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苫小牧港60年、変革の道開く 道内一の物流港、カーボンニュートラルへ

2023-01-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞01/02 17:59
 苫小牧港の開港から、今年で60年を迎える。北海道経済を支える物流港として、1975年以降の取扱貨物量は全道一を誇り、2020年には1億29万トンと横浜港を抜いて初の全国3位となった。
 そして今、苫小牧港は新たな発展の扉を開けようとしている。二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガスの実質的な排出ゼロを目指す「カーボンニュートラルポート」(CNP=Carbon Neutral Port)の計画だ。地球温暖化対策が叫ばれる中、CO2を排出する工場群が集積する港湾(port)で、「カーボンニュートラル」を目指す取り組み。
 22年9月に公表された計画骨子によると、燃やしてもCO2を排出しない水素や燃料アンモニアなどの次世代エネルギーの受け入れ環境を港湾部に整備する。苫小牧港周辺がCO2を海底下に貯留する技術「CCS」や、CO2を再利用する技術「CCUS」の実証試験の舞台であることも踏まえ、こうした新技術を産業振興に生かしていくという。
 政府が掲げる50年までのカーボンニュートラル実現に合わせ、苫小牧港管理組合を中心に周辺の海運会社や製紙会社、製油所、発電所などで検討を重ねている。今年3月までに実現に向けた計画を策定し、具体的に始動する。
 苫小牧港は、世界初の大規模内陸掘り込み式港湾として、1963年に現在の西港区で歴史が始まった。65年の貨物定期航路の開設、72年のカーフェリー就航などに伴い取扱貨物量が増加し、75年に室蘭港を抜いて道内トップに立った。現在は米国や中国、関東圏などと定期船で結ばれ、週に約120便が行き来する。
 苫小牧港管理組合の平沢充成専任副管理者は「すでに実証試験を終えたCCSは他の地域に先行しており、苫小牧港にとっては大きな強みです」と強調。「物流港にカーボンニュートラルの取り組みをプラスしてさらなる進化を遂げたい。その実現に向けて民間事業者を引っ張っていく」と力を込める。
 「脱炭素」の世界的潮流の中で、苫小牧港は大きな変革の時期を迎えている。(佐藤圭史)
脱炭素 つくる未来
 かつて、苫小牧港周辺は畑が点在する広大な砂浜だった。開港から60年を経て、巨大な港湾に変貌した苫小牧港周辺で進む「脱炭素」の取り組みの一端を紹介するとともに、過去の空撮写真から、これまでの歩みを振り返った。
■2050年の目標達成向け計画 燃料輸入、周辺工場での活用課題
 二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガスの排出実質ゼロを目指す「カーボンニュートラルポート」(CNP)の実現に向けた計画作りが、苫小牧や室蘭を含む国内の44港湾(2022年11月末現在)で進んでいる。23年中に各地で次々と計画の策定が進む可能性がある。
 国土交通省の「CNP形成イメージ図」を見ると、港湾や臨海地域の将来像が浮かび上がってくる。
 図では、港湾内に燃やしてもCO2の出ない水素や燃料アンモニア、重油に比べてCO2排出量が少ない液化天然ガス(LNG)を貯蔵するタンクが並ぶ。こうした低・脱炭素燃料は海外から船舶で港に運ばれてくる。それを港湾周辺の火力発電所や工場、物流を支える荷役機械に供給する。再生可能エネルギーも導入し、港湾周辺に太陽光パネルも設置する。
 苫小牧港でのCNP形成の計画作りを進める苫小牧港管理組合は現在、低・脱炭素燃料の需要量を推計するなど、計画策定の基礎データを取りまとめている。
 カーボンニュートラルの目標達成時期とする50年に向け、国交省は「(CO2排出量の多い工場などが多く立地する)港湾関連の集中的な対策が不可欠」(同省港湾局)として、全国の港湾でCNP形成計画の策定を促している。
 ただ、具体化には課題も多い。苫小牧港の状況に詳しい北大公共政策大学院の石井吉春客員教授(地域政策論)は「現時点で低・脱炭素燃料の輸入の見通しが立っていない。苫小牧港に立地する工場や荷役機械などで、どれほどこうした燃料を活用できるかも不透明だ」と指摘する。さらに、イメージ図の具体化のため、「(より環境負荷の少ない)再生可能エネルギーの導入も積極的に進めるべきでは」と話している。
■苫小牧CCS実証試験センター CO2海底下貯留、関心高く
 二酸化炭素(CO2)を海底下に貯留し、温室効果ガス削減を目指す技術の実用化を目指す「苫小牧CCS実証試験センター」が関心を集めている。2022年度(10月末時点)の見学者は1278人で、新型コロナ禍前のペースに戻っている。
 「巨大な設備で多額の投資もしている。実証した技術が苫小牧から世界に広がってほしい」。昨年11月の見学会に参加した苫小牧市の主婦木村千鶴子さん(80)は、こう期待した。
 CCSは、英語の「Carbon dioxide(二酸化炭素)Capture and Storage(回収と貯留)」の略。同センターは16年度から苫小牧沖で実証試験を始めた。隣接する出光興産北海道製油所の排出ガスからCO2を分離・回収。「圧入井」を通して、海底に注入してきた。19年11月に注入量が目標の30万トンに到達。現在は海底からの漏出がないかの監視が続く。
 センターを運営する日本CCS調査(東京)によると、見学者は市民のほか、環境問題に関心のある企業の関係者が目立つという。見学者数は実証試験中の16~19年度は2千人前後で推移。20年度はコロナ禍で82人だったが、21年度は545人。現在は1日2組に受け入れを制限しているにもかかわらず、コロナ前の水準に戻った。
 CO2を排出しない次世代燃料や再生可能エネルギーが普及しても、石油や石炭の化石燃料の使用をゼロにすることは難しいとされる。このため、CCSへの関心は高い。日本CCS調査の担当者は「地球温暖化対策の有力な手段として、CCSがどういうものか実際に施設を見てもらい、情報を提供していく」と話している。
■発展の記録、苫小牧の「財産」 親子2代で空撮、志方晴樹さん語る
 苫小牧市の元写真店主、志方晴樹さん(72)は、親子2代にわたり、チャーター機で苫小牧港の姿をカメラに収めてきた。それらの写真を紹介するとともに、父孝之(たかし)さんとの撮影にまつわる思い出などを聞いた。
 ―孝之さんは、いつから空撮を始めたのでしょう。
 「父は港湾整備が着工した1951年以降、毎年のように撮影していました。発展の記録を残すことが苫小牧の財産になるとの思いでは。年々整備が進む港に対して、子どもの成長記録を付けるような気持ちにもなっていたと思います」
 ―晴樹さんはいつから空撮に参加したのですか。
 「開港から6年たった69年ごろに初めて助手としてセスナ(軽飛行機)に乗りました。父は82年に亡くなりましたが、私が引き継ぎ、2018年ごろにやめました。ドローンが登場したことで、空撮はその使命を終えたのです」
 ―どんな思い出が。
 「開港当初は港の規模が小さかった。港の奥に王子製紙の煙突と樽前山がちょうど入り、それが定番の構図でした。勇払方面に掘り込みが進み、工場も進出し、撮影パターンも増えました。父が77年に出した写真集には1963年と76年の市内各地の様子の対比を載せました。原野から一気に住宅地に変化した様子が一目瞭然で面白いです」
 ―写真集は注目されたようですね。
 「大手出版社から、版権の売却を打診されました。高額でしたが父は『苫小牧のために記録を後世に残したい』と断りました。遺志を引き継ぎ、数万枚にも及ぶ膨大なネガフィルムや写真は苫小牧市美術博物館に寄付しました。街並みの空撮もたくさんあり、苫小牧の歴史を紹介する上で活用してほしいですね」
 ―4月に開港60年です。
 「市民は港にどのくらい親しみを感じているでしょうか。苫小牧港は平たんだから、港を一望する機会が少ない。道内最大の物流港と言われても存在がよく分からない部分があります。でもフェリーが並んで停泊している様子をたまに見に行くと、すごいなと思います。もっと市民が親しみやすい港になってほしいと願います。誰もがスマホできれいな写真を撮れるようになったわけですから、港を撮ってほしいですね」
 <略歴>しかた・はるき 1950年、後志管内古平町生まれ。15歳で苫小牧に移り住み、苫小牧西高定時制から東京写真大学(現東京工芸大)短期大学部卒。72年に孝之さんが初代社長の志方写真工芸社に入社。93年から3代目社長。同社は2019年に事業停止した。
■江戸時代から続く物流拠点 市教委の武田正哉(まさちか)学芸員
 苫小牧港開発の背景には苫小牧市東部の「勇払」の歴史があります。江戸時代、勇払を中心とする地域はアイヌ民族と和人が物々交換を行う拠点でした。川を利用して丸木舟でサケなどを運んでおり、当時から物流拠点だったのです。大正時代には、私財を投じて勇払川河口に港を造ろうと試みる動きがあったり、個人や企業、行政による築港計画が立てられたりしました。こうした、いわば「記憶の集積」が苫小牧港の整備に結実したのだと考えます。
 先人の思いがつながって着工した苫小牧港を空撮で記録し始めたのが志方孝之さんです。築港の経過を収めた写真集は優れた資料です。誰もが手軽に写真を撮れる時代ではなく、ましてや空撮で技術を必要とします。砂浜に本当に港が完成するのかと言われていた中、誰に頼まれたわけでもなく空撮を続けた信念もすごいこと。さまざまな歴史があって今の苫小牧港があることを子どもたちにも伝えていくべきでしょう。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/783026/

