この前も書いたように東京は再開発ラッシュ、
見慣れた建物がどんどん消えていく。
でも昔からの建物もしっかり残っているのもある、
まあ江戸時代からのお稲荷さんなんてのは例外としてもね。
えーーーーーっ、なにこれ。
あの数寄屋橋のソニービルが消えちゃった。
私が東京に出てくるちょっと前に出来た有名なソニービル、
ちょっと行かなかったら消えちゃった。
びっくりしたな、もう。
ソニービルは開業50年目。
発表によると、ソニービルは17年3月31日で営業を終え取り壊された。
この後18~20年の間はその場所を「銀座ソニーパーク」と称する空間として開放、
イベントなどが行われるという。
そして20年秋以降に新ソニービルの建設を開始し22年秋にビルの営業をスタートする予定だという。
そして道を挟んだ向かい側の数寄屋橋交差点には16年3月、
銀座最大級の大型商業施設「東急プラザ銀座」がオープンした。
地下2階から地上11階までの全13フロア。
コンセプトは「Creative Japan~世界は、ここから、おもしろくなる。~」。
まあ私なぞが足を踏み入れるところではないので、「おもしろくな~い」。
同じ数寄屋橋交差点には何やらアブないモノを手にペコちゃん、
そうだねぇ街はもうハロウィンの時期なんだね。
ちょっと有楽町方向へ歩いて 「東映会館」、
「丸の内東映」があったところかな。
昔は東映と言ったら時代劇専門、私は日活専門だったので入ったことはなかったが
名前だけは懐かしい名前だ。
ちょっと戻って 「銀座教会」。
私は罰当たりだから宗教には縁がないけど名前だけは知っていた、
へぇ~こんなところにあったんだ。
パイプオルガンで有名、生演奏が聴けるらしい。
さて"本職"なぞを・・・。
幸稲稲荷社
江戸期から銀座一丁目の護り神とされ、もとは京都の伏見稲荷神社から勧請されたといわれている。
その昔、太刀の市が立ったことから太刀売稲荷とも呼ばれていたようで
縁結びのご利益があると神社として有名だ。
かつて銀座1丁目に鎮座していたが再開発のため一時的に山王日枝神社の境内に仮遷座し、
2014年10月11日に旧地より移動して再建された稲荷神社。
帰ってきたと言ってもねえ、「とってつけた」という言葉があるけど
まさしくとってつけたみたい。
ビルの谷間にぽつんと一人、神さまも寂しいだろうね。
伏見稲荷神社
こんなところに…
と思うような、黒い外壁のビルの谷間に赤い小さな鳥居が見えました。
東京駅のほど近く、八重洲の市街地にある小さな伏見稲荷神社で
八重洲・京橋の鎮守。ただ住所的には有楽町になります。
こんな小さなお稲荷さんだけどちゃんと"部品"は揃っていますね。
ここも東京の中の異空間です。
この辺りは江戸時代から「大根河岸」と言われたところ、
昭和初期まで青物市場があった場所です。
江戸の初めここ京橋川の河岸で農民が野菜を売り始めた、
水運がいいので江戸近郊で採れた大根が多く並びいつしか大根河岸と。
大根河岸の隣には「竹河岸」もあった。
竹は千葉から高瀬舟に乗せられて、また群馬から筏に組んで送られてきた。
年末には大根河岸から門松に使う松が荷揚げされ、竹河岸の笹竹と一緒に売られ、
人々は正月の用意をしたという。竹河岸は昭和初期まで機能していたと言われている。
歌川広重の「名所江戸百景」にも、長い青竹が結んで置かれ、
竹問屋が並び賑わう様子が描かれている。
江戸時代だけではなく昭和の初期までそんな光景が見られたんですね、
ここのお稲荷さんはじっとそんな生活を見てきた。
昭和は遠くなりにけり、今では信じられない光景です。
