以前から読もうと思っていた方丈記を夜に一気に読んだ。
原典と現代訳と両方あったので、原典を読みながら現代訳を読むという感じで読んだ。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとまりたるためしなし。
世の中にある人と栖と、又かくのごとし。
ではじまる方丈記は短い随筆、400字原稿用紙では20数枚ほど・・
前半と後半とに話がわかれています。
訳がよくわかるので、訳を中心に読む。
訳から・・・
権勢あるものは欲深くて、心がみたされるということがない。誰とも関わらない孤独な者は、後ろ盾がないことから
軽んじられる。財産があれば心配が多くなるし、貧乏なら悔しさや恨みの気持ちが去らない。人を頼りにすれば、その人の
いいなりになる、人を養い育てると、自分の心が愛情に振り回されてしまう、世間の常識に従がわなけらば、まともでないと
思われてしまう。(1000年前も今もまったく変わらないのだね・・人は根本的なところで進歩してないということか)
私は自分の為に庵を作った。人の為でない。なぜかと言えば、今の世の中、自分の生き方には、ともに住む人もいないし
頼りにする下僕もいない。家を広く作ったとしても、だれを泊らせ、だれを住まわせるというのだろうか。
世間一般の友人の付き合いを見ると、まず財のある者を重んじて、愛想の良い者と親しくなろうとする。
必ずしも情が深いことや正直さを大事にしてるとは限らない。・・・・
方丈の庵は引っ越しするたびに小さくなるようで四畳半から六畳ぐらいの大きさだった、柱や板は留め金で固定し
すぐに引っ越しできるようにしてあったようです。
起きて半畳、寝て一畳というけれどほんとにそれで十分なものだろう
温泉旅館や仕事で出張でホテルに泊まるとなぜか快適な感じがするのはなんでかというと・・
やはり必要なもの以外なにもないという環境が快適にさせてるのだろうと、物の所有の束縛からの解放という心なんだろうか
と思う。
寅さんはあのトランクが全財産旅に生きるとはそのようなものだろう、人生を旅をするのも物を少なくして旅をするのが
いいのだろう・・
そうそう最近食べるものの写真を撮るのをやめた、SNSでインスタバエするものの写真を撮ってうまいだろうと
いうのもあほらしい感じがする、本末転倒な感じがする味や素材よりもインスタバエとは・・またそれを利用してる
マーケッターも・・ものの本質が逆転しているようだ