ブラジル日報 12/6(金) 6:38
『ナショナルジオグラフィック』アマゾン特集
『ナショナルジオグラフィック まるごと一冊アマゾン』表紙
『ナショナルジオグラフィック』2024年10月号に、サンパウロ大学の考古学者、エドゥアルド・ネヴェス(Eduardo Neves)教授他、ペルーの生物学者、ルースメリー・ビルコ・ワルカヤ(Ruthmery Pilico Hurcaya)、ジョアン・カンポス・シルバ(Joan Campos-Silva)、アンジェロ・ベルナルジーノ(Angelo Bernardino)といった科学者に加えて、フォトジャーナリストのトマス・ベシャック氏による美しい写真の数々が彩ったアマゾン熱帯雨林一帯の最新技術を駆使した研究の成果が掲載された。
文章の説得力は言うまでもないが、写真の力は一目瞭然である。カメラマン、トマス・ベシャック氏がこのプロジェクトに参加するにあたり、アマゾン探索前に読んだ本と科学論文は1931通。探索中に撮影した写真の数は、49万64枚、「こんにちは」といえるようになった言語の数は6言語。取材現場で過ごした日数は396日。アマゾン探査に持っていった装備の重量は540キロだった。
このプロジェクトは、科学者、研究者、集落の人々、伝説の語り部など、多くの人々を巻き込み、最新技術による精緻な調査であり、その結果を紹介している。
1500年にヨーロッパ人に発見されて以来、500年もの間、誤解され続けてきたアマゾニアが、研究者の地道でひたむきな調査と、最新の科学技術を駆使した研究によって従来の見方が大きな変化を遂げていると紹介されている。
ネイサン・ランプ英語版編集長は巻頭言で、「『アマゾニア』と一般的に呼ばれる、アマゾン川とその支流を中心とする水域と陸域は、他に類を見ない場所だ。…そして、何千年にもわたって発展した、知識と創造性に富む文化景観である。私たちの惑星は、アマゾニアがなければ、今と違う形になっていたであろう」と述べている。
筆者はブラジルに十数年住んでいるが、アマゾンを訪れたこともなければ、環境問題関連での記事に触れる程度の知識しかなかった。それ故「アマゾニアの物語を伝えようと奮闘する人々」からの熱意と、これまでの常識を覆す情報に接し、世界最大の熱帯雨林に強く魅せられたのである。
本誌は読み進むにつれ、「知らなかった。知ってよかった。アマゾンとはこんなに凄かったのか」と、改めてアマゾンを知る喜びの感動に突き上げられた。
本誌には濃密な最新情報が満載であるが、すべてを紹介することはできないので、エドゥアルド・ネヴェス教授の投稿記事と、いくつかの最新情報に絞って紹介し、新たな学びを得たいと思う次第である。
アマゾンという名前の由来
16世紀、スペインの探検隊隊長フランシスコ・デ・オレリャーナ一行はアンデス山脈の麓から7カ月をかけていくつもの支流を下り、誰も見たことのない大河に出た。この探検に同行していたイエズス会士ガスパル・デ・カルバハルは詳細な航海日誌をつけていた。それはヨーロッパ人による初めての探検記であった。
1542年6月24日、探検隊は女性戦士が率いる軍勢に襲われた。脇腹を矢で打たれたカルバハルは、この女性をギリシャ神話に出てくる女性だけの戦闘集団アマゾネスの戦士に喩え、スペイン当局に報告した。しかし当局はそれを単なる絵空事と見なして取り合わず、彼の的はずれな譬喩にも関わらず、この名称が定着した。
衛星画像から見たアマゾンの肖像
アマゾニア一帯はアメリカ合衆国本土と同じ縮尺の広さで、南米大陸の北半分を緑のマントで覆ったように広がっている。緑のマントは3340億本の木々で織りなす風景で、6200本を超す川や支流が迷路を作る。ここは、巨大な炭素貯留場であり、地球上の全生物種の10%が存在する生物多様性の宝庫で、4万種の種子植物、2400種の魚類、1300種の鳥類、1500種のチョウを育んでいる。
