本日は母に貰った大島、自分で買った一重の帯。帯締めは姑様のごみ部屋の中から発掘。帯揚げは京都西陣の帯の製造卸問屋「渡文」を見学したとき買った。
帯は8万くらいから、新幹線代出しても地元デパートで買うより安いとのことで、豪華な帯の数々見学させていただきました。
能衣装も織っていました。能衣装って刺繍とばかり思ったいたけど、織り柄でした。
いい着物は全然持っていない私、でもまあいいものでなくても着物は着たもん勝ち、自分が楽しければそれでよし。
母の大島は横双、しかも画素数少なし。
地元呉服店で買った時は高かったはずだけど、今はリサイクル市場でしか見ないかも。
体型が似ているので着ていて楽_| ̄|○
母はこれに絞りの羽織を組み合わせて、ちょっと気合の行った外出はよく着ていた。
ピーターのお母さんも着ていましたね。ピーターとはこちらの方です。
69'「夜と朝のあいだに」ピーター - YouTube
レコード大賞の会場で、大島に絞りの羽織で涙ぐむお母さん。2本目の動画の4:16頃にはっきりと映っています。
1970年のお正月明け、私20歳、高校の同級生だった男の子と、地元ライオン通りの喫茶店で、そろそろ話が途切れたのでジュークボックスのこの曲リクエストしたら、その男の子にえらくけなされた。
下らん、風俗的にも新しいはずなのに、親が出てきて、泣いていた・・・って。
いいじゃないの、歌聴くだけだから。と答える私。
この話のツボは、年末、みんな同じテレビを見ていたという時代があったということ。
弟は毎年のお正月、同級生で集まって紅白の話で盛り上がっていた。布施明のビラビラがよかったとか。はい、愛は不死鳥ですね。
昭和も平成も過去になり、頑張って大島着ていた時代も遥かに遠く。
軽くて締めやすかった。
耳朶がでかいのは祖父、父親譲り。でもまじまじと見たことなかった。
大きいからって、人の話をよく聞いてませんね。家の中では特に。
しかし、年も取ったことだし、これからは協調性のある穏やかな老後にしたいものです。
身体的にはコンプレックスいろいろ、写真公開するのは嫌ですが、着た記念に。
帯締はもう少し上でも。
外出します。
マスクと半襟のコラボ。絞りの羽織地から作る。
ピーターのお母さんの着ていたような羽織は、半コートくれた近所の人が、別のときにくれました。
誰でも絞りの羽織着ていたんですね。
絞りのマスクは顔に密着しないので楽です。型紙なし、25センチ四方で手縫いで作りました。和服地なら手縫いが簡単なようです。
さて、着物着ても歩いてばかりの外出では時間がかかる。近所の用足しは自転車で。
滑りの良い化繊の風呂敷を帯締めに挟み込んでエプロンの代わり。
風呂敷は大きめがおすすめ。
草履の代わりに合成樹脂製の簡単な靴を。
草履は危ないし、ちゃんとした靴はおかしいし、結果、これになりました。
ホームセンターへの途中で。
裾の乱れは風呂敷がカバー。裾は全然邪魔になりません。
着物は滑りの良い記事がおすすめ。絞りとか結城は難しいと思います。
帰り道。あらよっと。
今日もいいお天気。
この後、自転車で「こども食堂」へ寄付金届ける。
今年一年、我が家は今の仕事始めて以来の売り上げ減でしたが、家族全員、何とか無事に一年が終えられそうです。その感謝を込めて。
本当はお手伝いすればいいんでしょうが、とりあえず今回は寄付金だけ。子供たちのクリスマスケーキ買う一部にしてもらえるそうで、よかったです。
元々は地域猫活動している知人の話を人づてに聞き、自分なりのボランティアとして考えました。私の中では猫より人間です。同列に話すのも失礼ですが。
子供たちは大きくなって、社会に貢献して税金も払ってくれます。どんな子供にも明るい未来がありますように。
ケーキと言えば、私が子供のころ、空襲で焼け出され、うちの北座敷に疎開していた町の自転車屋さんが、自転車の後ろにお歳暮のクリスマスケーキ括り付けて持ってきてくれるのがとても嬉しかった。
昭和30年代です。
もう少し大きくなると、ケーキもたくさん出回るようになり、弟の誕生日とクリスマスと、二回ホールのケーキ買ってもらえるのが嬉しかった。
遠い、遠い、昭和の時代の話です。