先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ民族遺骨の盗掘、研究者側から謝罪なく 当事者ら札幌で集会 参加の学会などに抗議

2024-12-15 | アイヌ民族関連

武藤里美 会員限定記事

2024年12月14日 19:36(12月14日 21:07更新)

アイヌ民族の遺骨研究について、アイヌ民族らと研究者が意見を交換した集会

 アイヌ民族の研究のあり方について考える集会が14日、札幌市内で開かれた。民族の権利に配慮した研究の倫理指針を策定している日本人類学会などからは、過去の遺骨の盗掘に対する謝罪はなく、アイヌ民族側から抗議の声が上がった。

 アイヌ民族の研究については19世紀以降、国内外の研究者がアイヌ民族の同意を得ずに遺骨を持ち出した。日本人類学会、日本考古学協会、日本文化人類学会は北海道アイヌ協会とともに倫理指針作りを進め、今年4月に最終案を公表した。

 集会はアイヌ民族関連団体がこの3団体を招いて開催。約80人が出席し、アイヌ民族からは「掘った遺骨は元の場所に戻し、謝罪をしてほしい」との意見が出た。これに対し、人類学会と考古学協会は「内部で議論を進めたが、意見がまとまらなかった」として謝罪を拒み、遺骨の返還にも消極的な姿勢を示した。

 ・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1100822/


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手作り神謡の絵本 アイヌ語で披露 札幌で弁論大会「イタカンロー」

2024-12-15 | アイヌ民族関連

 

若林彩 会員限定記事

2024年12月14日 19:25(12月14日 20:47更新)

アイヌ民族の神謡を手作りの絵本で披露する出場者

 アイヌ語の弁論大会「イタカンロー」が14日、札幌市内で開かれ、道内外の8~75歳の32人がアイヌ民族の口承文芸や神謡を披露した。

 イタカンローはアイヌ語で「話そう」の意味。公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌)が1997年から開催しており、口承文芸や弁論など3部門で表現力を競った。

 ・・・・・

 各部門の最優秀賞受賞者は以下の通り。(敬称略) ▽子どもの部 藤戸毬伊▽大人の部・口承文芸部門 原田啓介▽同弁論部門 楠本直嗣

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1100815/


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『ゴールデンカムイ』でも大活躍! アイヌにとって「舟」が欠かせない、最も重要な交通手段だった理由

2024-12-15 | アイヌ民族関連

 

集英社 12/14(土) 10:01

絵から学ぶアイヌ文化#5

『ゴールデンカムイ』6巻49話より(©野田サトル/集英社)

現在、実写ドラマが放送され注目を集めている『ゴールデンカムイ』。同作には多くの名場面がありますが、ちょっとしたアイヌ文化の知識があると、より深く楽しめるようになることは間違いありません。

【画像】『ゴールデンカムイ』に登場するさまざまな舟

今回はドラマの随所で登場する「舟」に注目します。アイヌの人びとにとって、舟はきわめて重要な交通手段でした。同作でアイヌ語監修を務めた中川裕氏による新書『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』より一部を抜粋してお届けします。

アイヌにとって舟はもっとも重要な移動手段

アイヌにとって舟は現代で言えば自動車に相当する、重要な道具でした。昔は道と言っても、舗装された道路などほとんどありませんし、馬も一般の人は持っていなかったので、重いものを運ぶためには舟が重要な役を果たします。

もちろん漁をする時にも舟は必需品です。『ゴールデンカムイ』にも、いろいろな場面で、さまざまなスタイルの舟が登場します。

川で使う一番基本的な形のチㇷ゚「丸木舟」が登場するのは6巻49話で、キロランケが竿を使って漕いでいます。丸木舟はカツラなどの木をくりぬいて作りますが、本音を言うと49話の舟は、近年作られた舟をモデルにして描かれたもので、ちょっと全体的にごつい感じです。

昔の舟の写真や動画などを見ると、よくこれで沈まないものだと思うくらい、薄く削られ、幅も細く作られています。

このような舟に立ったまま乗って、川を行き来するだけでなく、マレㇰ「鉤銛(かぎもり)」を突いて鮭を捕るというのは、相当なバランス感覚と技術が必要だと思われます。それでマレㇰ漁が行われなくなって以来、だんだん厚みのある、幅の広い安定した舟の形に変化していったのでしょう。

1925年に八田三郎(はったさぶろう)という人が撮影した、千歳川での丸木舟の映像があります。現在よりずっと水量が多くて、川の流れも速そうな千歳川の急流を、舟の舳先(へさき)に突っ立ったまま微動だにせずアイヌの男性が下って来る様は、まさに神業です。

かつては、舟で川を下るだけでなく、竿を使って川を上って行ったそうです(どうやってそんなことができるのか、聞いただけではよくわからないのですが)。さらに舟では進めないくらい川が浅くなってきたら、舟を担いで山を越え、山の向こう側の川に下ろして、川を下って行ったのだといいます。

つまり舟は人が担いで歩けるぐらいの重さでなければならなかったのです。だから舟側や舟底をできるだけ薄く削る必要があったのでしょう。現在、資料館などに飾られている最近作られた丸木舟の多くは、クレーンで持ち上げてトラックで運ばなければ移動できないような重さです。

小刀と木などを使い、その場で作る「即席舟」

4巻30話には、舳先から飾りを下げ、帆を掲げた、ちょっと別の形の舟が描かれます。22巻216話にも同じタイプの舟が出てきます。

これは海用の舟で、イタオマチㇷ゚「板綴舟(いたつづりぶね)」と呼ばれるものです。イタ「板」オマ「ある」チㇷ゚「舟」ということで、丸木舟を一番底のベースにして、その縁(ふち)に穴を開けて板を綴り合せ、舟べりを高くして、多少の波があっても水が入らないようにしたものです。

海の上では竿(さお)を使って漕ぐことはできないので、カンチ「車櫂(くるまがい)」を利用します。5巻41話で白石たちが漕いでいるのがこれですね。舟べりにタカマという棒が突き出していて、櫂の手元近くにある穴をその棒に通して、それを軸にして漕ぎます。

カンチというのは日本語の「舵(かじ)」がアイヌ語に入ったものと思われますが、舵ではなくこの車櫂を指しているということが、すでに秦檍丸(はたのあわきまろ)の『蝦夷生計図説(えぞせいけいずせつ)』(1823年)に出てきます。

