ニューズウィーク1/19(木) 17:51
<ネアンデルタール人と現生人類との違いはごくわずかだった。では、どうして私たちが地球で生き残ったのか>


化石の骨を基に再現されたネアンデルタール人女性(右)と現代の女性 JOE MCNALLY/GETTY IMAGES
地球上から姿を消して4万年近く。いまネアンデルタール人が脚光を浴びている。
近年の研究によると、太古の時代に生きた太い眉の私たちの親戚たちは、料理人であり、宝石職人であり、画家でもあったらしい。昨年は、ネアンデルタール人の遺伝学的研究の業績により、スウェーデンの古遺伝学者スバンテ・ペーボがノーベル医学・生理学賞を受賞している。
最も新しい発見を見れば、いま科学者たちの目の色が変わっている理由がよく理解できる。
ロシア・シベリア南部のアルタイ山脈にあるチャギルスカヤ洞窟は、ネアンデルタール人の基準からすると、ゴージャスな邸宅と言えるだろう。崖近くの洞窟には2つの部屋があり、入り口からは広大な渓谷を見渡せる。洞窟の住人たちは、緑豊かな土地を移動する馬やバイソンなどの獲物をすぐに見つけられたはずだ。時には、素晴らしい眺望を楽しむこともあったのかもしれない。
「理想的な住居と言っていい」と、トロント大学のベンス・ビオラ准教授(古人類学)は言う。
だからビオラは2010年のある集まりで、ロシア人の共同研究者から「実はサプライズがあるんだ!」と言われたとき、あまり驚かなかった。共同研究者がシャツのポケットから取り出したビニール袋には、保存状態が良好な下顎骨の化石が入っていた。
その化石は、チャギルスカヤ洞窟で見つかった骨だった。ビオラは一目見てすぐに、それがネアンデルタール人の骨だと分かった。
しかし、このシベリアの洞窟から得られた考古学的発見の規模は、ビオラの予想を大きく超えていた。過去11年間の発掘調査により、9万点の石器、30万点の骨片が見つかっている。昨年10月には、ビオラやペーボも参加した共同研究の成果が科学誌ネイチャーに発表された。
遺伝学的研究により、この洞窟で見つかった骨の主たちは家族関係にあることが分かった。父親と10代の娘など、遺伝的つながりのある少なくとも11人の骨が特定されている。ネアンデルタール人の家族集団が確認されたのは、これが初めてだ。骨の主たちはほぼ同時期に、おそらく餓死したものとみられる。
考古学的発見と、この10年で導入された最先端のテクノロジーにより、ネアンデルタール人に関する古い固定観念が打ち砕かれ始めた。
ネアンデルタール人は、棍棒を握って背中を丸めて歩き、ごく簡単な言語だけを発する原始的な人々などではなかったようだ。もっと知的で洗練された文明を持っていたらしい。
近年の科学的研究により、ネアンデルタール人への理解が急速に深まっている。同時にネアンデルタール人との比較により、私たち現生人類の特徴も明らかになりつつある。
<DNAの違いは1.5~7%>
多くの「ヒト属」の種はアフリカで誕生し、まずヨーロッパや中東へ、そしてさらに遠方へ移り住んだ。ネアンデルタール人が移動したのは20万年前。現生人類は6万年ほど前に移動した。ネアンデルタール人と現生人類は2万年ほど共存していたが、その後、ネアンデルタール人が絶滅し、現生人類は地球上に生き残った唯一のヒト属の種になった。
「現生人類は6万年前、既にほかのヒト属が生きていた世界にやって来ると、進化のプロセス全体の中では極めて短い期間で、世界の全ての大陸に進出し、あらゆる生態系を支配し、行く先々でことごとく大量絶滅を引き起こした」と、カリフォルニア大学サンタクルーズ校のリチャード・グリーン助教(生体医工学)は指摘する。
「ネアンデルタール人はそのようなことを行わなかった。その点では、ほかのヒト属も同様だ。この違いを生み出した遺伝学的・生物学的変化はどのようなものだったのか」
