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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

滋賀の博物館・美術館巡り/66 豊会館 近江商人の心意気 /滋賀

2016-09-07 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年9月6日 地方版
藤野家の栄枯盛衰伝える
 藤野家は江戸時代中期から明治期にかけて、北海道松前貿易を繁栄させた近江商人で、天保年間に建てられたその邸宅と庭園が、現在「豊会館」として保存公開されています。1928年から56年にかけて一時村役場に使用されていたものの、その後荒れはててしまった本邸宅を68年、明治100年の記念事業として地元企業家らによる援助によって、藤野家の事業と近江商人の心意気を後世に伝える社会教育の場として整備したものです。
「天保の大飢饉」救う
 初代藤野喜兵衛喜昌は天明元(1780)年生まれ。12歳で北海道松前へ渡り、呉服商へ丁稚(でっち)見習いに入ります。20歳にして独立、呉服商を営む傍ら、松前の港に水揚げされる大量の海産物に目をつけました。そして、故郷・近江ではめずらしい魚介類を塩や搾りかすで保存することを工夫し、7隻の北前船の輸送力を駆使して関西圏にひろく輸送販売を始めます。
 また、持ち前の熱意で松前藩主に願い出て、東西蝦夷地の数カ所に漁場請負の許可をとりました。その海産物、また、アイヌの収穫物や産物を本州に運ぶ一方、アイヌや現地の必要物資も回送し、互いの利益になるこの「三方よし」の商いは、地元民の協力も得て大きく発展し、藤野家は北海道における確固たる地位を得たのです。しかし、彼は病により44歳の若さでこの世を去ってしまいます。
 2代目藤野四郎兵衛良久が父の遺業を継いだのはわずか13歳の時でした。彼は根室や色丹島、択捉島に進み漁場を開拓、根室一帯を差配するまでに成長します。ちょうどそのころ、天保の大飢饉(ききん)が日本を襲いました。蝦夷地においても主食が欠乏しますが、藤野家の北前船を使い遠く下関(山口県)から米を運び人々を救済します。
 また、地元近江でも飢饉の影響は大きく、この時に、お助け普請として建てられたのが、この邸宅なのです。郷里の寺院、仏堂も建立し、作業に従事したものに多額の労賃や食料を与えました。ですから、近江商人のものとしては大変豪華で、また、庭園は勝元鈍穴作庭の広く美しいもので、「松前の庭」と名付けられています。
「相手よし、世間よし」
 幕末・明治の混乱期、3代目は北海道開拓の新事業に鋭意し、4代目は船舶の近代化に着手、うまく舵とりを行います。とくに4代目は西洋の缶詰技術に着目し先進諸国を視察して製造を始めます。これは「あけぼの缶詰」のルーツとなる星印缶詰として国内はもとより輸出もされるまでになりました。
 遠く北海道と本州を東奔西走し、常に時代の先を読み「相手よし、世間よし」の精神を貫いた近江商人藤野家。その栄枯盛衰を見つめてきた大きな楠が、今も庭園の背後にそびえています。縁側に座り、庭園を眺めながらその大木とそっと対話をしていると、一瞬数百年の時を超えて活気のある人々の声が聞こえてくる気がします。(MIHO MUSEUM学芸員 桑原康郎)<協力・滋賀県博物館協議会>
所在地:豊郷町下枝56
電話番号:0749・35・2356
開館時間:9:00〜16:00
休館日:月、水、金曜日、年末年始
観覧料:大人200円、小人(小中生)100円
駐車場:7台
交通:近江鉄道「豊郷駅」下車、徒歩7分
http://mainichi.jp/articles/20160906/ddl/k25/040/594000c

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東京と北海道で暮らすアイヌ姉妹に密着したドキュメンタリーが公開

2016-09-07 | アイヌ民族関連
ナタリー-2016年9月6日 14:29

アイヌ民族の姉妹に密着したドキュメンタリー「kapiw(カピウ)とapappo(アパッポ)~アイヌの姉妹の物語~」が、11月19日から東京・ユーロスペースにて公開される。
本作は、東京で暮らしアイヌの歌や踊りを披露する姉・絵美と、故郷の北海道で家族とともにアイヌ料理店を営む富貴子の日々を切り取った記録映画。ときに衝突しながらも、初めての姉妹でのデュオライブを目指して奮闘する2人の姿を追う。監督を務めたのは、鈴木清順、黒木和雄、大林宣彦らの作品に助監督として参加してきた佐藤隆之。
現在YouTubeで公開中の予告編には、東京と北海道でのそれぞれの生活や、民族衣装を着て舞台に立つ姉妹の姿が収められている。
ドキュメンタリー「kapiw(カピウ)とapappo(アパッポ)~アイヌの姉妹の物語~」
https://youtu.be/yS3-5whkTZg
http://natalie.mu/eiga/news/200597

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「文化を知ってもらいたい」 台湾の木彫り職人、日台の芸術交流強化に期待

2016-09-07 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾2016/09/06 17:12