また、舟の両側に棒を立て、その間に帆を張って風を受けて進むこともします。古い絵ではこの帆は蓆(むしろ)を利用しているように描かれていますが、アイヌ語では帆のことをカヤと呼び、樺太では魚皮衣のこともカヤというので、古くは魚の皮をつなぎ合わせたものを帆として使っていた可能性もあります。

もうひとつ、10巻93話では、キロランケが白石救出の時に舟に乗っていきますが、これはヤㇻチㇷ゚というもので、ヤㇻ「樹皮」でできたチㇷ゚「舟」という意味です(実際には、小さいㇻ行の音はタ行の前でッに替わりますので、ヤッチㇷ゚と発音されます)。その名のとおり、木の皮やブドウづるなど、その場に生えているもので作る臨時的な舟です。

マキリ「小刀」やタシロ「山刀」を持っていれば、木を切り倒したりしなくても、その場で舟が作れてしまうということですね。

キテ「銛」の漁での使い方

4巻38話に、クジラを獲るためのキテという道具が登場します。アイヌに限らず北方の海獣猟を行う民族で広く使われている道具で、回転離頭銛(かいてんりとうもり)と呼ばれます。

この銛先は柄に差し込んであるだけで、獲物に刺さると柄から抜けてしまいます。そして銛先の真ん中に綱がつけられていて、刺さった銛先を綱で引くと銛先が獲物の体の中で90度回転し、横向きになってしまいます。そうすると、突き刺した穴より幅が広くなり、抜けなくなってしまいます。

そして、その綱で逃げられないようにしておいて、疲れ果てるまで舟を引き回させ、弱ったところをしとめるという猟法で、クジラの他に、マンボウ、トド、アザラシといった大型の海獣や魚の猟に適した猟具です。

5巻39話で、クジラにキテを打ち込んで引っ張られている舟の中で、白石が同乗しているアイヌに「いつまで乗ってりゃいいんだ?」と訊くと、「フンペ(鯨)が毒で弱るまでだ! あと一日か二日…運がよければ自分で岸に突っ込むかもしれん」と言われて、「帰っていい?」と返す場面があります。

名取武光「北海道噴火湾アイヌの捕鯨」には、1910年頃の長万部(おしゃまんべ)あたりでの捕鯨の体験談が載っています。

それによると、午前9時頃に現れたクジラに最初のキテが打ち込まれ、その後十数艘の舟から50~60本のキテが打ち込まれてもクジラは彼らを引き回し、いったん海底で動かなくなった後、次の日の朝の8時頃に突然グンと引いてキテの綱がブツンと切れ、ものすごい勢いで浜に突進して、海岸の砂の中に頭を突っ込んで往生したということです。

まだ日のあるうちにクジラが浜に乗り上げて、舟から降りることのできた白石は、大変運がよかったというべきでしょう。

カジキマグロ漁の過酷さを伝えるアイヌの物語

「神謡」の中のひとつに、トゥスナパヌというサケヘ「リフレイン」を持つ、カジキマグロの話があります。

ある日、海の上で日向ぼっこをしていた私(カジキマグロ)のところに、オキクㇽミとサマユンクㇽがやってきて、自分の家に客として来てくれるよう丁寧にお祈りをしながら、キテを投げてきました。キテは私の体に刺さりましたが、そのまま私は舟を引きずり回し続け、ついにサマユンクㇽは疲れ果てて死んでしまいました。

すると、オキクㇽミは怒りを顔に現し、「このキテの銛先は鉄と骨でできているので、お前の腹の中から鉄を叩く音、骨を削る音が続くだろう。キテをつなぐ綱はイラクサでできているので、お前の体からイラクサの叢(くさむら)が生えてくるだろう。そして、柄はシウリザクラでできているので、お前の背中からシウリザクラの林が生えてお前は動けなくなってしまうだろう」と言い残して、去って行ってしまいました。

私はたかが人間の言うことと思って、腹の底で笑って聞き流していましたが、そのうちに腹の中から鉄を叩く音、骨を削る音がやかましく響き、背中からイラ クサやシウリザクラが林となって生えてきて、泳ぐこともできなくなり、浜に打ち上げられてしまいました。

するとカラスやキツネが集まってきて私の肉を食べ、私の体におしっこやうんこをひっかけました。そこにオキクㇽミがやってくると、私の上あごの骨を便所の底に沈め、私の下あごの骨を便所の踏み板にしたので、私は来る日も来る日もおしっこやうんこのくさいにおいを嗅いで過ごさなければならなくなりました。

だからこれからのカジキマグロたちよ。人間の言うことは素直に聞かなければいけないよ。

金田一京助『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』1931年より、中川が要約)

オキクㇽミとサマユンクㇽというのは神謡によく登場する人物で、地域によってオキクㇽミはオキキㇼムイやオキキㇼマ、サマユンクㇽはサマイェクㇽなど、いろいろな呼び名があります。

ふたりとも一見人間のようでありながら、特にオキクㇽミは大変力のあるえらいカムイで、人間の味方をしてくれます。カジキマグロ漁というのはこの話のようにオキクㇽミも手を焼くほど大変危険な漁で、命がけで行うものだったそうです。

だから、カジキマグロ側にはこんな話が伝わっているのだとして、漁に出る人たちが少しでも自分たちを安心させようとしたのかもしれません。

神謡というのは女の人が語ることが多いものですが、このトゥスナパヌは男性の語った録音がいくつも残っていることを考えると、海漁をする男性によって語り継がれたものだったのかもしれません。

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中川裕(なかがわ ひろし)

https://news.yahoo.co.jp/articles/17cab86b70fb349762312caa44ef1f61b3146761?page=1


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【イベントレポート】福永壮志が「アイヌプリ」編集で迷ったシーン明かす、天内重樹・基輝親子とともにトーク

2024-12-15 | アイヌ民族関連

 

映画ナタリー 12/14(土) 13:54

「アイヌプリ」初日舞台挨拶の様子。福永壮志(左端)と天内一家

ドキュメンタリー映画「アイヌプリ」の初日舞台挨拶が、本日12月14日に東京・ユーロスペースで開催され、監督の福永壮志、出演者で親子の天内重樹と天内基輝が登壇した。

【動画】ドキュメンタリー映画「アイヌプリ」予告編(他13件)