現生人類とネアンデルタール人の類似点が明らかになるにつれて、この問いに答えるためのヒントが見えてきている。
21年のグリーンらの研究によると、現生人類とネアンデルタール人のDNAの違いはごくわずかだ。その違いは1.5~7%にすぎないという。
1つの可能性は、このごくわずかな遺伝学上の違いが現生人類の成功の要因だというものだ。そのDNAのおかげで現生人類の脳には、大規模で組織的な文明を築く能力や、敵の多い不確実な世界で生き延びるために必要なリスクを取る能力が備わったのかもしれない。
しかし、DNAの違いはあまりに小さく、大きな影響を生んでいない可能性もある。もしそうであれば、ネアンデルタール人が絶滅して、現生人類が生き残ったのは、運命のいたずら、言い換えれば些細な偶然が原因だったのかもしれない。状況が違えば、現生人類ではなく、ネアンデルタール人が地球上で繁栄を謳歌したのだろうか。
この問いの答えはまだ分からない。しかし、新しい手がかりが続々と登場している。
進化の系統樹で、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)に至る枝と、ホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)に至る枝が分岐したのは、ざっと40万~45万年前のことだった。
アフリカを出発したネアンデルタール人は、ヨーロッパや中東を経て、シベリア南東端に到達した。その後、ヨーロッパの氷河期を生き延び、最終的には35万年にわたり存続した。これは、現生人類が誕生してから今日までの期間よりはるかに長い。
<低身長でずんぐりした体系>
しかし今から4万年ほど前、ネアンデルタール人は突如として姿を消した。その後、再び表舞台に登場したのは、19世紀半ばのことだった。
1856年、ドイツ西部デュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷で石灰岩を採掘していた作業員たちが、頭蓋骨などの骨の化石を掘り出したのだ。頭蓋骨は眉から下が欠けていて、左右がつながった太い眉の骨が前方に大きく突き出していた。
長い間、ネアンデルタール人は現生人類よりも進化レベルが低く、知能も劣る下等な親戚だと推測されてきた。ところがここ数十年で、その生活や人類の歴史における位置付けについて、これまで分かっていた(と思われていた)ことを見直す動きが専門家の間で広がり始めた。
「この10年でネアンデルタール人は、われわれが考えていたよりも現生人類に近かったことを認める動きが出てきた」と、ペーボは言う。
最近の生体力学的な分析により、ネアンデルタール人も直立二足歩行をしていたことが疑いの余地なく立証されたと、英リバプール大学の考古学者レベッカ・ウラッグサイクスは語る。彼女の著書『ネアンデルタール』(邦訳・筑摩書房)は、ネアンデルタール人について現在分かっていることに関する、最も信頼できる解説と評価されている。
<後ろから見たら「普通の人」>
ネアンデルタール人の身長は145~167センチで、現生人類よりもやや低い程度だったが、体重は63~82キロと、はるかにずんぐりした体格だった。体表面積が小さかったことは、アフリカ以外の寒冷地で体温を保つのに適していたはずだ。
頭蓋骨は私たちよりも大きく、額は前方に斜めに突き出ていた。大きな鼻は、凍えるように冷たく乾燥した外気を温めて、湿らせてから肺に送り込むのに役立った。眼窩(がんか)が大きいのは、暗い場所でも視力を確保するためだったと考えられている。
「ネアンデルタール人を後ろから見たら、普通の人だと思うだろう」と、ウラッグサイクスは語る。「ところが向こうが振り向いたら、『うわっ、こんな人見たことない』と思うだろう。それでも何らかの交流は持てるはずだ。つまり、ネアンデルタール人は太古の昔に存在した原始人だという認識は、進化のプロセスにおける真の位置付けと一致しない。ましてや考古学的な証拠とは全く矛盾している」
