はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

無名の画伯

2009-10-18 22:26:34 | かごんま便り
 洋画家・五島健三(けんそ、1886~1946)は富山の人。東京美術学校(現・東京芸大美術学部)で黒田清輝や岡田三郎助に学び1913年、鹿児島師範の美術教師となった。七高造士館でも教えた後に再び上京。戦災を避けて郷里に疎開し、そのまま59歳で病没した。実弟に、近代建築の傑作とされる東京中央郵便局旧庁舎などを設計した建築家・吉田鉄郎がいる。

 第1回文展(日展の前身)に富山からただ一人入選。その後も文展・帝展に入選を重ねたが、地元でもほとんど無名の存在らしい。そんな彼をふとしたきっかけで手にした「縁(えにし) 五島健三の青春」(いそべ桜蔭書屋刊)で知った。

 編者の郷土史家、大村歌子さん(67)=富山市在住=は元々、巌谷小波の下で活躍した童話作家・大井冷光(れいこう、1885~1921)の生涯を調べていた。大井の日記にしばしば登場する親友、五島の存在に興味を待ったのが発端だそうだ。自分も食うや食わずの中、画業を志し家出同然に上京した五島をなけなしの金で支える大井。そこまでさせた五島とはどんな人だったのか。足跡を追ううち、彼が周囲の人々と結んだ熱い友情に打たれ、作品や書簡などゆかりの物を掘り起こす中で多くの出会いも生まれた。五島を巡るこうした縁の数々が書名の由来だ。

 生涯の半分を鹿児島で過ごした五島。1912年出版の画集「郊外写生の実際」には、民家の建ち並ぶ柳町周辺や海岸通り、農村地帯だった伊敷、山深い紫原など当時の鹿児島市内のスケッチがちりばめられている。南国美術展(南日本美術展の前身)の初代幹事を務めた記録もある。それでも鹿児島時代をうかがい知る手がかりは決して多くない。「どこかに彼の絵やエピソードがまだまだ埋もれているのでは」と大村さん。何らかの情報をお持ちの方は大村さん(076・478・0702)にご一報を。

鹿児島支局長 平山千里 2009/10/12毎日新聞掲載

携帯電話

2009-10-18 21:58:56 | はがき随筆
 「おじいちゃんは研究熱心だから長生きするよ」と孫。この夏携帯電話を買いかえた。相手に電話する時、メールする時、写真のとり方……。若い人は簡単だろうが、年寄りは何回聞いても覚えたと思ってもそのあと忘れる。そこで何か一生懸命書いている。カタログを見ながら私にわかるようにいっぱい書いている。「ゆかちゃん。また忘れたよ」。大人であれば面倒がって怒るところだが辛抱強く何回も教えてくれる。やさしい孫の態度に感服。外語大1年生。アルバイトしながら頑張っている。未熟児で生まれた孫。幸あれと成長を楽しみにしている。
 薩摩川内市 新開譲(83) 2009/10/18 毎日新聞鹿児島版掲載
 写真はyKさん