伝統的な鮭漁・マレプ漁をはじめとしたアイヌ文化を継承し、“アイヌプリ”(アイヌ式)を実践する人々を記録した本作。北海道・白糠町で生きるアイヌのシゲこと天内重樹が、祖先から続く漁の技法や文化を次世代に伝えていくさまが捉えられている。

撮影のきっかけを尋ねられた福永は「『アイヌモシリ』を撮っていた時期にシゲさんと出会いました。シゲさんの記事を読んだことがあって、いつか鮭漁を見てみたいと言ったら、いつでも来ていいよと答えてくれて。『アイヌモシリ』の撮影後にそのまま白糠に行って夜の鮭漁を見学させてもらいました。真っ暗な中で友達とはしゃいでいて、肩肘を張って伝統文化をつなげようということではなく、好きで楽しくやっている姿が印象に残ったんです。ドキュメンタリーの話をしたところ『面白そう、やろうか』と言ってもらえたので2019年秋から撮り始めました」と述べる。

天内重樹は「(撮影を承諾するときは)ほぼ何も考えず、ただ面白そうじゃん!と。こういう映画ができて、いろんな気持ちが込み上げて泣きそうになりました」と笑顔で話し、天内基輝は「壮志くんは父ちゃん母ちゃんと仲良くしている人という感覚だったので、監督と呼ばれているのを聞いて初めて映画監督なんだと実感したくらいです」と自然と親しくなったことを伝える。それを聞いた福永は「皆さん懐の深い方々で、迎え入れていただきました。友達の家に遊びに行くような感じでスタッフも少人数。今も皆さんと友達です」と絆を育んだ様子を見せた。

本編からカットするかどうか悩んだという鹿の解体シーン、エムシリムセ(剣の舞)のシーンにも触れる。福永は「撮影中から編集を始め、終わってからも長い時間編集しました。和人の監督として、アイヌを題材にすることの繊細さを実感していたので、撮っているときからアイヌを美化したり偏見を助長しないようにとは考えていました。ですが編集に入り、その線引きがとても難しいと感じたんです。例えばエムシリムセのシーンではアイヌの着物を撮影のために着てもらったんですが、本当は晴れ着なので特別な日にしか身に付けない。いい映像にはなったのですが、僕が美化させてしまったんじゃないかと思っていったんカットしました。そのあとシゲさんたちに映像に問題がないか見せに行ったところ、逆に『あのシーンはどうしたの? よく撮れてたじゃん』と聞かれまして。悩んでいたことを正直に話したら『かっこいいんだから入れてくれよ』と。それで最終的に入れましたが、線引きというものは対話の中でしか決められないと実感しました」と説明。天内重樹が「映画でみんなに見られるなら、かっこいいところを見ていただきたいなと(笑)。一生懸命踊ったけど、ちょっと下手くそだな、まだまだだなと思わされました」とジョークを交えて話すと、天内基輝は「実際の踊りのほうが上手」と称賛して父を喜ばせる。

また天内重樹は「撮影中、鹿がなかなか獲れなくて。映画ではまるで凄腕ハンターのように見えるかもしれませんが、なかなかあんなことはないんです」と言い、福永も「何回もトライしてやっと撮れた幸運なショットでした」と振り返る。流れる血や解体するさまがしっかり映っていることについて福永は「自分が手を汚さなくてもきれいなお肉や魚を食べられる時代ですが、その裏で誰かがちゃんと手を汚して生き物を殺して、それが食卓に来るんです。便利な生活をしていると忘れがちですし、見たくない人もいるかもしれないですが、あのシーンをしっかり見せることで“そういうものなのだ”と伝えたい。アイヌの精神の中に、ちゃんと(生き物などに)感謝するというものがありますし、最終的に見せることにしました」と語った。天内重樹も「自分で食べるものは自分で獲るという教えで育ってきました」と口にする。

第37回東京国際映画祭へ天内重樹・基輝とともに参加した福永。「アイヌの出演者が監督と一緒にあの舞台に立ったのは初めてだと思います。シゲさんたちもアイヌの衣装を着ることを選んで参加してくれました。映画を通してアイヌの人々の発言の機会を設けられていることがうれしい」と述べ、「実は次回作がもうあるんです。シゲさんが熊を獲り、熊送りの儀式をしました。何十年もやられていない儀式だったんですが、今回はシゲさんから『記録できないか?』と相談されて。9月の連休に撮影して、長編か中編かわからないですが、これから編集します」と明かし、期待をあおった。

「アイヌプリ」は東京・ユーロスペースほか全国で順次公開中。

※マレプ漁の「プ」は小文字が正式表記

※「アイヌモシリ」の「リ」は小文字が正式表記

※エムシリムセのエムシの「シ」、リムセの「ム」は小文字が正式表記

※記事初出時、一部記述に誤りがありました。お詫びして訂正します。

(c)2024 Takeshi Fukunaga/AINU PURI Production Committee

https://news.yahoo.co.jp/articles/cea4436ada527533262a07d48acd76cbef25e873


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先住民族相=国連のリーダーシップ賞受賞=環境と持続可能な解決擁護で

2024-12-15 | 先住民族関連

 

ブラジル日報 2024年12月14日

グアジャジャラ先住民族相(© Frame/Canal Gov

 2005年以降、世界中の環境指導者を表彰してきた国連環境計画(UNEP)が10日、ソニア・グアラジャジャ先住民族相が2024年のチャンピオン・オブ・ジ・アース賞受賞者の一人に選ばれたと発表したと同日付G1サイトなど(1)(2)が報じた。

コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。

https://www.brasilnippou.com/2024/241214-14brasil.html


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強力な視覚体験に支配される「ミラサォン」とは何か?...アヤワスカの科学的研究

2024-12-15 | 先住民族関連

 

ニューズウィーク2024年12月14日(土)09時50分

シダルタ・リベイロ(神経科学者)

<先住民やアフリカの信仰とキリスト教との宗教的混交と組み合わさってきた、アヤワスカの摂取と、それに続く浄化のダイナミクス。神経科学者による「夢」に関する科学的研究について>

夢とは何か? 夢を見ることを人類はどのように利用し、どのように人類を変えてきたのか――。

著名な神経科学者であるシダルタ・リベイロ博士が長年の研究を結集した、世界的ベストセラー『夢は人類をどう変えてきたのか──夢の歴史と科学』(作品社)より第7章「夢の生化学」より一部抜粋。