(屏東 6日 中央社)屏東県来義郷に工房を構える木彫り職人の塗南峰さんが、日本との芸術交流の強化に期待を寄せている。台湾原住民(先住民)パイワン族の文化を多くの人に知ってもらいたい考え。
屏東県北大武山に暮らすパイワン族は、飲食や衣服、工芸などさまざまな面で独自の文化を持つ。もともと文字がなかったため、口承や木彫りの形で歴史を残してきた。塗さんは1999年~2008年には木彫りのコンテストで高評価を複数回得た実力の持ち主。桃園空港で作品が展示されたこともある。
そんな中、空港で塗さんの作品を目にした日本人男性が工房を訪れたことをきっかけに、日本との交流が始まった。この男性はすでに複数回塗さんを訪ね、来年の再訪も約束しているという。塗さんは会員制交流サイト上に写真を投稿し、原住民の木彫り工芸の素晴らしさを日本に伝えられたと喜びを語っている。
(編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201609060009.aspx

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「太陽の子」 家族と故郷の再生 熊本支援チャリティー、座間で13日2回上映 /神奈川

2016-09-07 | 先住民族関連
毎日新聞2016年9月6日 地方版
台湾の農村での実話基にした映画
 台湾の農村で持ち上がった実話を基に家族と故郷の再生を映画化した台湾映画「太陽の子」が13日、県内で初めて座間市緑ケ丘1のハーモニーホール座間で上映される。同市スポーツ・文化振興財団の主催で、入場料(500円、全席自由)はすべて熊本地震の被災地復興のために寄付される。
 作品の舞台は、台湾・花蓮の先住民族・アミ族が暮らす港口集落。主人公の女性パナイは、台北のテレビ局のジャーナリストだ。ある日、パナイの2人の子どもと古里で暮らす父親が病に倒れた。看病のために帰郷して目にしたものは、一面の荒れた棚田と、そこに持ち上がった大型ホテル建設計画だった。
 先祖伝来の土地を失うと心配する反対派と雇用創出や観光収入を期待する賛成派。開発と伝統を巡り、家族や故郷の人々は二つに割れてしまう。先住民族の誇りを取り戻そうと、パナイは自分の名前の由来(パナイ=稲穂)でもある伝統の米「海稲米」の復活に懸け、ふるさとに戻ることを決心する−−というストーリーだ。
 上映プロジェクトの主催者でジャーナリストの野嶋剛さんは「いま台湾でアミ族ら先住民の社会に何が起きているのか。台湾とはいったいどんな土地なのか。そんな問題に関心がある人は、この作品を見てほしい。きっと何かをみなさんの心に深く刻んでくれるはずだ」と話している。
 上映は午前11時からと午後1時半からの2回。同0時50分から会場で、主演女優のアミ族の歌手、アロ・カリティン・パチラルさんと野嶋さんのトークショーがある。問い合わせはハーモニーホール座間(046・255・1100)。【長真一】
http://mainichi.jp/articles/20160906/ddl/k14/040/370000c

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【激撮】国立公園と先住民居留地の境界線?

2016-09-07 | 先住民族関連
R25-2016.09.06 TUE

画像提供:ナショナル ジオグラフィック日本版(PHOTOGRAPH BY PETE MCBRIDE/National Geographic)
先住民のワラパイ族は、居留地に近接するコロラド川の流域でボートツアーを実施している。グランドキャニオン国立公園と先住民居留地は川で隔てられているが、その正確な境界線をめぐっては、国立公園局とワラパイ族の間で主張が対立している。
(ナショナル ジオグラフィック2016年9月号特集「自然と人間 傷つけられるグランドキャニオン」より)
http://r25.jp/topic/00052613/


