はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「語り伝えたい 戦争の残酷さ」

2011-09-16 22:51:26 | 岩国エッセイサロンより
2011年9月16日 (金)

     岩国市  会員  横山 恵子

 広島に住む1歳半の孫息子と姪の5ヶ月の息子は毎日我が家にやってきて、その成長ぶりを見せてくれる。一時も目が離せないが、話しかけると満面の笑顔の彼らを見ていると、将来生きていてよかったと思えるような世の中であるようにと切に思う。

 今や世界を見渡すと、絶え間なく紛争が続いている。日本も過去、戦争一色という時代があった。紙切れ一枚で戦地に赴き、多くの若者が白木の箱で無言の帰国をした。今も異国の地で眠っておられる遺骨も多い。

 戦後66年、日本が戦争に巻き込まれなかったのは、遺族など戦争体験者がその残酷さを語り継いでこられたことが大きいのではないだろうか。しかし、彼らも高齢になられていく中、今度は戦後生まれの我々がそれを受け止め、語り伝えていく責務があると思う。

 それと共に、国のリーダーを選ぶ目を養うこと、平和教育の大切さをつくづく感じる。毎年、8月の終戦記念日後終わると、潮が引くように戦争に関する報道が少なくなることを、私はとてもさびしく思う。

      (2011、09,06 朝日新聞「声」欄掲載)岩國エッセイサロンより転載

ハンドベルの輝き

2011-09-16 22:35:37 | アカショウビンのつぶやき








いよいよ、ルピナスコンサートが近づきました。

9月19日の敬老祝日、精神障害者就労支援施設「ルピナス会」が毎年開催している、
コンサートに出演することになりました。

今日が最後の練習でした。
「こんどこそ完璧!」と思っていても、最後で音が出なかったり…

気を取り直して、最後に全員でベルを磨きました。
当たり前のことですが、磨けば磨くほど輝きを増したベルでした。

本番では全員で輝きたいなあ!

ハンドベルとコーラス漬けの一週間。
少々、自信喪失気味の アカショウビンでした。

「中毒ご用心」

2011-09-16 19:27:15 | 岩国エッセイサロンより
2011年9月16日 (金)

 岩国市  会 員   吉岡 賢一

学校に行くのとほぼ同じ距離を歩いて、小学5年と3年の孫兄弟がやってくる。

 玄関に入るや居間にある冷たい麦茶ポットに殺到。先だ後だと小競り合いしながらのどを潤す。次に冷蔵車のドアを開け放ち、スイカ、トマト、キュウリ、チーズなど、あれよあれよという間に彼らのおなかに収まる。

 夏休みの留守家庭に2人を放ってもおけず、我が家を教室とする臨時講師を引き受けた。騒々しさと素朴な質問攻めに頭もいつしか慣れた。彼らの来ない日は手持ちぶさたで、落ち着かない。すっかり孫中毒に侵された。
  (2011.09.16 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩國エッセイサロンより転載

「気になる犬の年」

2011-09-14 18:33:21 | 岩国エッセイサロンより
2011年9月14日 (水)

岩国市  会 員   林 治子

久しぶりに帰ってきた姪の子供。家の犬とも大の仲良し。ひいつきもつきの毎日を過ごしている。「ねー、何歳」と聞いてきた。「9歳になったとこよ」と言う。「えー、私より上じゃん。じゃあ、私、妹か。今度からお兄ちゃんと呼んであげるわ。お兄ちゃーん」と盛んに呼んだが、自分の名前ではないので、犬はキョトンとしている。

そう言えば、学校帰りの子供だちと一緒になった時があった。その中の1人がやはり年を聞いた。自分より犬の年が上と分かるといきなり「兄貴」と呼んだ。なぜか犬の年が気になる年ごろらしい。
 (2011.09.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩國エッセイサロンより転載

気の利かぬ若者憂う

2011-09-13 10:53:45 | 岩国エッセイサロンより
2011年9月13日 (火)

    岩国市   会 員   中村美奈恵

 主婦の出勤は一分一秒を争うのに、車で出ようとしたら、バキュームカーが道をふさいで通れない。

 「すぐ済みますから、ちょっと待ってください」と若い作業員がこっちを見た。ますますイライラする。

 ようやく通り抜けて考えた。どうして車が出入りすると思わないんだろう。寄せられるスペースはあるのに。

 「最近は気の利かない人が多い。企業は基本的なことまで指導できません」と話した採用担当者の言葉を思い出した。

 次男の大学であった保護者向け講演会でのことだ。「『枯れ葉が落ちたので、ここを掃いて』と云えば、掃くのはその場所だけ。ほうきだけ持ち、ちり取りやごみ袋もない」。話を聞いてわが息子は大丈夫かと不安になった。

 帰って長男に話すと「スーパーのバイトは気を利かすのが当たり前。そうじゃないと務まらんよ」と答えホッとした。

 それから数日後、帰宅すると暗くなっていた。三男に「カーテン閉めて」と頼んだ。荷物を降ろし部屋を眺めると、閉めてあるのはリビングだけ。あ―あ、ここに気の利かない息子がいた。

