もうかれこれ40年近く前、作家修業のときに愛用していた原稿が、「満壽屋」の原稿用紙です。
文章もなにもかもへたくそなくせに、コクヨの原稿用紙では美意識が許さず、伊東屋へいっては、ちょっと横長のオレンジ色のマス目が引いてある、それを買っていました。
当時私は「わっせ」という同人誌をやっていたのですが、その満壽屋の原稿用紙に作品を書いては、合評会で読んでもらうために同人に送付していました。
ところがある日、同人のひとりに「あんな大ぶりな原稿用紙じゃ次の人に送るのに、お金がかかってしょうがない。コクヨのにして」と言われ、ハッと気づきました。
悦に入っているのは自分だけ。
仲間たちに迷惑をかけてしまっていたのです。
コクヨにして数年が過ぎ、ワープロの時代になっていきました。
私もひらがな変換で、東芝の「RUPO」を使い始めました。その当時ワープロは感熱紙のため、書いた作品が2~3年すると消えてしまい、まったく読めない状態になってしまいました。
(余談ですが、二十数年前、夫に頼まれてワープロで打ち直した親戚関係の大事な書類があったのですが、1~2年して気づいたら感熱紙の文字がうすくなりはじめていました。大事なものなので、現物と共にあわててそれをコピーして保存し直したことを思い出します)
ですからそれ以前の満壽屋の原稿用紙に書かれた生原稿だけは、お引っ越ししたあともベッドルームにある古い机の引き出しにつっこんでおいてそのまますっかり忘れていました。
ところが先日、鳩居堂にお懐紙を買いにいって、その満壽屋のお手紙用の小さな原稿用紙を見つけたのです。
その瞬間若かったあの頃が、走馬燈のように脳裏を駆け巡りました。
帰宅して、すぐに古い机の引き出しをひっぱりだしてみました。
そのとたん、恥ずかしくなるような肉筆のなつかしい文章が目に飛び込んできました。
未完のままのもの、すでに本になったものの原型の作品。
断捨離の出来ない私は・・なんとその机の引き出しをずっとそのままにしていたのです。
そこに、原石は眠っていないか。
今度、時間があるときに整理してみようと、満壽屋の原稿からひょんなことへと思考がひろがっていった午後でした。