KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

最強寒波だ、不動の滝の氷瀑だ!

2025年02月06日 | 香川の里山

テレビの天気予報のコーナーでは気象予報士がしきりに『今週は日本列島が今シーズン最強寒波に覆われます!

』と天気図を指さしながら説明していた。

それならと、坂出の城山不動の滝がひょっとして凍ってないかと思って、予定していた別の里山を変更してW

OC登山部のFBに案内してみた。ルートはYAMAPのからちゃんさんの周回ルートを参考にして西庄の別宮神

を起点としてみた。集合場所の国道11号線の西庄高架下には男性3名、女性3名の6名が今回集まった。

高架下の日陰ではさすがに寒すぎるので、挨拶もそこそこに直ぐにスタートする。

 

 

国道の側道から歩道へと進み、高松カントリーの大きな看板から不動の滝登山口の矢印に沿って山の中へと入っ

て行く。その入り口の歩道にはなぜかバナナの皮が散らばっていた。日が経って古いのもあれば真新しいのもあ

る。『おサルさんがここで一服してるんやろか?』と冗談を言ったが、誰かがここで散歩途中で毎回捨てている

のだろうか、それともバナナの皮で滑って転ぶ人がいないかと、愉快犯の仕業か!

 

 

 

国道から地道に入ると『里山整備中』の看板。最近どこの山でも地元の人が色々と里山に手を入れているのを見

かける事が多い。特に三豊市辺りの里山は山頂付近は眺望確保のために木々が伐採され、所によっては山頂から

の眺望を写真に写して、その写真に山名を書き込んでパネルにしている山もあって、まるで観光地の様相だ。

果たしてそれがいいのかどうか?疑問に思うが、この道はどうなっているのだろう、なんて思いながら歩いて行

くと車が一台停まっていた。車は2~3台なんとか停められるスペースがある。ここからが登山道になる。

 

登山道は場所によっては土嚢袋を置いて階段状にして歩きやすくしているが、手すり用に張られたロープが道を

横断していて、何度も跨いで行かなければならない。その内に目の前に巨大な砂防ダムが現れる。

 

 

ダムの突堤の横まで登ると沢沿いの道になる。その沢からは水の流れる音が聞こえている。するとあっちゃん

『あれ~けっこう水が流れているわね!』と一言。たしかに聞こえてくる水の音からして結構な水量だ。果たし

不動の滝は凍っているのか?気になり始めた。

取りあえず『案内に書いたように、凍っていなくても免責で!』と言い訳をする。

 

 

 

 

ベンチが二つ置かれた場所からはさらに道の傾斜が急になってきた。そして例のロープも続いていて、それを跨

いだり潜ったり。先ほどのあっちゃんの言葉がどんどん重くのしかかってくる。『ひょっとしたらツララが1本

くらいはあるかもしれません』と再度言い訳してみる。

するとツルツル凍った足元の岩が目に飛び込んできた。『ヌ・ヌ・ヌ~これは期待できるかも』と少し目の前が

明るくなってきた。

 

 

 

 

 

そうなると足取りも軽くなりどんどん登って行くと、城壁を思わすような皇寺奥の院の摩尼珠院の石積みが見え

ると先頭を歩くルリちゃんが、『白く見えるのは水の流れでなくて凍っているのよね!』と言っている。

『多分凍っているんだと思いますよ!』と答えながら期待感がどんどん膨らんでいく。

 

 

弘法大師修行の際、岩壁に不動の像を刻んだことから不動の滝と名付けられたと謂れている。その謂れと弘法大

師が摩尼珠院を創設したという事で、弘法大師像とその後昭和八年にこの不動の滝を開いたという塩田芳一師

像が滝の横に祭られていた。

 

 

不動の滝は完全氷結とはいかないが、段々になった岩壁から溢れた水が凍り、何十・何百本のツララとなり凍っ

た姿を我々に見せてくれた。滝の横では駐車場に停まっていた車の持ち主だろうか、大きなカメラを抱えて熱心

に凍った不動の滝を写していた。

 

 

 

 

滝の脇には緑の目をした不動明王が鎮座していて、訪れる人を見下ろしている。

 

 

 

ひとしきり不動の滝を眺めた後は山頂へと登って行く。滝の前に架かる赤い橋を渡り、水口・城門と書かれた案

内板に沿って登って行くと、メサ地形の特徴の頂部付近の露出した安山岩の岩壁は、屋島の冠ケ嶽でも見られる

誇大な岩壁。その下をトラバースしながら高度を上げていく。

 

 

巨岩の前で折り返してさらに登って行くと滝へと流れ込む沢沿いの道になる。途中で綾北展望台の案内板が木の

枝に掛けられていて、前回WOC登山部で来た時はその案内板に沿って左に沢へと降りて行ったが、今日はそのま

ま沢沿いを直進する初めて歩く道。

すると前の方から何やら声がした。近づいて行くとWOC登山部のメンバーのさおりんとゆかりんだった。

話を聞いてみると今日は垂水町の寅食堂でランチの予約をしていて、それまでに歩ける場所という事で山の上に

車を停めて不動の滝へ降りて行く途中だそうだ。

 