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映画『太陽の子』と台湾の先住民問題

2016-09-07 | 先住民族関連
nippon.com-[2016.09.06]野嶋 剛 【Profile】

先住民に謝罪した蔡英文総統
8月15日、台湾総統の蔡英文は、台湾東部の離島、蘭嶼島(らんしょとう)を訪れた。蔡英文の目的は謝罪だった。そこにはタオ族の人々およそ4千人が暮らし
ている。蔡英文は、民族衣装姿の頭目に向き合い、トレードマークのおかっぱの髪の毛が下がって横顔が見えなくなってしまうほど深々と、頭を垂れた。
蔡英文の選挙前からの公約だった先住民に対する謝罪。それは、8月1日に総統府で正式に行われた。台湾に54万人、16部族いる先住民の代表たちを総統府に招いた形での謝罪が、同じ先住民の一部からは「皇帝の拝謁(はいえつ)のようで差別意識の表れだ」と厳しい批判を招いた。しかし、全ての部族を一人の総統が回ることなど物理的に不可能であり、いささか批判のための批判という印象が強かった。先住民の中にもいろいろなグループがあるようだ。だが、総統が客人として先住民を総統府に招き、謝る。その意味は大きかった。
蔡英文はその翌日から、時間を見つけては先住民地域をその足で訪れ、謝罪を行っている。特にこの日の蘭嶼島行きは象徴的な意味があった。なぜなら、蘭嶼島には、低レベル放射性廃棄物の中間貯蔵施設が置かれているからだ。その貯蔵施設の設置の経緯は非常に曖昧かつ怪しいもので、「缶詰工場を造る」と言って地元のタオ族をだました、という声もあるほどだ。真実は闇の中だが、もともと海洋廃棄のための「一時的」な貯蔵施設のはずが半永続化してしまったのは、先住民が「犠牲にされやすい人々」だったことと関係していないはずはない。そうした「先住民=犠牲にされる人々」という構図に対して、今後決別するという意思を示すための謝罪であり、台北から最も遠い離島の一つである蘭嶼島への訪問だったと考えられる。
こうした先住民への謝罪は、台湾では「移行期の正義」と呼ばれる。かつての政権が行ったさまざまな圧政や暴力を総括し、二度と起きないよう謝罪や責任の明確化を行うものである。例えば、民進党政権になって台湾の立法院は野党・国民党の巨額の党資産を解体するために条例を可決した。これも、国民党が戦後間もなく接収した台湾の日本資産を党資産にしてしまって政党間の正常な競争を阻害しているという問題意識から行っているもので、「失われた正義」を回復させるための措置であると理解されている。
「失われた正義」の回復と映画『太陽の子』
「失われた正義の回復」というと難しく聞こえるかもしれないが、日本においても水俣病被害者への賠償や、薬害エイズの責任追及など、いずれも類似の問題であると考えていい。ただ、台湾では、専制政治が長く続き、複雑な歴史もあるので、問題解決への道はより難しく、遠いところにある。
© 一期一會影像製作有限公司
そんな「失われた正義の回復」という意味から、じっくり見てほしい映画がある。台湾映画『太陽の子』(原題:太陽的孩子)である。台湾で2015年に上映され、多くの反響を呼んだ映画で、日本に紹介したいと考えた筆者らのグループがこのほど、日本上映プロジェクトを進めているものだ。9月にも東京や神奈川、静岡、福岡で上映会を予定している(詳細はこちらのサイトから 映画『太陽の子』)。
初めて本作を見たのは、台湾の映画館だった。いい映画だと思ったが、何が良かったのか、うまく自分の中で説明がつかなかった。だからもう一度、映画館に行った。1度目よりも深く感動した。そして、3度目、日本に帰国するエバー航空の機内上映でもう一回見てみた。泣き過ぎて、隣にいた台湾人の女性に「你沒事嗎?(あなた大丈夫)」と声をかけられてしまった。3度目でなんとか、この作品の「根」のところまで掘り下げられた気がした。
本作は、その良さをうまく一言ですっきりと説明するのが難しい映画である。ストーリーは、台湾のアミ族の村で、伝統の稲作が失われようとしている。それを阻止するため、人々は立ち上がった――。こうやって、あらすじを書いてみても、私自身がどうもあまりピンとこない。もっと違った言葉が、この映画にはふさわしいはずだ。そんな風にずっと考えていた。
なぜなら、この映画の魅力は、得体の知れない強烈なリアリティがスクリーンから迫ってくるところにあるからだ。実話に基づく作品だからというのはあるだろうが、それだけにとどまらない「何か」がある気がしてならなかった。
花蓮・港口集落を舞台に現実と物語が絡みあう
そんな気持ちを抱えながら、映画が撮影された舞台である台湾東部・花蓮県の港口集落を訪れた。花蓮の港口集落は、台湾で最も訪れにくい場所の一つと言っていいだろう。花蓮から台東に広がる長大な花東海岸線のちょうど中間点にあり、台北から花蓮に飛行機か台湾鉄道で入り、そこからバスで3時間、レンタカーでも2時間はかかる。台東からでもほぼ同じ距離にある。
港口は、花東地区第一の河である秀姑巒(しゅうこらん)溪の河口に位置するところからその名前がついた。古くから先住民のアミ族が暮らす土地であった。清朝の兵士によって港口の周辺に暮らしていたアミ族の人々が大量に殺される「大港口事件」と呼ばれる衝突が起きたことでも知られている。作品のなかで、「清兵が攻めてきた」という歴史について、主人公パナイの父親であるおじいさんが繰り返し言及しているのは、民族の記憶に刻まれた悲劇だからだ。
この村を舞台に映画が撮られたことは知っていたが、俳優たちのほとんども村の出身の素人だったことは訪れるまで知らなかった。そして、2人の監督のうちの1人であり、港口集落出身のレカル・スミ氏に案内されて集落を回っていると、映画の中で見かけた顔に次々と出くわしたのだった。
映画で、パナイの父としてアミ族の伝統を取り戻すべく、肺がんに冒されながら奮闘した前出のおじいさんを演じた許金財さんは、レカル・スミ監督の実際の祖父であり、現実でも港口集落の「頭目」を務めている。頭目は、村長のような行政職ではなく、それよりももっと高い地位にある精神的領袖のような存在である。
