八千代市 村上 16号から少し西へはいったところに正覚院はある。
正覚院館として城であった、
寺のある谷の部分と北側の台地に城があったと思われるとのこと
城というよりほとんど寺です。
釈迦堂・・
古いお堂
谷部分の寺にいく階段、ここが土塁の役割
城になった由来は不明
八千代市の資料によると・・
(1)正覚院が防衛のために、戦国期に武装して、堀をそなえるようになった
(2)谷戸部に営まれていた寺院が、なんらかの軍事的緊張時に、手を入れられ、陣城として使用するために、拡張工事が行われた。
との由来が考えられるとのこと・・・
すぐ近くの対岸には、大田道灌が、米本城を攻撃する際に陣城として取り立てたといわれる権現山砦がある。「軍事的緊張感」が高まった時代としては、その際のことがまず想定できる。
との考えもあるとのこと
寺が城といわれるとやはり一向宗の石山本願寺の要塞を思い浮かべることができるが・・