【動画】ドキュメンタリー「アヤワスカの力」 を見る

N,N-DMT[編集部注:自然界に発生する幻覚剤であるジメチルトリプタミン]の調合薬として、科学的な観点から最もよく研究されているものはアヤワスカだ。

アヤワスカとはケチュア語で「精霊のつる」、あるいは「死者のつる」を意味する。N,N-DMT以外にも、アヤワスカには神経伝達物質を分解する酵素の阻害物質が含まれており、これがセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンのレベルを上昇させる。

別名ヤスカ、ダイミ、ヤヘ、あるいは単にヴェジェタル(植物)とも呼ばれるアヤワスカは、アマゾンやオリノコ盆地の先住民グループや、この薬によってもたらされる啓示的体験の儀式を世界中に広めている混交宗教によって、治療や占いの目的で使用されている。

アヤワスカの効果の中でも特に典型的なものの1つ(ただし一般的なものではない)に、視覚と行動をともなう状態である「ミラサォン」がある。

ミラサォンは強力な視覚体験に支配されており、本人は目を閉じたまま、見ているものを能動的に探求する。

この状態で見えるイメージは、現実と同じくらい鮮明でありながらも幻想的で、象徴性にあふれ、動物、植物、動物の特徴を持つ神話的クリーチャー、祖先の霊、助言や治癒を与えてくれる神々の存在が、深淵さと鮮やかさを持って色彩豊かに描き出される。

たとえ鮮明なビジョンが起こらない場合でも、アヤワスカの摂取は精神的あるいは霊的な浄化を引き起こす。この過程には、過去の行動を振り返ったり、厳しく自己批判をしたりすることが含まれる。

精神的な浄化は、しばしば嘔吐や下痢といった生理的な浄化と並行して起こり(またはそれによって引き起こされ)、その後、恍惚とした贖罪の感覚が訪れる。ほぼすべてのセロトニン受容体が消化管にあることを考えれば、こうした効果は驚くには当たらないだろう。

目を閉じて見るビジョン

夢を見ることと、アヤワスカによって誘発される視覚とが驚くほど似ていることに発想を得て、当時はバルセロナのサンパウ生物医学研究所に所属し、のちにマーストリヒト大学に移ったカタルーニャ人薬理学者ジョルディ・リーバは、アヤワスカが誘発するトランス状態についての先駆的な研究を行なっている。

アヤワスカを摂取する前後の脳波を記録することにより、リーバの研究チームは、速い脳波のパワーが増加し、それと並行して遅い脳波のパワーが減少することを示した。

これを睡眠の段階と比較してみると、アヤワスカによって引き起こされる脳の状態は、徐波睡眠[編集部注:穏やかな睡眠。ノンレム睡眠の一種]よりもむしろレム睡眠[編集部注:活動的な睡眠。この間夢をさかんに見る]に近いものであった。

夢とミラサォンとに類似性があることにも通ずるこの事実からは、いくつかの根本的な疑問が浮かび上がる。

アヤワスカを摂取したあとには、脳のどの領域が活性化されるのだろうか。目を開けているか閉じているかによって違いはあるだろうか。アヤワスカは想像力を高めるだろうか。

こうした疑問を解明するために、ブラジル人神経科学者で、リオグランデ・ド・ノルテ連邦大学におけるわたしの同僚であるドラウリオ・デ・アラウージョは、アヤワスカの影響下にある脳の活動について、視覚的なオブジェクトを想像する能力に焦点を当てた研究を行なった。

脳の活動の測定は、2つの連続するタスクを遂行している最中に、機能的磁気共鳴画像法を用いて行なわれた。

タスクの1つ目は、目を開けた状態での視覚認知、そしてもう1つは、目を閉じた状態での視覚的想像だ。

このプロトコルのヒントとなったのは、米国人神経科学者スティーヴン・コスリンがハーバード在学中に行なった古典的な研究であり、これにおいてコスリンは、視覚的なオブジェクトを想像することが、精神的な努力に比例して一次視覚野を活性化させることを示した。

アラウージョの研究の結果について説明する前に、1つ言及しておきたいことがある。わたしはこの実験の設計と、アラウージョが当時教授を務めていたサンパウロ大学リベイラン・プレト校の病院での最初のデータ収集作業に参加している。

わたしがこのとき痛感したのは、病院内に設置された磁気共鳴スキャナーの中にアヤワスカの体験を持ち込むことの難しさだ。

これが困難な理由としては、上述した生理的変化のほか、ボランティア参加者たちの信仰が挙げられる。彼らにとって、スキャニングを受けている状態で精神世界に入り込むというのは容易なことではなかった。

ボランティアたちは、サント・ダイミ教を信仰していた。サント・ダイミは、ウニオン・ド・ベジェタルやバルキーニャといった教団と並んで、アヤワスカを聖餐として用いる主要な混交宗教の1つだ。

アマゾンの熱帯雨林のシンボルに根ざしたこの混交宗派を実践する人たちにとって、魂が苦悩して頻繁に肉体を離れると信じられている病院という環境にいることは、とりわけ大きな負担となる。

アヤワスカを摂取する前後のデータを比較したところ、視覚、エピソード記憶の回復、意図的・予想的な想像に関連する脳皮質のさまざまな領域において、脳活動の増加が見られた。

その視覚領域は、夢や精神病性の幻覚を見ている最中に活性化される領域と一致しており、さらには、解剖学的に網膜に最も近い皮質領域である一次視覚野の活動は、アヤワスカ摂取後に体験される精神病のような症状と強い相関を示していた。

加えて、脳の異なる部位の間の関係にも有意な変化が見られ、脳活動の大々的な機能的再編成が起こっていることが明らかになった。

この結果は、目を閉じた状態で見ようとする──すなわち想像しようとする──活動が、アヤワスカの影響下においては、想像上の光景をかなりはっきり見ているという感覚を実際に生み出していることを示唆している。

この4年後には、インペリアル・カレッジ・ロンドンの英国人薬理学者デビッド・ナット率いるグループが、LSDを用いて同様の結果を得ている。同研究では、目を閉じている状態でも視覚系が強力に活性化することが示された。

シダルタ・リベイロ(Sidarta Ribeiro)
ブラジルのリオグランデ・ド・ノルテ連邦大学脳研究所の創設者で初代所長、神経科学科教授。ロックフェラー大学で動物行動学の博士号を取得。研究テーマは、記憶、睡眠と夢、ニューロンの可塑性、人間以外の動物の記号能力、計算精神医学、幻覚剤、薬物政策など多岐にわたる。著書に『Limiar: Ciência e vidacontemporânea(閾値――科学と現代生活)』のほか、眠りやニューロテクノロジーについての著作が数冊ある。