近年は、ネアンデルタール人の骨の変形や歯のすり減り具合を分析して、コンピューターシミュレーションを行うことによって、従来なら考えられなかった推測も可能になった。
<利き腕が極端に発達>
例えば、多くのネアンデルタール人は右利きだった可能性が高く、極度にたくましい二の腕を持っていたようだ。利き腕の筋肉は反対の腕よりも25~60%大きく発達しており、狩猟中に強烈な力で木製の槍(やり)を振り下ろして獲物を仕留めるのを可能にしていたようだ。
ネアンデルタール人は歯を第3の手のように使ったようだ。万力のように動物の皮革を歯でがっちりくわえて、丁寧に加工して、暖かい衣服に仕上げていたらしい。
ネアンデルタール人が互いに深い愛着を抱いていたことも分かっている。初期のネアンデルタール人が仲間同士で交流し、死者を埋葬していた証拠は、初期の現生人類の埋葬の証拠よりも多く残っている。ただ、死者を解体して食していた地域もある。これについては、死者を悼むプロセスの一部だった可能性が指摘されている。
さらに、チャギルスカヤ洞窟に住んでいた家族の痕跡は、ネアンデルタール人に高度な社会組織があったことも示している。「注目すべきは、男性ではなく女性が集団の間を渡り歩いていたらしいことだ」と、ペーボは語る。ペーボはマックス・プランク進化人類学研究所の教授として、ネイチャー誌掲載論文の共著者を務めた。「これはこの論文で初めて明確に示されたことで、社会組織について重要なことを物語っている」
驚くべきことに、最近の研究ではネアンデルタール人に一定の調理技術があったことも分かってきた。複雑な方法で食料を食べやすく加工していたというのだ。リバプール大学の研究チームは、ネアンデルタール人の炉跡とその周辺で見つかった炭化物の分子構造を調べて、現代の調理食品の分子構造と比較した。
すると、炭化物の多くの断片に、「独特の風味特性」を持つ植物や種子が混ざっていることが分かった。その一部は、水に浸したり、細かく砕いたり、他の材料と混ぜるなどの処理せずに食べると体を壊しかねないと、リバプール大学の植物考古学者ゼレン・カブクチュは指摘する。
「現代でいうレシピがあったかのようだ」と、カブクチュは本誌に語った。「食料はエネルギーや栄養を摂取するためだけでなく、調理の対象にもなっていた。これは(ネアンデルタール人の)狩猟と採集の方法に文化的な複雑性があることを示唆している」。カブクチュが共同執筆した論文は、科学誌アンティクィティの22年11月号に発表された。
<現生人類の違いは何なのか>
ネアンデルタール人は火を使った加熱処理によって合成材料を作り、道具や武器を改良していたことも分かってきた。ウラッグサイクスによると、炉跡の堆積物を分析したところ、ネアンデルタール人が原始的な接着剤バーチタールを作っていたことが分かったという。これは北米の先住民がよく使っていた接着剤で、道具に持ち手を付けるのに使われた可能性が高いという。
「この接着剤を作るためには、カバの木(の樹皮)を加熱処理しなければならない。そのためには火加減を慎重に調整する必要がある」と、ウラッグサイクスは語る。
<脳の体積はほぼ同じだが>
こうしたことは全て、ネアンデルタール人に高度な知性があった証拠だ。では、ネアンデルタール人と現生人類の違いは何なのか。
具体的な結論を出すのは時期尚早だが、新たな発見は有力な手がかりを与えてくれる。
化石を見る限り、ネアンデルタール人の脳はかなり発達していた。現生人類の脳は、チンパンジーの脳の3~4倍の大きさだが、ヒト属の脳が最初からそんなに大きかったわけではない。急激に拡大し始めたのは約200万年前で、60万年前に現在と同等の大きさになった。現生人類がネアンデルタール人から分岐したのは、その20万年後のことだ。ネアンデルタール人の脳の形(楕円体)は、現生人類の脳(ほぼ球体)とは異なるが、体積はほぼ同じだ。
