はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

思い出のネパール(2)

2020-04-25 19:57:57 | 海外の旅
ポカラの町を歩いています。33年も昔の話です。
ポカラはネパール第二の都市で、ヒマラヤトレッキングの拠点として知られています。

旧バザールに近づくと、車と人と牛が渾然としていました。町からもヒマーラヤがよく見えました。個人旅行なのでガイドはいませんが、「地球の歩き方」が頼りになるガイドでした。



果物市だったかな。ミカンのような物が売られていました。



ポカラではどこにでもある風景です。



映画館です。



これはモモという餃子によく似た食べ物です。



鉄道が無いので、移動の手段はバスです。カトマンズとポカラ館は、80ルピー(480円)ぐらいだったと思います。



これは何だったか忘れました。ヒンドウー教の施設ですが。



いつもの風景です。マチャプチャレとアンナプルナの山並みです。しかし、何と無く信州の風景に似ています。



毎日飲んでいた「スタービール」です。(実はけっこう高価です。)



ホテルの向かいにはペタワ湖があります。



ホテルの横の牧草地で、夕暮れのヒマーラヤを眺めました。



少年も少し環境に慣れて来たようです。



ペタワ湖の夕暮れです。



<つづきます>

思い出のネパール(1)

2020-04-24 19:55:55 | 海外の旅
思い出シリーズを綴っているうちにどんどん思い出世界にハマってしまい、とうとう大昔の思い出に行きつきました。
ということで、今回からしばらく33年前のネパール旅行の思い出を綴ります。
写真はプリントをコピー機でスキャンしたのでちょっと見にくいと思います。どんなカメラを持っていたのかも忘れてしまいましたが、コンパクトなフィルムカメラだったと思います。


ネパールを旅したのは、1987年12月25日から1988年1月6日のことです。今から33年も昔の話になります。もちろん私も若く、30代半ばのことでした。
若い頃から山が好きで、ヒマラヤに憧れていた時期もありました。そんなこともあって、ネパールは昔から憧れの地でもありました。

伊丹空港(まだ関空はありません)からバンコク行きのタイ航空の飛行機に乗り込みました。タイで一泊して、翌日再びタイ航空の飛行機で、やっとカトマンズに到着しました。
この時の旅は、往復の航空券とカトマンズでのホテルを取っていただけでした。カトマンズではけっこう高級なホテル(ヤクアンドイエティ)に2泊しました。
空港からタクシーでホテルに向かいましたが、初めてのネパールでの値段交渉でドキドキしたのを思い出します。きっと高めに払ったと思います。

カトマンズの2日目は町の観光をしました。そうそう、この旅は、私と連れ合いさんと息子(当時小2)の三人旅でした。




バサントプル広場です。息子は、匂いやら何やらでまいっていました。5年前の地震でこのあたりの塔が倒れているショッキングな映像を見たのですが、今は再建されたのでしょうか。




カトマンズのことは、旅の後半でまた詳しく書くことにします。ネパールの旅でめざしていたのは、ポカラという町でした。そこはヒマラヤにも近く、この旅で一番行きたかった所です。
12/28 夜明けのカトマンズを出発です。遠くにはヒマーラヤの朝焼けです。




カトマンズからポカラまでは、飛行機で行くかバスで行くかタクシーで行くしかありません。カトマンズの旅行社で相談して、子どももいるので、ちょっと高いですがタクシーで行くことにしました。
タクシーの運ちゃんとカローラです。運ちゃんは「カローラじゃない。トヨタだぞ。」と言っていました。(流暢にやりとりしているように聞こえますが、カタコト英語です。)後ろの建物はチャイ屋さんです。チャイは、この旅でよく飲みました。1杯1ルピー(約6円)です。




タクシーで走ること6時間、ポカラに到着しました。ホテルも決めていなかったので、ホテル探しも大変でしたが、なんとか落ち着くことができました。
これが6日間お世話になったホテル「カンティプア」です。連れ合いさんが交渉して、一泊26$を20$にしてもらいました。(当時1ドルは145円です。3人素泊まりで2,900円でした。)




12/29 ポカラの町を散歩です。町の中を普通に牛が歩いています。牛は聖なる生き物です。




塀もないオープンな小学校です。校舎の向こうにはヒマーラヤが見えます。




ヒマーラヤの見える風景です。これを毎日見て暮らしました。写真ではうっすらとしか見えませんが、中央のマッターホルンのように見える山はマチャプチャレ(6993m)です。




