自身の過去のブログ、といっても数年前だけれども、を読むと二重の思いがある。一つは、よく頑張って書いてるなあ(自画自賛🙏)であり、もう一つは、隔靴掻痒の感である。過去のブログにコメントつけて、内容を深めていきたい。そこから、過去の自身との討論から闘論へと成していければ、と思う。 . . . 本文を読む
「チョコレート効果cacao95%」(meiji)を食べてみた。強烈な覚醒効果を感じる。
チョコレートは齲歯の原因との思いがあるので、チョコレートの健康効果が話題となっていても、滅多に口にすることが無いままに来ていたのだが、患者さんから「チョコレート効果cacao95%」をいただいたので試してみた。
味はひたすら苦く、自身の知るチョコレートの味では無く、到底美味しいとは言えないものであった。( . . . 本文を読む
『あたらしいせいかつ1・2(上・下)』に目を通した。筋を通して読む学び、ということ、何となく......。
「弁証法が使えるものとして分かるには、自然・社会・精神という世界全体が分からなければならない、それらの事実を筋を通して分かるということが必須である。
そのための第一歩は、中学校の全教科を、特に理科と社会を筋を通して読むことが大切である。」
と、かねてより南郷先生は説いてくださっている。 . . . 本文を読む
『事件の涙 Human Crossroads選▽正義の告発 雪印食品牛肉偽装事件』 を見た。そのあまりに酷い現実に、自身であれば到底正常を保てない、と絶句させられるとともに、その現実に耐えて頑張り続けている姿に、ただただ頭の下がる思いがした。
昨夜、仕事後、父のリハビリを終えて帰宅して、食後にテレビをつけると、陸前高田市の醤油メーカー「八木沢商店」の復興?を取り上げた番組があり、大変だったんだ . . . 本文を読む
『旧かなづかひで書く日本語』(荻野貞樹著 幻冬舎新書)に学ぶことで、旧仮名遣ひで書くことを始めた。
すでにお気づきの方もおられるとは思ふが、本ブログはここ何回かは旧仮名遣ひで書こうとしてゐる。(全く不完全で、返つて読みづらいとは思ふが、ご容赦ください)
理由は、自身の先達への憧れであり、『旧かなづかひで書く日本語』で、旧仮名遣ひの方が例外が少ないと説いていただひているからである。
しかしなが . . . 本文を読む
雪駄の花緒が切れたので交換した。「馬には乗つてみよ。人には添うてみよ。」を実感する。
先日、出勤時に職場の玄関の階段を上つている途中で雪駄の花緒が切れた。小説や映画なら、「不吉な!?」となるところ?だが......。
予定外だつたが、丸屋履物店に依頼して「蜻蛉柄印伝福林花緒」に交換してもらつた。
急なことだつたので深く考へずに、見た印象だけでいつもと違うものでと決めた花緒であつたのだが、その . . . 本文を読む
『私の國語教室』(福田恆存著 文春文庫)を読んでいる。新仮名遣、新字体に大きな問題があった、あるのだということに二重に驚かされる。
旧字体=正体字というものに興味を持ち、何冊かの書を読む中で『私の國語教室』を手にした。
自身は、新仮名遣、新字体での教育を受けているのであるが、父の蔵書の学問書の多くが旧仮名遣、旧字体であったので、小学生の頃から、旧仮名遣、旧字体にはある程度馴染んでいたし、それら . . . 本文を読む
洋菓子の名前が思い出せなかったので思い出す努力をしてみたが、どうしても思い出せなかった。
記憶力の低下もスマホの弊害の一つであると思える、とともに、それは一面でスマホの恩恵ともなるもの、と思える。
今日、来ている海のそばに「チロル」という洋菓子が売っている。数年前に人にいただいて初めて食べて以来、気に入っているのだが、その名前がどうしても思い出せず、その味や色、形、食感等はリアルに思い描けるの . . . 本文を読む
今年初めて海へ来た。
例年、自身の海開き?はゴールデンウィーク前後であるのだが、今年は気温も低く個人的にも忙しくで来れていなかった。
今日は、30度を超えての気温となるらしいので、出来れば泳いでほぐして、と思う。
気温は30度近くまで上がったのだが水が冷たくとても泳げない、もう還暦だしなあとの思いで諦めの境地であったのだが、家族ずれがやってきて小学生と思える姉弟が水遊びからふざけて泳ぎだした。 . . . 本文を読む
雪駄で鼻緒ずれをつくってしまった。ものごとは量質転化的なのだなあ、と弁証法的な世界の法則性を実感する。
新しい雪駄の慣らし履き、最初の長時間の慣らし履きで鼻緒ずれが出来なかったので、調子に乗って今日も新しい雪駄で通勤しているのであるが、今日は早々に鼻緒ずれをつくってしまった。
これは、前から履いている雪駄だから大丈夫と、今年の雪駄履き始めにもかかわらず別の雪駄で長時間歩いてしまって、軽く鼻緒ず . . . 本文を読む
「丸屋履物店」から雪駄が届き、慣らし履きを始めている。履き続ければ履けるようになっていくのだ、と雪駄にも弁証法性(量質転化、相互浸透)あること実感するとともに、それだけに何事も「案ずるより産むが易し」は真理なのだ、と思えた。
日常履き(鍛錬用ではない)の雪駄が傷んできたので「丸屋履物店」(現在では雪駄の修理をしてくれる数少ないお店)に修理、見積もりをお願いした。
あちこち傷んでいたのを本格的に . . . 本文を読む
機能、機能的なもの、ということについて考え続けることで、漸くにそのことがアバウトにであるがイメージとして明確になって来たと思える。
考え続けるということの大事性実感する。とともに、スマホというものの恐さ、インターネットの弊害というものが具体性を持って感じられた。
自身の中で、機能、機能的なものということがしっかりと分かれていない。との思いから、それらの自身の中の理解を書いてみる、書いてみること . . . 本文を読む
本日、半月ぶりくらいに、昼休みの鍛錬行った。河原も新緑に包まれ、時の流れの速さを実感した。
そこに自身の諸々の環境の移ろいを重ねて見ることとなり、万物は流転する(Τα Πάντα ῥεῖ )ということ実感された。
とともに、だから古代ギリシャの人類は不変のもの、世界の根源、事物の本質を求めたのか!?と.......そのことの意義を感情レベルで実感出来た、と思えた。
そう思えると、自身の今の思 . . . 本文を読む
自身の生命力の幅が狭まっている、ということ実感する。それだけにしっかりと生活過程を整えることの必須性痛感される。
父の骨折、入院、オペ立会等々で、自身の生活が実体としても認識としても乱され......今朝は、数年ぶりに軽い喘息の発作が起きている。
自身で生活(食、運動、睡眠)を整えることで、しっかりと克服出来た、出来ていると思っていただけに、自身の健康な状態が微妙なバランスの上に成立しているこ . . . 本文を読む
本日で平成が終わる。思想的には右翼でもないので、今は左翼でもないが......今日、明日、明後日と仕事があることもあって、ただの4/30から5/1という月の変わり目とそう変わりも無いであろう、と思っていたのだが......。
平成の終わりを一区切りとして、自身のブログにも一区切りつけたいと取り組んできたからか......本日は大晦日にも似た、否、三十一年分の様々な像が思い起こされるという意味では . . . 本文を読む