 『夢は人類をどう変えてきたのか──夢の歴史と科学
  シダルタ・リベイロ[著]
  北村京子[訳] 須貝秀平[監]
  作品社[刊]
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2024/12/527706.php


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道路工事をしていたら、ピラミッドが見つかりました

2024-12-15 | 先住民族関連

 

GIZMODO 2024.12.14 21:00

スクリーンショット 2024-12-15 7.55.15

Image: CINAH Hidalgo

工事中に遺跡が出るとか、まるで京都。

お宝って、探していないときに見つかるものなのかもね。今年6月、メキシコで道路工事をしているときに、1000年以上前までさかのぼるかもしれない遺跡が発見されました。

工事現場からピラミッド

今年初旬に、メキシコのイダルゴ州で連邦高速道路105号線の工事中にピラミッドが発見されました。考古学者が基礎部分を調査した結果、この遺跡はスペイン人による征服以前の集落の一部であることが明らかになったと、国立人類学歴史研究所(INAH)が12月5日の声明で述べています。イダルゴ州にある山岳地帯、シエラ・アルタ地域における古代人の生活を知るための新たな手がかりになるかもしれません。

広報担当者は

遺跡とモニュメントは、デジタル写真測量モデル構築のために、ドローンの支援を受けて詳細に記録されました。

と声明で述べています。

また、メキシコ文化省がヒダルゴ州のINAHを通じて主導した発掘調査では、5つのセクターと、少なくとも10の考古学的な塚も発見されています。さらに、考古学者は陶器、貝殻、石器、石灰の床、木炭、土壌、炭化した木材など155のサンプルを収集しており、今後数カ月かけてさらに詳しく分析する予定とのこと。

500~1350年前の生活を知るカギ

INAHの考古学者たちは、この遺跡をヨーロッパ人によるメキシコ征服以前にあたるエピクラシック期(西暦650年~950年)から後古典期後半(1350年~1519年)の間のものと推定しました。

遺跡は、メツティトランとして知られる先住民の小王国に関連すると考えられています。メツティトラン王国は、16世紀初頭にスペイン人が到達するまで、より強大なアステカ帝国などの勢力から独立を維持していたといいます。

INAHによると、メツティトランは「多民族的な特徴」を持ち、聖アウグスティヌス修道会の司祭たちが教会や修道院の建設を始めた時代にも残っていたとされています。

考古学者たちはまた、この遺跡が現在のSan Miguel Metzquititlánという町に近いことから、San Miguelと呼ばれる古代先住民の集落の一部と特定しました。San Miguel Metzquititlánは現在、シエラ・アルタ地域の自然保護区に位置しています。INAHによると、この地域における人間活動は1万4000年前までさかのぼれるとのこと。

埋めて保全

詳細な調査を終えると、INAHの考古学者たちは遺跡をまた埋めちゃいました。これは、遺跡を適切に管理するためのリソースが十分ではない場合によく用いられる保全方法なのだとか。埋め戻す前に、岩や土などを混ぜ合わせて作られた透水性の布で覆って遺跡を保護したといいます。さらに、遺跡を付近の道路工事から保護するために、壁を建設したそうです。

遺跡がまた地中に戻ってしまうのは残念ですけど、表に出ていると保全できないのならしょうがないですね。地上に保管されているサンプルからどんな過去が発掘されるのか、楽しみに待ちましょう。

京都に住んでいた頃、開発中の土地から遺物が出てきた建築業者が「埋めたろかと思った」と話していたのを思い出しました…。

https://www.gizmodo.jp/2024/12/road-construction-crew-unearths-1000-year-old-pyramid-in-mexico.html


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22年前に野生絶滅したハワイガラスを再び空へ!マウイ島で復活プロジェクトが始動

2024-12-15 | 先住民族関連

 

カラパイア 2024-12-14・更新:2024-12-14 Dパルモ

 22年前に野生では絶滅してしまったハワイガラスを再び本来の生息地で飛び回ってもらうための挑戦が始まった。

 保護施設で育ったメス2羽とオス3羽が、再導入のため野生に放たれたのだ。

 ハワイで「アララ」と呼ばれるハワイガラスは、同州固有の鳥類で唯一のカラス科。他のカラスとは違う独特な声で鳴き、道具を使える賢さや魅力的な一面から、先住民の間では先祖や精霊のように敬愛されている。

 しかし悲しいことに、この種はすでに野生下では2002年に絶滅したとされ、現在は保護施設で飼育繁殖下にある100羽あまりが、”最後の生き残り”となっている。

マウイ島でハワイガラス5羽を放鳥

 2024年12月4日、5羽のハワイガラスが、マウイ島のキパフル森林保護区に放鳥された。

 この放鳥は、ハワイガラスの復活と種の保存への大きなステップになる。

 再導入を見据えて放鳥されたのは5羽。2羽はメス、3羽はオスで、放たれる前の数ヶ月間を鳥類保護センターで一緒に過ごし、社会的に強い絆を築いてきたグループだという。

 なるほど、見ず知らずのメンバーといきなり外に放り出されるとかじゃなくてよかった。よく知ってる仲間同士ならまだ心強いもんね。

先住民から敬愛されていた貴重なハワイガラス

 カラス科カラス属のハワイガラス(別名 ʻalalā :アララ)は、ハワイ諸島に固有のカラスだ。学名はCorvus hawaiiensisで、英語ではHawaiian Crowと呼ばれる。

 体長は45センチほど。全身が黒く、光沢のある羽毛に包まれている。

 彼らはとても知能が高く、木の枝など道具を駆使して餌を見つけ出すことでも有名だ。また、他のカラスとは違う独特の鳴き声で、その鳴き声が「アララ」の由来になったんだそう。