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地方の学び、世界が教室 オンラインで対話力育む

2023-01-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞01/02 05:00
 道内の教育現場で、情報通信技術(ICT)を活用した事業変革「デジタルトランスフォーメーション(DX)」が本格化している。都市と地方の格差解消に向け、国が進める活性化策「デジタル田園都市国家構想」で、事業対象となった後志管内神恵内村は本年度から、富士通Japan(東京)と共に教育のDX化を加速させる。全小中学生が41人の村は学びの場を広げており、現場から「子供は対話能力を磨き、視野を広げて羽ばたいて」と期待の声が上がる。
■神恵内に人材派遣「人間性磨く機会」
 「緊張したけど、いつもより意見が聞けて楽しかった」。神恵内小6年の金田一花穂さん(12)は普段話さない子と交流し刺激を受けた様子を語った。
 昨年11月中旬、6年生5人が教室の画面を通して行った、同管内泊村の泊小6年生12人との道徳の授業。地元以外の子と話す珍しい機会で、「本当の自由とは何か」をテーマに「ルールを守った上でやりたいことをやる」「思いやりを大切にする」と意見を出し合った。
 玉川量規教育長(60)は「村外の人と今から知り合いになり、進学時のストレスも減らせる」と過疎地でDXを進める意義を語る。
 多分野でDXを推進するため、神恵内村には総務省の「地域活性化起業人」制度で富士通社員の福地達貴さん(31)が21年から出向している。
 全世帯の約400戸にデジタルや暮らしについて聞き取り調査をすると「学習機会が少ない」「高校がなく、進学先が限られる」「働き先が限られ、キャリアを想像しにくい」と課題があらわになった。
 こうした声を受け、学習意欲向上などのため1人1台ずつ配られたタブレット端末を使い、自動採点される計算や漢字のドリルを導入。キャリア教育の充実を狙い、中高生対象の交流会「未来の語り場」を昨年11月下旬に役場で実施した。東京在住の富士通社員や村出身の大学生と交流すると、自分の価値観を再認識した子供もいて、福地さんは「先輩に語ってもらうことで将来を考え、具体的な目標も見つけやすくなる」と見守る。
 中学3年は総合学習で、札幌市立大の武田亘明准教授(64)=教育工学=から講義を受け、地域活性化の方策を検証し、地域に発信する課題に取り組む。アイデアは町長にも発表する。武田准教授は「デジタル機器を使えば時間と空間を超えて、世界が教室になる。社会にもまれ人間性を磨き、成長する機会にすることが大切」と強調する。(高田かすみ)
デジタル田園都市国家構想 岸田文雄首相が2021年の自民党総裁選で打ち出した地域活性化策。27年度末までに高速インターネット通信ができる光ファイバー回線を99・9%の世帯へ普及させるほか、26年度末までにデジタルに詳しい人材を230万人育成するなどの内容を盛り込んだ。デジタル基盤を使い「全国どこでも快適に暮らせる社会」を目指す。内閣府によると、十勝管内更別村の「スーパービレッジ構想」事業をはじめ、22年度は道内36市町村の計65事業が対象。神恵内村には22年度、教育のDX化について、国から同構想推進交付金410万円の拠出が決まっている。
■文科省ICT活用教育アドバイザー、発寒南小教頭の朝倉一民さんに聞く 「最適な学び」へ授業変容
 小中学生にタブレットなどの情報端末を1人1台配布して情報通信技術(ICT)を活用した授業を行う国の「GIGAスクール構想」は新年度、本格実施3年目に入る。現状と課題、さらに「学びのDX」の未来像を札幌市立発寒南小教頭で文部科学省ICT活用教育アドバイザーの朝倉一民(かずひと)さん(50)に聞いた。
<略歴>あさくら・かずひと 1972年、札幌市出身。道教大岩見沢校卒。札幌市立屯田北小、伏見小などを経て2020年から発寒南小教頭。著書に「ICTで変わる社会科授業」(明治図書)など。
 構想が目指すのは、パソコンが上手な子供を増やすことではありません。オンラインで時間や距離の制約を取り払い、一人一人に最適で効果的な学びの支援を行うなどして子供の資質・能力を育てるのが目的です。「子供に問題意識を持たせる」という授業の本質は変わっていませんが、ICTの活用でより効率的になるという考え方です。
 学習プリントや宿題は紙からデジタルドリルにほぼ変わりました。先生が黒板に書いていた連絡事項は、ネット上の掲示板機能で共有しています。そこで子供同士が情報交換することもあり、新たな居場所になりつつあります。
 端末は文章の編集や録音・録画が簡単なので、自分の行動や考えを深め、客観視しやすい利点があります。発表資料を作る、音読を繰り返し聞く、体育の実技を見返す―など主体的な学びにつながっています。
 授業自体の「変容」、まさにDXも始まっています。発寒南小では沖縄や大阪の児童との遠隔交流を通じ、互いの地域の特徴を学び合うなどしています。また、学習発表会では遠隔交流やSDGs、アイヌ民族など各学年が学んだことを発表するようにしました。授業では最終的に、国語や算数、理科など複数の科目を横断して情報活用能力を磨くなど「授業カリキュラムの再設計」が求められています。
 子供たちが取り組む「問い」は答えが一つではありません。一発勝負のテストで知識の量を測るだけでなく、個々の思考力や判断力、オリジナリティーなどの育成がこれまで以上に求められます。授業の変容に伴い評価のあり方が変わり、先生側の「評価する力」も育てていかなくてはなりません。(田口博久)
■文科省の新年度事業 教員の研修や校務も デジタル化加速へ
 文部科学省は2023年度、情報通信技術(ICT)を活用した教育やサポート体制を強化し、学校でのデジタルトランスフォーメーション(DX)を加速させる考えだ。
 国の「GIGAスクール構想」に伴う児童生徒への端末支給は21年3月までにほぼ完了したが、どのぐらい活用されているかは自治体や学校で差が大きい。このため、文科省は自治体が学校のICT活用を支援する「運営支援センター」を増設し、教員向け研修プログラムを充実させるなどして機能強化を図る。
 また、24年度のデジタル教科書の本格導入に向け、小学5、6年生や中学生を対象に英語のデジタル教科書を配布。通信環境や回線速度の調査研究も行う。
 校務のデジタル化も進める。出席や学習の状況などを管理する現在の「統合型校務支援システム」は、端末が職員室に固定されていて校外で作業ができず、災害時に業務を継続できないなど課題があった。クラウドで情報を管理できる新たなシステム導入を目指し、23年度は一部でモデル事業を始める計画だ。(大沢祥子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/782925/

