はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

輝いて新一年生

2015-05-02 23:29:45 | はがき随筆
 うす紫色の桜が咲いた。孫息子は新一年生を迎えた。新しいランドセルに身を装い、母に連れられ小学校の校門をくぐった。担任の教師が教室に入ると新一年生は笑顔が満ちあふれた。先生が出席をとる。男の子さん、「○くん」「はーい」と弾けそうな“元気”な返事。女の子さん「○さん」「はーい」と可憐な返事。新一年生の学問の扉が開く。怒濤の如く荒れ狂う波風に舵をしかととる。学問の道は果てしなく険しいが一歩一歩を踏みしめ邁進しよう。クラーク博士、格言「少年大志、夢を抱け」。夢は膨らみ大空へ大地へと未来へはばたこう。
  姶良市 堀美代子 2015/5/2 毎日新聞鹿児島版掲載

春暖

2015-05-02 22:55:30 | はがき随筆
 可憐なチューリップが花びらを落とし、その華やかさを追うようにつつじが咲き始めた。山々も木々が芽吹き「山笑う」とはこの事か。
 子供たちも例年、筍掘りにやって来る。食糧難の時代に祖父母が身を削り、得たのであろう土地。今や竹林となった。そこが、もたらす山の幸に、感慨を深くする。「ここは昔、畑だったのよ」「そうなの?」とけげんな面持ちの子ら。
 流れた歳月を思いながら、小さな菜園に鍬を入れ、夏野菜の準備をする。
 植え付けは、お隣の八重桜が咲いてからと決めている。
  出水市 伊尻清子 2015/5/1 毎日新聞鹿児島版掲載

垂水空襲の日

2015-05-02 22:48:28 | はがき随筆
 垂水の町が焼けたのは終戦間近の8月5日。5歳の私はその日のことをよく覚えている。
 昼頃、叔父の庭にいた。誰もいなくてシーンとしていた時に空襲警報のサイレンが鳴り出し爆音がとどろき、屋根をかすめるように飛行機が降りて行った。私は牛小屋に逃げ込み、子供心にも初めて恐怖を感じた。その後は伯母たちの入っている裏山(城山)の防空壕へ駆け上がったのだろう。壕の前の木によじ登って町が焼ける黒煙と赤い炎を見たのが忘れられない。垂水の戦災被害は死者91名、傷者62名とある。あの戦時下を無事に生き延びた命だとしみじみ思う。
  霧島市 秋峯いくよ 2015/4/30 毎日新聞鹿児島版掲載

並木路子さん

2015-05-02 22:40:58 | はがき随筆
 NHKの放送90年ドラマ「紅白が生まれた日」を見た。昭和20年大みそかの夜、ラジオから明るく「リンゴの唄」が流れた。
 20年前、友人と渋谷・道玄坂の歌謡酒場に入ると、声のよく通る小柄な婦人が横に座った。一緒に歌ったが、歌唱力抜群で只者ではないと思ったら、歌手の並木路子さんだった。
 舞台では目線をどこに置くか、聞いてみた。「非常口の標識を目印に左手から中央、右手へと客席を見て歌います」と。彼女は天国で放送を見て、「リンゴの唄」の作者、サトウハチローさん、万城目正さんと3人で、話が弾んでいることだろう。
  鹿児島市 田中健一郎 2015/4/29 毎日新聞鹿児島版掲載

ヤブツバキ

2015-05-02 22:30:04 | はがき随筆


 寒さが緩み、春の気配を感じるようになった朝。
 店頭の手水鉢に、ほころびかけたヤブツバキが4輪挿し入れてあった。
 通りがかりの方が挿していかれたのでしょう。早速、「ほっこりしました」と感謝のメッセージをそばに貼った。
 苔むした手水鉢のグリーンにツバキの赤が映える。鎮座している手水鉢も今日はうれしそう。しばらく楽しめそうだ。もちろん、携帯に残した。
 偶然、私の大好きなヤブツバキ。心優しい方を知りたい気持ちと、そっとしておきたい気持ちの半々の私。
 垂水市 竹之内政子 2015/4/28 毎日新聞鹿児島版掲載

シンビジュウム

2015-05-02 22:17:14 | はがき随筆





 シンビジュウムが咲いた。「母が育てていた頃も咲いていたけど、肥料をやったらたくさん咲くようになったの」とカミさん。その母が亡くなり今年で9年目。母が手入れをしていた鉢植えやサザンカ、オガタマ、ツバキ、キンカン、サルスベリなどが四季折々に花を咲かせ、母の笑顔を思い出させてくれる。
 ところで誕生日が来れば79歳。「いつまでも若いつもりではいられないなあ」「お互いに後期高齢者だもんね」。シンビジュウムを見ながら、母との生活を思い出しているうちに、話はいつの間にか自分たちが老夫婦であることに落ち着いた。
  西之表市 武田静瞭 2015/4/27 毎日新聞鹿児島版掲載