 ハワイガラスは、ハワイ文化でも大切な存在で、「精霊」のように敬っている人もいる。

 またこの鳥は先住民の人々の間で、祖先の魂の象徴であり、森や自然との深い結びつきを示す存在とも考えられている。

 ハワイガラスの野生復活プログラムは、こうした背景からも、深い文化的意義を持つものになる。

Rare crow shows a talent for tool use

https://www.youtube.com/watch?v=ZOUyrtWeW4Q

ハワイガラス絶滅と復活の取り組み

 ハワイガラスが最後に野生で目撃されたのは2002年。ハワイ島でのことだ。それきり目撃情報もなく、自然では絶滅したと考えられている。

 絶滅の原因は複数あるとされ、外来植物の増加や大規模な放牧、森林伐採などによる生息地の喪失や狩猟、外来種による捕食、感染症などがあげられている。

 だがカリフォルニア州を拠点とする国際的な非営利保全組織、サンディエゴ動物園野生生物同盟をはじめとする複数の団体は、ハワイガラスの復活を目指し、何年も取り組みを続けてきた。

準備を含め多くの協力で実現

 サンディエゴ動物園野生生物同盟は、この日のためにハワイガラスたちの食物探知能力や捕食者への反応を評価するなどして、放鳥する鳥を選ぶなどの準備を進めていたという。

今回の放鳥は、種の保存の重要な一歩であり、生物多様性の損失を逆転させるパートナーシップの重要性を示すものです (サンディエゴ動物園野生生物同盟の保全科学副代表、ミーガン・オーウェン博士)

 さらに地元の獣医師による5羽の健康チェックのほか、米国魚類野生生物局、ハワイ州土地天然資源局森林野生生物部門、ハワイ大学など数々の組織や機関の長年の協力のおかげで放鳥の実施が叶ったのだ。

放鳥による影響は監視中

 今回の放鳥について、絶滅危惧種の鳥類の保護とリハビリを行う、マウイ鳥類保護センターの鳥類回復スペシャリストのケアニニ・アロナさんは、ハワイガラスの文化的重要性だけでなく、この種の鳥と環境との関係についてもコメントしている。

アララは私たちの祖先であり、私たちの文化にとって非常に重要な存在です。アララがいない森林などありえないのです

 ハワイの森から長らく失われている「アララ」がふたたび戻ってくれば、なんらかの相互作用で周りの森林や豊かになったりするかもしれない。

 実はこうした試みは2016年から2020年にかけて、ハワイ島の自然林保護区でも行われたが、そちらはうまくいかなかったという。

 30羽を放ってみたところ、最初は順調だったが、数年後に減少し始めたため保護下に戻し、ハワイ島での取り組みは一時停止してしまったそうだ。

 というか、生まれて初めて外の世界で暮らし始めた5羽にしてみれば、サバイバル体験真っ最中になっていたりするんだろうか。

 現在は久しぶりに野生に出たことでどんな影響が出るかも含め、5羽の様子を監視中とのことだが、いつかハワイのあちらこちらで、賢い彼らのふるまいを見たり、変わった鳴き声を楽しめるようになったらいいな。

https://karapaia.com/archives/472948.html


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映画「アイヌプリ」完成 白糠ロケ、きょうから順次全国公開【白糠】

2024-12-15 | アイヌ民族関連

 

2024.12.14釧路新聞

完成報告会で撮影に応じる福永監督(右端)と天内さん(同2番目)

 【白糠】町内をロケ地とし、現代のアイヌ民族の日常生活を追ったドキュメンタリー映画「AINUPURI」(アイヌプリ)が完成し、14日からイオンシネマ釧路を始め全国で順次公開される。

 監督は「山女」でTAMA映画祭最優秀新進監督賞を受賞し、「SHOGUN将軍」(ディズニープラス)でも監督を務めた福永壮志氏(42)で、主演は白糠アイヌ協会会長の天内重樹さん(39)。日常の中でアイヌプリ(アイヌ式)を実践する家族の、等身大の姿を映す。

 福永監督は北海道伊達市出身。16年間アメリカで暮らした経験があり、白人と先住民が侵略の歴史を共有しながら関係を築いていることを知って、北海道の和人とアイヌ民族を映画で描こうとテーマに選んだ。

 2作目の監督作品「アイヌモシリ」の撮影中に阿寒湖で天内さんと出会い、伝統的なサケ漁「マレプ漁」に携わる姿を見て、ドキュメンタリーにすることを決意。撮影は2019年から22年まで、天内さん一家に密着して行われた。作品では天内さんとその家族、仲間の日常を通じて、現代を生きるアイヌ民族の姿と、父から息子へ受け継がれていく伝統を映し出す。

 13日に町役場で開かれた完成報告会で福永監督は「天内さんの人間としての魅力と、そこからにじみ出るアイヌ民族の精神を伝えたい」と作品をPR。主演の天内さんは「アイヌ語を話していなくても、古式舞踊を踊っていなくても、アイヌ民族は普段から周りにいる。自分にスポットが当たったことで、先住民への偏見がなくなるきっかけになれば」と述べた。

 棚野孝夫町長は「今年ではシサムに次いで2作品目の、町で撮影したアイヌ文化がテーマの映画であり、アイヌ民族が果たしてきた役割を全国に発信するとともに、町の活性化につながることも期待したい」と成功を祈った。

https://hokkaido-nl.jp/article/36424


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北海道の原始の姿を守る  札幌市内の緑のオアシス

2024-12-15 | アイヌ民族関連

CREA Traveller Thursday 15 October 2020

 開拓の時代より大いなる自然に立ち向かってきた北海道の人々が人の手による「庭」を創る時、それは伸び伸びとおおらかで、土地の歴史やそれ以前からその地に息づく生命の連続を今に紡いでいるかのようだ。

 北の大地に抱かれる北海道の庭は、みなぎる生命の歓びに溢れている。おすすめの庭園や美術館などの施設を8つ紹介。

都会とは思えぬ静寂が満ちる4,000種の植物を育成する植物園

◆北海道大学植物園

すべての写真を見る

 北海道の自生植物を中心に約4,000種の植物を育成する植物園には、都会とは思えぬ静寂が満ちる。

 大学の研究施設ならではの、植物学の視点で造園したエリア巡りが興味深い。

アイヌ民族など北方3民族が利用した約200種の植物を集めた北方民族植物標本園の一画。

 高山植物を集めるロックガーデンで北海道の山の植物に出合い、草本分科園で北海道低地の植生に親しみ、アイヌ民族などが衣食住ほか、薬や狩猟に役立てた草木を知るまたとない機会になるだろう。

