好書好日2024/12/21 10:00
冬に読みたい児童文学の長編ファンタジーを2回に分けて紹介します。後編は「クロニクル 千古の闇」シリーズ(評論社、現在第8巻まで翻訳刊行中)。イギリスの作家ミシェル・ペイヴァーによる紀元前4000年の太古の森を舞台とした物語です。第1巻『オオカミ族の少年』から翻訳者として関わってきた、さくまゆみこさんにインタビューしました。(文:大和田佳世)
お話を聞いた人さくま ゆみこ
東京都生まれ。翻訳家。訳書は絵本からYA小説、研究書まで250点を超え、産経児童出版文化賞大賞、日本絵本賞翻訳賞、IBBYオナーリスト・JBBY賞など受賞多数。著書に『エンザロ村のかまど』(福音館書店)他、翻訳作品に「クロニクル 千古の闇」シリーズ(評論社)、「リンの谷のローワン」シリーズ(あすなろ書房)など。アフリカ子どもの本プロジェクト代表。日本国際児童図書評議会(JBBY)前会長。長野県在住。
紀元前4000年の太古の森が舞台
――極北の森が目前にまざまざとあらわれるような「クロニクル 千古の闇」シリーズ。この壮大な物語をさくまさんが翻訳されることになったのは、どのような経緯だったのでしょうか。
20年ほど前の秋、ドイツのフランフルトで開催されているブックフェア(書籍見本市)で、第1巻『オオカミ族の少年』の原書の冒頭部分を入手した編集者から、内容について意見を聞かせてほしいと頼まれました。送られてきた原稿を読んでみると、内容も文章もおもしろくて。ちょっと特別な感じがしました。それで翻訳を引き受けることになりました。
――どんなところに特別な印象を受けたのでしょう。
まず、舞台が紀元前4000年、つまり今から約6000年前の北欧の森だというところです。人はまだ文字も金属も車輪も持たず、小さな氏族のまとまりで野営し、狩猟採集生活を送っています。そんな中で孤児になった12歳の少年とオオカミがなんとか力を合わせて生きていく。人と動物が助けあいながら生きのびていくところが、私は「おもしろいなぁ」と思いました。
――読んでいくうちに原始の森にどんどん引き込まれ、主人公のトラクと、オオカミのウルフと一緒に旅をしているような気持ちになります。
主人公のトラクは赤ん坊のときにオオカミの巣で育ち、オオカミの言葉がわかる少年なんですよね。動物の痕跡をたどるのに長けていて、他者の霊にわたっていくこともできる。そういうことも含め、当時の自然のありよう、人々の暮らしぶり、宗教的な概念、氏族の多様性などを、作者がとてもよく調べたうえで物語が展開していきます。それが具体的な描写につながっているので、当時の人々がリアルに立ち上がってきて、私たちも引き込まれるのだと思います。
物語の舞台となる森の地図。『オオカミ族の少年』(クロニクル 千古の闇」シリーズ1巻)より Illustration © Geoff Taylor
作者のペイヴァーさんは文化人類学や考古学の本をたくさん読むだけでなく、ラップランドやグリーンランド、シベリアなどを石器時代の遺物を求めて歩きまわっています。北米先住民やイヌイット、日本のアイヌの暮らしも参考にされたそうです。
石器時代の暮らしにドキドキ
――ビャクシンの樹皮を丸めた火口(ほくち)に火をつけ、シカの脂に浸し日干しした灯心草の髄をろうそくに。皮袋で煮炊きし、カバの樹皮でコップをつくる。宴のごちそうはヘラジカのシチュー、ハンノキの火で焼いた汁気たっぷりのコイ、アシの花粉をかためたさくさくした金色のケーキ……。暮らしのこまかな描写に圧倒されます。
例えばトラクが背負っている「荷かご」ですが、原文ではpackとあるだけなので、1巻ではどんな形のどういうものかがわかりませんでした。お手紙でペイヴァーさんにおたずねしたところ「枠組みはハシバミの枝で箱のような形につくり、あとの部分はヤナギの細枝を編んでつくってあるものです」と教えてくださいました。
――トラクたちは、いぶした魚や肉の保存食を持ち歩き、食料が尽きたら猟をします。獲物が見つからず、凍った木の実やまずいキノコを食べることも。動物を倒せたら森に祈りをささげ、皮を剥ぎ解体し、新鮮な内臓を生のまま食べる様子も克明に書かれます。
作者が文献を読み、あちこちに出かけて実地に体験したことを通して作品を構築しているという意味で、「クロニクル 千古の闇」シリーズはまるで歴史小説のような趣を持っています。当時の暮らしや行動の一つひとつが作者の中で克明だからこそ、読者も物語世界にどっぷりと入り込み、ハラハラ、ドキドキすることができるのでしょう。アカデミック(学術的)な土台の上につくられている物語だと思います。
