KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

あ~あ・・・残念雨滝山!

2025年03月13日 | 香川の里山

今日の予定は午後から奥さんとお出かけ。『お昼までには帰って来てね!』と言われて、先週に続いてYAMA

Pの山頂ポイントをゲットすべく出かけてきた。

お昼までにはと云うと、まずは登山口までの移動時間が少なく、行動時間もできるだけ短い山でかつポイントは

できたら2つ以上はゲットしたい、そう考えて隣町の雨滝山と火山を歩くことにした。

雨滝山は息子が小学生の時に一緒に登ったことがある。火山は中腹にある西教寺奥の院から登ったが、その時の

記憶は瓶盥の記憶しかなく、山頂まで歩いて記憶が全くない。今回はこの二つの山を縦走して、麓に降りて周回

する予定だ。空は生憎霧がかかって朝日も霞んで周りは薄暗い。自宅から車を停めた雨滝森林浴公園の駐車場ま

では、20分ほどで着いた。

 

 

駐車場からは雨滝山を回り込むようにして続く舗装路を、北西に向かって歩いて行く。舗装路は山頂からの支尾

根に差し掛かると北東へと方向を変える。ここで鉄製の階段が取り付きとなる。

階段を登りきってもしばらく急登が続いていく。急登が終わると段々になった地形を(雨滝城の曲輪の跡だろう

か?)回り込みながら登って行く。

 

 

 

一瞬山頂かと見間違った平らにた場所は、一段下の郭だった。中央部には石仏が一体。その先の虎口(こぐち)

に当たる場所から一段上がっていく。「虎口」(こぐち)とは、城や各曲輪の出入り口のこと。大勢の敵の侵入

を防ぐために小さくしていたことから「小口」とも書かれていて、この小口が危険な場所を表す中国の故事「虎

口」(ここう)とつながって、「虎口」(こぐち)と呼ばれるようになったと推測されている。

 

 

 

その虎口を登ると山頂に着いた。息子と登ったのは20年前。その時はたしか竜王社の前に鳥居があった記憶が

あるが、今は見当たらない。代わりにお賽銭を入れるポストと可愛らしいぬいぐるみがあった。

 

 

 

霧がかかってなければ津田の街並みを見下ろせたはずだが、霧が濃すぎて影も形も全く見えない。

道は北に向かってはっきりとした踏み跡が続いていて、一瞬間違えそうになるが、説明版の左横から南東に向か

って縦走路になっている。

 

 

 

火山への縦走路も曲輪が何段かになっていて、一部で石垣らしい跡も残っていた。縦走路はそんな曲輪の段をト

ラバースするように続いていく。

 

 

 

トラバース部分を過ぎるとロープを張った急坂。土に適度な湿り気があって割と滑りにくく、ロープを使わずに

降りて行けるが、これが乾いた斜面だとなかなかだ。坂の写真は上から撮るより下から撮る方が実際に近く斜度

が分かるので、振り返って撮ってみる。

 

 

急坂を下ると尾根を真ん中にして道が両側に分かれていた。右手の道が明瞭なので間違えやすいが、ここは尾根

の左手を進んで行く。

 

この縦走路にはいびつな形をした木の枝や幹を度々見かける。この枝はタオルを絞ったような形をしている。

一瞬笹に覆われた道になり、ズボンが露で濡れる。笹道を越え下って行くと切通になった峠の手前に出た。

県道の柴谷隧道ができる前まではこの道が津田町と大川町を結ぶ道だったのだろう。

 

 

 

ここでスタートから初めてYAMAPを見てみると、な・な・な・なんとスタートボタンを押していなかった。

せっかくの2座ゲットの目論見が、脆くも崩れてしまった。(@_@;)

峠の切通の奥には雨滝自然科学館の敷地が見えているが、相変わらず霧は濃いままでテンションも一気に下がっ

た。ここから引き返してポイントをゲットする時間はないので、トボトボと道の向かいの鉄塔保線路へと取り付

き登って行く。

 

 

取り付きから尾根に出ると、この間で一番雰囲気のある道になる。周りの木々の葉はすっかりと落ちて、霧で日

差しが遮られていても、明るい道になっている。笹もきれいに刈りはらわれていて歩きやすい。

暫くすると鉄塔広場に出た。この支線は津田町の変電所へと続いている。

 

 

縦走路はさっきまでの笹の道から、ウバメガシの生える沿岸部の尾根道の雰囲気に変わって行く。

またどうやったらこんな形になるのだろう?と思うような異形の木。どこかの展示会で題名を付けて、現代芸術

作品と展示されていたら、おそらく見る人は疑わないだろう(笑)

 

 

暫くすると『火山遊歩道』と書かれた道標の立つ分岐にでた。ここから右に下って行くと、西教寺の奥の院へと

下って行ける。遊歩道らしくここからは道幅が一気に広がり、落ち葉は道の脇に掃かれてきれいになっている。

 

 

 

遊歩道の先にもう一つ道標が立っていたが、先ほどの道標と同じで火山ではなく瓶盥と書かれている。この道標

の先で木の幹に火山と書いた札が掛かっていた。その札の矢印に沿って左手に進んで行く。

 

 

 

遊歩道がきれいすぎて普段だと何でもない笹の生える道が藪になったように感じる。一旦くだって245mの

標高点を過ぎ、また下って登り返すと火山山頂。四等三角点 西山 259.79m

 

 

 

県内には同じようにこの火山と名の付く山や、火ノ山、火上山と呼ばれる山があるけれど、いずれも戦国時代に

敵の襲来を告げる狼煙場があったのではと云われている。この火山も地形的には周りが見渡せた場所のようだが、

今は木々に遮られて眺望は全くない。

 

