アエラ2023/01/26 17:00
25年ほど前、田中克佳さんは南米アンデス奥地の厳しい自然のなかで暮らす人々の姿に魅せられた。
アンデスは世界最長の山脈である。南米大陸の西側を縦断し、7つの国にまたがる。赤道付近から南にかけて、熱帯雨林や砂漠、さらには南極、グリーンランドに次ぐ規模の氷床が広がる。そんな場所に田中さんは毎年、何度も足を運んできた。
田中さんは1993年に大手広告代理店・博報堂を退職後、2年間、ナショナルジオグラフィックの写真家・マイケル・S・ヤマシタ氏のアシスタントを務めて独立した。
自ら立てた雑誌の企画をきっかけに南米ペルー・クスコ周辺の集落に足を運ぶようになると、人々がいまだに血塗られた歴史を引きずっていることに気がつき、衝撃を受けた。その象徴が、祭りの際に踊り手がかぶる仮面(マスク)だという。
「すごくユーモアというか、グロテスクな感じのマスクをしている人がたくさんいた。最初はなぜ、彼らがそんなマスクをしているのか、わからなかったんですけれど、これは征服者のスペイン人を揶揄(やゆ)したものなんです」

![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/96/43518b9cc21ea2325a979571c230c8c3.jpg)
Sacred valley 撮影:田中克佳
■血塗られた過去の記憶
田中さんの写真集『ACROSS THE ANDES』(東京ブックランド)を開くと、祭りの日、教会の前を行進する人々の姿が写っている。カラフルな民族衣装とは対照的に、目を見開いた黒い仮面が際立って見える。
「さまざまな南米の国を訪ねて、実感したんですけれど、ペルーの国民性、特にアンデス奥地に住んでいる人々は非常に寡黙で、言ってみれば、猜疑心(さいぎしん)が強い。それは『コンキスタドール』、つまり征服者に蹂躙された過去があり、その記憶や血が色濃く残っているからなんだろうなと、感じました」
ペルーには、先住民とスペイン人を祖先に持つメスティーソが大勢暮らしている。
かつて、「黄金の都」といわれたクスコはインカ帝国の首都だった。高度な農耕技術や建築技術を有していたインカ帝国は1533年、スペイン人によって征服され、滅亡した。
スペイン人はインカ文明に代表されるアンデスの知恵や宗教を押しつぶし、キリスト教を強制した。
「ペルー国民のほとんどはキリスト教徒ですから、キリスト教は彼らの生活にはなくてはならないものです。でも、彼らはキリスト教を信仰しつつ、どこかで拒絶している。ものすごく複雑な精神文化を持っている。それを目の当たりにしたとき、ものすごい感銘というか、ショックを受けた。さらに、高地の厳しい自然環境で生きる人々の神秘的な強さと美しさを同時に感じた。それが、25年前の旅だった」
■できたばかりの地球の表情
それから10年ほど後、田中さんはアンデスの南端、パタゴニア地方を訪れた。すると、今度は天を突きさす山々の世界に圧倒された。
「最初は意味がわからなかったんですよ。いったい自分は何に打ちのめされているのか。目の前にある風景は確かに奇麗なんですけれど、他の場所で美しい自然や大絶景を目にしたときには1度も感じたことのなかった畏怖、恐怖心を抱くというか、圧倒的なものを感じた」
パタゴニアの核心部、トレス・デル・パイネ国立公園(チリ)で撮影した写真には、巨大な岩を鋭く彫り上げたような山がいくつもそびえ立つ。その姿は芸術作品のようだ。
「調べていくうちにわかったんですが、この山岳群は世界的に見ても、ものすごく若い。なので、稜線がすごくシャープなんです。できたばかりの地球の表情というか、原始の風景。ああ、だから、ほかの場所では感じなかった感覚を覚えたんだな、と思いました」
パタゴニアは地球上でもっとも氷河が集中している地域でもある。
「氷の帯がものすごい時間をかけて流れ下ってくるんですが、その先端が最後に湖で崩れ去る。何百年もの時間を凝縮したものが、一瞬で終わる。最初、その意味もよくわからなかったんですが、何回も目にするうちに『時間』というキーワードが風景のなかに浮かび上がってきました」
■もっとも強烈な体感
写真集を開いて意外に思ったのは、田中さんがボリビアのウユニを訪れたことだった。ウユニには絶景スポットとして知られる湖があり、世界中から観光客が押し寄せる。なぜそんな場所を訪れたのか?