4月の桜

2015-05-02 22:09:48 | はがき随筆
 今年の花見は素晴らしかった。桜は満開で、みんなで歌っていた空は青いシートに反映して深く澄み切っていた。
 しかし、その宴は4日とは続かなかった。雨はしとしとと花をぬらす。それでも花は枝の先にしがみついていた。桜は危機を感じ取っていた。これじゃあ十分に受粉ができない。虫が来てくれないのだ。今年の啓蟄の日はまだ寒くて、虫たちは地中から出るに出られなかった。
 4月に入り、桜の木の上では緑の新芽とピンクの花のせめぎ合いが始まった。私は雨傘をつえに桜を見上げて呼びかけた。「もういいよ、もういいよ」
  鹿児島市 野幸祐 2015/4/26 毎日新聞鹿児島版掲載

お花見

2015-05-02 21:51:02 | はがき随筆


 大好きな桜も散った。今年は4月初めが見ごろだった。「花の命は短くて」の例えもあり、その間を惜しむかのごとく、桜のスポットを散歩する楽しみもある。風に舞う花びらが敷きつめられ桃色のじゅうたんと化し、一面に広がる。その上を申し訳なさげに、そっと1歩を踏み出す勇気も必要だった。満開の桜の美しさを見逃さぬよう写メを撮り、後で2度楽しんだ。春への移行に心身も少なからず影響を受け体調も変化し興奮するのだとか。花見と称して町内会の宴会も恒例行事。花より団子で大いに盛り上がり、芸達者もいてにぎやかな一日だった。
  鹿屋市 中鶴裕子 2015/4/25 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆3月度 月間賞

2015-05-02 21:22:58 | 受賞作品
 はがき随筆の3月度入賞者は次の皆さんです。(敬称略)

 【月間賞】1日「春を待つ」橋口礼子(80)=出水市上鯖淵
 【佳作】23日「浄土への入り口」野幸祐(82)=鹿児島市紫原 ▽25日「昭和19年戦死」秋峯いくよ(74)=霧島市溝辺町崎森


 「春を待つ」 立春所感ともいえる内容です。梅から桜への三寒四温の移ろいの中で、夫君ともども元気に過ごせる日々に感謝されている、穏やかで心地よい文章です。人生を根底で支えているのは優しさだという、老年になっての実感が、桜の開花を待ちながら、紅梅白梅を愛でている雰囲気とよく解け合っています。江戸期の文人画の趣です。
 「浄土への入り口」 腹部大動脈瘤の手術の間、全身麻酔で4時間何も覚えていないし、夢も見なかったという経験です。手術中に亡くなったら、花園くらい見えるかと思ったが、恐らく見えないだろうし、「千の風」も吹いていないだろう。生は意識だといいますが、その意識が4時間もなくなった経験に、生と死について考えさせられる内容です。
 「昭和19年戦死」 戦時中、佐世保まで父親に面会に行った時の記憶です。父親はその時死を覚悟していたらしいが、2ヶ月後負傷し戦死してしまった。私事ながら、父の戦死を聞いた母が泣き崩れていたのを覚えています。このような形ででも、戦争を記憶している世代が激減しました。今の政治状況、このような悲しみが来ないとよいのですが。
 他3編を紹介します。
 岩田昭治さんの「プレゼント」は、妻が「吉野弘詩集」をプレゼントしてくれた。何も言わないが、自分の創作を励ますためだとはすぐ気付いた。妻の願いに応えたい。おのろけにも聞こえます。
 年神貞子さんの 「雲」は、子どもの頃、夕焼けの赤い雲を上から見たらどう見えるか興味があった。それが、航空機の上から実現した。それは言葉もないくらい美しかった。あれは本当に美しいですね。
 奥村美枝さんの「僥倖」は、「はがき随筆」は、目に触れたものなどを素材にすることが多いのですが、珍しく思索的な内容です。私たちの生命は一寸先は闇の状態の中で、幸せと畏れの両端を揺れ動いている。そういう運命の中で命を輝かせるのが、僥倖であり、天からの贈り物であろう。
(鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)2015/4/24 毎日新聞鹿児島版掲載