――1960年生まれのペイヴァーさんはオックスフォード大学で生化学の学位を取得後、薬事法専門の弁護士となり、その後作家になられたそうですね。
詳細に調べるのは、法律事務所で弁護士として働いていた経験も関係あるのかなと想像します。以前、『生霊わたり』(2巻)刊行後に来日され、日本の小学校を訪問されるのにご一緒したことがあるのですが、物静かで、物事を深く考える方だと感じました。
同シリーズの『決戦のとき』(6巻)によって、2010年、ペイヴァーさんはイギリスの優れた児童文学に贈られるガーディアン賞を受賞しています。
闇の支配の中の光
――『オオカミ族の少年』『生霊わたり』『魂食らい』『追放されしもの』『復讐の誓い』『決戦のとき』の1~6巻では、魔術を扱う魔導師が物語を動かします。トラクは、巨大な権力を持とうと画策する魔導師たち、邪悪な〈魂食らい〉の一団と戦うことになりますが……。
リアルだなと私が思うのは「闇」や「悪」についてです。6000年前も、大きな悪の権力を持とうとする人はいたでしょうし、自然現象を利用してうまく自分が大きな力を持っているように見せかけた人もいたでしょう。そしてそういう人は、今以上に強い力を持っていたのではないかと思います。合理的な解釈がまだできなかった時代、「闇」や「悪」の支配する力は強かったのではないかと。
――旅の途中のケガや飢えの描写もあります。
死もいっぱい出てきますよね。当時の社会だと当然のことなんだろうけど、そのたびに悲しい。トラクが幾度も厳しい状況に突き落とされ、あまりに過酷な描写が続くので、訳しながら寒々とした気持ちになるけれど……。でもそんな中でウルフや、友達になった少女レンと一緒に危機を乗り越えながら信頼関係が深まっていくところや、途中から登場する二羽のワタリガラスのユーモラスな行動など、なにげない場面に救いがあります。
――さくまさんが訳される中でこのシリーズの好きなところや、好きなキャラクターはありますか。
好きなのは、やっぱりオオカミのウルフです。ウルフの存在は、闇の中の光です。
このシリーズの特徴であり魅力だと思うのが、人間の視点で書かれている物語部分と、オオカミの視点で書かれた物語部分の両方がある点なのです。ウルフは火を「熱い舌で刺すまぶしい獣」、雪を「明るくてやわらかくて冷たいもの」などと言います。ウルフの言葉だと人間は「尻尾なし」、トラクは「背高尻尾なし」です(笑)。オオカミの見方、感じ方で表現されることで、物語はより味わいが深くなります。
ファン待望のシリーズ続編もいよいよ最終巻へ
――6巻まででいったん完結したシリーズは、原書で11年ぶりの続編が出たことでファンを驚かせています。
当初作者は続編を書く予定はなかったようですが、イメージがおりてきて3冊を書いたそうです。イギリスでは刊行済みで、日本でも『魔導師の娘』(7巻)に続き『皮はぐ者』(8巻)が2024年秋に翻訳出版されました。今、最終巻を来年に向けて訳しているところです。『追放されしもの』(4巻)あたりからだんだん性別も意識するようになってきたトラクとレンですが、続編ではさらに若者らしくなったふたりの関係性も描かれます。
――最終巻はどうなるのでしょうか。
トラクとウルフとレンは、またまたものすごーーーく危険な状態に陥ります。だけど、彼らの結びつきは試練を経つつ、強まっていきます。トラクとウルフとレン、この3者にとっては未来がある終わり方にはなるはずです。
――あらためて、タイトルにある「クロニクル」とはどういう意味でしょう?
クロニクルは「年代記」です。原書のシリーズタイトルは「Chronicles of Ancient Darkness」だったので、直訳すると「古代の闇の年代記」。今より深い闇に覆われていた時代の、闇の歴史書というふうにとらえることもできるかもしれません。それを「クロニクル 千古の闇」と訳しました。
ペイヴァーさんが作品の意図についてインタビューなどで語ることはあまりないようですが、私が思うのは、文明の利器も便利な道具もない、むきだしの自然にさらされた状況下で子どもが生きのびるという冒険を、物語世界の中だけでも楽しんでくれたらと思っていらっしゃるんじゃないかなと。巻を追うごとにだんだん私自身もそんなふうに思うようになりました。闇に覆われた時代の記録だけど、野性の中で取り戻せる「生きる力」がある。闇の中で、光に向かって歩いている若者たちを書いているんじゃないかと思います。
イギリスでの生活と子どもの本
――さくまゆみこさんご自身のことについても聞かせてください。絵本からYA小説、研究書まで、250点を超える訳書を手がけていらっしゃいますが、子どもの本に関する仕事をするようになったきっかけは?
