はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

判決

2015-05-18 07:16:32 | ペン&ぺん

 2003年の県議選を巡る選挙違反事件(志布志事件)で、無罪が確定した住民が警察や検察に損害賠償を求めた訴訟の判決が先週、鹿児島地裁であった。結果は紙面でお伝えしたように、県や国に賠償を命じる内容だった。法を守らせる警察や検察の仕事が「違法」とされたのだからただ事ではない。私は事件当時、福岡県内で勤務していて詳細は知らなかったが、判決を読むと改めて捜査は問題だらけだったと言わざるを得ない。
 住民が医療機関で点滴を受けてから取り調べに応じ、体調不良を訴えても帰宅を認めない“任意捜査”。捜査会議を開かず捜査官の情報交換を禁じ、誤った見立てのまま、あり得ない自白を強いた。弁護士との接見内容について取調官の誘導に沿って70通以上の供述調書をつくり、そこで弁護方針への拒絶感を植え付けた。取り調べの中で住民に著しい屈辱を与えて人格を傷つけ、自由な意志決定を阻害した。
 判決はこうした捜査の状況をつぶさに示し「警察官の個人差を考慮にいれてもとうてい合理性を肯定できない」「社会通念上許されず、違法」などと言っている。
 警察だけでなく、検察の対応についても違法だったと判決は認めた。すべての証拠を勘案してもとうてい有罪判決を期待できないのに、漫然と裁判を続けた。「公益の代表者」「法の正当な適用」という検察官の仕事に違反したというのが裁判所の判断だ。
 判決後の記者会見で、住民からは捜査官の謝罪を求める声が相次いだ。違法な捜査で苦しめられた以上「おわびせよ」と住民が求めるのは当然のことだろう。
 それにしても、こんなひどい捜査がなぜまかり通ったのか。担当捜査官の暴走を誰も止めることはできなかったのか。県警への信頼をどうやって回復するのか。いまさらながら判決が与えた課題は重いと思う。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載

ぼくの昭和史6

2015-05-18 07:10:29 | はがき随筆
 アメリカ人を初めて見たのは敗戦の翌年の春、小学校入学の少し前だろう。まだ雑木林が開墾される前で、数人の白人がそれぞれ銃を持ってのんびり散策していた。妹と外で遊んでいたぼくに、家に入るように言う母の鋭い声に驚いて駆け込んだ。休日の娯楽に猟に出ただけのことだが、その時は母にかじりついていた。
 小学校入学後は行動範囲も広がり、街中を颯爽と歩くのを見ても違和感は消えていたが、豊かに見えるその姿が羨ましかった。そんな疲弊した中、彼らに身を寄せて歩く女性の姿が、ぼくには逞しい日本人に見えた。
  志布志市 若宮庸成 2015/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載

感謝

2015-05-18 07:05:02 | はがき随筆
 古い商店の前を通ったとき、チラッと見たウインドーに母の面影を見た。見返すと今の私の体型。猫背にポッコリお腹、鍛えているはずなのに細い脚。だんごっ鼻に黒い肌。ア~ア。似たくなかったのにいつのまに。
 若い頃はもっといやだと思っていたのに、近ごろは少しうすらいできた感じになった。それよりも70歳を前にして読み書きにもメガネいらず、これといった持病もない身体に生み育ててくれた亡き両親に感謝、感謝である。
 早く気付いて元気な両親にこの口でありがとうといいたかった。
  阿久根市 的場豊子 2015/5/17 毎日新聞鹿児島版掲載

見習わなくちゃ

2015-05-18 06:58:01 | はがき随筆
 夫の昼食が要らないのを知って帰省中の友人からお誘いが。「母と一緒だけど食べにおいで」と。メニューはスパゲティナポリタンとサラダ。食後にコーヒーもいただく。90歳のお母さんも完食。お皿を片づけようと立ち上がる私を友人が止めた。食器洗いの後、手箒で床も掃いたのはお母さん。意外な展開に声もなく眺める私に友人が話した。「時間はかかるけど後始末は母で、私は作るだけ。買い物やごみ捨ても何でも一緒。私が帰って困るのは母だから」
 目の前のお手本から、人間一生家事は付きもの、幾つになってもやらねばと、肝に命じた。
  いちき串木野市 奥吉志代子 2015/5/16 毎日新聞鹿児島版掲載

