね。
あのハカはニュージーランドの先住民族マオリ族の、伝統の踊りなのです。
偉大なマオリ族の首長、ホロヌク・テ・ヘウヘウ・トゥキノ4世は1887年、霊山として崇めてきた聖地、このトンガリロ国立公園を寄進する決断をくだします。18世紀にイギリスの探検家ジェームズ・クックが、ニュージーランドの調査を行って以来、次第にイギリス人入植者が増えると、土地をめぐる争いが絶えなくなり、1300年以上も昔から暮らしてきたこの聖地を、英国女王に寄進して自然保護を求めたのです。
当時は2,640haほどの面積をニュージーランド最初の国立公園となる予定が、だんだんと面積が広がり、今ではトンガリロ国立公園は79,000ha以上の面積となっております。
トンガリロ国立公園には、氷河によって形成された地形や、火山地形が見られる希有な地で、雨林地帯から不毛とも言える氷原地帯に至るまで、多様な動植物が生息している特徴ある自然に恵まれた、美しい景観を誇ってます。
ところがこのような美しい地上とは裏腹に、地底では溶岩が眠っているマグマ地獄です。
死火山地帯や湖、多様な動植物も見れますが、一番の見どころは公園内を北から南に一直線に並ぶ、溶岩によって噴火した活火山トリオではないでしょうか。
一番北にある、標高1,968mのトンガリロ山は、マオリ族の首長達が埋葬されているマオリ族にとっての一番の聖なる山。
一番南に位置するルアペフ山は、標高2,797m!北島で最高峰の山。頂上付近の火口に火口湖が形成される複合成層火山。巨大なクレーターを見ることができ、そこには驚く光景が広がります。映画「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地として使用されたことでも有名です。
そして真ん中に位置する標高2,291mのナウルホエ山。約2,500年前に形成された火山と推測されており、火山トリオの中で最も若い火山ですが、世界的にも火山活動が最も活発な火山としても有名です。山頂からは北側にブルー湖、南側の麓にはタマ湖を見下ろすことができます。
このナウルホエ山、よく見ると(よく見なくても)、とっても似てませんか?日本が世界に誇る、日本一の山、富士山に!
円錐形の姿の成層火山がそっくり山ですね!
山頂から湖を見下ろせるのもそっくり山ですね!
山頂付近が雪に覆われる姿もそっくり山!
そして
国立公園に指定されていることもそっくり山ですね!
1897年自然保護を求め、ホロヌク・テ・ヘウヘウ・トゥキノ4世がマオリ族の聖地を寄進してから7年後の1894年、ニュージーランドで最初の国立公園に制定されたトンガリロ国立公園は、ホロヌク・テ・ヘウヘウ・トゥキノ4世の努力が実を結び、約100年後には、ユネスコ世界遺産に登録されました。
1990年地質学的、生物学的に興味深い場所であり、噴火の歴史の状態が良好で自然研究に適していることなどから、世界自然遺産に登録され、
1993年には、マオリ族の文化と精神的遺産が、今も多く眠る聖地としての価値が認められ、世界で最初の「文化的景観」という概念を適用されながら、世界複合遺産に拡大登録されました。
富士山が、日本人にとって心の支えになっている霊山としての価値を認められ世界遺産に登録されたように、マオリ族にとっての文化的、精神的に重要な意味を持つ山々がトンガリロ国立公園として、世界遺産に登録されていることも共通する部分として、そっくり山ですね!
過去のシリーズはこちらから↓
https://note.com/iminworld/n/n6095d801a391

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