鳩山首相は、疲れていた。顔色が悪く、言葉も聞き取りづらい。少なくとも徳之島の3町長らの目には、そう映った。
7日、官邸。首相は上京した3町長から、米軍施設受け入れ反対の署名を受け取った。署名数2万5878人。手にした首相の腕が重みで一瞬、沈む。その映像が何度もテレビで流れる。鹿児島側の出席者は知事ら9人。そのせいか、首相の視線が定まらない。テーブル越しに向き合う9人のうち、誰に語りかけているのか。「ご迷惑をかけた。ご協力を」という言葉がうつろに響く。
冒頭の町長らの感想は7日夜、鹿児島空港に戻った所を記者が捕まえて聞いたものだ。町長側にとって住民との約束通り断固拒否を首相に突きつけて凱旋した高揚感もあり、若干その印象は差し引いて考えるべきだろう。しかし、官邸での会談のうち、次の発言は「総理、ご冗談でしょう」と問いかけたくなる。官邸記者の取材メモから引用する。
鳩山「徳之島に私は行ったことはありません。しかし、少年時代あこがれた島でした。好きな相撲取り朝潮太郎の出身地だったからです」
それは首相の心の中では事実だろう。しかし、徳之島を含む奄美群島には次の史実がある。
終戦直後の1946年2月、奄美は日本から行政分離され、米軍政府の統轄監督下に置かれ、本土との渡航が制限された。このため引き揚げ者や復員軍人が島に戻ることができず、密航者を乗せるヤミ船が横行。ヤミ船は古く小さく、故郷にたどり着けず亡くなる人や、官憲に捕らえられる人が絶えなかった。軍政に対し、住民はハンガーストライキなどで本土復帰を願う抵抗運動を続けた。復帰まで米軍政府の支配は約8年間に及んだという(「鹿児島大百科事典」など参照)。
首相の好きな相撲取りの話は、抵抗の島の歴史の前では余りに軽く余りに薄い。
鹿児島支局長・馬原浩 2010/5/10 毎日新聞掲載
7日、官邸。首相は上京した3町長から、米軍施設受け入れ反対の署名を受け取った。署名数2万5878人。手にした首相の腕が重みで一瞬、沈む。その映像が何度もテレビで流れる。鹿児島側の出席者は知事ら9人。そのせいか、首相の視線が定まらない。テーブル越しに向き合う9人のうち、誰に語りかけているのか。「ご迷惑をかけた。ご協力を」という言葉がうつろに響く。
冒頭の町長らの感想は7日夜、鹿児島空港に戻った所を記者が捕まえて聞いたものだ。町長側にとって住民との約束通り断固拒否を首相に突きつけて凱旋した高揚感もあり、若干その印象は差し引いて考えるべきだろう。しかし、官邸での会談のうち、次の発言は「総理、ご冗談でしょう」と問いかけたくなる。官邸記者の取材メモから引用する。
鳩山「徳之島に私は行ったことはありません。しかし、少年時代あこがれた島でした。好きな相撲取り朝潮太郎の出身地だったからです」
それは首相の心の中では事実だろう。しかし、徳之島を含む奄美群島には次の史実がある。
終戦直後の1946年2月、奄美は日本から行政分離され、米軍政府の統轄監督下に置かれ、本土との渡航が制限された。このため引き揚げ者や復員軍人が島に戻ることができず、密航者を乗せるヤミ船が横行。ヤミ船は古く小さく、故郷にたどり着けず亡くなる人や、官憲に捕らえられる人が絶えなかった。軍政に対し、住民はハンガーストライキなどで本土復帰を願う抵抗運動を続けた。復帰まで米軍政府の支配は約8年間に及んだという(「鹿児島大百科事典」など参照)。
首相の好きな相撲取りの話は、抵抗の島の歴史の前では余りに軽く余りに薄い。
鹿児島支局長・馬原浩 2010/5/10 毎日新聞掲載