 

 

二人と分かれて沢沿いの道を歩いて行く。道の脇には登山口の看板に書いていた城山里山の会の人たちが置いた

のかベンチが並んでいる。坂出市内にあってこの沢沿いの素敵な景色はなかなか無い。この時期は別にして、ベ

ンチに腰掛けコーヒーでも飲みながら流れる水を眺めるのもいいかもしれない。

 

沢沿いの道は何度か右に左に渡渉する。すでに周りは高松カントリーのゴルフ場の中なのか、ゴルフ場のコース

の間に架かる橋が頭上に見える。

 

 

 

 

沢沿いの道を抜けるとスズタケが刈られた道になる。道の脇にはため池。道にはゴルフ場から飛んできたゴルフ

ボールが目立ち始める。

 

 

 

スズタケ原を抜けると一旦舗装路に出た。白いゲートの脇を抜けると民家や施設の建物がある小さな集落になる。

ここで少し寄道。からちゃんさんが活動日記に書いていた西庄小学校の分校跡を見てみたいと思い、二股になっ

た道の左奥へ歩いて行く。すると突き当りはただの民家で人の住む気配はなかった。

諦め戻って行く途中に山側にある廃屋の横にブランコがあるのをルリちゃんが見つけた。鉄製のブランコは運動

場によくあるブランコ。するとその横の廃屋が分校という事になるが、もうすでに木々に囲まれ埋もれてしまっ

ていた。

 

 

分校跡から二股まで戻り左に舗装路を進んで行く。ポツポツと建つ民家や鶏舎のような建物の横を通り、ゴルフ

場のコースを横目に見ながらさらに進んでい行くと県道に出た。

 

 

 

県道の脇にはどでかいアメ車のカマロが捨てられている。その横に『頂上へ登り口』と書かれた道標が木の枝に

掛けられていた。舗装路から道標に従ってまた登山道へと入って行く。

 

 

先ほど見えたゴルフ場のコースを左に見ながら登って行くと、1メートルほどの高さの石塁が目の前に現れた。

城山は名前のとおり古代の山城のあった場所で、山上の平坦部から急斜面に変換する地点にこの石塁と土塁が二

重に巡らされているらしい。

この石塁は上側の車道で分担されているが、車道から斜め上にも続いていた。

車道からからちゃんさんのルート通りに山側に入って行くと、途中から少し藪っぽくなったがここは素直に車道

を歩いた方が良かった。スズタケをかき分け再び車道に出て、あとは道なりに歩いて行くと山頂広場に着いた。

 

 

いつ来てもこの山頂からの眺望は素晴らしい!強風のお陰で空気が澄んで、北側の瀬戸大橋がいつになくくっき

りと見える。南には高松市内、綾川・綾歌の里山が一望できる。南側は雪雲のせいで霞んではいるが、特に目の

前の十瓶山、少し東の六ツ目山・伽藍山・挟箱山のおむすびさん兄弟。そして西に見える堤山・高鉢山岐七

富士など香川の里山らしい特徴的なきれいなおむすび山が一度に眺められる。

 

 

 

 

それにしても風が強い。強風と言うより爆風と言った感じで油断すると足元がグラつく。展望台の中の階段に避

難してお昼ご飯にする。強風のお陰でさっきまで陽が当たっていたと思ったら、入れ替わり立ち代わり直ぐに雪

雲が流れて来て、度々雪が降り始める。

 

 

 

手袋を脱ぐと手が凍えて痛い。今日はこのところ過食ので体重が増えてしまったので、お昼ご飯は食べずに行動

食だけで済ましたが、この寒さのお陰で食欲も全く沸かなかった。県内には7つある一等三角点 城山 462.26m

の石柱はやっぱりデカイ!

ヤモッチさんに写真を撮ってもらった後はすぐさま吹きっさらしの山頂を後にする。

 

 

 

山頂からトイレのある駐車場へと降りると北側にゴルフ場のカントリークラブ越に坂出番ノ洲の瀬居島、その奥

には瀬戸大橋が続いていた。

下りは素直に車道歩きと思ったが、途中の色々書かれた案内板に誘われて、また車道の脇へと入って行く。

 

 

途中テープを見失って木々の間を掴まりながら降りると県道に出た。そのまま県道を下ってカマロが捨てられて

いるヘアピンコーナーを左に折れて、直ぐにガードレールの脇から『古代山城 車道』と書かれた案内板の横を

通って一旦下って行く。車道とはその昔、山頂に立派な家を構えていた長者が、足の悪い娘を車に乗せて一緒に

散歩したという民話が残っている道だ。

 

 

 

 

県道から下るとまた登りの時とは違う小さな沢に出る。その沢に沿ってしばらく下り、一旦沢を渡渉すると今度

はしばらくの間登坂になる。

 

 

 

