共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

東日本大震災…あれから4年目の3・11

2015年03月11日 16時46分50秒 | 日記
今日は3月11日、4年前に、後に東日本大震災と名付けられた巨大地震の発生した日です。まだ4年、もう4年…体感された方それぞれに思いはあるかと思います。

あの日は金曜日、私はあざみ野の教室に出勤していました。私は一足先に午前中からレッスンをしていて、午後から他の講師も出勤して来た頃でした。しばらくして一人のピアノの講師が「…揺れてません?」と言って、みんなが「へ?…」と動きを止めた次の瞬間、言葉では表せないような低周波の地響きと共に、建物が激しく横に揺さぶられました。

パニックに陥りそうになりましたが、大きな横揺れだったことから直下型ではなく遠いところで発生した地震だと確信したので、揺れ続ける廊下に出ると何はさておき全てのレッスン室の防音扉を開け、唯一の出口になるだろう玄関口を開けました。そして、全員に廊下に出るように呼びかけながら、入り口にぶら下がっていた二つの小型シャンデリアが激しく振れていたので、事務机に飛び乗って何とか墜ちてしまわないように両手で掴んで揺れに耐えていました。今考えても、よく一遍にあんなことが出来たものだと思います。

ものすごく長い時間に感じられましたが、やがて徐々に揺れが収まってきてから全員の無事を確認しました。しかし、センターが停電してしまっていたのでブレーカーを戻しに行くと、室内のブレーカーは入ったままでした。これは建物全体のブレーカーが落ちたなと思ってビルの共有廊下にある分電盤のところに行くと、既に他のテナントの人達も集まっていました。

すると誰かが「あれ?何だかそこいら中が停電してない?」というので表の通りに目を向けると、信号機が消えていて、各店舗が真っ暗になっていました。そこで初めて、街中が停電していることに気づきました。取りあえず何が起こったのか情報を得ようとしたのですが、電話はつながらない、携帯もつながらない、何故かワンセグも点かない、停電しているから当然テレビは点かない、ラジオは入らない…かくしてあざみ野は完全に陸の孤島となってしまったのでした。

それからは何をどうしていいのか分からず、ただそこに居た講師や受付スタッフと途方に暮れていました。しかしそれから2時間ほど経った頃、一駅隣のたまプラーザの駅周辺は電気が点いているという情報が入ってきたので、あざみ野のセンターを戸締りして、そこに居た講師全員でたまプラーザにある楽器店の本店に移動しました。

たまプラーザに到着すると、はたせるかな駅の周辺のある一角だけが、まるで切り取ったかのように煌々と明かりが灯っていました。本店に着いてそちらに出勤していた講師達の無事を確認してから、今日は帰れないと判断して、取り急ぎ全員で手分けして、電気の点いていたイトーヨーカドーと東急のデパ地下に食料を確保しにいくことにしました。その時点では16時過ぎくらいでしたので、店にはまだ幾何かの食糧品が並んでいたので、何とか一晩越せるくらいの買い物をすることが出来ました。そして、テレビモニターのある第センターに移動して荷物を広げてから、ようやく世の中で何が起きていたのかを知ることができ、圧倒的な津波の映像を目の当たりにして全員言葉を失っていました。

それから夜になって、横浜市営地下鉄や東急田園都市線が運転再開したのを機に帰れる講師が次々と帰っていきましたが、JRと小田急線は早々に音を上げてしまったので夜明けの復旧を待たなければならず、私を含めたそちら方面の講師は会社が開放してくれたセンターで一夜を明かしました。それでも、後でニュースで見た帰宅難民の人達に比べたら、電気は点くし、教室は暖かいし、水は出るし、温水トイレは使えるし、食べるものは確保できたしと、相当いい環境で避難生活を送ることができました。そういった意味では会社と亡くなった先代の社長には感謝しています。

あれから4年、未だに二千五百有余人もの行方不明者がいるという現実が、あの震災の被害の甚大さを物語って余りあるものがあります。幸い私の身内では直接震災で犠牲になった者はいませんでしたが、福島県で被災した母方の親族は、今もなお不便さと風評被害に苦しんでいます。

この場をお借りして皆さんにお願いしたいことがあります。『福島(県)』というワードを聞いただけで、放射能の話を前面に押し出して眉をひそめたり、農産物の不買をしたりするのを、そろそろ止めていただけないでしょうか。確かに福島県で原発が爆発するという前代未聞の事故が発生してしまいましたが、福島県というのは横長な土地なので、福島市等のある中通り地区や、二本松市等のある山形県と接した会津地方は原発のある浜通りとは正反対の場所にあるので、特に穀倉地帯には何の問題もないのです。まして日本というところは大抵風が西から東へ吹きますから、西側の農産物には何ら影響はありません。震災からもう4年も経つのですから『福島県』というだけで徒に一緒くたにせず、そろそろ正確な知識を身に着けて頂きたいと思います。

今日は東京の国立劇場で天皇・皇后両陛下御参列による慰霊祭が執り行われ、各地で14時46分に黙祷が捧げられたということです。私もささやかながら亡くなられた御霊を御供養すべく、今年はアメリカの作曲家サミュエル・バーバーの《弦楽のためのアダージョ》を基にした合唱曲《アーニュス・デイ》を転載してみました。

昨日、新たに女子中学生の犠牲者の遺骨が見つかったというニュースがありました。4年目の節目を前に、どうしても家族の元に帰りたかったのでしょう。そういった方がまだまだ沢山おいでになります。そういった方々が一日でも早く、一人でも多く見つかりますように、そして犠牲になられた方々の御霊安かれと、バーバーの名曲に乗せて御祈念申し上げます。

Dona eis requiem, sempiternam requiem….

Barber - Agnus dei (with sheet music)
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