人間の集落形成はいつ頃から
アマゾン盆地には遅くとも1万3千年ごろから人間がいたことが明らかになっている。その証は、コロンビアのチリビケテ国立公園の、有史以来のアマゾンの光景を描いた7万5千点を超す岩絵の発見である。この地域の人口は、コロンブスの新大陸発見時の1492年までに1千万人が住んでいたと推定されている。
それでは「緑の地獄、密林に人は住めない」―このイメージは何処から生まれたか。
これほどの人口がオレリャーナ探検隊の後、数百年間の間にヨーロッパ人がもたらした天然痘によって9割以上が死亡した。生き残った人は奴隷にされるのを恐れて、奥地に逃れた。18世紀にヨーロッパの植物学者が初めて調査に入ったときには、密林に覆われ、人の姿を見ることは無く、学者たちは、以前からこのような状態であったであろうと判断した。
人工の大きな塚は、自然の地形と見なされていた。この地域に驚くほどの大きな言語があったことも、大陸から何波にもわたって人々が流入した証拠である、とされていた。
19世紀末、天然ゴム採取ブームが頂点に達した時、先住民への暴力が吹き荒れた。人類学者たちは、彼らは狩猟採集民の末裔で、小規模な集団という先入観を持っていた。1980年代、2人の米国人人類学者が、アマゾン東部の先住民、カヤポ族とカアポル族が、自分たちの必要に応じて、自然を改変していることを知った。先住民は定住民だったのである。
その後40年、研究者たちは強固な証拠を積み重ね、アマゾンの木々の半分が、わずか299種の樹木で占められていることを発見した。「超優占種」である。
これらの樹木はアサイー、ゴム、カカオなど、とりわけ人間に役立つ種であった。これらは先コロンブス期の遺跡近くに多数生息していた傾向がある。この事実は、先住民が昔からアマゾンの森に手を入れてきたことを示唆している。
「黒い土(テラ・プレッタ)」の土壌改良
初期の先住民は「黒い土(テラ・プレッタ)」の土壌を改良して作物を育てていたことが分かった。黒い土は、炭と有機物のほか、陶器のカケラも混ぜた土で、作物が良く育つばかりか、肥料をほとんど施すことなく、何百年も肥沃な状態に保たれる。
「黒い土(テラ・プレッタ)」は、アマゾン全域で見られ、中には5千年も前に作られたと思われる土もあった。
レーザー光線を使って先史社会を知る
16世紀、ヨーロッパ人を驚かせたアマゾン都市は実在していたのか。
それが、レーザー光を使ったスキャン技術「LiDAR(ライダー)」の登場で、分厚い林冠の下に隠れた古い社会の痕跡を見つけ出すことが可能になった、というのである。
2019年、ネヴェス教授がボリビアで研究中に仲間の研究者がこの技術を使って、西暦500年から約1400年までに続いたカサラベ文化の複雑な都市遺跡の地図を作成した。
それは、いくつもの集落が何キロにも及ぶ土手道で結ばれ、遺跡内には運河や貯水池、土で築いたピラミッドがあった。ライダーによる調査によって、アマゾン全域にはこのほかにも大規模で複雑な遺跡が約1千カ所もあることが分かった。それにより、アマゾンの歴史は大きく書き換えられ、今ではアマゾンにも多くの文化が栄えていたことが分かった。
ネヴェス教授の現在の取り組みは、先住民の共同体と連携して森の伐採の脅威にさらされている森林の付近から遺跡を見つけることである。もし見つかれば、ブラジル政府に保全策の厳格化を要請できるからである、と教授は述べている。
先住民は智慧の宝庫
ネヴェス教授によると、研究を始めた1986年以降、主に違法伐採によってアマゾンの森の12%が破壊された。背景には多くの国々で違法な金鉱採掘がはびこり、犯罪組織は麻薬の密売で稼いだ資金を洗浄するために、アマゾン破壊の違法活動を活発化させていた。
このような状況に研究者は研究の希望を失いかけた。しかし一条の光を見出した。それは、先住民の歴史を再訪することだった。彼らは、複雑な自然のシステムを何千年も前から管理し、形作ってきた。その知恵から学ぶこと。それには過去の歴史を知ること。これは先住民が私たちに与えてくれる教訓だ、と。