鹿児島脱出

2015-05-18 06:51:50 | はがき随筆
 東京四谷の上智大学を卒業して丸40年たった。卒業10年ごとに大学でお祝いをしていただけるのだが、1度も出席した事がなかった。卒業40年、ルビー祝……これを逃したら、もう皆に生きて会えないような気がして、出席を決めた。懐かしい友の顔が、次々に浮かんでくる。鹿児島のニコちゃんが上京するって……と東京の友はあちこちに連絡してくれているらしい。昨年の2月末まで7年間、夫の介護をしていたので、鹿児島脱出は8年ぶり。この旅で、私の生き方の何かがもっと前向きに変わるかもしれないと願って旅立つ。
  鹿児島市 萩原裕子 2015/5/15 毎日新聞鹿児島版掲載

一杯のみそ汁

2015-05-18 06:40:07 | はがき随筆
 「よしっ、やったるぞ!」
 美味なみそ汁を作りたくていりこ、シイタケ、昆布、鰹節、みそなどの産地や種類にこだわり、毎朝、ダシと材料のベストコラボを追求している。うまい! と思うのは偶然のようで、季節の野菜との味の調和が難しい。
 ためしに酒粕を少量いれてみた。よん、よか! 合格だ。
 仕上げには、ネギやミツバなどグリーンを添える。ニンジンの葉の香りが好きになった。
 単純なみそ汁なのだが、なかなかうまくいかない。今朝も<実験>は続く。探し求めるのは、もしかして母さんの味……?
  出水市 中島征士 2015/5/14 毎日新聞鹿児島版掲載

目標は、95

2015-05-18 06:33:38 | はがき随筆
 握り飯をほお張りながら、桜を見上げた母が「おや、生きて1年か2年。桜を目に焼き付けておこう」と、ぽつりと漏らした。母も我が命は察するのか。胸が熱くなって言葉がでない。
 母の食が細り、体力の衰えを目の当たりにして、何も出来ない歯がゆさに涙がこぼれる。立ち上がりにフラッとして転ぶから、それだけは用心してよ。「わいが、せからしか」と言わずに、転ばぬ先の小言ですよ。
 あなたの目標とする95歳までは後2年だが、それには今年の夏が勝負だ。私も120%の支援をする。2人で頑張ろう。
  出水市 道田道範 2015/5/13 まいにち

加津子さん

2015-05-18 06:26:10 | はがき随筆
 「死んだんだお父ちゃんのこと大好きだった」。時々妻がつぶやく。
 その妻が高1のとき、妻の弟妹3人と加津子さん(私の義母)をのこして研ちゃん(私の義父)は急逝した。4人の子を抱えて加津子さんはがむしゃらに生きた。そして妻が21歳になったとき、結婚の許しを得るために私ははじめて加津子さんと会う。後に事業を始めた私たち夫婦の人物保証まで、彼女は引き受けてくれた。最近では4人の子どもたちも成長し、気楽になった分だけ彼女も気弱になったけど、私はこんな加津子さんの「永久ファン」である。
  霧島市 久野茂樹 2015/5/12 毎日新聞鹿児島版掲載

誰にも言わないで

2015-05-15 17:50:39 | 岩国エッセイサロンより
2015年5月15日 (金)

岩国市  会 員   沖 義照

出張で故郷の町へ帰ってきた時、学生時代に家庭教師のアルバイトをしていた洋品店の前を通りかかった。店内に幼い頃の面影を残した女性の姿が見える。30年前の昔話をし「上京する機会があったら、電話を下さい」と言って別れた。その半年後、上京するという連絡が入った。
 約束の日の夕方、東京駅のレストランで食事をし、少量のワインで頬を染めて店を出た。別れ際「先生、今日のことは誰にも言わないでください」と言う。私の言動に、他人に言ってはいけないようなやましいところなどあったのか。真意が分からないままいまだ純情に生きている。

   (2015.05.05 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

又もや へまを

2015-05-11 16:47:25 | はがき随筆
 往復はがきの返信用の部分を切り離すのに、いつもなら折り目をもう1度しっかり折って手で切る。その日はたまたまカッターが近くにあった。手でするよりきれいに切れるハズだったのに、手元を見ずテレビに視線がいっていたのと、本来の不器用がたたってカーブ状に切れた。
 「どうすればそんなになる?」と夫が不思議がったが、私自身もたまげた。
 四角形をなさぬ変形はがきを封筒に入れて投函しようとする寸前だった。切手を上下反対に貼っている、と気づいたのは。
  鹿児島市 馬渡浩子 2015/5/11 毎日新聞鹿児島版掲載