絶滅危惧種の植物を育成し、展示する。

 注目は、植物園が創設された明治期の札幌の植生を手付かずで今に残す自然林。古の札幌の自然に想いを馳せて巡りたい。

北海道大学植物園

所在地 北海道札幌市中央区北3条西8
電話番号 011-221-0066
開園時間 9:00~16:30(10月1日~11月3日 9:00~16:00、入園は閉館30分前)
料金 420円
休園日 月曜(祝日の場合は翌日)
※冬季(11月4日~4月28日)は温室のみ見学可。日曜、祝日、12月28日~1月4日は休み。
https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/

https://crea.bunshun.jp/articles/-/27987


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保存活動の裏側も紹介  収蔵資料展始まる 国立アイヌ 民族博物館  白老

2024-12-15 | アイヌ民族関連

 

苫小牧民報2024/12/14配信

 白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)中核施設・国立アイヌ民族博物館(佐々木史郎館長)で14日から、第7回テーマ展示「収蔵資料展」が始まった。旧アイヌ民族博物館発足以降に集められた資料や寄贈、寄託を受けた資料など計約100点が並ぶ。展示する…

この続き:674文字

ここから先の閲覧は有料です。

https://www.tomamin.co.jp/article/news/upopoi/157493/


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札幌市中央区】あれ?いつのまにかなくなっていたザブーン。チカホと大通駅の境界あたりが変わる!

2024-12-15 | アイヌ民族関連

 

ゆべーる地域クリエイター(札幌市) 12/14(土) 12:15

ザブーンがなくなっている!

調べてみると今年の3月に、妹背牛に移動したとのことですね。お疲れ様でした、新天地でも頑張ってください!写真は2021年のものです。

確かその前は、黄色いオブジェがあったなあ、とうっすら記憶。。。

ここにあった大通情報ステーションも、消えていた。

確か、コロナ前までは、ここにかなり立派な情報ステーションがありましたよね。この2021年の写真では、その時の記録が蘇ります。

色々情報があって便利だったのになあ。でも今はこうした情報はネットでも拾えるし、コロナ期間にそうした流れは一気に加速しましたね。

たった数年前の光景なのに、どこか古き良き時代のノスタルジアみたいな感情を持ってしまいます。。。

そして、今日(2024/12/13)。

まだ準備中なのでしょうか?アイヌ民族関係の場所に、ザブーンのあった場所も、観光案内所があった場所も変わるようです。

調べると、12/16に、【PORSE(ポロセ)】という名前(すみませんポロセのロは小文字です)の、アイヌ文化PRコーナー(アイヌ文化PRスペース・アイヌ工芸品等常設販売店ができるようです。

これは楽しみだ、見に行かなくては!

前の記事では、ウポポイとゴールデンカムイのコラボ、今回はこの案内。

何か面白い。でも確かに地球上のあちこちで、アイヌ民族の文化への興味が強くなりつつありますよ!

ちなみに。

情報コーナーも少し場所を移してコンパクトになったけど、あります!

★札幌市アイヌ文化PRコーナー【PORSE(ポロセ、ロは小文字)】★

開業: 2024/12/16

場所: 札幌市中央区大通西4 地下鉄大通駅5番出口付近

営業時間: 11:00-19:00

定休日: なし

情報の確認は市役所の告知にて。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5eb3a436760669db05a3f1920c6727fd9df98b85


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統合失調症の姉を南京錠で監禁した両親。“家族という存在”を20年追い続けた監督の「真意」

2024-12-15 | アイヌ民族関連

SPA! 12/14(土) 8:54配信

映画『どうすればよかったか?』(C)2024動画工房ぞうしま

 統合失調症の症状が表れた8歳上の姉と、彼女を病気とは認めず、玄関に南京錠をかけてまで精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって記録したドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』が公開中だ。早くも話題を呼んでいる本作の藤野知明監督にインタビューを敢行。“どうすればよかったか”というタイトルに込められた想いなどを聞いた。

⇒【写真】家族4人が並んでいるメインビジュアル

精神科医の立場からの解説は行わない

――非常に難しい統合失調症というテーマですが、精神科医や専門家の監修を受けたのでしょうか?

藤野知明(以下、藤野):私の姉は生きている間、自分が統合失調症だという認識はまったくありませんでした。そのため、この映像を発表するのは、姉の死後と決めていました。当初は未来の姉の医療に役立てるための記録として撮影していました。父親からは許可を得ていますが、母親からは許可を取っていません。一度、姉の主治医だった方の一人に、こういう作品を作りたいと直接相談したことがありましたが、趣旨に賛同していただけませんでした。他に適切な方は思いつきませんでしたので、精神科医の立場からの解説や検討は行っておりません。

――冒頭に「この映画は姉が統合失調症を発症した理由を究明することを目的にしてはいません」「統合失調症とはどんな病気なのかを説明することも目的ではありません」などのテロップが出ますね。

藤野:私自身も精神科医や専門家ではないので、統合失調症がどういう病気かを解説することはできませんし、作品の目的もそこにはありません。これは作品を作る最初の段階で明確にしたことです。私が知る限りでは、統合失調症の原因はまだ解明されていないと考えていますが、「教育が悪かった」「本人の考え方に問題があった」という言葉を目にすることもあります。根本的に病気の原因がわからないのに、誰かの責任だなんていうことが言えるはずがないわけですよね。僕も素人なので、姉の一例しか知らないわけで、その範囲内で作ったものだということです。

 もう少し言うと、「病気」というテーマにフォーカスした話になっていると思われがちですが、実際にはそのつもりはありません。僕としては姉のドキュメンタリーというよりも、姉が統合失調症を発症した後に、私や家族がどのように考え、行動したのかという家族全体のドキュメンタリーを意図していました。だからメインビジュアルも姉ではなく、家族4人が並んでいる状態なんです。

過去作との「反応の差に複雑な思いも」

――初めて本作を一般公開したのは「山形国際ドキュメンタリー映画祭」だと思いますが、上映に際しての心境や、上映後の反響を教えてください。

藤野:実はその前にも山形国際ドキュメンタリー映画祭には2回ほどアイヌの先住権民に関する作品を応募していたのですが、いずれも落選していました。今回もコンペ部門には落ちたのですが、コンペ以外の形で上映枠(日本プログラム)があるという連絡があり、「山形で上映してもらえるならどんな形でも構わない」という気持ちで受け入れました。