私がたまたま宿泊先に選んだ民宿で、朝、食事を運んできてくれた老女の顔をみて、ハッとさせられた。映画の最後に近いところで、稲田の破壊を防ぐために座り込みをしている村人の中で、一人の老女が同じアミ族出身と見られる若い警官に向かって「あなたの村はどこ(?)」と語り掛けるシーンがある。私が本作でいちばん好きなところの一つだ。その老女が、民宿を経営する家族の一人だったのだ。彼女から聞かされた話では、彼女の一族が持っている、民宿の真下に広がる稲田の土地は、およそ20年前から開発業者や行政の観光部門によって執拗に開発を持ちかけられた土地で、映画と同じように無理やり実力行使で奪われかけたこともあったという。
「あのシーンを演じながら、自分の土地が奪われかけたことを思い出していました」と老女は語っていた。民宿の窓から見える稲穂の土地、よく見れば、映画の中で、村人が体を張って守ろうとした稲田そのものだった。この映画では、このように現実と物語が、表裏一体となっているのである。
民族のアイデンティティーを取り戻したい
作品の主題は、時代の変化によって分断された地域や家族の再生であり、アミ族の誇りと伝統を取り戻す物語である。しかし、そこからもっと深く掘り下げたレベルで、漢民族や日本によって奪われた土地や伝統をいかに取り戻すか、つまり「移行期の正義」が問われているのだ。
そして、それは土地などの問題だけにとどまらず、個々人の最も根源的な価値に結びつく「名前」にも及んでいる。それは、私は何者か、あなたは何者か、という人間のアイデンティティーの本質に関わる問題である。
本作の出演者の中で、職業俳優であるのは、村出身の不動産屋を演じた徐詣帆だけ。また、主役のパナイを演じたアロ・カリティン・パチラルは、普段は歌手・DJとして活躍しているが、本格的な演技はこの作品が初めてである。彼女は港口集落の出身ではないが、同じアミ族であり、作品での演技が高く評価されて台湾の金馬奨最優秀新人賞にノミネートされた。彼女もまた、幼いころから中国語の名前で呼ばれ、標準的な中国語をしゃべる優等生だったが、アミ族としてのアイデンティティーが打ち消されることに悩み、成人後に名前をアミ族のものに変えたと筆者に明かしている。
映画のあるシーンで、パナイは自分がかつて漢民族の名前を名乗り、北京語でのスピーチを巧みにこなすことによって「アミ族でない振りをすることで“の光”などの賞をもらってきた」と告白する。しかし、それは本当の自分ではなかったとして、「のパナイ=稲穂」を取り戻したいと決意を語り、ホテル開発に抗して稲作の復活を目指して立ち上がるのである。
さらに、映画の中で、パナイが陸上競技の選考レースを控えた娘のナカウに「あなたは誰?」と問うシーンがある。ナカウを演じた呉燕姿も港口で育った少女であるが、「パンツァー(アミの子)」と叫んで、選考レースに向かう。この映画のキーポイントの一つであるこの叫びは、本作全体に通底する「私たちはアミ族だ」という叫びである。アミ族の別名は「太陽族」と言われ、この映画のタイトルの由来にもなっている。それは、名前を取り戻すことによって民族のアイデンティティーを取り戻したい、というアミ族の人々の強い願望につながっている。
本作においては、登場する出演者たちの大半が港口集落の人々だということで、登場人物たちの一人ひとりの人生がその演技に投影され、アマチュアやプロという区別を超えた迫力とリアリティをもたらしている。だからこそ、ちょっとした表情や言葉が見る者の心の琴線を強く揺らすのであろう。
交響曲のように全てが有機的に結びついた作品
台湾の先住民問題は、述べてきたように、清朝以来、日本、国民党などの「外来政権」の統治によって、時に隔離政策の下、時に同化政策の下、いずれもその決定権を、弱者の側である先住民が握ることはなかった。しかし、いま、総統の謝罪を受け、この映画に描かれるように、自らの未来を決める行動を先住民が取り始めていることは間違いない。それは国家や政党の利益よりも小さな集団や個人の利益を優先させるリベラルな民進党の政策にも合致しているだけではなく、現代社会そのものが歩んで行く方向でもある。
私は台湾映画好きが高じて本まで書いているが、いわゆる映画人や映画評論家ではない。しかしそれでも、自信を持って言えることがある。それは、この映画が、脚本、監督、プロデューサー、役者、裏方、音楽、技術など映画のもとになる種々のパーツが奇跡のように有機的に結びついた作品であるということだ。
映画は、いくら名監督が、膨大な予算をつぎ込んで、有名な役者を起用しても、無惨な駄作になることもある。その逆もまた然りで、何もないところから始まった小さな一つの作品が、永遠に人々の記憶に残る名作になったりする。名作のレシピがあるようでないところが映画の難しさであり、同時に、醍醐味(だいごみ)だと言えるだろう。
『太陽の子』にはそんな映画の醍醐味がしっかりと凝縮されており、見終わった後には、小さいけれど美しい交響曲を聴いた気分になる。村に生きる人々の願い、製作に関わった人たちの願い、そして、港口の自然と景色と歴史、そして、清らかに澄み切ったその空気までもが、アミ族の人々の「祖霊の加護」の下、全て見事に、この一作の中に編み込まれている。
野嶋 剛  NOJIMA Tsuyoshi[ 署名記事数: 5 最終更新日: 2016.09.06 ]
ジャーナリスト。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。1992年、朝日新聞入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長等を歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)等。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛
http://www.nippon.com/ja/column/g00380/

