昭和46年2月4日、内之浦も大雪だった。早朝、急に川内へ行くことになった。バスは不通で、鹿屋の青果市場へ行くTさんの車に乗せてもらった。
鹿屋からはバスやフェリーを乗り継いで、昼過ぎに西鹿児島駅に着いた。売店でTさんからもらった10㌔のポンカンを布袋に移す時、数個があふれた。「おばさん、よかったらもらってよ。おれ今日、いい日でね」
夕方、川内駅へ着いた。駅前で妻への口紅を買う。その日めざした産院の個室に着くと、妻と生まれたばかりの娘がベッドに並んでいた。窓の向こうは、まだ雪が真っ白だった。
出水市 中島征士(63) 2009/2/10 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はドナさん
鹿屋からはバスやフェリーを乗り継いで、昼過ぎに西鹿児島駅に着いた。売店でTさんからもらった10㌔のポンカンを布袋に移す時、数個があふれた。「おばさん、よかったらもらってよ。おれ今日、いい日でね」
夕方、川内駅へ着いた。駅前で妻への口紅を買う。その日めざした産院の個室に着くと、妻と生まれたばかりの娘がベッドに並んでいた。窓の向こうは、まだ雪が真っ白だった。
出水市 中島征士(63) 2009/2/10 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はドナさん