はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

不思議な花

2010-05-28 23:34:36 | はがき随筆
 烈しい雨音で早朝庭に出る。夫が植えた30余年の樹木を取り除いた山土の凸凹から土と水が流出し側溝が溢れアプローチまで水中歩行の状態に呆然とする。
 何とかしなくては1人住まいの心身障害者の自分には無理だと思いながらも必死で作業を終えた時は全身ずぶ濡れのまま目をこらすと雑草の下に小さな小さなビオラ(黄・紫)とピンクの桜草が? なぜ? 一度も植えた事がないのに? 不思議な花。
 体に不安を持ち落ち込む心に明るさと温かさを与えてくれた小さな花を心の中で育てたい。
薩摩川内市 上野昭子(81)2010/5/28 特集版-6

テッポウユリ

2010-05-28 23:29:58 | はがき随筆
 2度目の腰の手術を受けることになり、貯血のため鹿大病院へ行って来た。帰りの高速船、まだ湾内を走行中に突然「流木を確認したため一旦停止します」のアナウンス。「え-っ、まだ流木が漂流しているんだ」。カミさんは世間を賑わせたニュースの現場に遭遇して興奮気味。しばらくしてから船首を右に振り再び走り出した。無事我が家に帰着、門を入ったらテッポウユリが咲き始めていた。翌日写真に収めた。玄関の正面でアマリリスと競演している。生前、母がニコニコしながら「きれい」を連発していた姿を思い出す。亡くなって来月で4年になる。
 西之表市 武田静瞭(73)2010/5/28毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-5
写真は武田さん提供

知ったかぶり

2010-05-28 23:25:03 | はがき随筆
 「嵐って知ってる?」。突然小3の孫に聞かれる。「知ってるよ。韓国の人が歌うグループでしょう」とばあばは知ったかぶり。「違うよ、あれは東方神起だよ」と嵐のファンは笑う。
 そして、またしても質問。「ダルビッシュって知ってる?」「日本ハムのピッチャーでしょう、格好いいよね」。ばあばは少し自信ありげだ。「じいじもね、ピッチャーをやっていたころは格好よかったよ」 「へえぇ-」。
 よろよろ歩く姿から想像もできないといった孫の表情。「じゃあさ、ラミレスって知ってる?」「あ-、よく食べに行く所だね」。
  鹿児島市 竹之内美知子(76)2010/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-4

不届きな口

2010-05-28 23:22:19 | はがき随筆
 昨年7月、友人の妻から「不届き者!」と一喝された。ある陶芸家の壷を一緒に見て、彼女に「これよりいい作品を造ってみせる」と私が大言を吐いたからだ。私の□は夢を語ったのだが、陶芸や美術に真剣な彼女にはすまなかった。
 今年の3月、鹿児島市立美術館に行った。同市所有のモネの『睡蓮』を見て、また悪い癖がでた。受付に購入価格を聞いた後、「2億5千万だったのなら3億で譲ってもらえませんか」と相談したが、無視された。
 私は大言を吐き、人を不快にさせる。不届きな□は夢をすぐ話してしまう。申し訳ない。
  出水市 小村忍(67)2010/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-3


手伝い

2010-05-28 23:19:34 | はがき随筆
 種子島の小学校で5年の時、校舎新築があり、遠くの瓦工場から屋根瓦を何度も運んだ。6年生になったら新校舎に入らせるとの約束は、ほごにされた。中1の時、移住した屋久島の中学校で、再び新築工事があり、建設地造成のために数本の松の大木を切るにあたり、生徒たちが綱で引いた。竹製のモッコで土運びもした。今度は新しい校舎に入ることができた。
 定時制から全日制に変わって2年目の、島の高校に入るとすぐに、商業科の校舎新築が始まり、基礎造りを手伝わされた。
 よくよく校舎造りの作業に縁があったと、今は懐かしく思う。
  薩摩川内市 森孝子(68)2010/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-2

スロージョグ

2010-05-28 23:16:24 | はがき随筆
 テレビでスロージョギングを知り実践している。スロージョグとは、歩くでもなく、走るでもなく、その中間と言ったところか。取り組んでみるとこれが難しい。競争社会を生き抜いてきた私。ジョギングと聞くと少しでも速くという気持ちが働く。これだと大腿のなんとか筋が使われ、結果乳酸が蓄積され、疲労が早い。「時速4~5㌔の歩くような速度で」が必須なのだ。うまくいけば、血圧及び血糖値降下・脳の活性化・肥満防止と、いいこと尽くめとか。大通りではちょっと気恥ずかしいので、専ら裏道を選んで励んでいる私たち夫婦である。
  霧島市 久野茂樹(60) 2010/5/28毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-1

ケンちゃん阿蘇の旅

2010-05-28 22:54:55 | はがき随筆
 息子の携帯に電話したが届かない範囲。「どうしてるかな」とそえておいたら、のちに「ケンちゃん元気だよ。今、阿蘇に来ている」との電話。「そう! 阿蘇に。夜は冷えるからよく気をつけてね」と。8ヵ月の君を守れと伝える。
 阿蘇か! そういえば毎週土曜の夜、帰省して、翌日曜の夕方、阿蘇越えで大分へ行っていた息子のこと、懐かしかろう。もう草萌ゆる候かしら。私も中3の修学旅行で、近年は娘家族と一緒に行って草千里に砂千里や中岳火口を覗くこともできた。ケンちゃん、なにを見たのだろう。
  鹿児島市 東郷久子(75)2010/5/27 毎日新聞鹿児島版掲載

大阪の友へ

2010-05-28 22:49:27 | 女の気持ち/男の気持ち
  初夏を思わせる昼下がり、母はベッドでスヤスヤと昼寝を楽しんでいる。話す人のいない私はラジオの音楽番組を聴きながらお皿を洗っていた。
 流れる水を見ながら、私は45年来の友人である中学1年生の時の同級生のことばかり考えていた。
  5月の初め、2年ぶりに彼女は大阪から帰ってきてくれた。少しやせたなと思い、さりげなく体調を聞いてみた。ゆっくりと説明しながら病名を教えてくれた。私はショックを受けたが、手料理をデザートのビワまで何一つ残さずきれいに食べてくれたことに、ささやかな希望の光を見いだす思いだった。
 今から12年前、重い脳梗塞のリハビリのため、母は一時期、神戸の姉のもとに引き取られた。病院に入院し、80歳近い体で耐えていた時、大阪のはずれから4度も5度もバスと電車を乗り継いで母の見舞いに来てくれたのが彼女だった。その時の感動を母は今でも郷謝しながら私に話す。私が人生で初めて母と離ればなれになった試練の時だった。
 彼女は母を決して「おばさん」と呼ばない。「お母さん」と言ってくれる。
 「どんなごちそうを食べるときより、電話で○○ちゃんと話すと楽しい」と母は言う。
 何もしてあげられない無力な私だけれど、手紙を書いたり、電話をしたり、ふる里便を送ってあげたりしよう。友情に感謝しながら。
  鹿児島県指宿市 関 弘子・55歳 2010/5/28 毎日新聞の気持ち欄掲載