66年前夫は3歳だった。長崎市街地から一山超えたビワで有名な茂木町に住んでいました。当時山で母親と妹と一緒にいて、夫は木陰で昼寝をしていたようです。B29が飛んで市街地にすごい爆弾が落ちて、きのこ雲がすごかったということを母親から聞いていたといいます。母はすぐの長崎市街地に親戚を探し尋ねて、原爆のすざましさを目のあたりにしたそうです。その後原爆手帳の発行をしてもらい、最後はガンで亡くなりました。
夫は名古屋市港区でも愛西市でも原水協の原爆、原発をなくす活動に参加し、生涯の生きがいとなっています。今年も11時2分には黙祷を行いました。