「そこはアンデスのなかで、かつてない強烈な体感を覚えた場所なんです。ぼくにとってのウユニは、何日も究極の体験をしながら旅をして、最後にたどり着いたところ。観光客が飛行機でポンとウユニに着いて、あの鏡のような湖面の写真を撮って、インスタに載せて、という場所ではないんです」
世界一乾燥しているといわれるチリのアタカマ砂漠を北上し、ボリビアとの国境を越えると、「アルティプラーノ」と呼ばれる地域に入る。標高約4800メートル。
「ふつう、そのくらいの高度だと山を想像されると思うんですけれど、アルティプラーノは平原なんです。アンデス山脈の真ん中に広大な盆地が広がっている。そこはこれまで私がさまざまな場所を旅してきたなかで、もっとも人間の足跡のない、遠隔地中の遠隔地だった」
■桃源郷のようなウユニ
アルティプラーノにあったのは、「見る者を突き放す風景」だった。距離感を失う月面のような荒野。地底から吹き上げる蒸気。塩湖で羽を休めるフラミンゴの群れ。
「超遠隔地で毎日、圧倒的な自然と向き合って撮影しているうちに、ものすごい恐怖感が湧き上がってきた。自分の存在意義みたいなものを見失い始めた。いったい何をしているんだろう、ぼくは、みたいな」
自分の外側に視線を向けて写真を撮っているつもりが、いつの間にか、その視線が自分の内側に向かってきた。
「毎日のように自分への問いかけが始まった。自分の存在とか、目指そうとしていることとか。自己認識を強烈に感じた。今まで世界中で写真を撮ってきて、そういう体験をしたことはなかった」
標高が高いので、酸素濃度は通常の半分ほどしかない。睡眠は浅く、日に日に体力が奪われていく。荒涼とした大地の上を渦巻く雲と精神状態がリンクして、大混乱しているかのように感じた。
「そんな場所から少しずつ高度を下げていって、最後に到達するのがウユニなんです。少し体力を回復できて、一息つける桃源郷のように感じました」
ウユニの湖に到達した田中さんは撮影中、1人の観光客とも出会わなかった。
「湖は広大で、ぼくが写したのは大勢の観光客がやってくる場所とはまったく別のところなんです」
■25年かけてもごく一部
田中さんはこの写真集について、「とてつもなく長い山脈のなかで、さまざまなことが起こっている。それを一つの壮大なストーリーにまとめたかった」と語る。「まあ、抽象的ことばかりがテーマになったんですけれど」。
一方、「25年かけても『これがアンデスです』と、言っていいのか、というくらいの場所しかカバーできていない」と、率直に言う。
写真集の前文を寄せてくれたマイケル・S・ヤマシタ氏は文章を、こう締めくくった。
<本写真集の完成までには、25年という歳月を要していますが、彼がアンデスへの想いをすべて完結させたとは思っていません。次の章と出会える日を心待ちにしています>
「マイクは、これからも撮り続けろと、強いメッセージを投げかけてくれましたが、まさにそのとおりです。また違うアンデスを表現し続けていければな、と思います」
さらに田中さんは定点観測的にアンデスを撮影し、メッセージを発信し続けることの重要性を感じている。
「おそらく、ぼくの子どもや孫の時代になったら、もう見られないと思われる光景がたくさんあります。今、起こっていることを伝えるだけでなく、それを写真で残さなければならない」
人々の生活だけでなく、自然環境も変化している。
「初めて見たパタゴニアの氷河と、今の氷河ではもうまったく別ものというくらい、先端が後退してしまった。一方、赤道近くのベネズエラやコロンビアに目を向ければ、ぜんぜん違う表情が現れる。アンデスは定点観測するという時間の軸と、北から南まで見るという途方もない距離の軸、2つの軸で表現できる場所なんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
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