    (2011.09.13  中国新聞「広場」掲載) 岩國エッセイサロンより転載

あの日から半年…

2011-09-12 19:28:24 | アカショウビンのつぶやき


 テレビに釘付けになり、声も出ないほどのショックを受けた
あの日から半年が過ぎた。
大地震、大津波、そして原発事故。
なにもかもが「想定外…」。然し、想定外で片付けていいのだろうか。
半年の間、政争に明け暮れた日本の政治。
今しなきゃならないことが山積してるはずなのにと…
もどかしさがつのる。

ボランティアで現地に行くこともできない私にできること。
昨日は、小さなちいさな協力だが、
義援金付き80円切手を買いに行った。これで3回目。
今月いっぱいの限定販売だが、
発売以来、私の元にもこの切手を貼った郵便物が沢山届いた。

それにしても義援金は被災者の元に届いたのだろうか…。

ストーブもない雪の日、酷暑の夏、豪雨…。
避難所も仮設でも想像を絶する過酷な日々だった事だろう。

野田総理にお願いしたい。
閣僚の更迭などのゴタゴタはおしまいにして、
すみやかな再建計画を示してほしい。

1日も早く元の生活を取り戻すことができますようにと、
祈りつつ書いている

アカショウビンです。

旅の抄その七

2011-09-10 11:17:16 | はがき随筆
 「せめて半日はいたい」と娘が感嘆したカイロのエジプト考古学博物館。わたしの見たいのは至宝として知れ渡っているものではなかった。
 あった! 人々が一瞥して通り過ぎる地味で目立たぬ日用雑貨陳列ケースの中に見つけて小躍りした。
 少年王ツタンカーメンのトルコ石の小さな枕である。ブルーがかなり色あせている。少年王が今もこっそり使っているらしい。あたりを見回す。彼の秘密には誰も気づいていないようだ。そっとしておいてあげよう。黄金のマスクは息苦しそうだもの。
  鹿屋市 伊地知咲子 2011/9/10 毎日新聞鹿児島版掲載

囀り

2011-09-10 08:58:49 | はがき随筆
 テッペンかけたか、ホトトギス。県北の標高300㍍のこの地域が春めくころになったら、もう盛んにさえずる小鳥たちの声を聞く。ウグイス、ヒバリ、メジロ、ホオジロなどなど。なんといっても圧巻はホトトギスである。朝寝坊して置きづらい時は、目覚ましになってくれる。ホトトギスの鳴き声を聞けば心さわやかに目覚めるのである。
その日1日、仕事もスムーズにはかどり爽快楽しくすごすことができる。
 さすがに今夏の猛暑には恐れ入る。負けてはならじと、体調に気をつけて過ごして行こう。
  伊佐市 宮園 続 2011/9/9 毎日新聞鹿児島版掲載

夏風邪

2011-09-09 17:13:09 | はがき随筆
 真冬の寒いころや、季節の変わり目になるとかかると思っていた風邪を、夏場にひいてしまった。
 風邪をひいたのは十何年ぶりだろうか? それも大みそかから正月3日間、寝たきりの状態であったので、よく覚えている。その時も、明日から4日間の休みが楽しいなと「気」のゆるみが原因である。
 今回は、夏休みが約1週間と長く取れて、気分的な開放感から深夜まで遊び、飲み食いの不摂生の結果である。
 「病は気と油断から」の見本である。
  鹿児島市 下市幸一 2011/9/8 毎日新聞鹿児島版掲載

つるべの水

2011-09-09 17:05:28 | はがき随筆
 子どものころ、近くの海によく水浴びにいった。誰にも監視されず子どもたちだけで長い時間浴びた。そんな水浴びの楽しみは帰る途中、井戸の水を腹いっぱい飲むことだった。井戸には長い竹の先につるべがついていた。つるべを井戸に落とし、手際よくひっくり返してくずをくみ、引き上げて井戸の縁に置いて飲んだ。つるべを手前に傾け、頭を突っ込んでゴクッゴクッと飲んだ。あごから胸にかけて水が滴れてぬれた。乾ききったのどには本当にうまかった。アイスもジュースもない時だった。もう一度あんなつるべの水を飲みたい。
  出水市 畠中大喜 2011/9/7 毎日新聞鹿児島版掲載

万柳デビュー

2011-09-09 16:54:39 | はがき随筆
 08年から10年に、毎日新聞に掲載された私の投稿(はがき随筆・毎日俳壇・みんなの広場・脳トレ川柳・男の気持ち)を文庫本(高千穂スケッチ)にして、300人の知人にお配りできた。みなさんには励ましの言葉をいただき、ぜひ第2巻もと言われ、調子に乗って「中畑万能川柳」も加えることにした。「今回はハードルが高いぞ」と自分に言い聞かせ、さて難関への挑戦……。6月20日、いきなり結果が出た。「ほとぼりもさめたしやるか名古屋場所」。決しておごることなく「のろまの亀」は第2巻発行を夢見て歩み出しました。
  霧島市 久野茂樹 2011/9/6毎日新聞鹿児島版掲載