思川桜

2015-05-02 21:11:51 | はがき随筆

 ソメイヨシノが散る頃、その花は咲き始める、我が旧家の庭先で。
 小さな花びら、淡い紅色の優しい風情に見とれる。
 10年も前だったか、友人が取り寄せた中の1本を譲ってもらった「思川桜」。栃木県小山市の花である。
 毎年、親しい人たちを誘い、桜の下でしばし過ごす。
 今年は集落の「花見」に飾った。いつも無骨に見える男性が一枝折って、いとおしむように持ち帰った。
 見る人の心をなごませるその花の、遠い古里へ「今年もありがとう」と伝えたい。
  薩摩川内市 馬場園征子 2015/4/54 毎日新聞鹿児島版掲載

咲き続ける花

2015-05-02 21:02:53 | はがき随筆


 わずかな期間を彩る花々を、どんな風に見たら、私の胸に咲き続けるのだろうか。
 こちふかばにほいおこせよ むめのはな……の歌の、梅は、菅原道真が太宰府に左遷された時から今まで1114年も人々の胸に咲き続けている。
 私は、梅や桜などの花をめでる時、どれほどの思いを花に込めて見ているだろうか。
 私の胸に咲き続けている花はやはり、五木から子別峠近くの山道に咲いていた、紫の可愛い野菊。五木から八代へ子守に出され、峠で泣く泣く親と別れた子どもの形見草のように、今でも私には悲しげに思われる。
  出水市 小村忍 2015/4/23 毎日新聞鹿児島版掲載

ご近所さん

2015-05-02 20:51:32 | はがき随筆


 ハコベも、ホトケノザも花が終わり、乾いて種になったので除草する。プランターの菜の花はすっかり種子に。この除草作業をしていると、近所の奥さんがよく熟れた甘夏を今年も届けてくださった。
 気は心の表現のできる方で、うれしかった。うちのレモンもトゲで、今年は表皮が傷入りなので、と一瞬思案した。
 と、「私ではどう」とフリージアが香る。そうそう花で心ばかりの感謝を表明することになった。
 一群れに今年の咲き様は元気なフリージアの黄を届けた。うれしい交流だった。
  鹿児島市 東郷久子 2015/4/22 毎日新聞鹿児島版掲載

雨のち晴

2015-05-02 20:44:40 | はがき随筆
 関西で育った私にとって、鹿児島の気候は独特だ。冬が短く、夏が長い。そしてなんと言ってもあの天気! 鹿児島の人には珍しくもないだろうが、「雨のち晴」のマークは、本州ではまず見られない。この響き、なんてすてきな天気かと思った。
 虹もよく出る。青空の下で雨がザーザー降る「天気雨」も。やっぱり南国は違う。
 長女の小学校入学と同時に越してきた鹿児島暮らしも、もう3年目。長男の幼稚園バスを待ちながら話した虹の話。私の中で鹿児島の思い出は、子育てと虹がセットになっている。
  鹿児島市 津島友子 2015/4/21 毎日新聞鹿児島版掲載

一冊の出会い

2015-05-02 20:19:33 | はがき随筆
 古川薫著「松下村塾と吉田松陰」を月1回程度は繰り返し読書している。どうして飽きもこず読書するのか不思議である。
 読書する度に、松下村塾に通い、吉田松陰先生からじかに教えを請いたい気持ちが高まってくる。実際に教示されたなら、今の自分の存在以上のものがあり、ものの味方、考え方もましなもので生きていただろう。
 現実は、思いもかなうこともなく、著書で自分なりに生きざるを得ない。だからこそ、今後も続けて読書し、吉田松陰先生の思想に少しずつでもよい、近づけていく。一冊の出会いの感動は大きい。最大である。
 鹿児島市 岩田昭治 2015/4/20 毎日新聞鹿児島版掲載

三つの顔

2015-05-02 20:05:10 | はがき随筆


 春の日差しが暖かい。畑に目をやると、ナズナ、ホトケノザ、カラスノエンドウ、オオイヌノフグリ、ハコベ……。雑草もあっという間に畑一面に咲き誇っている。春が来たことを喜んでいるかのように。ナズナは白い花を咲かせ、ホトケノザは紫色の花を咲かせ、なんと30㌢前後の高さに背を伸ばしている。畑が理科の教材園のようだ。しかし、畑のこの雑草、このままにしておくわけにはいかない。私はそそくさと草取りを始めた。雑草は三つの顔を持っているのかもしれない。優しい春の顔、学ばせの顔、力強く生きるたくましい顔。
  出水市 山岡淳子 2015/4/19 毎日新聞鹿児島版掲載