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約1000民族から収集した音楽をデータベース化 Global Jukeboxが“民族音楽”を取りまとめる意義に迫る

2023-01-03 | アイヌ民族関連
リアルサウンド1/2(月) 12:00

『Global Jukebox』トップページ
 世界中の人々と繋がれるSNS社会。すべてがデバイスの液晶に収まると思いがちだが、実際の世界は広大で無数の人や文化が存在し、1回の人生で多様性のすべてに触れることは不可能だ。しかし先日リリースされた伝統芸能データベース「Global Jukebox」により、音楽や芸能においてはそれが可能になるかもしれない。
 これは約1000民族から収集された5000件以上の音声記録と、コード化された音楽情報の集積。地図から選択した地域に存在する音楽を手軽に聴くことができ、その数とデータ量が膨大で有益だとネットで話題になった。特に37項目で音楽を分類する「カントメトリクス」を使った比較分析は大きな見どころである。
 今回、リアルサウンドテックでは、本システムの開発に関わった17名の研究チームのメンバーである慶應義塾大学環境情報学部のパトリック・サベジ准教授、同大学院の政策・メディア研究科修士課程である大穀英雄氏にインタビューを実施。「Global Jukebox」は、どのようにして、なぜ生まれたのかを語ってもらった。(小池直也)
ーー「Global Jukebox」がリリースされ、SNSで話題になっていました。このようなシステムはいままでになかったので驚きです。
パトリック・サベジ(以下、サベジ):Twitterでのリツイート、いいねなどの反響がすごかったです。温かいフィードバックが嬉しかったですね。
大穀英雄(以下、大穀):インドの新聞「テレグラフ」からも取材を受けました。研究者の方もたくさん見てくれたようです。
サベジ:学術論文の形で発表してからリリースに至りましたが、ベータ版は5年くらい前に出していて「ニューヨーク・タイムズ」でも取り上げられました。メタデータの不具合やデータをダウンロードして分析できないなど、不完全だった部分は5年間で修正・分析して信頼性の高いフォーマットにしています。
 ベータ版が60%なら、今回は90%といったところでしょうか。ただ、これだけ大きなデータベースなので、完全に合っているという段階には永遠に達することはないため、修正を繰り返さないといけません。
ーーこの研究はどのようにスタートしたのでしょう?
サベジ:プロジェクトが始まったのは戦後まもなくです。もともとは民族音楽学者のアラン・ローマックスが戦前から黒人の伝統音楽を録音して紹介したり、世界中の民族音楽に興味を持ったところから始まりました。
ーーローマックス氏はアフリカン・アメリカンのブルースに光を当てた功績について語られることが多いですが、世界の音楽にまで目を向けていたとは驚きです。
サベジ:戦後まもなくスペインやイタリアの音楽を録音したり、カリブ諸島に行ったりしているんですよ。「Global Jukebox」の音源も1000曲くらいは彼が採集したもので、音楽と社会構造の関係があるかもしれないと仮説を立て、それを何十年も科学的な方法で検討しようと努めたんです。
 ただドイツのナチスによる人種差別や迫害によって「文化比較は危ない」という批判もあり、比較研究が進んだのは21世紀に入ってからでした。
ーーなるほど。多様な世界中の音楽を具体的にどう比較するのですか?
サベジ:ローマックスは音楽を37の要素から分析する「カントメトリクス」という考え方をもとに、音楽のパターンから社会や民族の移動について主張しました。これは民族音楽学のなかで大論争になりましたが、当時はインターネットもなく決着がつかないまま彼は2002年に亡くなります。
 それから彼の娘であるアナ・ローマックス・ウッドが残されたデータを20年かけてデジタル化していったんです。2002年といえば、まだ大穀さんは赤ちゃんですが(笑)、僕は2012年ごろから大学院で「カントメトリクス」の研究を始めて、アナさんと出会いました。最初は父の研究を盗もうとしているんじゃないかと思われたみたいですが、論文を書くことでリスペクトが伝わり、一緒に研究させてもらえるようになったんです。
大穀:僕は慶応大学に入学した時に、新しいラボの最初の生徒として参加しました。そこではベーシックな「カントメトリクス」の研究をして、大学院生になってから本格的にプロジェクトに参加させてもらっています。ローマックスのもともとのデータはテープ録音で、メタ情報は紙記録。僕はエクセルで、そのデータのエラーなどをチェック・修正したり、文化と文化の距離を計算したり、それが近い音楽を比較したりする作業を担当してきました。
サベジ:アナさん自身は文化人類学者なので、計量的な分析は僕が代表を務めているCompMusic Labが得意分野なんです。特に大穀さんはデータサイエンスや可視化が上手なので論文中の地図やデータ整理をお願いしています。
ーー「カントメトリクス」の概念について、もう少し詳しく教えてください。
サベジ:簡単に言うと、ある音楽がひとりで歌われているのか、集団で歌われているのかや、その楽器の伴奏の有無、また声が日本の民謡みたいにつぶして響かせるのか、アフリカの歌みたいに広く響くのか、拍子が規則的なのか否かなどの37項目をさらに5段階に分け、人間の耳で記録していきます。あとは繰り返しがどれくらいあるのかとか、色々な要素を含みますね。
 以前は五線譜を使ってメロディやリズムで分類することが多かったのですが、それでは西洋中心主義的になってしまう。だからアラン・ローマックスは、世界のどの音楽にも適用できる方法として「カントメトリクス」を考案したんです。
ーー作曲家のバルトーク・べーラが民族音楽を収集したという有名な逸話があります。あれは採集したメロディをキー=Gに統一して並べ、節回しなどもできるだけ細かく記述していったといいますが、それについては?
サベジ:たしかにバルトークの研究も価値があります。ただ日本の民謡、アフリカにおける狩猟採集民族のポリフォニー、インドネシアのケチャなどは五線譜だけでは音楽的な本質が失われる恐れがあります。
ーーなるほど。では「カントメトリクス」を用いて、距離が近い/遠いと判明した音楽の事例などはありますか。
大穀:僕はインドと日本のミックスなのですが、インド音楽の分析をしました。北ではヒンディー語、南はタミル語やケララ語が話されていて、伝統音楽の呼び方も前者は「ヒンドゥスターニー」、後者は「カルナーティック」です。現地の人に聞くと「違う音楽」と言われるのですが、「南の音楽A」と「南の音楽B」の距離は「南の音楽A」と「北の音楽A」の距離よりも遠いことが分かりました。
 この場合、地域間や言語による違いよりも、同じ地域のなかでの差異の方が大きくなるんですよ。これは仮説にすぎませんが、理由としては同じエリアにおけるコンペティションや自分の音楽を目立たせようとすることが要因だと考えています。それは実際に曲を聴いてもらっても理解できるのではないかと。
サベジ:日本本土とアイヌの音楽は全然違いますよね。僕も民謡大会で歌ったりするのですが、日本の民謡は装飾音が多かったり、リズムが不規則的だという点でアラブ地方の音楽と似ています。歌い方もメリスマティックかつ絞り出すものが多い。
 これをアラン・ローマックス氏は「日本本土とアラブは上下関係が激しいため、伝統音楽に心理的なストレスが現れている」と主張しました。でも僕を含めた他の意見では、シルクロードの影響によるものだと考えています。日本の楽器や文化は大陸を通じて古代アラブ文化と繋がっていますし、そう考えた方が腑に落ちますよね。
 一方でアイヌの音楽「ウポポ」を「カントメトリクス」で分析すると、日本やイスラムの音楽よりもアフリカの狩猟採集民族のムブティなどの集団輪唱的に歌うポリフォニーと似ているんです。これをローマックスは「平等性の強い社会で多い事例」だと主張しました。僕もそれはあると思っていて、統計的にも相関があると思われますが、歴史的な関係があるかは調査中です。実は北極圏の音楽と似ているという研究もあるんですよ。
<参考記事>
「How ‘Circumpolar’ is Ainu Music? Musical and Genetic Perspectives on the History of the Japanese Archipelago」
ーー沖縄民謡や奄美大島のシマ唄についてはいかがでしょう?
サベジ:研究室に奄美出身の成瀬茉倫さんがいます。彼女が歌うシマ唄は沖縄とも本土とも違うんですね。インドネシアの音階と似ているので歴史的な繋がりがあるかもしれない、と言われています。ただ三線がシルクロード経由で沖縄に入ってきて、それが三味線に進化して本土に伝来したのは間違いないと思いますよ。
ーーちなみに北アジアの資料が少ないですが、これはなぜ?
サベジ:冷戦で行けなかったんですよ。この数年で行こうかと思っていたのですが、ウクライナ戦争も始まってしまいました。
ーー「Global Jukebox」のUI開発についても教えてください。
大穀:アラン・ローマックスのAssociation for Cultural Equity(ACE)が作ったもので、90年代くらいに作られたWeb1のインターフェイスを基礎としています。曲の「カントメトリクス」の説明を見ることができるので教育のツールとしても使うことが可能ですね。現在は伝統音楽の知識がどんどん失われています。でも、もう存在しない音楽が録画されていて、どういう風に使われていたかを若者が知り、自分のプレイリストに入れてくれれば音楽の保護につながるんじゃないかなと。
サベジ:僕も自分の5歳と8歳の娘と息子に聴かせています(笑)。自分の文化を失わず、他の文化に触れて多様性を実感してもらうという目的もあります。アイヌ文化は苦しい歴史のなかで音楽が失われかけましたが、今は若い世代が復活させようと盛り上げているんですよ。
 失われた音楽は昔の録音やアーカイブから復元しないといけないものもあるので「Global Jukebox」がその一助となれば嬉しいですね。個人的には日本の「こぶし」が大好きなので、ぜひ「八木節」などの音源を聴いて、みなさんに民謡を歌ってほしいです。
ーー個人的な興味になるのですが「カントメトリクス」でポップスを解析したら、どうなるのでしょう。
大穀:歌の特徴で分類できると思います。グループで歌っているのか、ソロで歌っているのかとか、メロディが上昇系なのか下降系なのかとか。あとはポップミュージックはすべて西洋音楽からの影響があると思いますが、その繋がりを比較してみるのも面白いですね。伝統的なダンスミュージックのリズムとポップスのメロディが混ざっているエリアがあったとして、それと「カントメトリクス」が似ているエリアを発見できたら、ツアーで周るとかもできそうですし。
 J-POPに関しては、どれもベースは一緒だと思いますが、作曲者のこだわりなどは「カントメトリクス」で可視化できるはずです。すでにSpotifyは「danceabillty」「exicitngness」「energy」などを数値化して、レコメンドシステムに組み込んでいます。
サベジ:また音楽サービス「Pandora」は「カントメトリクス」にポップスの要素を入れて「シンコペーションのリズム」や「調性音楽のキー」などの項目で分類していますね。「Global Jukebox」もポップスに適用できる「Urban Strain」という機能があるのですが、そのうち実装できたらなと。
ーー最後に「Global Jukebox」をユーザーにどのように使ってほしいかメッセージをお願いいたします。
大穀:まずは教育ですね。それから僕自身もメタルが好きで、そこにインドの伝統音楽を掛け合わせるのが好きなのですが、音楽家やプロデューサーの方にもアイデアの引き出しとして使ってもらえたら嬉しいです。
サベジ:音楽の多様性と普遍性がよくわかると思いますし、それを理解するために「Global Jukebox」を活用してほしいですね。また今後は民族の末裔の方と共同研究する機会も増やしていきたいと思っています。
<参考>
・比較音楽の歴史(Comparative musicology: The science of the world’s music)
小池直也
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6c452b415b7e436f05213c52260116b3ed0ac4f

