今日の天気予報はジェットコースター並みに慌ただしく、晴れマークがついているのは
午前8時から10時の間でその後は雨、そして夕方になってまた晴れマークになってい
た。『歩けるとしたら朝の2時間が勝負かな』と思って、地元の雲附山でもと考えたが、
せっかくなら未登の山がいいなと思って探してみると、そういえば今年はまだ干支の山
に登ってないのに気が付いた。年末に奥様たちと話をしていたのは干支の山の太竜寺山、
辰ケ山そして西龍王山の三つの干支の山を廻るという計画だったが、それも今回のケガ
で流れてしまって、干支の山をトンと忘れてしまっていた。ではでは香川の干支の山は
と考えたら、ほとんど登ってしまっていて、しかも2時間という時間制限のある中で登
れる山といえば、香川町の龍満池の北側にある龍満山の一択になった。
朝早くに目を覚ますと枕もとの窓を激しくたたく風の音。『ん、嵐?』と思うぐらいの
風と雨の音だった。『天気予報は外れたかな』と思いながらも支度をして車に乗り込み
龍満池を目指すと、高松方面の空が少しづつ回復していった。県道13号線から川東小
学校の東の交差点で北に曲がって、川東八幡宮の手前で道の脇が広くなった場所に車を
停め、八幡宮の脇の坂道をまずは油山を目指して登っていく。
境内の脇を立派な本殿を横に見ながら登っていくと広場に出た。広場には四国のみちの
道標と、油山の謂れが書かれた説明版が建っていた。もともとこの山には油が流れ出て
いた事からその名がついた不思議な山。四国のみちの道標に沿って正面の道を登ってい
く。
道は『高松市夢づくり推進事業』の『油山遊歩道整備事業』として整備された歩きやす
い道だ。ほどなく尾根に出ると左手には東屋があり展望所になっている。少し樹木が伸
びてはいるが正面には高松空港の管制塔が見えた。
展望所の眺めを確認した後、分岐から反対の尾根を進んでいくと、『ツリーハウス』と
書かれた立派な看板と、その先に看板に違わぬ立派なツリーハウスが建っていた。
今までツリーハウスは色々と見てきたけれど、これだけの大きさのものはなかなかない。
しかもターザンロープやブランコまである。これも油山遊歩道整備事業の一環のようだ。
少し踏板の幅が狭く登りづらい階段(おそらく子供用なのだろう)を登っていくと、北
側の眺望が広がっていた。同じような三角の形をした、クレーター五座の実相寺山と日
山の横に、対照的に平らな形の屋島が並んでいる。
少し視線を左に振ると峰山と高松の市街地、そしてシンボルタワーが見える。
ツリーハウスからは少し下って登り返すと油山山頂。山頂の周りは木々を刈ってあり、
広場にはベンチが置かれていた。
途中の立派な道標に比べると、山頂に山名標が見当たらない。代わりに小さなシールの
ようなものが木の枝に巻かれていた。するとその木の向かいの木の幹の元に、朽ちた山
名標が落ちていた。その山名標を撮ってセルフタイマーで自撮りしてみると、慌ててい
たのか『天狗の腰掛け』と書かれた裏側を向けて写していた。
今日はこの山頂から南側にある電波塔まで降りれれば、そのまま作業道を利用して下っ
て、北東のこんもりした山にある矢延平六神社に南側から登り北側に降り、そのまま西
に歩いて龍満山に取り付く予定だったが、天狗の腰掛けの大岩からは道はなく、落ち葉
が堆積した急な斜面で今の膝の状態では下るのは無理だったので、そのまま尾根を折り
返すことにした。
尾根道を戻って八幡宮からの分岐をそのまま真っすぐ歩いて行き、貯水槽の横を通りさ
らに下って行くと大きなお家の裏側に出た。そのお家のフェンスの脇の法面のコンクリ
ート上を歩いて行く。この法面がけっこう高さがあって慎重に歩いて行く。
邸宅のフェンスと法面のフェンスとの間を抜けて団地内の道路に出る。そのまま道なり
に舗装路を下って行くと春の花が目に付く
先ほどの邸宅といいこの団地には大きな立派なお家が目に付く。
団地の道を下って行くとガソリン道に出た。昭和4年から廃止になる昭和16年の間、
仏生山と塩江温泉の間を結んだガソリンカーが走っていた廃線の跡が今は町道になって
いる。そしてその名残のトンネルが今も残っている。そのトンネルの先で県道を渡ると、
今日本来の目的の干支の山の龍満山の取り付きがある。
県道の切通の法面に設けられたコンクリートの階段を登っていくと、二体の仁王像が出
