パリの東方26キロに位置するマヌル県
セーヌ川の支流にあるこのお城は
ジェームズ・ロスチャイルド男爵によって
1855年から1859年にかけて造られた
イタリアルネッサンス様式のお城です
やたらと大小と称される‘食堂’が多かった
プライベート・ハウスとして
用いられていたので
客室も寝室・居間・浴室が揃った
スイート・ルームタイプ
建築を担当したのは
イギリス人造園家・建築家のジョセフ・パクストン1851年
第1回ロンドン万国博覧会で
クリスタル・パレスを建設した人物として有名です
昨今 このフロアでは結婚式が出来るとか?来年はここで式挙げなさい!と言われたけど…ありえないから!!
ちなみに
こちらのお城
1862年と1870年には
ナポレオン3世も訪れたと言う
由緒ある?お城
ジェームズ男爵は
アートにも目がなかったらしく
そのコレクションも膨大な量だったとか?
ですが
1870年から71年におきた
ドイツとフランスとの戦争(普仏戦争/独仏戦争)
そして
第二次世界大戦を経て
多くの芸術コレクションが
略奪されてしまったそうです
洋式です
また
このお城自体
1959年まで空家となっていたそうで
最終的には
1975年に
ジェームズ男爵の子孫である
ギードロスチャイルドとその妻が
フェリエール城をパリ大学の大使公邸に寄付し
今日に至ったいるそうです
白い椅子が見えますが
この椅子の後ろの壁
なにげに
集中暖房なんです
一応バスルームなんですけど普通にテーブルとかあるし…
隣には
バスルームとは思えない
フロアが…
1階のフロアは
殆どが応接室として使用されていたようです
木の温もりを感じるお城でした
見学に疲れてしまった子供たちは
あろう事か
展示品の椅子に腰掛け…
でも
ガイドのマダムが
何も言わなかったから
いいのか??
セーヌ川の支流にあるこのお城は
ジェームズ・ロスチャイルド男爵によって
1855年から1859年にかけて造られた
イタリアルネッサンス様式のお城です
やたらと大小と称される‘食堂’が多かった
プライベート・ハウスとして
用いられていたので
客室も寝室・居間・浴室が揃った
スイート・ルームタイプ
建築を担当したのは
イギリス人造園家・建築家のジョセフ・パクストン1851年
第1回ロンドン万国博覧会で
クリスタル・パレスを建設した人物として有名です
昨今 このフロアでは結婚式が出来るとか?来年はここで式挙げなさい!と言われたけど…ありえないから!!
ちなみに
こちらのお城
1862年と1870年には
ナポレオン3世も訪れたと言う
由緒ある?お城
ジェームズ男爵は
アートにも目がなかったらしく
そのコレクションも膨大な量だったとか?
ですが
1870年から71年におきた
ドイツとフランスとの戦争(普仏戦争/独仏戦争)
そして
第二次世界大戦を経て
多くの芸術コレクションが
略奪されてしまったそうです
洋式です
また
このお城自体
1959年まで空家となっていたそうで
最終的には
1975年に
ジェームズ男爵の子孫である
ギードロスチャイルドとその妻が
フェリエール城をパリ大学の大使公邸に寄付し
今日に至ったいるそうです
白い椅子が見えますが
この椅子の後ろの壁
なにげに
集中暖房なんです
一応バスルームなんですけど普通にテーブルとかあるし…
隣には
バスルームとは思えない
フロアが…
1階のフロアは
殆どが応接室として使用されていたようです
木の温もりを感じるお城でした
見学に疲れてしまった子供たちは
あろう事か
展示品の椅子に腰掛け…
でも
ガイドのマダムが
何も言わなかったから
いいのか??