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BPOが動いた騒動も! 局部画像流出のウエストランド井口だけじゃない、タイタン所属のお騒がせ芸人

2023-01-03 | アイヌ民族関連
リアルライブ2023年01月02日 22時00分
史上最多7261組が戦った昨年の『M-1グランプリ2022』(テレビ朝日系)は、ウエストランドの優勝に終わった。所属事務所・タイタンから初めて『M-1』王者が出たことになる。かつてない名誉を手に入れた彼らだが、消えない汚点もある。毒を吐く方、井口浩之の局部画像モロ出し騒動だ。
 彼には以前、DMがキッカケで仲良くなった女性ファンがいたという。何度かのメッセージの後、相手から胸が丸出しの画像が届く。さらにその相手からの要望で、井口が局部の画像、さらには動画も相手に送信。ところが、あろうことかこの画像が掲示板に流出してしまう。この事実は、別のファンから送られてきたDMで明るみになったが、井口はそのファンに素直に自分のモノであることを認め、このメッセージもネットで晒されてしまったという。
 とんだ“お騒がせ”な井口だが、他にもトラブルを抱えた芸人が、タイタンにいた。1人目がピン芸人、長井秀和。20年前の2003年頃、「間違いないっ!」の決め台詞で一世を風靡するも、07年、フィリピンで未成年者へのわいせつ疑惑が発覚。また同年、カナダ人タレントとの不倫疑惑もスクープされる。その後、海外で語学留学したり、長年入会していた創価学会を脱会するなど、波瀾万丈な人生を送ってきた長井。昨年は西東京市議選に立候補し、トップ当選。もちろんと言うべきか、今はタイタンを退所している。
 もう1人、脳みそ夫というピン芸人もいる。彼は21年3月放送の『スッキリ』(日本テレビ系)の1コーナーでアイヌ民族のドキュメンタリーを紹介後、アイヌの蔑称を使った謎かけを披露。差別しようとする意図はなかったものの、これがBPO(放送倫理・番組向上機構)でも取り上げられるほどの騒動に。本人はもちろん、番組も謝罪。担当プロデューサーは更迭されたという。かつては『ウチのガヤがすみません!』(同系)などでも活躍していた脳みそ夫だが、今はライブで見かける程度のようだ。また今年3月で『スッキリ』は終了するが、その遠因を作った事件とも言われている。
 注目されればされるほど、一度でもトラブルを起こすとそのハレーションも大きい。今年の芸能界ではどんな“お騒がせ”が起きるのだろうか。
https://news.nifty.com/article/entame/etc/12184-2084625/

