「9」のつく日は空倶楽部の日。
新しい国立競技場が完成した。
RICOH GR DIGITAL3 (F5.6 , 1/310 , ISO64)
日本を代表する建築家、隈研吾氏の設計によるもので
木材を多用し、さらに随所に木々や植栽をあしらうことで
緑の多い周辺環境と一体化する建物となる、と思っていたが...。
建物は完成したものの、
外構工事や植栽工事はまだ進行中といった様子で
周囲にはまだ工事用の仮囲いが張り巡らされ
工事車両も多数行き来している。
それだから、今はまだ「風景と一体化する」というよりも
巨大な構築物が「これでもか!」と思えるほどの
存在感を示しているという印象が正直なところだ。
けれども、冬晴れの空を背景とした特長的な外観は
空倶楽部、今月のお題「〇〇と空」に格好な題材には違いなく
仕事上の興味も含めて、時間をかけて眺めた次第だ。
ところで...。
建築の世界では建物そのものを設計する技術者とは別に
建物周辺環境のデザインを担当する人たちがいる。
ランドスケーパー(風景設計者)と呼ばれる人たちだが、
以前、あるランドスケーパーから聞いた興味深い話を、その時思い出していた。
曰く…。
建物が完成した当初はまだ、
周囲の木々や植栽は頼りない存在でしかなく、
風景の中の主役は建物そのものである。
ところが、年を重ねるにつれて木々や植栽は生長し、
しだいに、その存在感を強めていく。
そして、やがては建物と一体となってひとつの風景を醸し出すこととなる。
それこそが風景設計の醍醐味なのだ、と。
エイジング(年を経る)という考え方で、大いに納得のいくところである。
新しい国立競技場にしてもそう。
隈研吾氏が表現した完成予想図もエイジングを重ねた後のもので、
これからが「お楽しみ」ということなのだろう。
さて、ひと通り新しい競技場を眺めた後、
振り返りつつ、地下鉄の駅へと歩き始めたのだが、
ふと、歩道脇の住居表示プレートが気になって、足が止まった。
記憶の底に埋もれかけた地名が、そのプレートに記されていたからだ。
「そうだ、ここは霞ヶ丘だった。」
1964年の東京オリンピックの頃、
その霞ヶ丘の名前は深く子供心に刻まれたのだが、
なぜか最近ではほとんど耳にしなくなっていた。
その美しい場所の名が不意に蘇ったのだ。
さらにその時、記録映像に残された
55年前の真っ青な空を思い浮かべ、
この日の空に重ねながら思った。
いつの日か、建物の外観からは積み重ねた年月がにじみ出る。
それを生長した木々が取り囲み、
霞ヶ丘の新しい風景となって、人々の目に馴染む。
それこそが、「2020年」が残すレガシーで、
今、その歴史が始まったばかりなのだ、と。