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居留地近くでパイプライン建設、米先住民らと建設会社側が衝突

2016-09-06 | 先住民族関連
AFPBB News-2016年09月05日 15:21 発信地:キャノンボール/米国

米ノースダコタ州キャノンボール近郊で、石油パイプラインの建設を進めるブルドーザーに向かって抗議する先住民族の人々とその支持者ら(2016年9月3日撮影)。(c)AFP/Robyn BECK
【9月5日 AFP】(写真追加)米中西部最北のノースダコタ(North Dakota)州にある先住民スタンディングロック・スー族(Standing Rock Sioux Tribe)の居留地近くで3日午後、石油パイプライン建設に反対する先住民ら数百人と建設会社の作業員や警備員が衝突した。先住民たちは、先祖ゆかりの聖地を建設作業員らが破壊していると非難している。
 問題となっているのはノースダコタ州の広大な草原の中にあるキャノンボール(Cannon Ball)と呼ばれる地域。スタンディングロック・スー族の居留地からは1マイル(約1.6キロ)も離れていない。スタンディングロック・スー族は、先祖の聖なる埋葬地や祈りの場、文化的な遺物などを建設作業員らが掘り返し、破壊していると主張している。
 キャノンボールにおけるパイプライン建設は、建設会社側の判断で中断されているが、反対派のデモ隊は3日、新たな掘削が行われているとの情報を入手。フェンスを突破して建設会社が雇った警備員との間で小競り合いとなり、警備員側は犬数匹と催涙スプレーで応戦した。スタンディングロック・スー族の声明によると、デモ隊はブルドーザーに乗った作業員とにらみ合いになり、作業を中断させたものの、2マイル(約3.2キロ)にわたって先祖の墓地が破壊されたという。
 デモ参加者の1人はAFPに対し、建設会社側が「トラックやブルドーザーで私たちを押し返そうとした」と述べた。負傷して血を流す人や、犬にかまれた痕がある人もいた。モートン郡(Morton County)保安官事務所によると、警備員にも3人の負傷者が出た。
 スタンディングロック・スー族はパイプライン建設によって飲み水が危険にさらされ、先祖伝来の遺跡が破壊されると訴え、計画中止を求めて裁判を起こしている。全米各地の先住民が支援に駆け付けており、居留地近くにキャンプを張って数か月にわたり抗議を続けている。(c)AFP/Nova SAFO
http://www.afpbb.com/articles/-/3099819

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千歳川でアシリチェプノミ 秋告げるサケに祈り

2016-09-06 | アイヌ民族関連
苫小牧民報(2016年 9/5)
伝統にのっとった漁法でサケを捕らえる=4日、長沼用水取水口
 千歳アイヌ協会(中村吉雄会長)は4日、新しいサケを迎える儀式「アシリチェプノミ」を千歳川の長沼用水取水口=千歳市蘭越=で行った。苫小牧や恵庭、伊達などからも集まった仲間と共に、しきたりにのっとってサケを捕って祈り、秋を告げる神からの贈り物に感謝をささげた。
 千歳川とつながった水路の清流にはサケが放されていた。同協会の若手会員、佐々木翔太さん(22)が丸木舟の上から狙い見定めて、先端にかぎを付けた木製のもり「マレク」を素早く一突き。雌が水面に上がって魚体をばたばたとしならせると、大勢の見学者から歓声が上がった。
 舟に引き揚げてから棒で頭をたたき、魂を神の国へ返した後、いろりを切った川岸の儀礼の場に持ち込んだ。火の神「アペフチカムイ」に供えた。民族衣装に身を包んだ会員と山口幸太郎市長ら来賓ら約50人が座って見守る中、祭司を務めた石辺勝行さん(71)が祈りを唱えた。
 人の命をつなぐ大切な命が巡る季節の中でふるさとの川を上ってきた。参加者らは祝いの料理を会食し神々や祖先と喜びを分かち合った。
 千歳アイヌ文化伝承保存会と苫小牧アイヌ文化保存会による古式舞踊「ウポポ」「ホリッパ」の披露が続き、希望した人たちがマレク漁を体験した。
http://www.tomamin.co.jp/20160942270