グリーンやペーボらの研究者は分子生物学の手法も活用している。ペーボはヒトゲノムの遺伝情報と遺伝子の各領域の機能に関する知見を参考にして、ネアンデルタール人と現生人類の遺伝子の差異のうち機能の違いをもたらした可能性が最も高そうな3万点のリストを作成した。グリーンも独自のリストを作っている。
遺伝情報の差異の多くは「特に神経組織で発現する遺伝子に集中している傾向がある」と、グリーンは言う。「われわれの神経の発達と、おそらく認知機能がネアンデルタール人と異なることを示唆するものだ」
この相違の理由を突き止めるため、ペーボやグリーンを含む多くの研究者は最先端のテクノロジーを駆使して、DNAと幹細胞からニューロン(神経細胞)の集合体「脳オルガノイド」を実験室で培養している。さまざまな細胞に変化する幹細胞の特性を利用した脳の3Dモデルだ。さらに遺伝子編集技術クリスパー・キャスナイン(CRISPR-Cas9)を用いて、培養した現生人類の脳モデルをネアンデルタール人の脳に近づけ、その「加工」が脳細胞の発達にどう影響するかを観察する。
<なぜ現生人類は競争に勝てたのか>
17年には、ペーボと頻繁に共同研究を行っている神経生物学者のグループが、発達中の大脳皮質、特に前頭葉(言語表現、創造性、作業記憶、行動などをつかさどる部位)で活発になる現生人類特有の遺伝子変異を特定した。彼らは昨年、この変異によって幹細胞は大脳新皮質のニューロンをより多く作り出し、私たちの祖先は前頭葉に余分なニューロンを蓄えることができたとする研究結果をサイエンス誌に発表した。
別の論文では、現生人類は他の変異によって、遺伝的欠陥の少ないニューロンを発達させることが可能になり、より多くのニューロンが発達過程で生き残れるようになったことが示唆された。
<装飾品を作り、壁画を描いた>
グリーンによれば、脳オルガノイドでネアンデルタール人に特有の遺伝子を1カ所だけ、現生人類の脳モデルの遺伝子と置き換えると、脳の形が「おかしくなる」という。この改変が正常な脳の発達に欠かせない重要なプロセスに干渉していることを示唆する発見であり、他の多くの遺伝子にも影響を与えている可能性が高いと、グリーンは指摘する。
干渉を受ける他の遺伝子は具体的にどれか、その結果、現生人類とネアンデルタール人を分けた行動や認知の変化をどのような形で引き起こしたのか――正確な答えが分かるのは、おそらく何年も先だろう。それまでの間、この変化が抽象的思考やその他の特性に関係しているのかどうかも確かめようがない。
トロント大学のビオラ(考古学の専門家であり、遺伝学者ではない)は、現生人類がネアンデルタール人との競争に勝てた理由をめぐる謎を遺伝学で解明できるという見方には懐疑的だ。それどころか、現生人類がネアンデルタール人に勝ったのは遺伝子の相違によるものでは全くない可能性もあると考えている。「DNAは多くのことを教えてくれるが、過去に起きた現実の出来事を説明できるとは思わない」
ネアンデルタール人のようなヒト属の小さな集団は絶滅のリスクが極めて高いと、ビオラは指摘する。自然災害や度重なる悪天候、パンデミックなどの外的要因で簡単に全人口が失われかねないというのだ。
最初にヨーロッパに現れた人類は現代ヨーロッパ人はもちろん、その1万年後のヨーロッパ人とも無関係な集団であり、外的脅威の前になすすべなく絶滅したと、ビオラは言う。
「運の重要性は強調してもしすぎることはないと思う。われわれと遺伝的に同じ現生人類の集団も、多くは移り住んだ地域で全滅した」
<装飾品を作っていた>
もしネアンデルタール人が私たちの代わりに生き残っていたら、彼らも現生人類と同レベルの発展を成し遂げたのか――その可能性については、ビオラも否定していない。近年、ネアンデルタール人の遺跡から最も人類らしい特徴、つまり複雑な象徴的思考能力と象徴を用いた初歩的なコミュニケーションの萌芽を示唆する考古学的証拠が見つかっているのだ。
