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四国八十八箇所霊場の中で高知県内に在る札所は第24番札所~第39番札所の16箇寺で其の数は四国四県の中では一番数が少ないが反面、高知県は地図を見ると直ぐに解かる様に東西に長く広がる形で其処に点在する札所は高知市内に密集している物の高知市内から西側に在る札所の中には札所と札所の距離が在り、特に第37番札所と第38番札所との距離は94Kmも離れて居て其の移動には約2時間半の時間を要する。
従って東側の室戸岬から中央部の高知市内に点在する札所は我家からは如何にか日帰りで巡礼する事が出来たが高知市内より西側に点在する各札所を巡ると成ると日帰りでは如何しても無理で第38番札所(金剛福寺)の在る足摺岬か第39番札所(延光寺)の在る宿毛市辺りで1泊する事が必要に成る。
此の春に「お四国参り」をした時には高知県の最初の札所である第24番札所(最御崎寺)から第29番札所(国分寺)と第32札所(禅師峰寺)から第34番札所(種間寺)までは終ったのだが日帰りの最後のコース上に在った第30番札所~第31番札所は帰路中に高知市内の交通渋滞に遭遇し納経最終時間の17時までには間に合わず納経を残す結果と成って仕舞った。
今回の巡礼は前回に残して仕舞った30番と31番札所の納経を皮切りに第35番札所~第38番札所までの納経を終える事が今回の旅の初日の行程目標で18日に義姉の家を05時に出発し徳島ICから高速道路に乗って高知ICまで進み最初の第31番札所に到着したのは07時10分頃と成った。
綺麗に整備された駐車場から山門に至る所に鐘楼が在り其の先の山門をくぐると石段が続き上がり切った正面には写真の立派な五重の塔が聳え立ち左側には大師堂が右側に進んだ奥には本殿が建って居た。
此の第31番札所の「竹林寺」は「土佐の高知の播磨屋橋で坊さん簪買うを見た」で有名な「よさこい節」の舞台である他、学僧、名僧が集まる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。又、鎌倉時代から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧「夢想国師(1275~1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に務めたという。
此の寺の縁起に寄ると神亀元年の頃、聖武天皇(在位724~749)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見付ける様に命じた。其の行基菩薩は此の地が天皇の霊夢に相応しいと感得、自ら文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建て安置した。其の後、大同年間(806~810)に弘法大師が此処に滞在して修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。
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上段、最初の写真の「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財に指定されて居る。