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四国88箇所霊場の第30番札所「善楽寺」での納経が終ると高知ICから高知自動道で土佐ICまで行き其処から北に向かうと135mほどの小高い山の上に第35番札所「清瀧寺」はある。
此の寺には西側と東側の二通りの進入路が在るのだが偶々カーナビが選んだコースは西側の可也細いクネクネと曲がりながら登る道であった。此処は街中の札所とは違い小高い山の上に在り、南側は町並みが一望出来て素晴らしい景観、写真も撮ったのだが此の日は天気が悪かったのでモノトーンの世界で一寸残念で在った。
此の寺の縁起に寄ると、養老7年に行基菩薩が行脚して居た頃、此の地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。此れを本尊として堂舎を建て開山したのが初めと伝えられて居る。後に弘法大師が此の地を訪ねたのは弘仁年間(810~824)の頃で本堂から300m程の上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して十七日の修法を行い、其の満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡の様な池に成ったという。其処で山号や院号、寺名を現在の様に改め霊場にしたある。そして此の水は麓の田畑を潤す事は元より紙の原料である「みつまた」を晒し紙を漉く上で重宝され、やがては土佐和紙産業を興す事にも貢献して居る。
此の寺は「厄除け祈願」の名刹で、其のシンボルが最後の写真の本堂の屋根より高い大きな薬師如来像で在る。