1月18日
若いころ、宴席で作曲家・古賀政男の歌を好んで選曲していた。すると「若いのにどうして古い歌を」と、よく尋ねられた。
亡父が口ずさんでいた歌が、なぜか耳から離れない。父は後にこれらの歌を歌わなくなった。理由は当時、生きる勇気をもらった歌がなぜか、苦しいころを思い出すことが多くなったと話していたのを覚えている。父にとつては、時代の背景を色濃くにじませる辛い歌になったのであろう。
だが、父の自転車の荷台に乗り聞いた、あの歌は今も心から消えることはなく、父をしのぶ歌となっている。
鹿児島市武 鵜家 育男(60)
若いころ、宴席で作曲家・古賀政男の歌を好んで選曲していた。すると「若いのにどうして古い歌を」と、よく尋ねられた。
亡父が口ずさんでいた歌が、なぜか耳から離れない。父は後にこれらの歌を歌わなくなった。理由は当時、生きる勇気をもらった歌がなぜか、苦しいころを思い出すことが多くなったと話していたのを覚えている。父にとつては、時代の背景を色濃くにじませる辛い歌になったのであろう。
だが、父の自転車の荷台に乗り聞いた、あの歌は今も心から消えることはなく、父をしのぶ歌となっている。
鹿児島市武 鵜家 育男(60)