 

国指定史跡の文化財として指定されている城山。その印なのか『文化財保護委員会』と彫られた石柱が結構な間

隔であったが、そのほとんどが傾くか倒れているかしていた。

ゴルフ場の外周部を廻るようにして続く車道は、外周部までは割と急坂だったが、あとはほぼ平坦な道。外周部

から外れてくると今度は下り坂になり、道は次第に不明瞭になってくる。

 

 

 

ただテープがしっかり付いているので、テープを目印に下って行くと往路で歩いた沢沿いの道に出た。

しかし先に降りて行った二人の姿が見当たらない。『ルリちゃん~!』とあっちゃんが叫ぶと、向こうの方で返

事が聞こえてきた。しばらく待ったがそれでもやってくる気配がない。今度はひろちゃんが『お~い〇〇〇』と

奥様の名前を呼ぶとさっきは返事が返ってきたのに声がしない。『二人の愛は途切れたんですね』と冗談を言っ

ていると、その内に二人がやってきた。どうやら得意の朝ドラの話をしていて道を外れてしまったようだ。

ここでふと気づいた事がある。そうだ今回はあっちゃんが二人になっていた。これからどう書こうか思案の為所

だ。登山道から朝見た『綾北展望所』の案内板に従って沢へと降りて行くと、左手が不動の滝の落ち口になって

いる。段差になった川床を流れる水が飛沫となり、岩の所々を凍らせていた。落ち口に近づいて見ると真下に朝

渡った赤い橋が見えた。

 

 

 

 

この沢の川床は四角い岩が積み重なっていて、まるで人工的に作られた庭園のように見える。川床もそうだが周

りの露岩も四角い形をしたのが多い、火山の噴火でマグマが冷えていく過程でできる柱状節理が横になったよう

にも見える。不動の滝の落ち口を見た後は沢の上流へと歩いて行く。

すると対岸に案内板が見えた。沢を渡ると案内板には『綾北展望所』と書かれていた。

 

 

 

 

綾北展望所の手前に『遠見番所』と書かれたもう一つの展望所があった。緩やかに下っている山裾の奥に綾川と

横津川に挟まれた坂出江尻町辺りが見える。遠見番所となるこの場所、この眺望から遠見は分かるが、番所とな

っている意味が分からない。この場所が昔人の行き来のある交通の要所だったようには思えない。

 

 

 

遠見番所からは北にしばらく歩くと『綾北展望所』。山上から派生する支尾根の端部にあって、かなりの広さで

平場になっている。国道の金山トンネルを高松方面に抜けると支尾根が見え、笹原のように見えるこの綾北展望

が目に付き、いつも気になっていた。展望所には江戸時代に造られた『庚申様』の跡も残っている。

平場の端からは金山トンネルに続く国道を挟んで、左に常山、右に金山を見下ろせた。その二つの山の間の奥に

天霧山が遠く山影を見せていた。

 

 

 

この綾北展望所からあとは別宮八幡宮へ向かって下るだけ。枝に架けられた木の案内板には消えかかった文字で

『別宮八幡宮へ35分』と書かれている。地形図にも八幡宮に向かって破線が続いているが、今回はからちゃん

さんのトラックに沿って下って行ってみる。

 

 

道は次第に荒れて来て踏み跡も薄くなってきたが、やはりテープが所々に巻かれている。

するとからちゃんさんの活動日記に書かれていた巨大なブランコが現れた。背の高い桜の木の幹の両側から、長

いロープでブランコがぶら下がっていたが、こんな場所で子供たちが・・・・・?たしかに目の前の景色を見下

ろしながらブランコを漕いだら、アルプスの少女ハイジの気分になれるかもしれない。

 

 

ブランコから下がって行くと堀割のようになった道が続いていた。『ここを下りますか?』とあっちゃんが聞い

てきたが、掘割の道は大抵荒れていて石がゴロゴロしているので、そのまま土手を降りると声をかけた。

地形図の破線からは外れていたが、先ほどの案内板とは違って新しそうな立派な案内版が木の幹に掛かっていた。

但し道は不明瞭で落ち葉に埋もれて踏み跡もほとんどない。

 

 

暫くすると堀割の道も浅くなってきたのでその中を歩いて行く。次第に道に積もった落ち葉の高さが深くなって

いく。掘割を抜け出ると脇にキツネの遺体が横たわっていた。県内の里山でキツネを見たのはこれで2度目。こ

城山にも生息していたんだ。

 

 

 

その場所からはまもなく別宮八幡宮の裏に飛び出した。別宮八幡宮手水はなかったが立派な龍の手水の水元に、

境内もきれいに掃除が行き届いていた。

 

 

 

今まであまり経験したことのない強風と寒さの中、歩行中はさほどでもなかったが、山頂では手袋を脱ぐと凍傷

になってしまうのではと思うくらい気温も低く、風速1メートルで体感温度が1度下がるというのを実感。

最強寒波は噂?通りの最強!里山でも決して侮れない。


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