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ブラジルのルラ大統領が就任、貧困や人種差別解消へ政策転換

2023-01-03 | 先住民族関連
ロイター2023年1月2日2:05 午後12時間前更新

(本文の余分な表記を削除して再送します)
[ブラジリア 1日 ロイター] - ブラジルの左派ルラ大統領(77)は1日に議会で就任演説し、前任の右派ボルソナロ氏を厳しく非難した上で、飢餓や貧困、人種差別に直面する同国を救うため政策を大きく転換すると表明した。
ルラ大統領は財政運営で堅実な姿勢を示す一方、飢餓をなくし、格差を縮小することに主眼を置くと明言した。女性の権利を向上し、人種差別と奴隷制の負の遺産を一掃することを目指すと述べた。「これが我々の政権の特徴になるだろう」と語った。
ルラ大統領が示した政権構想は、熱帯雨林や先住民、少数民族の保護に後ろ向きで、銃規制に甘かったボルソナロ氏の4年間とは対照的。世界有数の食糧生産国ブラジルを環境大国にすると語ったほか、68万人以上の死者を出した前政権の新型コロナウイルス対策を批判した。
ボルソナロ氏は昨年10月に行われた選挙の敗北を認めないまま、年末の30日にブラジルを離れ、米国へ向かった。選挙には問題あったと根拠なく異議を唱え、歴史が浅いブラジルの民主主義を傷つけ、選挙結果に否定的な支持者による暴力的な運動につながった。
ルラ大統領は「民主主義はこの選挙の偉大な勝利者であり、投票の自由に対する最も暴力的な脅威と、選挙民を操作し困惑させるために企てられた最もひどい嘘と憎悪のキャンペーンを克服した」と議会で語った。
ルラ氏はこの日、ロールスロイスのオープンカーで大統領府に到着した。夫人やカヤポ族の族長、黒人の少年、障害者らとともにスロープを登って宣誓。象徴的な儀式である懸章の授受は、ごみ収集業に携わる黒人女性が行った。
https://jp.reuters.com/article/brazil-politics-idJPKBN2TH02H?il=0

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絶滅したはずの古代の人類種がフローレス島の森の中で生きのびていると信じる人類学者

2023-01-03 | 先住民族関連
カラパイア2023年1月2日(月)20時0分 

 2003年、現生人類がアジアからオーストラリアへ渡った証拠を探していた考古学者たちは、インドネシア、フローレス島で絶滅したヒト属の骨を発見した。
 この人類の祖先の骨は完璧にそろっていたが、身長1mと現生人類よりも小さく、「ホモ・フローレシエンシス」と名付けられたが、その小ささから、J・R・R・トールキン作品の中に出てくる小人「ホビット」という愛称が付けられた。
 ある人類学者は、フローレス島に、絶滅種であるホモ・フローレシエンシスが今も生き延びていると信じているという。
・小さなヒト属「ホモ・フローレシエンシス」はまだ存在する?
 この小さなホビット族「ホモ・フローレシエンシス」は、当初、1万2千年前まで生存していたと考えられていたが、その後の分析を進めたところ、生存した年代は5万年前までさかのぼることになった。
 しかし、カナダ、アルバータ大学の元人類学教授、グレゴリー・フォースは、彼らがまだ生きていることが見過ごされてきた可能性があると言っている。
 この"ホビット族"は現在もまだ生きている、あるいは少なくとも現代人の記憶の中にまだあるのではないかというのだ。
2003年、ホモ・フローレシエンシスの骨が発見された洞穴 / image credit:Rosino/ WIKI commons
・現地で暮らす部族の目撃証言
 フォースは、近々発売予定の著書『Between Ape and Human』の中で、古生物学者など科学者たちは、フローレス島の森の中で生きているヒト属について、地元の人たちの知識や説明を見落としていると主張している。
この本を書いた目的は、現地に暮らすリオ族の、小さなヒト型生物に関する説明から、もっとも合理的で経験的に一番支持されている最良の説明を見つけることでした。
これには、私が直接話を聞いた、リオ族30人以上の目撃証言が含まれています。
彼らが私に話したことを説明するには、非サピエンスのヒト族が、現在まで、あるいはごく最近までフローレス島で生き延びていたと結論づけるのが一番妥当だという考えに至ったのです
 フローレス島中部の山地に居住するリオ族の民俗動物学の中には、人間が移動して、新しい環境に適応するにつれ、動物に変化するという話があるという。
 フォースはこれを、環境によって発達、退化した身体的獲得形質が遺伝していくという、ラマルク説になぞらえている。
私のフィールドワークで明らかになったように、そのように仮定された変化は、祖先とされる種とその分化した子孫との間の類似点と相違点の局所的な観察を反映したものです
 島の人々は、この小さなヒト属を動物だとみなした。人間のような複雑な言語や技術をもっていなかったからだが、見た目は不気味なほど人間と似ていたという。
「現地の人々にとって、人間にとてもよく似ているが不完全な姿だったこのヒト属は、異様で、問題があり、わけのわからない不穏な存在だった」とフォースは書いている。
https://www.youtube.com/watch?v=a2t8ULgwxKU
 今のところ、ホモ・フロレシエンシスが生きていたのは5万年前までという説がもっとも有力だが、フォースは、人類の進化を調べる際には、現地の先住民族の知識を考慮に入れるべきだと力説する。
まず最初は、私たちの本能は、フローレス島に実在した猿人を完全に想像上のものとみなします。しかし、現地の人たちの証言を真剣に考えてみると、そう考える正当な理由は見つかりません。
その生き物について彼らが言っていることは、ほかの証拠によって補足され、生き残った人類種、または過去わずか100年以内に絶滅したばかりの種であると考える説と、完全に符号するのです
 指輪物語が好きな人にとっては夢とロマンのある仮説だ。ホビットたちがもしも現世に存在するなら、是非この先も生き延びて欲しい。
References:Anthropologist Believes Ancient Human Species Might Still Be Alive In The Forests Of Flores Island | IFLScience/ written by konohazuku / edited by / parumo
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0102/kpa_230102_9448270383.html

