はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

早春

2008-03-24 08:43:47 | はがき随筆
 日の出が6時半となり、春の夜明けは考えていた以上に早くなってきた。いつものように5時半に家を出て海岸に向かう。東の空がかすかに明るくなり、山の稜線が黒い影を見せてくる。水平線の漁(いさ)り火がそのうち色あせ、春のあけぼのである。次第にあたりが明るくなり、渚に寄せる波の音がやさしい。
 長い冬が終わってようやく春になりうれしいが、人生の残りがもう少ない。それでも、いのちの行方を見つめながら、必死に生きてみたい。せっかく美しい春を迎えたのだから……。そして春を彩る花を愛してゆきたいものである。
   志布志市 小村豊一郎(82) 2008/3/24 毎日新聞鹿児島版掲載

老木の下に

2008-03-23 19:26:26 | はがき随筆
 診察室から出てくると「もう帰りましょうよ」と力のない目で私を見つめた。それが愛犬ランとの別れになってしまった。
 病院から帰ると、毛布でくるんで暖めてやった。が、気づいた時は、もう遅かった。いくら呼んでも反応はなかった。
 築山のキンモクセイの下に妻と共に黙々と穴を掘った。眠っているランをそっと納めた。
 シェパードの雑種の中型犬だったランは8年間、家族と一緒だった。小屋の床を総すのこ張りにした時「涼しいね!」と、共に寝ころんだこともあった。
 その小屋は今、空っぽ。誰もいない。
   出水市 中島征士(63) 2008/3/23 毎日新聞鹿児島版掲載

からだのしくみ

2008-03-22 16:30:05 | はがき随筆
 今日は腸の話。からだが動いている時は腸も活動している。眠りに入ると腸も休む。遅い夜食は消化が悪いのはそのゆえんであろう。では試しに、就寝してから、からだの中から腸を動かしてみようと思う。
 あおむけに寝て、おなかの周りを緩め、ゆったりと呼吸を整える。それから頭の中から雑念を取り払い、腸のことだけを考える。ここがちょっと難しい。腸の形を想像するのも一つの方法だろう。脳の働きが腸に集中すると、腸が少しだけ動く。腸の中のガスがグルグルと鳴ればそれが腸の動いた証拠である。
 暇つぶしにお試しあれ。
   鹿児島市 高野幸祐(75) 2008/3/22 毎日新聞鹿児島版掲載

歩道

2008-03-21 06:06:48 | はがき随筆
 後期高齢者になる少し前に廃車した。交通手段は自転車である。
 歩道を走るが、歩道には「車は左、人は右」などのルールはない。殆どの人は歩道の真ん中を歩いている。リンを鳴らしても、車の騒音で聞こえない。最も困るのは、店と店の間から飛び出してくる車である。途中にある歩道のことは全く頭にない。何回ヒヤッとしたかしれない。
 道に出るのに、右・左を確かめることも大事だけど、その前に、人や自転車が通る歩道がある。十分注意して運転してほしい。
   出水市 田頭 行堂(76) 2008/3/21 毎日新聞鹿児島版掲載

校長室

2008-03-20 18:50:00 | はがき随筆
 「君たちの面影は、14、15歳で止まったままだ」
 中学校2、3年生の時にお世話になった校長先生は、いつも笑顔でオープン。
 不登校だった私に花の育て方や命の大切さを教え、小学校の算数ドリルを広げて毎日、校長室に招いてくれた。
 退職後「維新ふるさと館」で歴史解説員として働いていることを知り、親友と内証で会いに行くと、あの驚きの声。
 指示棒を持って、私と親友に歴史について語る姿は、キラキラ輝いて見えた。
   いちき串木野市 森みゆき(22) 2008/3/20 毎日新聞鹿児島版掲載

花と暮らす

2008-03-19 08:18:35 | はがき随筆


 我が家の花壇は今、種から育てたポピーやビオラの花がさも楽しげに咲いている。ダイダイ、黄、紫と色鮮やか。昨春からのプランターには再び、アネモネが赤と赤紫のクレヨンで写生したくなるほど可愛い造形だ。
 花を見るとつい、鼻歌を口ずさむ癖。どこかで春が、春が来た、朧月夜、花……。
 そして「幻想曲『さくらさくら』」を弾く。体調不良でやめていたピアノだが、桜のつぼみを目にしたら無性に弾きたくなり、毎日30分弾く。桜の花が満開になるまでの日々、同時に私のピアノも徐々に仕上がっていく喜びがある。
   鹿屋市 田中京子(57) 2008/3/19 毎日新聞鹿児島版掲載