就職した出版社で、児童書の担当になったのがきっかけです。私は中高と私立の女子校で、大学もそのまま私立大学に進学しそうになったところ、「このままではあまりに世の中のことを知らない」と危機感をおぼえ、進路変更して公立の大学に入りました。学生運動の時代でもあり、大学ではベトナム戦争や南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)問題などについて意見を問われることも多く、自然に世界へ目を向けるようになっていきました。
卒業後は出版社に入ったのですが、おしゃれな女性雑誌や素敵な暮らしの本が主力の出版社の中で、違和感をおぼえることも多くて。そんなとき、会社の同僚のお姉さんが、ロンドンの下町の一般家庭にベビーシッターをしながら下宿しているけれど、帰国することになり後釜を探しているという話があり……。私はすぐ飛びついて、大学でフランス文学専攻だったので英語もほとんどしゃべれないのに、ロンドンに行ったわけです。児童書の編集はおもしろいけれど私はあまりに子どもの本のことを知らないし、世界のことも知らないから、違う国へ行って、違う景色をみて、色々考えた方がいいんじゃないかと思ったのです。
ロンドンというところは今はだいぶ変わりましたけど、テムズ川の北か南かで、住んでいる層が全く変わるんですね。私が住んでいたのは南側で、労働者階級の人たちがいっぱい住んでいるところでした。下宿させてもらいながら、3人の子どものベビーシッターをして、自分でもイギリスの児童文学のことを勉強したいと思って、図書館や子どものいる場所をまわったり、カレッジの英文学のコースに通ったりしました。
何より経験としておもしろかったのは、いろんなアルバイトをしたことです。ワインバーのウェイトレスや、日本から勉強しにくる美容師さんたちの通訳、イギリスで犯罪を犯した日本人が裁判を受けるときの通訳もしていました。一時期、保険会社の社員食堂でウェイトレスをしていましたが、働いているのはジャマイカ、スコットランド、アイルランド、ナイジェリア……そういうところから来た人たちばかりで、イギリス人がしゃべる英語とは全然違うんです。そんなふうにイギリスで暮らした3年9カ月間が私にとっての大学のようなものでした。いわゆる正統なイギリス英語だけでなく、労働者階級の人の英語や、アフリカをルーツにする人々の言葉や文化など、いろんなものに触れて学ぶことができました。
アルバイトが順調だったこともあって、いくらでも滞在できそうだったのですが、だんだん日本語の微妙な言い回しがとっさに出てこなくなってきて日本に帰ることを決めました。帰国後は再び出版社に就職して子どもの本に関わり、1997年からフリーの翻訳者となりました。
「本は窓」という思い
――昨年までは国際児童図書評議会(IBBY)の日本支部、JBBYの会長も長年つとめてこられました。子どもの本に対して今思うことはどんなことですか?
やっぱり子どもの本って、まず「おもしろい」ということがとても大事だと思います。おもしろくないと子どもは読まない。だから翻訳でも自分なりにおもしろくなるように工夫はしています。
この「クロニクル 千古の闇」シリーズの1~6巻は、小学校6年生から読める表記にしています。でも最近ますます300ページを超える子どもの本は出版が難しくなっていて。近年、日本の子どもたちの読解力は、英語圏の子どもに比べると低いと感じることも多いのです。英語圏の学校では、長いテキストをみんなで読んで意見をぶつけあう授業をしているのですが、日本ではやっていない。教科書にも短いぶつ切りの文章しか載っていない。だから「長いものを読む」ということに慣れていないし、読んで意見の違う人と話しあうという体験も圧倒的に不足しています。これで、日本の子どもたちは大丈夫なのでしょうか。
子どもの本は、子どもが自分で開けていくことができる「窓」だと思っています。日本は島国なので他国のことが対岸の火事のようになってしまう。だからこそ視野を広げるために、単純におもしろいものから社会問題を扱ったものまで、いろんな「窓」を子どもたちの周りに用意してあげたい。単なる情報ではなく、異なる文化や価値観に触れたうえで、子どもが自分なりの考えをもつようになることが大事なので、出版社も、そのためのいろいろな窓づくりをしてほしいものです。
冬に読みたい児童文学の長編ファンタジー【前編】
https://news.goo.ne.jp/article/book_asahi/trend/book_asahi-15555920.html