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森をぬけて、ローザ・ボヌールの アトリエへ。

2023-01-03 | 先住民族関連
Ovni2023-01-02
Château-atelier de Rosa Bonheur
 ローザ・ボヌール(幸せのバラ、本名マリー=ロザリー・ボヌール)という麗しい名の女性は19世紀、最も名を馳せた画家の一人だ。 官展サロン・ド・パリへの出品作が20代で注目された彼女は、英米など海外でも人気を博し、テオフィル・ゴチエやヴィクトル・ユーゴーを感嘆させた。
1859年、話題作『馬の市』の売却で多額の収入を得たローザは、フォンテーヌブローの森に近い城を購入する。アトリエを設け、敷地にはたくさんの動物を飼い、盟友ナタリー・ミカとその母親と一緒に住んで絵を描き続けた。
天職と決めた芸術で自活し、生涯結婚せず子どもも持たず、女性と動物たちとの共同生活を送った非凡な画家の存在と作品は、死後100年近く忘れられていた。 
生誕200年にあたる2022年は、大規模なローザ・ボヌール展覧会がボルドー美術館とオルセー美術館で企画された。動物の「視線」や自然の息吹を捉えるローザ特有の写実絵画には、現代のエコロジスト(環境保護・動物福祉)の視点を見出せる。
また、女性を家庭に閉じ込めた時代に経済的独立と自由な精神を実践したその生きざまにおいて、フェミニズムの先駆者と再評価されている。その類い稀な存在の秘密に触れたいと、ローザが自分の神殿と呼んだアトリエに足を運んだ。(飛)
Rosa Bonheureの城アトリエ
ローザ・ボヌールをたずねて。
 ローザ・ボヌールが40年間、亡くなる1899年まで住んだ城はパリから南南東に約75km、フォンテーヌブローの森の端、トムリにある。15世紀に遡る館の中に、ローザは天井の高い大きなアトリエを造らせた。青い仕事着とズボン姿で絵筆を握る、白髪のローザの肖像画(遺産相続人になった友人アンナ・クランプケ作)が見学者を迎える。
タブローや彫刻などローザの作品、画材、当時の家具・道具、彼女が飼った動物たちの剥製がそのまま残るアトリエには、19世紀の仕事場の空気が漂う。ローザのポートレート写真と初期のカメラにも目を引かれる。モデル (主に動物)を正確に描写するために、彼女は自ら撮影 ・現像した写真や絵葉書も利用した。
 ボルドーで生まれたローザは画家の父と音楽家の母のもと、自然の中で遊び、ピアノやデッサンを楽しむ幼年時代を過ごした。ところが、パリに移住した一家は貧困に陥った。サン=シモン主義に傾倒した父親は家庭を放棄し、生計を立てるために働き過ぎた母は、ローザが11歳の時に病死する。
このトラウマゆえ彼女は結婚と出産を拒み、経済的・精神的独立を求めた。画家になろうと父から絵を習い、ルーヴル美術館の名作の模写に通い始めたローザは、模写を売って14歳から家計を支え、画業や彫刻に励んだ。
 芸術に人生を捧げることを使命にしたローザは、「巫女 (ウェスタの処女 : 古代ローマで女神ウェスタに支えた)」に自らを重ねる。アトリエはその「神殿」、仕事場であると同時に、幼くして死別した敬愛する母親に自分を繋げる場所だったのではなかろうか。
 ローザの絵に際立った特徴は、写実の驚くべき精密さと共に、動物の視線を捉えて描き出すことだ。動物に魂があり、視線に感情が表されていると彼女は信じていた。一方、農耕や放牧の情景に登場する人間は、常に脇役である。ローザは庭師やマネキン人形を人物モデルにして、羊飼いや農民の服を着せた。
 自然と生き物に対するローザのアプローチはアニミズム的(霊的)で、生き物は尊厳を帯びる。フォンテーヌブローの森を毎日歩いて素描し、動物たちに囲まれて絵を描く暮らしがローザの楽園だった。ナタリーは画業の助手を務めるほか、ローザのキャリアと城の財政の管理や実務に携わった。
ナタリーの死後、晩年に出会ったアンナがローザの伝記を書き、業績とお城を保存した。 2017年にお城を購入したカトリーヌ・ブローと彼女の娘たちは、修復と史料の研究を進めて、この場所に新たな息吹を与えた。女性たちによって、ローザの凛々しい魂は現代まで受け継がれている。(飛)
ティーサロンでは、軽食、ケーキ類、紅茶・カフェなどが位置情報は記事の後に。
宿泊(シャンブル・ドート)は、3部屋(スイートルーム) 350€ / 1泊
夏にはフェスティバルが開催され、コンサート、アートパフォーマンスなどが行われる。
オルセーのローザ・ボヌール展

 ボルドーとオルセー美術館、ローザ・ボヌール城の共同企画による回顧展では、この画家の代表的な大型絵画、ピレネーやスコットランドの自然を背景にした作品や動物の肖像画に加え、水彩画、素描、カリカチュアなど多様な創作を鑑賞できる。
 独自のアングルや構図も使った数多くの習作を通して、ローザは動物のさまざまなポーズを緻密に研究した。じっくり観察できるように、敷地でライオンのつがいを飼ったほどだ。動物の視線・表情や、自然と調和的に存在する彼らの佇まいに、ローザの世界観が表されている。
 『馬の市』では逆に、馬への人間の非情な扱いが告発されているようだ。ローザは1889 年、興行で来仏したバッファロー・ビルとアメリカ先住民に出会い、親交を深めた。未完の遺作 『火事から逃げる野生馬』では、躍動感に溢れる馬が自由の象徴のようにキャンバスを駆ける。
● Musée d’Orsay
Rosa Bonheur (1822-1899)
2023年1月15日まで
https://ovninavi.com/rosa-bonheur/

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学校で教えてくれないことをTikTokで学ぶアメリカの学生たち