10年にはスペイン南東部で調査を行った考古学者のチームが、約5万年前(現生人類が到達する1万年前だ)の2つの洞窟で発見されたザルガイとホタテガイの貝殻に人工的に開けたと思われる穴と、装飾用の赤い顔料の跡を確認したと発表した。ネアンデルタール人が彩色した貝殻をひもでつなぎ、装飾品として身に着けていた可能性を示唆する発見だ。顔料が交じったワシの爪も見つかっている。さらに彼らは羽毛の装飾を身に着けていたとする説もある。
一部の遺物や骨、少なくとも1つの石には粗い斑点や線、彫刻の痕跡があった。英ダラム大学のポール・ペティット教授(旧石器時代考古学)は、明らかに塗料として使われた赤い顔料の斑点が25万年前のネアンデルタール人の居住地で見つかったと語る。控えめに見ても、ネアンデルタール人が非言語的コミュニケーションの初歩を理解し、ことによると象徴的思考や想像力を駆使していた可能性を示すものだという。
「20年ほど前から、彼らが自分の体を飾り立てていた事実が認められるようになった。この点については議論の余地はほぼなくなっている」
注目に値するのは、この顔料が原始的な洞窟美術にも使われていたことだ。ペティットらは18年、スペインの3つの洞窟で見つかった赤い顔料の奇妙な「壁画」を分析した。複数の点と線、長方形、数十の手形からなるこの壁画は、壁に手を当て、その上から口に含んだ顔料を吹き付けて作ったとみられるという。
3つの洞窟で見つかった遺物の年代測定から、その一部は現生人類が到達するずっと前の6万5000年前のものと推定された。ある専門家は「人類進化の分野における画期的大発見」と評し、ネイチャー誌にこう語った。「人類史の根本的な見直しを迫るものだ。現生人類とネアンデルタール人の行動の違いはほんのわずかしかなかったことになる」
「これらの洞窟で少なくとも彼らはメッセージを(描く対象を)体から外部の媒体である洞窟の壁へと広げるために、顔料を使い始めたようだ」と、ペティットは語った。
「これは認知的に非常に重要な分かれ道だった可能性があると思う。その場で相手と面と向かってやりとりするのではなく、壁に永続的に残すことでメッセージを時空を超えて伝える可能性を手にしたのだ」
これに洞窟の奥深く(そんなところを探検する理由など、好奇心以外に考えにくい)で命を落としたネアンデルタール人がいた証拠を併せて考えると、新たな可能性が見えてくると彼は言う。
<運命を分けたのは社会性?>
ネアンデルタール人には象徴的思考の能力があったのではという非常に興味深い仮説は、1990年代にフランス南西部の洞窟の奥深くで、折れた石筍(せきじゅん、洞窟の天井から落ちるしずくに含まれる石灰分が固まったもの)を積み上げて作った半円形の低い壁のような構造物が見つかったことに端を発する。2016年にこの構造物は、約17万6000年前のものだと突き止められた。
構造物のある場所は洞窟の入り口から300メートル以上離れていて、途中には四つんばいにならないと通れない狭い場所がいくつもある。見つかった構造物は6つで、それぞれ約400個の石筍が積み重ねられていた。石筍の大半が部分的に焼け焦げていたことから、構造物の内側では火がたかれていたとみられる。
「この謎めいた構造物はあまりに奇妙。日常生活との関連では説明できない」と、ペティットは言う。「明らかになりつつあるネアンデルタール人の知的好奇心について何かを物語っているに違いない。新しいデータが増えるほど、ネアンデルタール人は認知的にも行動的にも私たちに近いことが分かってくる」
だがグリーンもペーボも、現生人類がネアンデルタール人を圧倒したのは運がよかっただけだという考えには否定的だ。現生人類の先祖たちがアフリカを出て他の地域に広がり、新しいさまざまな技術を開発していったスピードはあまりに速く、先祖たちを大きく有利に導いた何かがあったはずだと言うのだ。