   写真はrakuenblueさんからお借りしました。
   

島発

2008-03-19 08:10:43 | はがき随筆
 春3月は卒業のシーズンである。私の故郷、薩摩川内市の甑島には高校がなく、子供たちは中学を卒業すると親元を離れなくてはならないのである。このことを地元では「島発(しまだち)」という。
 本土と違い、親と子が早い時期に別れを余儀なくされる。子どもたちは本土の寮や下宿に間借りすることになるが、親はそこの主にわが子のことを頼み、子どもに別れを告げるとすぐ島に戻っていく。甑島に生まれ育った宿命とは分かっていても、まだ15歳の少年少女は涙する。
 島発、それは厳しい現実であるが、頑張れ!! 甑の子よ。
   鹿児島市 川端清一郎(60) 2008/3/18 毎日新聞鹿児島版掲載
 

お相撲さん

2008-03-17 23:47:11 | かごんま便り


 力士を「お相撲さん」と呼ぶのは、考えてみれば不思議な言い回しだ。柔道や剣道、野球、サッカー……他の競技では選手にこんな呼び方はない。行為の名に「お」「さん」を付けて呼ぶのは他に「お遍路さん」ぐらいしか思い当たらない。
 古来、相撲はただの力比べではなく、常に神事と一体だった。並み外れた体格、体力の持ち主がぶつかる様子を、人々はおそれとあこがれのまなざしで見守りつつ、大漁・豊作への願いを重ね合わせたのだろう。単なる格闘技、スポーツにとどまらず、日本の伝統文化を体現した「国技」とみなされ、力士を「お相撲さん」と呼ぶのはそんな背景があるように思う。
 大相撲大阪場所が中日を過ぎたが、初日恒例の理事長あいさつが注目を集めた。時津風部屋での集団暴行致死事件が元親方と現役力士の逮捕に発展し、直後の本場所だったからだが、北の湖理事長はこの件に一切触れずじまい。毎日新聞(10日朝刊)など一部のメディアがこれを報じた。
 予想されたこととは言え、私も失望を禁じ得なかった。事は「お相撲さん」の世界で起きた前代未聞の不祥事である。ファンあってのプロスポーツであることも考えれば、協会のトップとして一言あって当然だろう。北の湖理事長は現役時代、巨体に似合わぬ俊敏さと安定した取り口で「憎らしいほど強い」と言われたが、優勝決定戦では不思議ともろかったと記憶する。それが今回の危機意識の欠如を象徴しているというのはうがち過ぎだろうが……。
 不満ついでにもう一つ。ある居酒屋で歴代横綱を列記した「のれん」を目にした。鹿児島出身は「大阪太郎」の異名を取った第46代・朝潮太郎(在位59年5月~62年1月)でとまっている。また今場所の番付で、鹿児島出身の関取は十両の旭南海関ただ1人。名力士を輩出してきた土地にしては意外だし、寂しい。
鹿児島支局長 平山千里2008/3/17 毎日新聞掲載

ドッキン

2008-03-17 18:33:23 | はがき随筆
 ドッキン。心拍が一つ飛んだ。初めての不整脈。検査の結果、心臓の期外収縮と言われた。医者は何も言わなかったが、その日から好きな酒をやめた。大好物のマグロの刺し身もも食べない。ウイスキーや焼酎と一緒でないとおいしい料理も楽しめないのだ。でも時々、あの得も言われぬ酩酊感が恋しくなる。そう言えばタバコも、名人級と自認していた麻雀と同時にやめたっけ。どうも年を重ねるごとに自分の好きなものを少しずつあきらめ、一つずつ捨てていっている。そんなことを思いながら、我が身にひたひたと押し寄せる「老い」と闘っている。
   霧島市 久野茂樹(58) 2008/3/17 毎日新聞鹿児島版掲載

北薩歌人

2008-03-16 22:54:21 | はがき随筆
 孫が鏡台を引っかき回しているのを見つけた。引き出しの底から、ビニール袋で包まれた古びた印刷物と、1枚の写真が出てきた。薄い歌誌である。ガリ版刷りで表紙に「北薩歌人」のタイトル。昭和23年12月5日発行とある。そっとめくると、当時31歳の義父の「哀別」と題する相聞歌7首が載っている。表現力の高さに感嘆し、若かった義父の青春を思いやった。
 夏季大会会場前で撮られた写真は皆さんの表情が生き生きとして、当時の文化活動の意気込みが伝わってきた。現在、短歌をかじっている私を、義父も温かく見守ってくれる気がする。
   大口市 山室浩子(61) 2008/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載