2023-01-03 | 先住民族関連
NewSphereJan 2 2023
 ペンシルベニア州フィラデルフィアに住む高校生のメッカ・パターソン・グリディさん(17)には、学びたいことがあっても、内容によっては教師に聞きづらいときがある。そんなときTikTok(ティックトック)を見るという。
 このSNSプラットフォームには、警官の射殺行為に対する抗議、市民活動、アメリカにおける黒人やヒスパニック系の歴史に関する動画がある。「Fast Black History(すぐにわかる黒人の歴史)」や「Black Girl Magic Minute(黒人女子の魔法の瞬間)」 などをよく見ている。
 グリディさんによると、それらの動画は「授業で習わないテーマ」を扱っているという。
 人種、性別、セクシュアリティに関する教育について保守的な人々から厳しい目を注がれていることもあり、教師の多くは文化の違いに触れる問題について議論するのを避けるようになっている。学びに対するニーズと供給の溝を埋めようとして、生徒はSNSにアクセスしているのだ。そこではネットの有名人やNPO(非営利団体)関係者、教師らが、学校という枠にとらわれずに生徒とつながる方法を模索している。
 生徒の世界観を広げたいと考えている教育関係者にとっては、SNSプラットフォームは新たな機会だといえる。
 2月の黒人歴史月間に、元教師のアイシス・スパン氏が公民権運動に携わった人について教え子の幼稚園児に話そうとしたところ、サウスカロライナ州の教育当局から指導が入った。これを契機として、同氏はデジタルコンテンツの開発に転じた。また、当時の園長からは「Strong Black Queen(力強い黒人の女王)」と刻まれたピアスを適切ではないという理由で外すように言われたこともあったという。
 スパン氏は「納得できなかった。私が黒人でなかったら、違った受け止め方をしたと思わずにはいられなかった」と述べている。
 同氏は教師を退職した後、現在は「FUNdamentals of Learning(学習の楽しい基本)」という会社を経営し、対面またはオンラインで使える教材を提供している。学校や教育管理者の規範に縛られずに自身の考えを伝えられる現状に感謝しており、「SNSのコンテンツには番人などいない」と話している。
 シリウスXMラジオのティックトック・チャンネル「Black Girl Magic Minute」でホストを務めるテイラー・キャシディさん(19)は、触発を受けた女性のストーリーを取り上げ、黒人文化に関するニュースを動画で伝えている。
 歴史や時事問題に関する見解がネット上で注目されている人物としては、アトランタを拠点とするパーソナリティで、黒人コミュニティの社会的・政治的トピックを扱う「Parking Lot Pimpin(駐車場ピムピン)」という番組を主宰しているライナ・ボーグス氏がいる。また、2019年にイェール大学で初の黒人生徒会長に選ばれたカーリル・グリーン氏はSNSで自らを「Z世代ヒストリアン」と称し、黒人の歴史や文化にまつわる情報を提供している。
 ティックトックでは、プラットフォーム上に多くの教育コンテンツを掲載するよう奨励してきた。新型コロナウイルス感染症の影響でアメリカの生徒の大半がリモート学習をしていた2020年5月、同社は数百万ドルを投資し、専門家や有名人、教育機関と協力して「#LearnOnTikTok(ティックトックで学ぶ)」のハッシュタグをつけて学習教材を投稿していくと発表した。
 ただし、ネットに掲載される内容がすべて教材になるとは限らない。
 専門家によれば、信頼できる教材とそれ以外(軽薄なコンテンツ、不正確な情報、陰謀論など)を生徒が区別できるようにするためには、デジタルリテラシーの教育が重要である。出所を見究め、裏付けとなる情報を見定める能力が求められる。
 フロリダ州立大学のヴァネッサ・デンネン教授は「保護者や教育関係者はティックトックについてもっと知る機会を設け、とくにこのプラットフォームについて理解し、子供たちにどのように接していけばよいかを考えるべきだ」と述べている。アメリカにはティックトックだけでも約8000万人のユーザーがおり、その多くが若者だ。
 デンネン教授は「親や大人がいないから、子供たちはティックトックを使っている」とした上で、誠実な心を持った人が生徒の関心をそそる動画を作れば、受け手が文脈を理解する背景知識を持ち合わせている限り、図書館や講義などで見聞きする内容と同じような教育効果が期待できると話している。
 一方、この2年ほどの間に成立した法律の施行により、10を超える州では人種差別や性差別にまつわるテーマについて教室で議論する動きに制限がかけられている。
 子供たちが読む本にまで、そうした議論の是非が及ぶようになってきた。国内の禁書を追跡調査しているアメリカ図書館協会によると、2021年には図書館、学校、大学で1597の文献が禁書の対象となり、729件の撤去要求があったという。2000年の調査開始以来、最も多い件数である。
 ケネディ・マッコラムさん(18)の場合、フェニックスにいた頃はティックトックの動画でよく歴史を学んだという。今でもニュースを見て社会の動きを知り、自身の金融スキルを身につけるために定期的にSNSにアクセスしている。現在は由緒ある黒人教育機関でもあるバージニア州のハンプトン大学に通っているマッコラムさんは「高校時代を振り返ると、教師は現実に起きている問題、特に警官による残虐な行為についてまったく話をしていなかった」と言う。
 グリディさんはかつて、アフリカの伝統に誇りを持たせるようにする教育を重視するサンコファ・フリーダム・アカデミー・チャータースクールに通っていた。現在は白人教師が多いハイスクール・フォー・クリエイティブ&パフォーミング・アーツ(CAPA)に通う彼女は、人種に関連する問題を皆が必ずしも快く思っていない印象を持っているという。
 学校で黒人の歴史について話をする機会はあったものの、議論は中途半端で、黒人のトラウマが根本にあると感じられたため、もっと前向きになれる内容を求めてSNSにアクセスしたという。グリディさんは「黒人、ヒスパニック系、アジア系、先住民の歴史が見落とされることは多々ある。女性の権利、性教育、中絶についての議論をしていきたい。私たちに直接関わる問題について、もっと語り合わなくてはいけない」と述べている。
By CHEYANNE MUMPHREY AP Education Writer
Translated by Conyac
https://newsphere.jp/national/20230102-1/

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ブラジルで左派政権発足 BRICS強化に意欲

2023-01-03 | 先住民族関連
産経新聞1/2(月) 13:29配信
【ニューヨーク=平田雄介】南米ブラジルで1日、左派ルラ氏(77)が大統領に就任した。右派ボルソナロ前大統領から交代して12年ぶりに返り咲いた。激戦となった昨年の大統領選で二極化した国民の融和を図り、貧困対策に力を入れる。外交では米欧と対話を重ねつつ、中国やロシアを含む新興5カ国(BRICS)の連携強化に意欲を示している。
ルラ氏は就任演説で国民へ「希望と(国の)再建」を誓い、最も重要な任務は「苦しむ国民の期待と信頼に応えることだ」として格差解消などを約束した。低所得者層向けの現金給付策をボルソナロ政権時より手厚くするとしている。
外交については「米国や欧州、中国などと積極的に対話する。BRICSを強化し、アフリカ諸国とも協力する」と述べた。
ルラ氏は就任式に訪れたロシアのマトビエンコ上院議長とウクライナのスビリデンコ第1副首相と12月31日にそれぞれ会談。双方に「紛争の終結に向けて共通の土台を見つけることを望む」と伝えたという。
このほか、米国が経済制裁を科す反米左派マドゥロ政権のベネズエラとの早期の国交回復に意欲を示し、3カ月以内の米中訪問を計画中だとされる。
ブラジルの大統領就任式では、現職から後任の肩に懸章をかける儀式が慣例だが、ボルソナロ氏は昨年末に出国し、米南部フロリダ州に滞在中。新政権は「国民の代表から顕章を受け取る」として、先住民や障害者、工場労働者らともに大統領府のスロープを上ったリサイクル業の女性が懸章をルラ氏にかけた。
ルラ氏は2003年から2期8年大統領を務めた。当時は手厚い貧困対策で支持を得たが、汚職事件で18~19年に収監された後、評価は二分している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbfa8e292e171b200a9cc79679a2feb56f92e709