 

 

火山からは一旦もと来た道を引き返す。途中なぜかこんな稜線上にドラム缶が転がっていた。地形図を見てみる

とそのドラム缶の先は砕石場のようになって切れ落ちた地形になっていた。今は営業はしていないようだが、何

かの機械を動かすのに使われていたのかもしれない。

 

山頂から分岐まで戻り左に折れて遊歩道を進んで行くと、緩やかな下り坂の奥に忽然として水たまりが現れた。

山の中腹でもなく山頂近くにあって、汲んでも汲んでも尽きない程の水を蓄えていて、長径16m短径10mの楕円

形の形をしている。

その昔、土佐の長宗我部元親が隣りの雨滝山の雨滝城を攻めた時、合戦が終わって、疲れた兵士がここへ来て頭
 
の鬢を洗ったという。そこで人々は、この火山の頂上にある穴(池)を「ビンダライ」と呼んだそうだ。

 

 

 

水溜まりの外周をぐるっと回ってみるが、流入水の箇所は見当たらない。すると地下から湧いているのだろうか?

東の端に置かれたベンチの奥からは津田町の鶴羽の辺りが見下ろせる。生憎の霧だったが、先ほどよりは少しマシ

になって、ドルフィンセンターや高松自動車道の津田SAが見える。

四国では三嶺の山頂近くの池が有名だけれど、あの場所は降雨によって水が流れ込んでいるけれど、この場所は

全くそんな雰囲気もなくとにかく不思議だ?

 

 

 

 

瓶盥から折り返して奥の院の分岐まで戻って遊歩道を下って行く。九十九折れの階段状の道を下っていると道の

脇でポタリと音がした。少し色が変わり始めた椿の花だった。

 

 

九十九折れの道を下りきると奥の院に着いた。菩薩像の奥に、弘法大師が一夜で彫ろうとして鶏の声を聴き夜が

明けてしまったと勘違いをして諦め、大窪寺に向かったという伝承が残る摩崖仏。胸から下が剥落していて全体

像は不明だそうだ。

 

 

 

その摩崖仏の横には穴薬師と云われるお堂の中に入ると、巨石に小石仏が岩壁に彫られている。自然に重なり合

った巨石が転がらずにいるのが何とも不思議で自然が造る妙だ。

 

 

穴薬師にお参りした後、寄進されたミニ西国33観音の石仏が並ぶ参道を下って行く。正面には大川町富田の田

園風景が広がっていた。

 

 

参道の入り口の石仏は『一番 那智山 青岸寺』と彫られてあった。ここでまた今日二度目の失敗をしてしまっ

た。事前に周回ルートを頭に入れていたはずなのに、本来右手に折れて進むべきところを左手に折れてしまった。

右手を見ると登って峠になっているのが見えたので、頭の中でここからは下りと思って勘違いをしてしまったの

だった。

 

 

間違いには気づかずにどんどん坂を下って行く。道の脇には石仏と丁石が一定間隔ごとに並んでいた。そんな

石仏は朽ちかけたものもあり、参道の石仏と比べると随分と時代かかっていた。

大きな火山遊歩道の案内板と道標の前で、案内図を眺めながらふとYAMAPを覗いてみると、ここで初めて間

違いに気が付いた。予定していたルートと比べてこのまま歩くと3倍ほどの距離になっていたが、地形図を見る

とここからさらに下に大きなお寺のマークがある。『おそらく案内図に書いてある西教寺かな?』そう思って、

時間はかかるが寄ってみることにした。

 

 

 

先ほどの奥の院の摩崖仏が一夜仏として彫られていたなら、弘法大師は大窪寺には行かずに、この西教寺が結願

の札所となったかもしれないと云われている。本堂も大師堂もりっぱな造りをしている。山門の前の二本の大き

なクスノキも見ごたえがある。

 

 

 

さぁここからは単調な下道歩き。時間は10時30分。車での移動時間を考えるとゆっくりとはしていられない。

いつになく速足で歩いて行くが、ソールの柔らかい靴とトントンと速足で歩くせいか、膝より腰の痛みが増して

きた。それでもキャベツ畑の向こうの紅白の梅や、集落の氏神様の小さな神社を眺めながら車を停めた駐車場目

指して歩いて行く。

 

 

 

県道まで来ると最後の最後に登坂。坂道をなんとか柴谷隧道まで登ってくると、まださらに隧道の上に道が見え

る。するとふと横を見るとお地蔵さんの横にショートカットできそうな階段が見えた。迷わずそちらの道を選択。

少しづつ登って行くとけっこう距離を短縮して雨滝自然科学館の手前に出ることができた。

 

 

 

 

下道歩きも思ったよりも時間がかからずに済んだので、少し館内を見学してみた。1階には津田湾を中心に生息

する魚類、2階には各地で発掘された化石類が展示されていた。

今から40年近く前に一人の小学校の教員が、この施設の前でコツコツと採掘をしていたところ、ナマズのよう

な形をした化石が見つかった。国立博物館に持ち込んだが『別の魚だと思います』と言われて諦めていたところ、

10年経って『世界最古のナマズの化石』として認められ、学界でも発表された。メディアでも大々的に取り上

げられ、自治体が動いてこの施設ができたそうだ。

時間がなかったのでゆっくり見ることはできなかったが、また機会があれば訪ねてみたい。

2座のポイントゲットの計画は脆くも崩れてしまったが、500年前の化石から弘法大師、そして戦国時代の話

と短い時間だったが興味の尽きない里山歩きとなった。

言うまでもなく山から下りて急いで帰って、お昼からは奥様のご機嫌取りでこちらの株価も上げて、有意義な一

日となった。

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