結婚式

2008-03-15 22:10:50 | はがき随筆
 青く深い藍色の海。白い砂浜の沖縄は緑がまるで初夏のようだ。海辺の教会は空につながる透明なガラス張りで、長く一人だった息子がすてきなお相手に会うことができて挙式の時を迎えた。親ときょうだいに見守られて晴の門出。牧師さんの導きで燭台のロウソクに2人で点火。「お父さん、ひろしの結婚式が始まりました」。私は空を見上げ、夫とおぼしき雲へ語りかけた。そして2人の子どもの結婚式へ出席していない夫を哀れんだ。「よかった」と雲が応えた。ありがとう、これでよかった。すそを長く引く花嫁にうっとり見とれ、他は全然……。
   鹿児島市 東郷久子(73) 2008/3/15 毎日新聞鹿児島版掲載

そらまめ

2008-03-14 11:39:51 | アカショウビンのつぶやき
 昨日は一気に暖かい南風が吹き込み4月下旬の暖かさ。さすがの私もババシャツを脱ぎ、久しぶりの軽装で買い物に、それでも汗が滲むほど…。
 ふと「地球温暖化」の不安がよぎる。三寒四温という言葉はあるが、日替わりで初夏になったり冬になったり、これほど寒暖の差が激しいのはきつい。

 一夜明けて今日は冷たい雨、朝早く大きな箱が届いた。西之表基督教会の友人Fさんから毎年、どこよりも早く届く初夏の味「そらまめ」。柔らかくて上品な甘さがあり、毎年、おすそわけにあずかる友人たちも心待ちにしている逸品である。

 サヤを開くと、ふかふかの真っ白いクッションにつつまれた「そらまめ」が眠っている。今日のお昼はたっぷり「そらまめ」。そして今晩は「そらまめごはん」にしよう。新鮮な味は料理下手の私が、いじらないほうがえって美味しい…。
 素朴な味を楽しみながら贅沢な時をすごすとしよう。

今日もギョーザ

2008-03-14 07:43:10 | はがき随筆
 冷凍ギョーザ問題が、図らずも40年前のことを思い出させてくれた。新米教師だったころはまだ日直があって、チョンガーは毎週のように当番をした。夕食は下宿先から届けられるのに、ギョーザ作り上手がいて、よく男だけの料理会をした。私は材料の調達係で、もっぱら〝食べる人〟だったが。その後、所帯を持ってから、妻がお産の時、初めて手作りギョーザに挑戦した。ニラとニンニクたっぷりの具を、皮にひだを付けて包むのは苦労したが、自分流の味に自画自賛した。この話を妻にしたら「毎週作ってね」ときた。「一丁、やってみるか」。
   鹿屋市 上村 泉(67) 2008/3/14 毎日新聞鹿児島版掲載

川内川の思い出

2008-03-13 06:43:28 | はがき随筆
 昨年12月25日付のはがき随筆「川内川物語」を読み返し、懐かしい限り。すぐ投稿者の小村忍さんに電話で本を2冊注文。1冊は川内川になじみの弟へ。読むと、13年も詳細に根気強く取材されていて頭が下がる。
 父の故郷はダムの近くで、私もそこで育った。夏は川内川でエビをとり、冬は川沿いの深山で大木にやぐらを組み、竹笛やおとりで山鳩を呼び寄せ、猟銃で撃つ。私は大木の下で、落ちた山鳩を、イタチの餌にならないように拾う。父はリュックサックいっぱいの山鳩を背負い自宅へ。足の速い父に、私は涙しながらついていった。
   姶良町 谷山 潔(81) 2008/3/13 毎日新聞鹿児島版掲載

抱かれたハガキ

2008-03-12 12:57:26 | はがき随筆
 今、思い出しても胸が熱くなる。私が教職2年の時。男とは相撲、女とは縄跳びをしてよく遊んだ。子供たちに夢中だった。
 学年末、未熟で軽率だった私は、大切な子供たちを残してヨーロッパへ研修に旅立った。
 他の組へ、分けて預けられた子供たちは、級友と別れ、寂しかったに違いない。スイスから一人一人に「元気ですか……」とハガキを書いた。
 復帰し、各家庭をわびて回った。あるお母さんが「うちの勝は先生のハガキを3晩も抱いて寝たんですよ」と語られた。薄情な私は、家に帰って泣いた。
   出水市 小村 忍(64) 2008/3/12 毎日新聞鹿児島版掲載