西安の旅の目的のひとつに青竜寺訪問があります。

青竜寺は、804年に(今から1212年前)空海が密教を学んだお寺です。四国八十八所巡礼の0番札所にもなっているお寺です。四国を遍路させていただいたご縁もあって、今回の旅では、是非訪れたい所だったのです。

りっぱな建物ですが、当時の伽藍はもちろん存在しません。1973年に発掘調査が開始されたそうです。それでも、その跡地に立つと、空海さんの時代がしのばれます。西安の旅の後、我が司馬遼太郎さんの『空海の風景』を読み直したのですが、そのころの空海さんの様子が見てきたかのように書かれています。

青竜寺は、他の場所と違って訪れる人も少なくさびしい感じがしました。日本人も昔はたくさん訪れていたそうですが、今回は私たちだけでした。今ある建物は、1984年に日中共同で建てられたものだそうで、日中友好がすすんでいた頃の遺産とも言えますね。最近はその熱も冷めて、どちらかと言うと厳しい時代になりました。

門をくぐるとスイレンの花がありました。こういうのを見るとホッとしますね。

ここの線香もりっぱでした。

中国では、空海さんがいた頃から40年後には、仏教弾圧がはじまります。その後も衰退していき、中華人民共和国の建国、更に文化大革命と廃仏の危機を経て、現在に至っています。最近は徐々に復興しているようですが、ダライ・ダマは未だ亡命したままです。

狛犬でしょうか?境内の木の枝にも赤いリボンが吊されていたのですが、おみくじを木に結びつけるようなものなのでしょうか?

中国の小学生でしょうか?遠足にでも来たのか、にぎやかに遊んでいました。足下の箱には、「青少年研学旅行 学具箱」と書いてありました。

0番札所と言うことで御朱印をいただきましたが、50元(約800円)もしました。日本では300円なので、連れあいがケチっていたら教授がプレゼントしてくれました。
<つづく>

青竜寺は、804年に(今から1212年前)空海が密教を学んだお寺です。四国八十八所巡礼の0番札所にもなっているお寺です。四国を遍路させていただいたご縁もあって、今回の旅では、是非訪れたい所だったのです。

りっぱな建物ですが、当時の伽藍はもちろん存在しません。1973年に発掘調査が開始されたそうです。それでも、その跡地に立つと、空海さんの時代がしのばれます。西安の旅の後、我が司馬遼太郎さんの『空海の風景』を読み直したのですが、そのころの空海さんの様子が見てきたかのように書かれています。

青竜寺は、他の場所と違って訪れる人も少なくさびしい感じがしました。日本人も昔はたくさん訪れていたそうですが、今回は私たちだけでした。今ある建物は、1984年に日中共同で建てられたものだそうで、日中友好がすすんでいた頃の遺産とも言えますね。最近はその熱も冷めて、どちらかと言うと厳しい時代になりました。

門をくぐるとスイレンの花がありました。こういうのを見るとホッとしますね。

ここの線香もりっぱでした。

中国では、空海さんがいた頃から40年後には、仏教弾圧がはじまります。その後も衰退していき、中華人民共和国の建国、更に文化大革命と廃仏の危機を経て、現在に至っています。最近は徐々に復興しているようですが、ダライ・ダマは未だ亡命したままです。

狛犬でしょうか?境内の木の枝にも赤いリボンが吊されていたのですが、おみくじを木に結びつけるようなものなのでしょうか?

中国の小学生でしょうか?遠足にでも来たのか、にぎやかに遊んでいました。足下の箱には、「青少年研学旅行 学具箱」と書いてありました。

0番札所と言うことで御朱印をいただきましたが、50元(約800円)もしました。日本では300円なので、連れあいがケチっていたら教授がプレゼントしてくれました。
<つづく>