現在、南米出身の11人を含めた16人の研究者が地元住民の協力を得て、アンデス山脈から大西洋までの調査地で様々な分野の調査を進めている。
アンデス山脈から大西洋の海原へ
以上がネヴェス教授の報告であるが、まだまだ他に重要なことを学んだ。それはアマゾニアの「水の営み」である。テーマ別に10項目で構成された内容の底に一貫して流れる「水」に生かされた命の話、その循環する自然の営みは驚きの連続で、読み進むにつれ、読後に深い畏怖の念を覚えるのである。
アンデス山脈では夜明けとともに急峻な尾根に沿って雲が流れるが、それを「空飛ぶ川」と呼ぶ。この雲が運ぶ水蒸気は山々の土壌に染み込み、地上に湧き出て小さな流れを作り、やがては大地を何千キロも流れる大河となって、海にそそぐ。(「空飛ぶ川(rios voadoresリオス・ボラドレス)」の解説はルースメリー・ビルコ・ワルカヤ研究員)
アンデス山脈の山岳地帯にある源流から支流へと、様々な地形を流れていくうちに、水は堆積物や化学物質を取り込んで外観や性質を変えていく。アマゾン川の河口から大西洋に1秒間に流れ出す水の量は22万立方メートル余り。これはオリンピックの競泳用プールの88杯分である。たった1秒間の水量である。
アマゾンのカワイルカの危機は、同時に人間の危機となる
アマゾンの支流ネグロ川は腐敗した植物を含むため、川の水は黒く、酸性で栄養に乏しい。ベシャック氏は、ネグロ川の氾濫で浸水した森林を、アマゾンカワイルカ(英語ではピンク・リバー・ドルフィン、スペイン語ではボト、ブフェオと呼ぶ)が泳ぐ姿を撮影している。淡水生のイルカはアジア以外ではアマゾンカワイルカと、小型で灰色のコビトイルカのみである。
ネグロ川の色はタンニンによって赤黒い。そこに生息するアマゾンカワイルカは50数種もの魚類を食べる。長い口吻に生えたかたい毛を触覚センサーにして泥の中を探り、亀や、カニ、エビを捕食すると考えられている。長いくちばし(と言って良いかどうか)、このアマゾンカワイルカは、小さな背びれ、長い口吻、しなやかで大きな胸びれを使い雨季に浸水した森林の中を泳ぐ。
海洋生物学者のフェルナンド・トルヒーリョによると、イルカは「木々の間を飛ぶように泳ぎ、魚を追う」という。人間に姿を変える精霊とも、川で漁をする漁師にとっては厄介者とも考えられているが、世界最大の淡水生のイルカである。
ルベルト・アウアナレ・レオンによる「アマゾンカワイルカと女性、その間に生まれた半身」では、イルカと人間の女性、そしてイルカの赤ちゃんを彫刻にした「家族の肖像」という作品がある。魔力を持つイルカが人間に姿を変えた時の結末を表現しているというのだ。
2023年9月から11月にかけて、アマゾン川流域では水温が37度を超え、少なくとも330頭のカワイルカが死んだ。これは、そこに住む4700万人の人々にとって不吉な前触れとなった。汚染、乱獲、干ばつ、水温上昇などである。イルカが直面する問題は、人間にとっても脅威となるのである。
以上のように、アマゾニア特別号から抜粋して紹介した。ここから学んだことは「ブラジルは何という宝を懐に有している国であるか」だ。ブラジルはそのことに覚醒し、人類はそれを決死で守らなければならない。
「私たちにはアマゾニアが必要である。これなくして命は繋げないこと」(ネイサン・ランプ編集長)という言葉を、ブラジル国も世界も今一度真摯に考えなければならないのではないか。
【参考文献】日本版『ナショナルジオグラフィック まるごと一冊アマゾン』2024年10月号
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4f1bbecc889095e604d627d77181e713c82b228?page=1