はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

 「老けた代役」

2009-10-27 11:24:50 | 女の気持ち/男の気持ち
 夕方、散歩して家の近くまで帰ってきたとき、男の子がグラブを持ってコンクリートの壁に向かってボールを投げているのに出会った。この子とは数ヶ月前に1度キャッチボールをしたことがある。「キャッチボールやろうか」、「はい」。話はすぐに決まった。
 サラリーマン時代の昼休み、毎日ソフトボールをやっていた。28年前に買ったグラブを家から持ち出しキャッチボールを始めた。
この子には祖父はいるがお父さんがいない。6年生というが、まだ幼さが残るかわいい顔だ。
 「スポーツは?」「水泳を習っています」。野球はあまりやっていないようだ。ボールの投げ方を見ても体を正面に向けてぎこちなく投げる。「体は横に向けて、こうやって投げるんだよ」と、にわかコーチをする。
 「ボールを捕る時には、高いボールはグローブをこう向けて、低いボールはこう向けて捕る」と、キャッチングの基本も教える。何とか投げて捕る格好がつくようになった。
 私がこのグラブを買ったのは、息子が10歳と5歳の時。休日にはよくキャッチボールをして遊んでやった。男の子とキャッチボールをしながら、自分の息子と遊んでいたころを懐かしんでいた。ちょうどその時、男の子の祖父が自転車で通りかかった。「遊んでもろうとるんか、ええのう」。少年が少し恥ずかしそうな顔をして私を見た。
  山口県岩国市 沖 義照(67)
(2009.10.27 毎日新聞「の気持ち」掲載) 写真も沖さん提供

真夜中の声

2009-10-27 11:16:43 | はがき随筆
 9時に消灯になった。薄明かりの中で本日4度目の点滴が済み、目を閉じると隣の病室からその声が聞こえた。「ヨシ子~、ヨシ子~」。絞り出すように糸引く声。まんじりともせず、私は見えない天井を見つめていた。翌朝、看護師さんが教えてくれた。「おばあちゃんに先立たれた、I人暮らしの83歳のおじいちゃんです。農作業の途中、胸が苦しくなって診察に来ました。突然の入院なので自分が今どこにいるのか分からず、娘さんの名前を呼んでいます」。無性に悲しくなった。正しい老い方など無いのだろう。生と死は今日も繰り返されている。
  霧島市 久野茂樹(60) 2009/10/27 毎日新聞鹿児島版掲載

こだわり

2009-10-27 11:13:36 | はがき随筆
 「ああちゃん」と甘えていた娘が、ある日突然「おかあさん」と言った。
 「『お』はいらないのよ」と言い聞かせた。
 「先輩奥さんをまねて『とうちゃん』って呼んでみたら『咲子の父親だが、君の父親ではない』って。だから『敬三さん』にもどしたの」と母が笑ったのを思い出した。
 「かあさん」と娘に呼ばせたこだわりは、父親ゆずりらしいと、いま思う。
 戦死して、写真でしか知らない父が、ふとしたときにたまらなく恋しくなる。
  鹿屋市 伊地知咲子(72) 2009/10/26 毎日新聞鹿児島版掲載