今朝は郵便受けから朝刊を出すなり、隅から隅まで探した。あの忌まわしい「大東亜戦争」に関する記事があるものだろうかと……やっぱりなかった。もうニュースにもならない過去のことなのかなあ。
1941年12月8日未明、無謀な真珠湾攻撃から始まった、この戦争は地球規模の争いにまで広がり、幾多の人命を奪い、原子爆弾の被害まで被る、悲惨なスタートとなったのに。人々はこの日を忘れ去ったのだろうか。
あの日、私は国民学校2年生だった。兄は通信兵、義兄は医務兵として参戦し、共に「お国の為に」若い命を散らしてしまった。
1943年秋のある日、私は近くの公園に写生に行っていた。「お兄さんが戦死したので、すぐお家に帰りなさい」と、小使いさんがしらせに来てくれた。「どうして兄ちゃんが戦死するの、毎日仏様を拝んで無事を願ってるのに、そんなはずはない」と、うち消しながら家に帰ったが、仏壇の前で泣き崩れる母の姿を見て、兄の死を認めざるを得なかった。
マスコミは忘れても、悲しみを背負った人々は決して忘れない。
地球上の争いは収まるどころか、日に日に拡大し、民族間の争いだけでなく、大国のエゴも見え隠れする。
今こそ平和を声高に叫ぼう!
ひとりひとりの心の中に許し合い、愛し合う思いを育てていこう。
地球上のすべての人々が、隣人となるために!
(アカショウビンのつぶやき)
1941年12月8日未明、無謀な真珠湾攻撃から始まった、この戦争は地球規模の争いにまで広がり、幾多の人命を奪い、原子爆弾の被害まで被る、悲惨なスタートとなったのに。人々はこの日を忘れ去ったのだろうか。
あの日、私は国民学校2年生だった。兄は通信兵、義兄は医務兵として参戦し、共に「お国の為に」若い命を散らしてしまった。
1943年秋のある日、私は近くの公園に写生に行っていた。「お兄さんが戦死したので、すぐお家に帰りなさい」と、小使いさんがしらせに来てくれた。「どうして兄ちゃんが戦死するの、毎日仏様を拝んで無事を願ってるのに、そんなはずはない」と、うち消しながら家に帰ったが、仏壇の前で泣き崩れる母の姿を見て、兄の死を認めざるを得なかった。
マスコミは忘れても、悲しみを背負った人々は決して忘れない。
地球上の争いは収まるどころか、日に日に拡大し、民族間の争いだけでなく、大国のエゴも見え隠れする。
今こそ平和を声高に叫ぼう!
ひとりひとりの心の中に許し合い、愛し合う思いを育てていこう。
地球上のすべての人々が、隣人となるために!
(アカショウビンのつぶやき)