はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

あ~ら不思議

2011-09-03 12:08:14 | はがき随筆


 昨夏、農業をしている友達が「緑のカーテン」用に、ひょうたんの苗3本、ゴーヤの苗3本を私と友達に持って来た。
その後、どんどん大きくなり立派な緑のカーテンができ上がった。コーヤは食卓に上ったが、ひょうたんは花は咲けども実はならず。
今年、友達のプランターに何やら植えもしない苗が育ちはじめた。
「かぼちゃ? へちま?」と思っているうち立派な緑のカーテンができた。
花は咲いたが今年もだめかと思っていた矢先1個だけ実がなった。
腰のくびれた立派なひょうたん。
今は葉も茎も枯れてひょうたんがぶらさがっています。
  阿久根市 的場豊子 2011/9/3 毎日新聞鹿児島版掲載

FMかのや

2011-09-03 12:05:26 | はがき随筆


 薩摩半島、指宿の地に暮らし四十数年
でも時々は対岸の大隅の山深き村を思い出す。
新聞にウミガメの母浜回帰説のことが書いてあった。
生まれ育った川に戻るサケしかり、人も同じかもしれない。
啄木の詩に「ふるさとの訛り、なつかし停車場」のくだりがある。
同じ鹿児島弁でも、大隅と薩摩では少々アクセントが違う気がして、
時々帰省しては肌で感じていた。

 近ごろスイッチ一つで居ながらにして
故郷を感じることが出来るようになった。
それはFMかのや。
私には心なごむ楽しくてうれしい放送である。
「心のメモ帖」のファンでもある。
  指宿市 有村好一 2011/9/2 毎日新聞鹿児島版掲載

真夜中の報告

2011-09-03 12:00:33 | はがき随筆
 夫の初盆に、大阪から帰省した孫娘はすっかり女らしく成長していた。久しぶり2人でのおしゃべりは真夜中を過ぎても続いた。家族ぐるみでおつきあいしているという彼にプロポーズされたことを報告してくれた。
 「お祖父ちゃんにどこか似てるねん。背が高くて優しくてイケメンやでえ」。スポーツマンでもあるという彼を紹介する彼女の声は喜びにあふれている。
 私は微笑ましくその話を聞いた。人生最高の幸せを全身で表現している23歳の横顔は、ふと夫に似ていて、どきっ。
 もしかしい夫も喜んでいるかもと思ったお盆の夜だった。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/9/1 毎日新聞鹿児島版掲載

防災の日

2011-09-02 22:47:21 | アカショウビンのつぶやき
東日本大震災の恐怖が消えやらぬときに迎えた、防災の日。
「災害は忘れた頃にやってくる」
とは、繰り返された言葉だけれど、この未曾有の大災害を決して忘れてはなるまい。

祖父を関東大震災で亡くした私は、母から繰り返し地震に対する心構えを叩き込まれた。

幼い頃を過ごした、栃木県は地震が多い所だった。
グラッと来ると、母はまず雨戸を外して庭に放り投げる。火鉢を抱えて庭に持ち出し、火元を確認してから、幼い私たちを両脇に抱えて逃げる。

出口の確保と火の始末をしてから逃げる。と言われたが、今は少々違う。
火の始末より、まず身の安全を! らしい。

防災の日は、我が家の防災について考えてみた。

見回せば危ない物だらけ…。食器棚の固定も安心できない。

それより何より、家そのものが果たして地震に耐えるのか心配。
前から耐震診断を受けようかなあと思っていたので、思い切って申し込んだ。
築33年、耐震基準の甘い時期に建てた家である。
どんな結果がでるのか予想もつかないが、夫の遺してくれた家を無事に子どもに遺すために、厳しい診断を覚悟して…電話した、防災の日でした。

by アカショウビン

「特攻隊員の苦悩知る」

2011-09-01 13:54:25 | 岩国エッセイサロンより
2011年9月 1日 (木)

岩国市  会 員   片山 清勝

 岩国市内の知人Oさんから著書の1冊を頂いた。その中に「ある特別攻撃隊」という作品が載っている。   
 隊の名前は、「天雷特別攻撃隊」。旧海軍岩国基地で訓練を受け、九州の地から出撃したとある。任務は米軍のB 29編隊へ突入、自爆して編隊に損害を与えること。
積載した250キロ爆弾の起爆スイッチを押して編隊に突入する訓練で、実際には10秒後に爆発し、帰らぬ人になる。

 その20歳前後の隊員たちの、訓練の合間のひとときが書かれている。そこには戦時で特攻隊という状況下での「青春」の姿がある。
 そんなひとつ。O家に招かれた隊員が、座敷に大の字になって寝ころび「畳はいいなあ。家に帰ったような気がする」と話す。そこには、故郷の両親への思いと、元に戻ることのないスイッチを自ら押し、自分の死への秒読みを始める苦悩が伝わる。

 彼らが任命されたのは終戦3カ月前。死の覚悟をしていても、出撃の直前は歌で気持ちをごまかしたという。
 再び「気持ちをごまかす歌」が聞こえることのないことを祈っている。
  (2011.09.01 中国新聞「広場」掲載)