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西アフリカ、ダホメ王国が誇った恐るべき女性兵士軍団とは

2023-01-03 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック1/2(月) 11:50配信

19世紀のリトグラフに描かれた西アフリカのダホメ王国の女性兵士たち。17世紀後半から20世紀初頭にかけて、現在のベナンにあったダホメ王国は、女性兵士のみからなる勇猛な軍団によって守られていた。
 かつて西アフリカにあったダホメ王国に、勇猛果敢な女性兵士軍団が実在していた。2022年9月に米国で公開された新作映画『ザ・ウーマン・キング(原題)』の題材になっているほか、架空のアフリカの王国を舞台にした映画『ブラックパンサー』に登場する女性だけの親衛隊のモデルとしても知られている。
 しかし、ダホメ王国の女性兵士をギリシャ神話に登場する女性だけの部族になぞらえて「アマゾン」と呼ぶのは、植民地主義的であるだけでなく、彼女たちを例外的な女性として見るものであるため好ましくないと、著書に『ウィメン・ウォリアーズ はじめて読む女戦記』がある歴史家のパメラ・トーラー氏は指摘する。
 17世紀後半から20世紀初頭まで西アフリカに実在した女性だけの軍団については、全貌を知ることが重要だとトーラー氏は言う。軍団の起源と彼女たちを生み出した社会について探ることで、女性兵士たちの実像とその遺産をより多面的にとらえられるようになる。
ダホメ王国の勃興
 ダホメ王国は17世紀に現在のベナンで創建された。王国は高度に組織化された政府をもち、半神とみなされる王は国の経済、政治、社会を完全に掌握していた。また、王への忠誠心と国の発展への貢献度によって平民から選ばれる官僚の評議会が、王を支えていた。
 海に面していることと、戦略的手腕に優れた指導者の存在は、ダホメ王国が他の沿岸の王国を征服し、支配を広げる上で大いに役立った。しかし、ダホメ王国の支配を決定づけた最大の要因は、大西洋奴隷貿易の始まりと拡大だった。ダホメ王国の支配者たちは、1720年代から英国が海上封鎖を行った1852年までの間に、近隣の部族や国から数十万人を奴隷として英国、フランス、ポルトガルなどに売ったと推定されている。
 ダホメ王国が戦ったのは奴隷を手に入れるためだけではない。農業用の肥沃な土地を獲得し、パーム油の貿易を拡大するためでもあった。この2つの事業から徴収される税金と関税は、王国の軍備の増強に使われた。
 しかし、絶え間なく続く戦いによって男性の数は激減し、やがて女性たちが王国を守護する役割を担うようになっていった。
女性兵士はなぜ生まれたのか
 一説によれば、ダホメ王国の女性兵士軍団の起源は、第3代国王ウェグバジャ(在位1645年頃~1685年)に仕えた女性からなるゾウの狩猟隊だとされている。これがのちに女性兵士の軍団に統合されたのだという。
 ただし起源については、ウェグバジャの娘である女王ハングベの命令により結成されたとする説が有力だ。ハングベは、18世紀初頭に自身と双子のアカバ王が謎の死を遂げたことで女王に即位した。
 ハングベ女王が、女王と王国を守るためなら死もいとわない女性たちを集めたことは、家父長制の強いダホメ王国の社会では画期的な出来事だった。
 ダホメ王国の女性兵士たちは、王の側室でもなければ、男性の気まぐれに従わなければならない召使いでもなかった。こうした女性たちが出てくる素地はあった。歴史家たちは以前から、アフリカには女性が際立つ存在になる社会があったことを指摘してきた。トリルド・スカード氏は著書『Continent of Mothers, Continent of Hope(母の大陸、希望の大陸)』で、ダホメ王国の女性戦士たちについて次のように書いている。
「(彼女たちは)熱意と残忍さで有名だった。最も恐れられていたのはライフルで武装した者たちだった。弓の射手や、猟師や、スパイもいた。みな戦闘に備えて心身を鍛えていた。そして、『男たちは残れ! トウモロコシを育て、ヤシの木を育てよ。私たちは戦いに行く』と歌った。平時には(首都)アボメーの王宮を守り、果物や野菜を育てていた。捕虜を捕らえてきて奴隷として売ることもあった」
創作の裏にある現実
 トーラー氏によると、ダホメ王国の女性兵士は、映画『ブラックパンサー』に登場する女性兵士のようなスマートで華やかな服装はしていなかったという。「19世紀当時の記録によれば、兵士の服装に男女差はなく、敵方は接近戦になるまで相手が女性であることに気づきませんでした。現代的な女性戦士の描写にありがちな、ほぼ水着のようなセクシーな格好ではなく、長いパンツを履き、チュニックを着て、キャップを被っていたようです」
 彼女たちの活躍の物語は多くのヨーロッパ人探検家や奴隷商人を驚かせ、あなどれない強敵としてのダホメ王国の名声を高めることに貢献した。
「彼女たちは誰もが認める優れた射撃手で、非常に恐れられていました」とトーラー氏は言う。「接近戦にも長けており、鉈(なた)によく似た武器を使っていました。そのうえ、近年まで欧米で言われたように、女性は戦闘に参加すべきではないとか、腕力が弱いなどと言う人もいませんでした」
 ダホメ王国の戦争記録の大半は、沿岸の都市の支配権をめぐる近隣の王国との戦いに関するものだが、1870年代後半に港湾都市コトヌーをフランスの保護領とすることを認めてからは、状況が変化した。1883年には、ダホメ王国と対立していたポルト・ノボもフランスの支配下に入った。
 1889年に即位したベハンジン王はヨーロッパ人の干渉を嫌い、フランスの保護領に対して奴隷の襲撃などの敵対行為をするようになった。そこから始まった第2次ダホメ戦争(1892~1894年)によって、ダホメ王国の女性兵士が役割を終えたと指摘する歴史家もいる。
女性兵士の遺産
 トーラー氏をはじめとする歴史家は、性別による制約を拒否する道を選んだ女性兵士たちが『ザ・ウーマン・キング』で正確に描写されているかどうかを見てみたいと望んでいる。それが決定的に重要なのは、世界におけるアフリカの女性のイメージを、貧困に苦しむ存在からもっと力強い存在へと変えるにはまだ長い道のりがあるからだ。
 アフリカの女性たちが、貿易商、教育者、開拓者、祭司、治療者などとしてアフリカ諸国の発展に大きく貢献してきたことに議論の余地はない。ンドンゴ王国の女王アナ・ンジンガ、コンゴ王国の預言者ドナ・ベアトリス(キンパ・ビタ)、ベニン王国の女王イディアといった歴史的な指導者たち、そしてケニアの環境保護活動家でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ氏やリベリア共和国の元大統領エレン・ジョンソン・サーリーフ氏といった現代のヒロインたちは、アフリカの女性のパワーと勇気の象徴と言える人々だ。
 アートキュレーターでもある歴史家のアレクサンダー・アイブズ・ボルトロット氏は、米メトロポリタン美術館が公開するエッセイで、残る課題をこうまとめる。
「アフリカの歴史の中で、彼女たちの他にも重要な役割を果たした女性がいたことは確実だが、ヨーロッパ人との接触が始まる前の時代については、そうした女性たちの名前や功績を記した文書が存在しない。そのような女性たちに関する先住民の物語は現代まで伝わっていないか、まだ発見・記録されていない。それでも、アフリカ史の研究が進めば、他の重要なアフリカ人女性の存在もきっと明らかになるはずだ」
 実在したアフリカ人女性が、力強く、自己を確立した存在として描かれるようになったことは、そのような目標を達成する一助となるかもしれない。トーラー氏は、ダホメ王国の女性兵士たちについて、より多くの人が知るようになれば好ましいと考えている。
「彼女たちは、女性が、社会や女性自身が思っているよりも強いことを証明したのです」とトーラー氏は言う。「彼女たちには戦うという選択肢があり、それは完全に正しい選択でした」
文=RACHEL JONES/訳=三枝小夜子
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee6451654f892bbba69a35249eb5adb768674314?page=1

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左派ルラ大統領が就任、ブラジル 対中ロ重視外交に注目も

2023-01-03 | 先住民族関連
共同通信2023/01/02 09:20

1日、ブラジルの首都ブラジリアで、大統領に就任したルラ氏(左)とロザンジェラ夫人(ルラ氏事務所提供・共同)
(共同通信)
 【ブラジリア共同】ブラジルで左派ルラ大統領(77)が1日、就任した。昨年10月の大統領選で右派ボルソナロ前大統領との激戦を制し12年ぶりに返り咲いた。分断された国民の融和や経済、環境対策が課題。中国に親和的で、ロシアのウクライナ侵攻の解決にも仲介意欲を示す外交の行方も注目される。
 ルラ氏は就任演説で国民へ「希望と(国の)再建」を誓い「最も重要な任務は苦しむ国民の期待と信頼に応えることだ」として格差解消などを約束した。新大統領の肩に懸章をかける役目を担うはずのボルソナロ氏は国外に出て欠席。ルラ氏は先住民や少年ら市民と大統領府のスロープを上った。
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/world/kyodo_nor-2023010201000231.html

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