有権者の声

2011-09-07 07:48:45 | ペン&ぺん
 民主党の代表選で野田佳彦氏が代表に選ばれました。新代表が決まった8月29日、毎日新聞は九州・山口地区で有権者100人にアンケートを実施しました。
 鹿児島でも数人にアンケートに答えていただきました。100人アンケートのまとめ記事(30日対社面)で紹介しきれなかった分を含めて、鹿児島の有権者の声を一部紹介します。
 野田氏の印象は「実直そう」という回答が多数を占めました。さつま町の無職男性(62)は「民主党政権そのものに期待していないし、支持もしていない。しかし、野田氏個人に対しては、実直そうな印象がある」と話していました。政党支持の範囲を超えて、派手さはないが、まじめな印象を持たれていることが、うかがえました。
 しかし、一方で「野田氏には期待しない。長続きしないことが目に見えているから」=鹿児島市、無職女性(76)▽「野田氏のことは、よく知らないので期待もできない」=同市、女性会社員(25)=など厳しい見方、冷めた見方も少なくありませんでした。民主党政権が誕生して2年。ほぼ1年ごとに首相が変われば、有権者の視線も厳しくなります。
 新政権が取り組むべき課題として、東日本大震災の復興政策があげられます。野田氏は震災復興のための増税に言及しましたが、県内でも比較的多数の方が「復興増税に賛成」と答えました。「日本全体で復興を目指すべし」との意見です。
 少数ながら反対意見もありました。「いったん増税されると戻らない。時限的と言われても信用できない」=薩摩川内市、男性会社員(35)▽「まだ税金の無駄遣いがあり、無駄遣いを減らすのが先」=姶良市、女性会社員(42)=などです。
 いずれにせよ、政治は結果責任が問われます。新政権がどんな政策を実行していくか注目していきたいと思います。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/9/5 毎日新聞掲載

オクラ豊作?

2011-09-05 22:23:54 | はがき随筆




 わずか3本しかないオクラだが、今年はよく実をつけてくれている。取るにはまだ早いかなあ……などと眺めていて、翌日行って見ると「こんなに大きくなったゃったわよ」とカミさんは両手に7~8本実を持って来てみせた。5㌢ほどだった実が一晩で10㌢くらいまで成長するのだ。「大きくても柔らかいから食べられそう。このネバネバが身体にいいのよ」。カミさんは、いま取ったばかりのオクラを、ざっと洗ってそのままで口に入れる。
 クロアゲハが舞った。「母もオクラがすきだったわねえ」。カミさんは神棚に供えた。
  西之表市 武田静瞭 2011/9/5 毎日新聞鹿児島版掲載

上高地

2011-09-05 20:56:17 | はがき随筆



 焼岳が大正池にくっきりと逆さに映っている。いつも雲がかかっていて、こんなにきれいに見えるのも珍しいという。すぐそこに見える焼岳に登ってみたい衝動にかられる。夏休みとて人が多い。梓川添いに歩く。久々に見る清流だ。飛騨山脈を縫って流れて来る川水に手を浸すと氷水のよう。素足で入った孫たちは耐えられずにすぐに上がってきた。歴史ある上高地帝国ホテルも見学した。
 かっぱ橋に立つと目前に穂高連峰が青々とそびえつつ、雲に上部は隠れて見えない。雪渓が白く光っている。来ましたよと夫の写真に見せてあげた。
  霧島市 秋峯いくよ 2011/9/4 毎日新聞鹿児島版掲載

満開の月下美人堪能

2011-09-05 20:20:08 | 岩国エッセイサロンより

写真はフォトライブラリより


2011年9月 5日 (月)

   岩国市   会 員    山本 一

 月下美人に7個のつぼみが付いた。妻と2人がかりで全体が見えるようにと移動させた時、1個もげて6個になった。

 ぐんぐん成長し、ある日つぼみがぐいと上を向く。2日後、夕方つぼみが開きかけて中のおしベがのぞける。「今夜だ」と確信する。

 午後8時ごろには三分、同11時ごろには八分の開花となり翌午前1時についに満開となった。庭のライトに照らされ、ぼんやりと白く闇に浮かび、幻想的だ。ひととき眺めながら妻と寝酒を飲む。

 翌朝7時に再度確認すると、既に下を向いてションボリ。一夜限りの何とも神秘的な花だ。

 一番感動したのは、6個のつぼみ全てが、夕方の開花から翌朝しおれるまで、一斉の挙動だったことである。どこでどう指令が出されるのだろうかと興味深い。

 月下美人を初めて見たのは、当時隣に住んでいた義母の家だ。夜中に起こされて、「何事か」とビツクリして駆け付けたことを思い出す。
 

 義母は昨年夏に他界した。生きていれば大喜びで「写真! 写真!」と言ったことだろう。満開の写真を仏前に供えた。

  (2011年9月5日 中国新聞「広場」掲載  岩國エッセイサロンより転載