マチャプチャレの右がアンナプルナⅢ峰(7555m)です。この風景を見るためにはるばるやって来たのです。



<つづきます>

思い出シリーズ(富士山に会って来ました)

2020-04-23 19:55:55 | カメラ紀行
今回の思い出シリーズは、2019年12月8〜9日に訪れた富士山です。

夕暮れギリギリの時間に田沢湖に到着しました。

美しい富士山に出会うことができました。




空には月も出ていました。




田貫湖からは大沢崩れが真っ正面に見えます。




冠雪した頂上付近が赤く染まってきました。




こういう富士山を「紅富士」というそうです。(冠雪していない時期は「赤富士」だそうです。)




頂上付近も赤色が薄れ、徐々に夜の帳に包まれて行きました。






翌日、山中湖から朝の富士山を撮ろうと、山中湖の湖畔にある長池親水公園に向かいました。
(ここは、2018年2月にブログ仲間のtakayanさんや錫杖さんと待ち合わせをした場所です。その時は、残念ながら富士山は姿を見せてくれませんでした。)

深い霧(?)の中から頂上付近だけが見えていました。




雲が多く、今回もダメかと思っていましたが、しばらくすると雲が取れてきました。




そして、頂上付近が朝日をあびて輝いてきました。




少しずつ赤く染まっていきます。




モルゲンロートに輝く富士山です。




ちょっと雲が気になりますが、なんとか美しい「紅富士」を撮ることが出来ました。




ここからは2月になれば、夕方にダイヤモンド富士が見られるそうです。一度チャレンジしてみたいものです。




富士山は見飽きることはありません。




美しい姿を見せてくれた富士山に感謝です。



※訪問日 2019.12.8〜9

思い出シリーズ(富山地方鉄道)

2020-04-22 21:20:20 | 鉄道
外出自粛の日々ですが、コロナが収束したのちは、あちらこちらに出かけるのを楽しみにしています。
そんな中「山岳団体、登山自粛を要請」というニュースが流れてきました。
「出先の方々に感染拡大」を防ぐためにも自分自身を守るためにも、事態が収束するまで我慢するしかありません。

今回の思い出シリーズは、2018年6月3日に訪れた富山地方鉄道立山線です。

千垣橋梁を渡るダブルデッカーエキスプレスです。京阪電車の特急として活躍しました。



常願寺川を渡る電車です。こちらは元東急電車です。



立山駅です。ここからケーブルで立山に向かいます。



レトロな駅舎です。今は有峰口駅ですが、元は小見駅だったそうで、痕跡が残ります。



有峰口駅に、富山地方鉄道らしいカラーの電車がやって来ました。



千垣橋梁は昭和12年に完成したアーチ橋で、2013年に選奨土木遺産に認定されたそうです。



次回は、電車からも撮ってみたいです。



千垣駅も素敵な駅でした。



深田久弥が薬師岳をめざしたのは、この駅からです。昔は、ここが終点でした。



最後は、岩峅寺の常願寺川橋梁を行く富山地鉄です。富山地鉄のオリジナルカラーです。(上滝線です)



※訪問日 2018.6.3

思い出シリーズ(乳頭温泉郷)

2020-04-21 20:25:25 | 秘湯の旅
昨年は角館の桜を見に行ったのですが、その折に泊まったのが乳頭温泉です。
乳頭温泉といっても一つの温泉を指すのではなく、正しくは七つの温泉が集まった乳頭温泉郷のことをいいます。

お世話になったのは、乳頭温泉郷の鶴の湯の「山の宿」です。




2017年の夏にも訪れましたが、すっかり気に入って2度目の訪問になりました。




この離れのような所に泊まりました。




「山の宿」から送迎バスで5分で、鶴の湯に着きます。「秘湯」と書かれているので秘湯に間違いないです(笑)




秋田の殿様がはるばる入りに来たようで、警護の家来たちが詰めたのが「本陣」です。




これらは、すべて宿泊棟です。




この中の温泉は超熱かったです。




「山の宿」でいただいた岩魚です。




翌日、温泉の近くには、ミズバショウが咲いていました。




乳頭温泉郷の一つ、大釜温泉です。今回の目的地はもう少し奥にある温泉です。




大釜温泉から歩くこと20分、孫六温泉に到着です。




秘湯の雰囲気が漂います。




いいお湯でした。




こちらは露天風呂です。




乳頭温泉郷はお勧めの秘湯です。



今年は、弘前城の桜を見た後に酸ヶ湯温泉に入るのを楽しみにしていましたが、また行くことにしましょう。

※訪問日 2019.4.26