経済音痴の素人が株に投資して大損し、わずかに残った資金を玄人が運用する投資信託に委ねた。
米国の不動産に投資運用して配当を三カ月ごとに受け取り、満期になると時価で売却し元金を償還する商品である。
投資期間の3年間が終了したが大幅な元金割れで、半年間延長し、その間に元金1万円を超えたら速やかに売却し繰り上げ償還すると言う。昨日は36円超えた。
仲介の銀行に問い合わせたところ、手数料や税金を差し . . . 本文を読む
抵抗勢力の意見に耳を貸さず、お友達のおべんちゃらや忖度を良しとする人柄が信頼できない総理大臣が、気象庁の大雨特別警報を軽視し赤坂の議員宿舎で総裁選の再選を目指す多数派工作の酒盛りが非難されて当然である。
人の言うことが聞けないから、自然災害で神仏は傲慢と独善に警告を発したのだろう。斯様に本人が自覚するべきだろう。
経済一辺倒の信条を深く反省し、国民の心情を理解する努力をするなら微かなのぞみが有 . . . 本文を読む
7000億の大金を国民から強制的に徴収する日本放送協会の報道姿勢に首を傾げる老人である。
タイの洞窟にサッカーチームの少年とコーチの13人が大量の水に阻まれて閉じ込められた件を連日報道する。
祖国では異常気象の豪雨で多くの人命が失われ被害甚大なのに、何で他所の国の人命に関わらない些細な事件に熱中する理由が分からない。
何を国民に伝えたいのだろうか。どれ程の人間が遥か南方のタイの事件に関心が有 . . . 本文を読む
戦後の少年時代は信州善光寺の門前町で過ごした。
飛鳥時代の頃、崇仏の蘇我氏(蘇我馬子)と廃仏の物部氏(物部守屋)の抗争の時に難波の堀へ放り込まれた印度から百済経由で伝来の一光三尊阿弥陀如来は本田善光の背に乗って南信濃の麻績の里に来られ、後に北信濃の長野市の善光寺の本尊となった。阿弥陀仏を中心に左に観音菩薩、右に勢至菩薩の脇侍が一つの光背に並ぶ。
命ある人間が絶対見る事が出来ない絶対秘仏、有るの . . . 本文を読む
長雨が続き、天候で気分が左右される老人は青菜に塩・滅入るのである。
体力が衰え、晴耕雨読とはならず、晴なら散歩、雨なら読書で気を紛らわす。『禅の知恵・「正法眼蔵随聞記」に学ぶ』を読んだ。尾張の曹洞宗の尼僧と在家の宗教学者の共著である。
イソップ物語は帝王学ではなく、凡人向けの本の様だ。
ウサギとカメのマラソンの話がある。走力のあるウサギは「カメに負ける筈がない」なる傲慢から途中で居眠り、結果 . . . 本文を読む
有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け、一休禅師の言葉。
有漏路は煩悩に穢れた迷いの世界、無漏路は悟りの境地。
空想して先々の事を心配して思い悩むより、環境に飛び込んで楽しみを見出せば心癒される。矢でも鉄砲でも持ってこい、怖くないよ、こんな心境だろうか。
禅の公案に隻手音声なる公案が有る。両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がするか、それを報告しなさい。
. . . 本文を読む
日出と日没、朝日と夕日、同じ意味だろうが、東から西に太陽が動くのか、西から東に地球が回転するのか、大きな視点の相違が有る。
経済発展一辺倒に疑問を呈する人々を「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と街頭で絶叫するモノで栄えて心が荒んでいる某国の宰相がいる。
自分中心に世間が動いていると錯覚している。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足 . . . 本文を読む
国保の特定健康診査の結果、中性脂肪と悪玉コレストロールの数値が異常に高いことを指摘され、高血圧症に続き投薬された。
悪玉コレストロールは心筋梗塞や脳血管障害などを引き起こす危険因子で過度のストレスや運動不足が増加原因。
食事も狩猟民族の牛や豚の油脂、バター・チーズを申告敬遠し、農耕魚食民族のご飯・味噌汁・納豆・目刺の食に徹し、来由をたずねて味の濃淡を問わず残らず いただきます。
病気は医師に . . . 本文を読む
岐阜県に本店のある取引銀行の岡崎支店開設10周年記念の2005年の公式愛称「愛・地球博」に関係した涌井史郎氏の講演と当時の愛知県知事との対談に招待され参加した。
地球が危ない、国が危ない、都市が危ない、地方が危ない、このままでは2030年には老人大国になって祖国は難題に直面する。
今までの一個の林檎の様に芯に果実が付属する社会は成り立たず、葡萄の様に枝に小さな房が実る社会の構築が理想と述べる。 . . . 本文を読む
新聞の朝刊には報道が無いが、ネット検索するとロシアでのサッカーワールドカップで日本代表はベルギーに敗戦した様である。
サッカーに対する興味は皆無で、女子の種目と思っていた。
国民栄誉賞に輝く「なでしこジャパン」の影響なのだろう。
あらゆるスポーツにワールドカップや世界選手権が目白押し、すべてに付き合っていたら体がもたない。
国民栄誉賞も希少性が無くなり、すべてに付き合っていたら体がもたない . . . 本文を読む
若い時は宗教に対する関心が皆無だったが、両親の死に遭遇し無常観を実感し、今は死語となった「家」の宗派は浄土真宗であることを葬式で初めて知った。
仏教の勉強の為に様々な寺院を参拝し、西国観音霊場や四国88か所札所の巡礼も結願した。
自力では限界がある、何か偉大な存在に頼りたい。
菩薩の時に発した万人を救済できないなら如来に成らない。阿弥陀如来になられたから万民を救済する。斯様な哲学の実践である . . . 本文を読む
人生の黄昏、林住期を終え遊行期に入った。高齢者の前期から後期に移行するのである。
林住期は森に住まず、列車の一人旅で時を過ごした。芭蕉の言葉を借用すれば旅を栖としたのだろう。
その動機は何かと問われたら、寂しさを紛らわす為と答える。人に言えない寂しさ、自分で解決するしかない。
瀬戸大橋を列車で渡り四国遍路旅を断片的に始めた。長い道のりを歩き、札所に辿り着き一休み、そしてまた歩き出す。何故歩け . . . 本文を読む