本屋で思わず手に取った、東大 京大で一番読まれた本の帯にひかれて
しまって買ってしまった、哲学書。
暇とは何か人間はいつから退屈しているのだろうか・・・
答えにたどりつけない時に、哲学は大きな助けになる。
著者の導きで、スピノザ、ルソー、ニーチエ、ハイデガーなど先人たちの
叡知を読み解けば地の樹海で思索する。
現代の消費者社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘・・・
タイラー・・・
消費者社会では退屈と消費が相互依存している、終わらない消費は退屈を
紛らわせるためのものだが、同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し
消費は退屈を生む。ここに暇が入り込む余地はない。
マルクス・・
自由の王国は欠乏と外的有用性によって決定される労働が止むときにのみに
始まり その場合にのみ 肉体の直接的な欲求の支配が終わるからである。
マルクスが言う自由の王国は労働日の短縮によってもたらす暇において考えられる・・
ハイデガー
本当に恐ろしいのは なんとなく退屈だ という声を聞き続けることなのである。
私たちが日常の仕事の奴隷になるのは なんとなく退屈だという深い退屈から逃げる為だ・・
人の生活がバラで飾られようになれば、人間関係も産業構造も少しずつ変化
していくだろう。非正規雇用を構造的に要請する、ポストフォーデイズム的
生産体制も見直しを余儀なくされるだろう、それは大きな社会変革になる
暇と退屈の論理学は革命を目指していない、だが社会総体の変革を目指している。・・・・
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