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時空を隔てた再会

2016-09-05 | 先住民族関連
毎日新聞2016年9月3日 大阪夕刊
 かつて交流した中米グアテマラのマヤ先住民族男性と先月、十数年ぶりに言葉を交わした。フェイスブックで「知り合いかも」と名前と写真が表示されたのだ。連絡すると、すぐに返信があった。近況を伝えながら、当時を思い出した。
 名はフアン・レオン。内戦下で軍に弾圧されたマヤのリーダーの一人で、自らも1980年前後に迫害され、父を殺された。95年の選挙でマヤ初の副大統領候補となったが、右派の攻撃が懸念された。ジャーナリスト志望の学生で現地にいた私は、NGOの紹介で15歳上の彼の外国人同行者となり、いわゆる「人間の盾」として3カ月寝食を共にした。
 当時は携帯電話も電子メールも使えず、連絡を取るには会って話すしかなかった。その後も2、3回、同国と日本で再会したが、次第に縁遠くなった。それが今や簡単に無料で言葉を交わせる。丸くなった互いの顔にも時の流れを感じた。
 彼は今、同国の駐キューバ大使だ。先住民族の文化を守る活動を続けている。私はと言えば新聞社の支局次長。あの頃の志は持続しているか。時空を隔てた再会に、そう自問させられた。【太田裕之】
http://mainichi.jp/articles/20160903/ddf/041/070/009000c

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三重県内の博物館など、津でシンポ 学芸員の「イチオシ」紹介

2016-09-05 | アイヌ民族関連
産経ニュース-2016.9.4 07:06更新
 博物館や美術館の学芸員が思い入れのある展示品を紹介するシンポジウム「ミュージアムトーク!!『私のイチオシ』」が3日、津市一身田上津部田の県総合文化センター・レセプションルームであった。
 秋の企画展示や知られざる博物館の面白さをPRする機会をつくろうと、県生涯学習センターが毎年この時期に開催しており、今回が5回目。県内6館の学芸員が、秋の目玉品や注目されていない名品を紹介し、約130人が聞き入った。
 松浦武四郎記念館(松阪市)の山本命学芸員は秋の特別展「世にも稀(まれ)なる蝦夷(えぞ)屏風(びょうぶ)」(21日~11月20日)で初公開する蝦夷屏風を紹介。幕末に蝦夷地を6回踏査した武四郎の旅の領収書やアイヌ民族の少年が文字の手習いをした紙、大久保利通の手紙などが1枚の屏風に貼り付けられているという。
 パラミタミュージアム(津市)の湯浅英雄学芸員は、館が所蔵する木像十一面観音立像の修復過程で鎌倉時代の仏師、長快が作ったことを示す銘文が見つかり、国の重要文化財に指定されるまでの経緯を紹介。斎宮歴史博物館(明和町)の船越重伸学芸員は、展示室の入り口付近に展示されているが、ほとんどの見学者が通り過ぎてしまうという斎王の人形がイチオシとし、ぜひ見てほしいと呼びかけた。
http://www.sankei.com/region/news/160904/rgn1609040023-n1.html


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[読書]ミリネ編、皇甫康子責任編集「家族写真をめぐる私たちの歴史」 差別バネに前向く女性

2016-09-05 | アイヌ民族関連
沖縄タイムス 2016年9月3日 11:00
 さまざまな出自をもつ24人の女性たちが、「家族写真」を手がかりに祖母や母の時代、自身、娘の時代へとつながる歴史を綴(つづ)ったのが本書である。在日朝鮮人、被差別、アイヌ、沖縄、フィリピン、スリランカ、ベトナム出身という、日本社会に生きる民族的マイノリティーの女性たちによる、いわば日本近現代女性史の裏面史だ。

「家族写真をめぐる私たちの歴史」御茶の水書房・2376円/編集した「ミリネ」は1991年に発足した在日の女性らがつくる団体。朝鮮語で「銀河」を意味し、行動することで銀河のように輝きたいという思いでつけた。本書の執筆者は1945~91年生まれの国内に住む女性24人
 父親が移住を機に結婚したフィリピン人女性を母に持つ新垣安子さんは、父親を中心に、18歳年下の母、きょうだい5人の写真を掲載。戦後の沖縄引き揚げに同行し、異国の地で生活する母親の心の機微に触れ、アジアへの関心に連ねる。
 大城尚子さんは、「戦争」を語らない祖父と、伊江島で戦争を体験した祖母の生き方を通して自らのルーツをさぐり、アイデンティティーを確立するプロセスを紹介。余命わずかの祖父の手を握る祖母の手がアップされた写真が老夫婦の苦難の歴史を感じさせる。
 ウチナーンチュの父と福島・青森をルーツとする母をもち「沖縄二世」として生きた仲間恵子さんは、乳児の頃の自身を抱き上げる父と、笑みを浮かべ寄り添う母の写真を掲げる。しかしその後の両親は不仲、自身の沖縄的名字に悩みながらも、複合アイデンティティーからウチナーンチュを選択する。
 玉城福子さんは、今は亡き姉の入った家族写真を紹介。父の仕事の都合で大分県で幼い日を過ごし、小学校から沖縄に移ったものの、「ナイチャー」といじめられないよう気を遣うほど、文化の違いがストレスになったという。そんな彼女も、県外へ出ることで構造的な沖縄差別を認識し、さらにさまざまなマイノリティーとの出会いによって活動を広めていく。
 本書には「違い」ゆえに差別されながらも、むしろそれをバネに前向きに生きる女性たちの声がびっしり詰まっている。用語にはていねいな注釈が付されている上、巻末の個人史を対応させた年表が、さらに本文を補完する役割を担っている。同時代を生きる「私たち」から次世代へのメッセージとなる、貴重な「証言集」といえよう。(宮城晴美・沖縄女性史家)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/60448