「長い長い年月、歴史のどの時点を取っても、初期のヒト属の数が数十万人を超えることはなかった」と、ペーボは言う。「技術は非常にゆっくりと時間をかけて進歩した。(生息域の)広がり方も他の哺乳類と変わらなかった。対岸に陸地が見えないのにわざわざ海や川を渡ったりはしなかった。そして遅くとも7万年前に現生人類が登場した。状況が変わり始めたのはそこからだ」
約10万年前に初期の現生人類が使っていた技術は、同時期のネアンデルタール人と大差なかった。だが5万~10万年前のいずれかの時点で「文化の発達が急加速」したと、彼は言う。ネアンデルタール人は現生人類と少なくとも1万年は共存したが、間もなく姿を消した。
「西ヨーロッパだろうが中央アジアだろうが、(使われていた)技術はどこのものも非常に似ていた」と、ペーボは言う。「だが現生人類では、技術は非常に急速に変化するようになり、地域ごとの違いが生じるようになった。専門家も道具を見ただけで、南ヨーロッパのものに違いないとか、中東のものだろうと言える」
<謎の全容解明までの道は遠い>
現生人類が優位に立った理由についてペーボは、大きな集団を形成したり考えを効率的に伝え合う能力がネアンデルタール人を上回っていたからだろうと考えている。7万年や10万年前に突然変異によって人類が賢くなったと考えるのには無理があると、彼は言う。一方、現生人類に「(ネアンデルタール人より)大きな社会集団、大きな社会をつくり上げる傾向」があり、「ほんの数万年で」ネアンデルタール人を打ち負かしたというなら理屈が通ると、ペーボは考える。小さな集団での生活は「たぶん初期の人類全てが置かれた状況だった。現生人類に特別な状態はここから始まる。何らかの変化が起きたのだ」と、彼は指摘する。
<クレイジーさが勝利の要因>
「ネアンデルタール人の一人一人は私たちと同じくらい賢かったのかもしれないと思う」とペーボは言う。「だが私は、現生人類には社会性に関係する特性があり、大きな集団を形成したり互いの世界観に影響を及ぼし合うことを可能にしているという確信がある。それは大きな社会を形成するのに必要な性質で、技術革新の頻度が上がるといった多くの影響をもたらしたかもしれない」
現生人類が優位に立てた理由はほかにもあるだろう。「現生人類には、ほかには例を見ないクレイジーなところがある」と、ペーボは言う。「太平洋に航海に出て、イースター島を見つける前に命を落とす人がたくさんいたなんて、どうかしているとしか言えない。今だって人類は火星に行こうとしている。私たちは探検をやめられない。それが文化なのはもちろんだが、そこには何らかの生物学的基礎があるように思える」
考古学者であるペティットは、現生人類という種全体が優れた「想像世界の探検家」ではないかと考える。グリーンもその考えに同意する。
「われわれ(現生人類)は、ネアンデルタール人とは違った意味で、言語とコミュニケーションの達人だ」と、グリーンは言う。「自分の知識のうち、書き言葉や話し言葉を介して他者から伝えられたものはどのくらいあるかを考えると、われわれは個人としては何も知らないことが分かる。私たちは、先人たちが親切にも書き残してくれたものに依拠している。もしネアンデルタール人がその点において(現生)人類より多少なりとも劣っていたら、われわれが勝利するのは当然だ」
謎の全容解明まで、まだ道は遠い。人類の言語やコミュニケーションをつかさどる遺伝的特徴もいまだ解明されていないと、グリーンは言う。チャギルスカヤ洞窟のような遺伝子データの宝庫がもっと見つかるといいのだが。
アダム・ピョーレ(ジャーナリスト)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b6539e0581904fbbb468e2635858c9f0a3057a0