 ただ、ドキュメンタリーというジャンル自体、日本ではやはり涙を誘ったりするようなヒューマニズムを重視したものが受け入れられやすい傾向があります。一方、本作は特に統合失調症に関する描写があるので、果たして観客に受け入れられるのかと心配していました。上映前に「普段放送されないような映像が流れます」と観客にアナウンスしたほうがよいかと考えたのですが、かえって余計な先入観を与えてしまうと考え、最終的には特別な注釈は付けずにそのまま上映しました。

 最初は来場者が少ないのではないかと心配し、自分でビラを作って配布もしていたのですが、上映日には比較的多くの人が来てくれて正直ホッとしました。質疑応答の際も好意的に受け止めてくれているのを感じました。特に、自分の家族や知り合いに似た状況の人がいる方々は非常に強い印象を持ってもらえたようで、質疑応答後に話をしてくれる方も多くいました。

 ただ、私の中ではアイヌ先住民に関するドキュメンタリーと同じく、どちらも人権の問題を扱っているつもりだったので、反応の差に複雑な思いもあります。とはいえ、今回は多くの人が自分のことのように感じてくれたことが驚きであり、嬉しい気持ちもありました。

ナレーションを自分で読んだ理由

――本作のナレーションは監督自身が行っています。プロの方ではなく、なぜ自分でナレーションを読んだのでしょうか?

藤野:まず基本的に、これまで作ってきた作品にはナレーションが入っていませんし、音楽も使っていません。悲しい場面で音楽をつけたり、ナレーションで観客を誘導したりするのは、ドキュメンタリーとしてどうなのかなと感じているんです。本当はテロップもすべて省きたいのですが、映像だけでは説明しきれない部分もあるため、必要最低限のテロップを入れる形にしました。

 ナレーションは、あらかじめ書いたものを読むとどうしても嘘っぽくなってしまうんです。そこで共同制作者でプロデューサーを務めている淺野由美子さんに私をインタビューしてもらう形式を採用しました。その中で、思い出しながら話した部分もありますし、「言葉が生まれてくる瞬間」や「言葉の強さ」、さらには話している感情の深さを少しでも感じてもらえたらという思いです。

字幕を出さなかった理由

――編集におけるこだわりについてもう一つ伺いたいのですが、先ほど「テロップを入れない」とおっしゃっていましたが、字幕もほとんど付いていなかったと思います。ところどころ聞き取りづらい部分もありましたが、その判断をされた理由は?

藤野:プロの音声スタッフがガンマイクを使っているわけでもなく、カメラの内蔵マイクで録音しているので、音の解像度はあまり良くないです。1人で撮影していたので、あれ以上のクオリティを出すのは難しかったですね。ただ、今回の公開にあたって川上拓也さんというプロの音響技術者に整音をしていただいたので、山形で上映したときよりは改善されていると思います。

 字幕を出さなかった理由ですが、字幕を出すと観客がどうしてもそれを読んでしまうんですよね。もちろん、言葉が理解できるに越したことはないのですが、映像の中には言葉以上に多くの情報が詰まっているんです。字幕を出すと、視線が画面の下に集中してしまい、映像そのものへの注目が減ってしまうという悩ましさがありました。とはいえ、冒頭では字幕を入れました。

 ただ、姉が話している場面で字幕を付けても、観客には理解しづらいだろうと思います。主治医の方が「言葉のサラダ」と表現していたのですが、姉の話す言葉は関連性のない単語やフレーズが繋がっていて、文章として意味が通じないことが多かったんです。そのため、字幕を付けてもあまり効果的ではないと判断しました。

帰省したら「ピザの箱が50箱も出てきた」

――シーンではイカリングなど、食事のシーンがとても印象的でした。

藤野:そうですね。わりとご飯を作っているところは撮影していましたね。実は、母が父よりも早く認知症の症状が出始めたため、料理を作れなくなってしまったんです。それで父が料理を作ったり、簡単な惣菜やお弁当を買ってきたりしていました。

 ただ、これもある種の認知症の影響だと思うのですが、実家に帰省したとき、父が物を捨てられなくなっているのに気づいたんです。姉がピザ好きだった影響もあるのか、帰省したらなんとピザの箱が50箱くらい出てきました。捨てればいいのにと思ったんですが、何かに使えると思ったのか、それらをしまい込んでいたんです。とても驚きました。

――藤野さんは一度住宅メーカーに勤務されてから、日本映画学校に入学されています。ある意味では安定を捨てるような大きな決断だったと思いますが、なぜ踏み切れたのでしょうか?

藤野:実は大学4年生のとき、アニメーションのスタジオなどを受けたことがありました。でも、実写映画に挑戦する自信はなかったし、ドキュメンタリーもよくわかりませんでした。ただ、絵を描くことが好きだったので、自分に一番向いているのはアニメーションかなと思い、いくつか挑戦しましたが、1次選考で全て落ちてしまったんです。それで、「もう映画やアニメの仕事をすることはないだろう」と思い、すべて諦めるつもりで就職しました。

 神奈川方面の会社に就職し、営業の仕事をしていましたが、ある日、お客様のところに向かう途中で偶然、日本映画学校の前を通りかかったんです。そのとき、「自分には無理だろうな」と思っていたものの、営業の仕事が正直しんどかったこともあり、思い切って願書をもらいに行きました。実家のこととは関係なく、「映画の仕事に関わる道があるのではないか」と考え、専門学校に通う決断をしたんです。

19歳のときに衝撃を受けた「作品」

――これまでで最も影響を受けたドキュメンタリーは?

藤野:小川紳介監督の『1000年刻みの日時計 牧野村物語』です。19歳のときに札幌で上映されているのを観ました。非常に長いドキュメンタリーで、昼から観始めて劇場を出たときにはもう外は真っ暗になっていたのを覚えています。

 あれを観て、それまで自分の中だけで考えていたことが、実は自分の知らない世界には全く違う考え方をして生きている人々がたくさんいることに気づきました。小川監督は13年ほど牧野村に住み込んで撮影されたそうですが、どうしたらそんな長期間にわたって、こんな作品を撮ろうとするのだろうと、本当に考えさせられました。

<取材・文/シルバー井荻>

【シルバー井荻】

平成生まれのライター、編集者。ファミマ、ワークマンマニア。「日刊SPA!」「bizSPA!フレッシュ」などの媒体で執筆しています

日刊SPA!

https://news.yahoo.co.jp/articles/5052de6fa5c7130e54623842d4ccb5fbc74b81ca


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