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砂澤陣「北海道が危ない!」を読め

2016-09-05 | アイヌ民族関連
BLOGOS-2016年09月02日 13:56 小林よしのり
天才彫刻家・砂澤ビッキの息子であり、アイヌ系日本人の砂澤陣が本を出したのを知っているか?
『北海道が危ない!』(育鵬社)である。
砂澤陣は「個人」でアイヌ利権と戦っている。
わしがアイヌ問題を取り上げたら、運動家どもが狂ったようにバッシングしてくる。
わしはアイヌの血が入ってないので、真実を言うと、差別者にされてしまう。
わしはもううんざりしてしまった。
だが砂澤陣はアイヌ系であり、当事者である。
差別者にでっち上げるのは無理である。
だから運動団体や運動家は困るだろうし、恐いだろう。
砂澤陣だって、どれほどの中傷・罵詈雑言に晒されたか想像がつく。
だが砂澤陣はくじけない。
このような男を見るとき、逆に「アイヌ系日本人」への敬意が芽生えてしまうのだから面白い。
弱者のふりして利権に依存するのではなく、砂澤陣は「個人」で「集団」に立ち向かっていく。
メディアも砂澤陣を無視し続けるのだろうか?
しかし恐ろしいものだ。
メディアはどうしても抗議団体に弱くて、「個人」を封殺する。
彼の孤独な戦いを応援しよう!

http://blogos.com/article/189165/

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アイヌ文化 新千歳空港の展示スペース3倍に 外国人客への発信強化

2016-09-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞09/03 05:00、09/04 09:59 更新

新千歳空港国際線到着ロビーに設置されたアイヌ文化展示コーナー
 【千歳】 新千歳空港 国際線ターミナルビルの2階到着ロビー南側にあったアイヌ文化展示コーナーが、ロビー中央部に移転した。展示スペースも従来の3倍に拡がり、 外国人観光客 らの目を楽しませている。
 コーナーを管理するアイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)が、外国人観光客へのアイヌ文化の発信力を高める狙いで先月31日に移転。これまでの設置場所は目立ちにくく観光客も素通りしがちだったが、新たな場所は到着口のほぼ目の前で、ロビーに姿を見せた観光客を出迎えるような構成になった。拡張された50平方メートルのスペースにはマキリ(小刀)やルウンパ(木綿衣)など6点を展示。アイヌ文化を紹介する英語、中国語、韓国語の字幕付き映像も上映している。
 家族旅行で北京から2日に新千歳空港に到着したフユウさん(35)は「『アイヌ民族』という言葉は聞いたことあったが、詳しく知らなかった。こんなコーナーがあるのはいいこと」と話した。(佐々木風人)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0311914.html

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器、木船など道内有数の民具を展示! アイヌの伝統文化を未来へ伝える博物館へ

