井上荒野の直木賞受賞作。
大変面白く読みました。
九州のどこかの離島、セイは父親の亡きあと島に戻って小学校の養護教員をしている。、島出身の夫陽介は画家。小学校には本土から愛人が通ってくる、奔放な月江先生の他に、石和聡という音楽専任の若い男性教師がやってくる。
石和は誰とも親しくするわけでもない謎の男。しかし、セイはそのたたずまいが気になってしまう。
切羽きりばとはトンネルを掘る時の一番先の部分、掘り続けて行けば、やがて切羽はなくなる、そのぎりぎりの場所。
好きになった場面とか、愛の言葉の描写はない。ただ淡々と普通の、その場に応じたやり取りがあるだけ。それでも、セイが石和に惹かれる心の動きはまぎれようもないと読者にはわかる。夫陽介にもわかる。三者三様、言葉には出さない。
月江の愛人は島に逗留し、やがて本土から妻が乗り込んできて港で一悶着あるが、石和が割って入る。やがて、月江は石和と結婚すると公言するが、石和と愛人の大げんかの後、結局は愛人の方を選ぶ。石和は学校へ来なくなった。
島の老女がなくなり、部屋の片づけに石和は来ていた。セイはそのことを予感していて、予感していた自分に驚くこともない。そして、自分の父親が仕事をしていた病院の跡へ石和を誘い、ベランダから山の中腹のトンネルを見る。セイの母親がそのトンネルの一番奥で十字架を拾ったことを話した後、石和はただ一言「さよなら」とだけ言う。
毎日の人の生活も、こんな風で、決め台詞に充ち満ちているわけではない。描写しないことでより深く描写する。夫陽介も妻の心の動きがよく分かっている。嫉妬は言葉にも態度にも出ないが、ふとした描写に読者は夫の焦りを感じることができる。
石和は学校を、島を去った。石和の存在は、周りの人間の在り方もあぶり出し、変えていく。セイは妊娠したところで小説は終わる。
人が人を思う、人を好きになるのはいろいろなパターンがあるけれど、口に出さず、態度に出さず、周りの誰をも不幸にせず、愛が始まり、やがて終わる。夕闇の中で、無言で見つめ合うその一瞬のために、さよならを言うためにこの物語がある。さよならを言うことで、初めて確認している間柄。
その目線やたったの一言が、とてもエロティック。お勧めです。