ビラ巻きをしていたら、ポツポツと雨が降ってきたので、途中で止めて、帰って来て、夫の月命日なので、「和らく」でコーヒーを飲んでいると、夫の友人がやって来ました。
いつもカメラを持って、岐阜から長野地域のまつりや季節の移り変わりを写真を撮りに行っているようです。
最近は岐阜の白川町に行き、黒川開拓団の「乙女の碑」の悲惨な悲劇を知ったということでした。
戦前、国の満蒙開拓の国策で黒川村の600人が渡り、終戦後ソ連兵が侵攻して、食糧を得るために、独身の乙女をソ連兵に性接待のために差し出され、犠牲になったことが、戦後70年過ぎてから明かになり、黒川村に「乙女の碑」に犠牲なった乙女の詩が書かれているということです。
一度ゆっくりと白川町黒川に行ってみたいものです。
何十年たっても、戦争の被害が次々に明るみに出てきて、戦争がどんなに恐ろしいものか、どんなに人間を狂わすのか、絶対に二度と戦争を起こしてはならないことを痛切に感じました。
夫が生きていたら、きっと羨ましそうに話をを聞いていたことでしょうね。
午後から、友人に連れられて、母親実行委員会、4野党が提出した原発ゼロ基本法の学習会に参加して、最後にうたごえ喫茶に参加しました。
平和だから自由にいろんな活動ができる幸せを感じた一日でした。
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今日の万歩計は、5,722歩でした。
いつもカメラを持って、岐阜から長野地域のまつりや季節の移り変わりを写真を撮りに行っているようです。
最近は岐阜の白川町に行き、黒川開拓団の「乙女の碑」の悲惨な悲劇を知ったということでした。
戦前、国の満蒙開拓の国策で黒川村の600人が渡り、終戦後ソ連兵が侵攻して、食糧を得るために、独身の乙女をソ連兵に性接待のために差し出され、犠牲になったことが、戦後70年過ぎてから明かになり、黒川村に「乙女の碑」に犠牲なった乙女の詩が書かれているということです。
一度ゆっくりと白川町黒川に行ってみたいものです。
何十年たっても、戦争の被害が次々に明るみに出てきて、戦争がどんなに恐ろしいものか、どんなに人間を狂わすのか、絶対に二度と戦争を起こしてはならないことを痛切に感じました。
夫が生きていたら、きっと羨ましそうに話をを聞いていたことでしょうね。
午後から、友人に連れられて、母親実行委員会、4野党が提出した原発ゼロ基本法の学習会に参加して、最後にうたごえ喫茶に参加しました。
平和だから自由にいろんな活動ができる幸せを感じた一日でした。
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今日の万歩計は、5,722歩でした。