迎えてくれる。その仁王像の間を通って登っていくと今度は新四国88カ所の石仏が並
んでいた。
道はきれいに笹が刈りはらわれ、少し高度が上がってくると正面に実相寺山とほかのク
レーター五座が見渡せた。今日はウエストポーチだけで三脚を持ってこなかったので、
石仏の台座をお借りして自撮りをしてみる。
石仏には札所の番号と仏像の名前、そして寄贈者の名前が刻まれている。途中で大きな
石碑とその説明版らしきものが建っていたが、錆びていて全く読めない。
その石碑から尾根を歩いて行くとほどなく龍満山山頂についた。山頂には龍現神社の石
祠があったが、ここでも山名標らしきものは見当たらず、文字の消えた札が木の枝にか
かっているだけだった。
石祠の横には標石がほぼ埋まりかけた 三頭三角点 川東 146.86m。この標石が尾根
道の真ん中にある為か、いつもは標石のすぐ横にある標示杭は、道の脇の木々の中に建
っていた。
山頂からは北に向かって尾根道を進んでいく。途中で道が行き止まりのように見えたが、
左に下る道が続いていた。ただザラついた花崗岩の風化した今一番要注意の下り坂。
腰を曲げストックを突いて慎重に降りていく。正面に火ノ山、そして十瓶山の奥には飯野
山が頭を覗かせていたが、そんな景色に見とれる余裕はなく、足元を注視しながら降りる。
その坂を下ると小さなお堂があった。明治五年(1872)3月17日、徳島県の剣山か
ら剣大権現の分霊を迎えてこの地に奉祀したのが始まりという剣山大権現社だった。
この山は正式には龍満山と呼ばれるが、剣大権現を祭祀してからは剣さん山とも呼ばれ、
浅野方面からは横岡山と呼び慣らされているそうだ。
剣山大権現社を過ぎどんどん下って行くと水道局の施設の横を通り、チェルシー(旧マ
ツノイパレス)の裏側に出た。相変わらず吹く風が強く木々を大きく揺らしている。
そこからは龍満山のすそ野を龍満池に向かって歩いて行く。山神の大山神社を過ぎ住宅
地の中を通り塩江街道に出る。
塩江街道を横断して歩道を龍満池へと歩いて行く途中で、歩道の横の側溝の蓋をしてい
るグレーチングでストックが引っ掛かった。引っ掛かりを無理して引っ張りそのまま歩
いて行くと、ストックでアスファルトを突く音が金属音に変わった。『あれれ、先っち
ょのゴムがない!』
先週奥様たちと歩いた時にあっちゃんがストックの先のゴムを落としていた。『またで
すか、これで何回目?』と偉そうに言ったばかりなのに、私もこれで3回目!
膝をついてグレーチングの中を覗き込むと、確かに側溝の底にゴムが落ちていた。側溝
の中を覗き込む姿を見て、横を通った人が訝しいげな顔して歩いて行った。もちろんグ
レーチングは持ち上げようとしても持ち上がらなかった。
龍満池の遊歩道ですれ違った女性に『風が強いですね!』と声をかけられた。湖面に浮
かんでいるカモたちも池の波に奔騰されて必死で泳いでいる。池の南側からは先ほど歩
いてきた龍満山と油山が見える。目の前には八幡宮から真っすぐに池の真ん中まで続く
参道の最後にある御旅所が、池に浮かんでいるように見える。
龍満山
油山
御旅所
龍満池を一周して車を止めた場所まで戻り、その先にある御旅所への参道を最後に歩い
てみる。道の両側には桜が植えられ並木道になっていて竜桜公園と名付けられている。
一つだけ花をつけた木があったが、ほかの桜の開化はまだまだ先のようだ。
池の中央部に続く参道は、池を水面をなぞって強風が吹いている。ゆっくりと歩いてい
ても足元をすくわれそうになる。しかも水面にたつ波が飛沫となって衣服を濡らしてい
く。御旅所まで着くとすぐに引き返しまたまた罰ゲームのような参道を歩いて戻る。
道の脇には植えられたばかりの桜の苗木がじっと強風に耐えていた。
何とか参道を歩き切りホット一息。最後に石段を登って八幡宮に参拝してほぼ2時間。
車まで戻るとフロントガラスを雨粒が濡らし始めていた。
帰り道にベースキャンプでストックのゴムをゲット。自宅に着く前の短い時間でも空の
模様がコロコロと変わっていった。暖冬だった冬の季節から三月に入って寒の戻りで、
例年よりも早かった花の開花も例年近くに戻った様子。お彼岸に入ったのでそろそろ暖
かくなってほしいものだ。
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