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「帰郷」 浅田次郎

2016-08-09 | 読書

八月は、先の戦争とその犠牲者について思いを致す月である。

私が子供のころには、特に夏は、周りに戦争の話があふれていたが、気が付けばもうそんな話を聞くこともなくなった。

著者は戦後生まれだが、戦争の中にこそ、人間の本質が見えるドラマがあふれていると考えているのだろう。

短編集だが、全編、戦争の話。南の島の戦場、自衛隊の中に見る旧軍の幻、戦後の混乱した社会で行き場を無くした復員兵、などなど、どれも鎮魂の八月に読んで心にしみた。

理不尽な死を前にして魂が純化される。生きるも死ぬもほんのちょっとした偶然、生き残った者も、帰れたものもまた困難な戦いが待っている。それを体験記ではなく、人の心の中まで描写する小説で読むことで、たいそう迫力があった。


 

この話は小説とは外れるが、原爆の体験談はいまでも地元紙には引き続き載っているけれど、外地での戦争体験などは、最近ではまず目にすることもなくなった。果たしてこれでいいんだろうか。

原爆に体験伝承者ができたように、戦争体験も語り継ぐことが必要ではないかと思った。遠い外地で、非業の死を遂げたたくさんの日本の若い人たち。そこへ思いを致し、不戦の誓いをする。この国の戦後はそれから始まったはず。そのことをまた思い出した。


蛇足ながら、表題の「歸郷」。玉砕した部隊の奇跡の生存者、帰ってみたら、戦死公報が届いていて、「未亡人」になった妻と弟が再婚し、家を継いでいる。義兄が駅で待っていて、お金を持たせて家には帰るなと追い払う。切ない話であるが、玉砕した者を「きっと生きていると思った」と毎日駅で待つ設定は無理があるのではなかろうか。

私なら、帰ってきた鹿児島なり、舞鶴の港から家にハガキを書くという風に書く。家では大騒ぎになり、義兄が駅で復員兵を待っている。この方が話がスムーズ。

というのは戦後音信不通だった伯父は中国で捕虜になっており、一年後くらいに「帰れそうだ」とハガキが届いたと母が言っていたから。外地で書いたのか、内地か聞きそびれたけど、それからしばらくして実際に復員してきたそうです。

そしてもう一つ、東京へ出てきて、行き擦りの女性と所帯を持とうと話すところで終わるけど、ちょっと待って。まず出身地役場へ出向いて戸籍を復活しないと社会で生きていけないのでは。たぶんこの小説が終わった後、その手続きして、物陰から自分の子供も見るのかもしれないけど。

何にしても切ない話である。


若い頃の知り合いのさる男性、兄姉は戦死した伯父さんの子供、自分の父親はその弟で、それを知ったのは高校のころだと話していた。

「昔はよくあった話だったらしいけど・・・」と、しんみりと話していた。それ以上は聞かなかったけど、戦争はいろいろな人の人生を変えたのでした。


 新幹線もない小学生のころ、列車は向かい合わせの座席で、大人の男の人はよく戦争の話をしていた。出征はどちらへ、というのが話のとっかかり。うちの父も誰彼となくそんな話をしていて、舅様にもまずその話を振っていた。

軍医で上海にいて、そのくらいしか私は知らない。私の父は横須賀から佐世保へ移動した後、敗戦。8月末には復員したそうなので、幸運な方だった。叔父はニューギニアで戦死(餓死)、母方の伯父は中国から無事帰還、叔父は潜水艦に乗っていて東シナ海かどこかでなくなったらしい。

人一人の命は地球よりも重い筈だけど、若い命がむざむざと殺されたのが戦争。それを避ける努力ならしてし足りないということはないはず。大丈夫ですか。日本の政治家の皆さん。

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