2016-09-03 | アイヌ民族関連
コロカル 2016年9月2日 (金) 20:05 配信

一歩足を踏み入れると、あらわれるのは壮大なスケールの展示空間。
〈平取町立二風谷アイヌ文化博物館〉では、 国会議員もつとめたアイヌ文化研究者・アイヌ民族の故 萱野茂さんが 収集した重要有形民俗文化財 「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」1121点のうち、919点を所蔵・展示しています。国文化財に指定されたこのコレクションから平取地域のアイヌの人々の歴史と文化に、深く触れることができる場です。
展示室は〈アイヌ〉人々の暮らし、〈カムイ〉神々への信仰、〈モシリ〉大地の恵み、〈モレウ〉造形の伝承と4つに分かれ、伝統的な生活道具を中心に、アイヌの暮らしぶりを紹介しています。
木綿の生産がなかったアイヌ民族にとって、こうした生地は主に和人との交流のなかで得たもの。
平取地域ではオヒョウなどの木の樹皮を使った〈アットゥシ〉と呼ばれる織物が、途絶えることなく受け継がれてきました。
二風谷でつくられるこのアットゥシと、彫刻の施された平たい木製のお盆〈イタ〉が2013年、北海道で初めて伝統工芸品として指定。展示では、使い込まれた美しいアットゥシやイタを見ることができます。
狩猟・採集を主な生業にしていたアイヌの人々が、森で仕掛けていたワナを実際に試せるコーナーも。アイヌの人々の暮らしの道具には、実用的ながらも美しいデザインを数多く見ることができます。
「興味深いのは、漆や金箔を使う技術のなかったアイヌ民族の生活道具に、これらがしばしば使われていること。当時アイヌの人と和人の交流のなかで、本州で加工された可能性が考えられます」
展示品について丁寧に教えてくれた学芸員の長田佳宏さんは、そう語ります。このほかに装飾に使われたガラス玉、鉄や刀なども、本州圏や北方圏との交易などで得ていたもの。外の世界とつながりながら生活を送っていた姿が浮かび上がります。
二風谷地域を流れる沙流(さる)川では今も〈チプサンケ〉と呼ばれる、舟おろしの儀式が行われています。これは古代から伝わる技法でつくられた舟に魂をいれる進水の儀式。毎年8月中旬頃に一般公開され、参加者は約1キロの川下りを体験することもできます。古代舞踊の演舞のほか、前日には〈ウトムヌカラ〉(アイヌ式風習結婚式)なども行われているので、あわせて訪れてみたいイベントです。
祭祀に使われた草木や生活に密着した食生活についても、実物が展示されているのが特徴。なかにはイナキビ、アワのように、現在も沙流川地域で栽培されているものもありますが、確保しにくい素材も多いそう。
平取地域では、アイヌの伝統的生活空間づくりのための自然素材を育成する〈イオル再生事業〉として、生活用具をつくるのに必要な樹木や野草を育てる森づくりやチセの制作に使われるヨシの栽培など、まちぐるみで伝統再生への取り組みを進めています。
博物館からすぐの距離には、地域の発掘調査成果や出土品が展示される〈沙流川歴史館〉や、博物館の母体になったコレクションの一部や世界各地の先住民族の工芸品が見られる〈萱野茂 二風谷アイヌ資料館〉があり、気軽に立ち寄ることができます。
平取地域はアイヌ文化を受け継ぎ未来へとつなぐ、道内で最も大きな拠点です。この3つの施設をつなぐ〈匠の道〉沿いにある、工芸家たちがそれぞれ営む民芸品店でのお土産探しもお楽しみのひとつ。
匠の道沿いにはアイヌ民族の住居〈チセ〉が建てられ、かつての〈コタン〉(集落)の姿を見られるほか、春から秋にかけてチセの内部で地元の古老による「ユカラと語りべ」が開かれ、訪れる人にアイヌ語でのお話や神謡を聞かせてくれます。
博物館のとなり、イオル再生事業の中心となる〈平取町アイヌ文化情報センター〉では、イタとアットゥシをはじめ、まちに住む工芸家たちが制作したアイヌ伝統工芸品を展示販売するほか、ムックリや刺しゅうコースター、木彫コースターの体験学習を行うことができます(予約は二風谷アイヌ文化博物館まで)。
「アイヌ文化の継承に力を注いでいる地域なので、
博物館も地域と歩調を合わせてさまざまな活動を行っています。北海道とその周辺地域で育まれ、継承されてきたアイヌ文化をより多くの人に体験していただきたいですね」
のどかな山あいにある平取町二風谷地域は、アイヌの人々が受け継ぐ暮らしを守り、今へと伝えています。ゆっくり流れる時間を感じながら、自然に寄り添って生きるアイヌ文化を探訪してみませんか。
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
住所:沙流郡平取町二風谷55
TEL:01457-2-2892
開館時間:9:00〜16:30
休館日:4月16日〜11月15日定休なし、11月16日〜4月15日月曜、※ただし12月16日〜1月15日 館内整備のため休館
※チセでの〈ユカラと語り部〉は5月〜9月下旬の毎週土曜日16:00〜17:00(無料・予約不要)   
入館料 大人400円・小中学生150円(団体割引・共通券あり)
http://www.town.biratori.hokkaido.jp/biratori/nibutani/
http://colocal.jp/odekake/80061.html

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アイヌ遺骨 豪州にも アボリジニの遺骨と交換か

2016-09-03 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年9月2日 北海道朝刊
 オーストラリアのメルボルン博物館にアイヌの遺骨1体が保管されていることがわかった。京都市で開催中の世界考古学会議で8月30日、オーストラリア国立大の研究者が報告した。
 報告によると、遺骨は、日本の人類学者と同博物館担当者が「資料交換」として豪州などの先住民アボリジニの遺骨と引き換えに送った記録が残っているという。今後、性別や収集した場所、時期など詳細の調査をする。
 アイヌなど先住民の遺骨は19世紀以降、人類学などの研究名目で大量に収集された。毎日新聞の調査で、ドイツ国内にアイヌの遺骨17体が保管されていることが判明している。
 北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)は「さまざまな先住民族の遺骨が研究者間のネットワークでやりとりされており、国内の大学や研究機関がアボリジニの遺骨を保管している可能性がある」と話した。【三股智子】
http://mainichi.jp/articles/20160902/ddr/041/040/003000c

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