社会科見学

2015-05-11 16:41:55 | はがき随筆
 中学校の同窓会が1泊2日であった。宿泊先は指宿の有名旅館の白水館であったが、ここの泊まるのは最初で最後であろうと話すことであった。
 2日目は貸し切りバスで焼酎工場、そして山川の地熱発電所や他の観光地を巡って、締めは知覧の特攻基地記念館だった。若かりし頃を思い出したか、同級生は涙を流しており、中学校の社会科見学の様相を呈していた。
 別れ際、バスの中で廃校になった中学校の校歌を歌い、惜別の解散になった。
  鹿児島市 下内幸一 2015/5/10 毎日新聞鹿児島版掲載

弔辞

2015-05-11 16:35:49 | はがき随筆
 朝方、山口の里の甥から姉の訃報を知らせてきた。急ぎ身支度を整え新幹線に乗った。
 義兄にお願いして姉妹を代表し弔辞を述べた。 4人姉妹で1人器量が良く、7.8歳ごろの写真は長女の自覚か子供ながら凜とした佇まい。22歳で兄上をお婿さんに迎え、教育者の妻として矜持を保った。毎日新聞の「はがき随筆」や「女の気持ち」で高い評価をいただいた作品もあった。早く夫を亡くした末の私をいつも心にかけてくれた。姉妹の縁に万感胸に迫った。
 兄弟姉妹のように育った甥が「弔辞よかったよ」と言った。
  鹿児島市 内山陽子 2015/5/8 毎日新聞鹿児島版掲載

新任地へ

2015-05-09 09:11:57 | はがき随筆


 裏山の山桜はすでに葉桜。その右隣のソメイヨシノが例年より早く咲ききった。
 同居していた子が、新しい任地へ発つ四月一日、風もないのにしきりにはららいでいる。子の肩に、はらはらと降りやまないのは、初の離島への赴任を祝ってくれているようでもあり、別れを惜しんでいるようにも母には思えた。
 花びらを背に載せたままの、子の運転で鹿児島南埠頭へ。「フェリー屋久島2」に乗船。七色のテープを弾きながら「蛍の光」の流れる中を出港した。いつまでも手を振りながら……。
  鹿屋市 門倉キヨ子 2015/5/9 毎日新聞鹿児島版掲載

お花がいっぱい

2015-05-09 02:39:23 | アカショウビンのつぶやき

 先日、昌子さん。津代美さんのお二人から、ランチのお誘いがあり、楽しい時間を過ごした。

地域FMのボランティアパーソナリティとして、番組を作り続けて8年あまり…。
去年の12月、私の体調不良のために、惜しまれながら番組を終了したが、その間、多くの方々との出会いがあり、素晴らしい体験をさせて頂いた。

昌子さん、津代美さんも、番組に出てくださったメンバー。
「ちょっと遅くなったけど、番組終了、お疲れ様の気持ちです」
とのお二人のお誘いに、
「感謝するのは、私のほうなのに…」と言いつつ、素敵なレストランでの食事会となった次第。
お二人は、図書館エッセイ教室で学んでおられ、放送したエッセイも印象に残る名文だった。

素晴らしいひとときを有り難うございました。
カーネーションのアレンジもありがとう。



更に、夕方は美代子さんから、クレマチスの鉢が届いた。

私の大好きな薄紫の大輪のクレマチス。
こちらは「遅ればせながら、誕生日のお祝いよ」と。

花いっぱいの幸せ。うれしいなあ。
  
  by アカショウビン


まわり舞台

2015-05-09 02:00:32 | 岩国エッセイサロンより
2015年5月 8日 (金)

岩国市  会 員   吉岡 賢一

 放課後の校庭で遊んでいた私とO君は、先生に呼ばれて300人の保護者が見守る講堂の舞台に立たされた。言われるままアカペラで歌ったのが「おぼろ月夜」。直後に自分の歌声が講堂に流れる不思議を感じた。
 あれが、時代の先端を走る「録音機」導入のデモンストレーションであった。思いがけない小学4年の初舞台。人前で歌う快感と「おぼろ月夜」の歌詞は子供心に焼き付いた。あれから64年。歳月はあの紅顔も美声も純真さも遠くへ押しやろうとする。負けてはならぬ、時は春。小節を回さぬよう心して「おぼろ月夜」を今一度。
 (2015.05.08 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載