はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

愚痴聞地蔵

2010-05-10 22:49:49 | 女の気持ち/男の気持ち
 山門の脇の木陰にはベンチが置いてある。風通しがとても良く、境内の中で最も涼しい場所である。寺参りや墓参りに来た人たちの絶好の休憩の場であり、社交の場でもある。
 時々、ここで行われる井戸端会議に顔を出すと、思わぬ歓迎を受け話が弾む。会議のメンバーはなぜか70歳過ぎの独り暮らしの女性が多い。
 子育ての苦労話、夫を亡くした時の悲しみ、時には姑さんにいじめられた話女性特有の苦労話が女性特有の苦労話が多いのだが、意外に明るい。
 この人たちに共通しているのは、子や孫の様子をあまり話したがらないこと。それぞれ家庭を持って県外などにいるようだが、独り暮らしの彼女たちは話題にしようとしない。聞いてみると、話題にすると愚痴になって寂しさが増すという。知り合い同士でにぎやかにしゃべっても、1人になるとやっぱり寂しいと。
 数年前、ある寺の「愚痴聞地蔵」さんにこっそり参る老婦人の様子をテレビで見て、心を動かされたことがある。友人で信心深い病院の元理事長に相談したら快諾していただき、わが寺にも「愚痴聞地蔵」さんを迎えることになった。まだあまり知られていないようだが、地蔵さんのひざの上に時々さい銭が上がっている。誰かがお参りに来られているのだろう。
 地蔵さんは今日も大きな耳に右手を添えて、静かに笑みながら鎮座していらっしゃる。
  鹿児島県志布志市・僧侶 一木 法明・74歳 毎日新聞の気持ち欄掲載

家族写真

2010-05-10 21:52:10 | はがき随筆
 このほど義姉さんが逝かれた折、写真が見つかった。その写真を甥っ子姪っ子に見せたら欲しいとの事で複写した。昭和16年8月16日、長兄が出征する前日の撮影。父57才、母51才、長兄26才、次兄20才、私小学6年、長女4年生、次弟1年生、末弟2才で8人家族だった。69年前、戦争勃発前で皆険しい顔だ。次兄は17年応召。やがて終戦後、次兄は21年に、長兄は99年シベリヤから元気で帰って来た。そして今懐かしい顔はそれぞれに逝ってしまって、現存は私と次弟と末弟の3人だけである。唯一の家族写真を見る。ついまぶたが潤むのである。
  伊佐市 宮園続(79) 2010/5/10 毎日新聞鹿児島版掲載

葉桜のころ

2010-05-10 21:33:18 | はがき随筆
 春を迎えた三月下旬から四月にかけて、南九州では菜種梅雨と呼ばれる雨が降り続いて、せっかくの春を台無しにしてしまう。
 運が良ければ散る花びらを盃に受けて優雅に桜の花見ができるが、花のいのちは短くて葉桜となることが多い。しかし葉桜のころも好きである。降れば若葉の緑に染まったしずくが落ちてくるし、晴れると木漏れ日を踏んで並木道を歩く。老いてくると、その方が風情があるようにも思える。人を信じられない今、自然を相手につつましく生きてゆきたいと思う。人生はいつも寂しいが…。
  志布志市 小村豊一郎(84) 2010/5/8 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はオフイスeyeさん

4通のラブレター

2010-05-10 21:25:17 | 女の気持ち/男の気持ち
 毎年のように身の回りの整理をする年齢になってしまった。不要な物は子供たちに残すまいという思いからである。しかしいつも青春時代のラブレターにぶつかる。学生時代から結婚までの6年間、亡夫と交わした4通の手紙。
 50年も前のこととて、あのころは自宅に電話もなく、口で言えないことはいつも手紙に書いた。その後、何か形になるものにして残したいと考えたこともあった。でも広告の裏だったり、リポート用紙だったり。内容も、アイラブユーのささやきより、勉強しろだの愚痴だのばかり。それでも処分しがたく、気がつけば座り込んで涙しながら読み返している自分がいる。
 最近、子供たちに「今まで大事に保管していたのだから、大きなお棺用意してあげるよ。パパの所に持って行ったら」とからかわれている。
 夫は早く逝ってしまい、2人の小さな子どもと3人、生活に追われて過去など振り返る余裕もなかった。それがこれだけラブレターに強く思いをはせるようになったのは「冬のソナタ」を見たのがきっかけ。あのドラマで描かれる主人公たちの純な思いに、自分にもそんな素晴らしい青春時代があったのだと思い起こさせてくれたのだ。今も昨日のごとくあの淡い甘い感覚がよみがえる。
 忘れまい。あの時代のことを。そして今日ある安らぎに感謝しながら毎日を送くろう。
  山口県防府市 佐伯 京子・72歳 2010/5/8 毎日新聞の気持ち欄掲載