data: 撮影 9月19日 日本橋散歩
見慣れた建物がどんどん消えていく。
でも昔からの建物もしっかり残っているのもある、
まあ江戸時代からのお稲荷さんなんてのは例外としてもね。
えーーーーーっ、なにこれ。
あの数寄屋橋のソニービルが消えちゃった。
私が東京に出てくるちょっと前に出来た有名なソニービル、
ちょっと行かなかったら消えちゃった。
びっくりしたな、もう。
ソニービルは開業50年目。
発表によると、ソニービルは17年3月31日で営業を終え取り壊された。
この後18~20年の間はその場所を「銀座ソニーパーク」と称する空間として開放、
イベントなどが行われるという。
そして20年秋以降に新ソニービルの建設を開始し22年秋にビルの営業をスタートする予定だという。
そして道を挟んだ向かい側の数寄屋橋交差点には16年3月、
銀座最大級の大型商業施設「東急プラザ銀座」がオープンした。
地下2階から地上11階までの全13フロア。
コンセプトは「Creative Japan~世界は、ここから、おもしろくなる。~」。
まあ私なぞが足を踏み入れるところではないので、「おもしろくな~い」。
同じ数寄屋橋交差点には何やらアブないモノを手にペコちゃん、
そうだねぇ街はもうハロウィンの時期なんだね。
ちょっと有楽町方向へ歩いて 「東映会館」、
「丸の内東映」があったところかな。
昔は東映と言ったら時代劇専門、私は日活専門だったので入ったことはなかったが
名前だけは懐かしい名前だ。
ちょっと戻って 「銀座教会」。
私は罰当たりだから宗教には縁がないけど名前だけは知っていた、
へぇ~こんなところにあったんだ。
パイプオルガンで有名、生演奏が聴けるらしい。
さて"本職"なぞを・・・。
幸稲稲荷社
江戸期から銀座一丁目の護り神とされ、もとは京都の伏見稲荷神社から勧請されたといわれている。
その昔、太刀の市が立ったことから太刀売稲荷とも呼ばれていたようで
縁結びのご利益があると神社として有名だ。
かつて銀座1丁目に鎮座していたが再開発のため一時的に山王日枝神社の境内に仮遷座し、
2014年10月11日に旧地より移動して再建された稲荷神社。
帰ってきたと言ってもねえ、「とってつけた」という言葉があるけど
まさしくとってつけたみたい。
ビルの谷間にぽつんと一人、神さまも寂しいだろうね。
伏見稲荷神社
こんなところに…
と思うような、黒い外壁のビルの谷間に赤い小さな鳥居が見えました。
東京駅のほど近く、八重洲の市街地にある小さな伏見稲荷神社で
八重洲・京橋の鎮守。ただ住所的には有楽町になります。
こんな小さなお稲荷さんだけどちゃんと"部品"は揃っていますね。
ここも東京の中の異空間です。
この辺りは江戸時代から「大根河岸」と言われたところ、
昭和初期まで青物市場があった場所です。
江戸の初めここ京橋川の河岸で農民が野菜を売り始めた、
水運がいいので江戸近郊で採れた大根が多く並びいつしか大根河岸と。
大根河岸の隣には「竹河岸」もあった。
竹は千葉から高瀬舟に乗せられて、また群馬から筏に組んで送られてきた。
年末には大根河岸から門松に使う松が荷揚げされ、竹河岸の笹竹と一緒に売られ、
人々は正月の用意をしたという。竹河岸は昭和初期まで機能していたと言われている。
歌川広重の「名所江戸百景」にも、長い青竹が結んで置かれ、
竹問屋が並び賑わう様子が描かれている。
江戸時代だけではなく昭和の初期までそんな光景が見られたんですね、
ここのお稲荷さんはじっとそんな生活を見てきた。
昭和は遠くなりにけり、今では信じられない光景です。
data: 撮影 9月19日 日本橋散歩