20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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秩父のいちご

2025年02月28日 | Weblog
            

どうやら、今年は、「いちごラッキー運」があるようです。

先日も美味しいいちごをいただき、「甘くて美味しい」とニコニコ顔で食べて、なくなってしまったと思ったら・・・。
今度は、秩父から届きました。

「今、人気なんですよ」と。

秩父の仲良しの従兄弟のKちゃんの、兄は、法政を出て、東京で大学に勤めていました。
おとなしく、やさしい従兄弟で、私の父が、当時は、「お見合い」という言葉が、主流を占めていて・・・。

「ジュンコの幼馴染の、⚪︎ちゃんと、Yを見合いさせるぞ。あの子はいい子だ」
と、父が。

父は見る目があって、思いがけない方向から、お見合い相手を見つけました。
そして結婚。

それ以前に、叔父は、ある日、くも膜下出血で、とつぜん亡くなりました。
それで、叔母は一人暮らしをしていました。
当時、従兄弟たちが、大学生だった頃です。

それから、しばらくして、お向かいには、次男が、3階建てのお茶室まである、大きな家を建て、家族で暮らしていました。
叔母は、お食事などの面倒も、次男の奥さんにお世話になっていたそうです。

でも人間、歳をとると、食事も自分で、好きなように食べたいと、どうやら、父に、妹である叔母が言ったことがあるようです。

胆石ができて、胆嚢の手術をきっかけに、これからは自分一人で作って、食べようと決意したようです。

父は二人兄妹で、たった一人の妹である叔母を、とても大切にしていました。
それで、定年退職した後、長男夫婦が、秩父に住んでいる母親の家に帰ってきてくれました。

私も夫とお邪魔したことがありますが、「ジュンコちゃん、筍ご飯を作ったの。お土産に持って帰ってね」と。
広い裏の庭には、彼女が畑をやっていて、蕗や、大きな瓜など、いろんな野菜や、お花を育てていました。
その手作り野菜で、お料理を作ってくれるのです。

大きな瓜も送っていただいたことがあり、それを、とろみをつけて、薄味で、やさしいお味の煮物を作ったこともあります。

さすが、たくさんの人たちと接している、父は、見る目があると思いました。
私の友だちまで、視野にちゃんと、入れていたのですから。
人生って、面白いものです。

その⚪︎ちゃんが、
「ジュンコちゃん、今、この苺が、秩父で流行ってるの。少しだから、お返しなんかしないでね。美味しいから食べてみて」
と、いろいろなものと一緒に、送ってくれました。

親戚としての繋がりは、折々にありましたが、日頃は、スマホで、本当にたまに連絡があるだけ。

「こんな名家に嫁がせてもらって、おじさんには、感謝してるの」

彼女は、結婚して、こんな長い年月を経ていても、いつまでも謙虚な人です。

「おばちゃんが、いつだったか、夫とお邪魔した時、すごく幸せそうだった。畑で作った美味しい野菜を、⚪︎ちゃんが、お料理してくれるからって」
と、話したことがあります。

その叔母も、94歳くらいで亡くなりました。
大往生です。

今は、⚪︎ちゃんは、車で、あちこちに出かけ、源氏物語の勉強会に出たり、コーラスなどに参加しているとか。

と、そんなわけで、懐かしい秩父です。
いちごも、びっくりするくらい大きく、甘くて、夫と、いただいてしまいました。
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