ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2018年3月25日(日)、議会報告のつどい

2018年03月26日 05時02分45秒 | 自治体問題

   朝はいつものように寒く、散歩に行くきがしなかったので、いつまでも布団の中に入って、本を読んでいた。

  8時を過ぎると、陽射しも強くなって暖かくなって、友達の畑を掘り起こしたが、さつま芋はみんな腐っていた。

    もっと寒いうちに掘り起こしておかなければ無理だった。残念です。

農協で買った牛糞や鶏糞を、畑に持って行っただけで、今日の畑仕事を終えた。

午後から、ニュースを作ろうとしたが、保存や印刷が出来なかったので、事務所まで取りに行くと、ちょうど近くの公民館で「議会報告のつどい」が始まる所だったので参加する。

    少しづつ参加者が増えて、満席になった。

加藤議員の議会報告の後、質問や要望等を出し合いながら、「巡回バスももっと利用しやすいものにして欲しい」「障がい者やさしい街にして欲しい」「もっと市民の声に寄り添う議員をもっとたくさん出さなければいけない」「若者たちが住みやすい街にして欲しい」など意見や要望がたくさん出されました。

    今まで地元の公民館で、議会報告をしたことがなかったが、地元の議員として、地元でやるべきである。

   今日の万歩計は、4,822歩でした。

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2018年3月24日(土)、見守り隊総会

2018年03月25日 05時27分48秒 | 年金・高齢者

    11時から永和台集会所で、「見守り隊の総会」が行われました。

永和台の小学生の見守り隊ができて、15年以上になるが、事務局も隊員も高齢化になってきた。

最初の隊長になった方が、病気もあって、ご夫婦で退団することになった。

なんだか随分さみしくなった。いつもご夫婦で子供達と一緒に楽しく歩いて、見守りをしていたが、10分位の距離であるが、子供たちと歩くのに負担になったのでしょうか。

畑もやっておられるので、これからも元気な姿でお目にかかれるのを楽しみにしています。

   来年の永和小学校の1年生は、69人の内永和台は16人が通学することになります。

子供たちが安心して通学できるように、高齢者とのふれあいの機会としても、これから新しい人たちにも参加してもらいながら続けられるといいですね。

   12時近くなって、お弁当が届いて、ビールで乾杯して、賑やかな宴会になりました。

   少し早めに食事をして、そっと帰ってきました。

    松本ギャラリー

    弥富のピアゴのすぐ南にある「松本ギャラリー」で、きもの地の洋服やリサイクル品の帯や着物の展示があった。

    おひとりさま3人組で出かけた。古い物が多いせいかホコリが多いが、一通り見て回る。友人は気に入った帯を2~3本値打ちに買った。

    これからも着物を着て出かけるのが楽しみである。

     今日の万歩計は、10,651歩でした。

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2018年3月23日(金)、新婦人班会

2018年03月24日 05時26分31秒 | 友人

   おひとりさま3人組で「てんしんらんまん」でランチして、たわいもない話で大笑いして、お互いに亡き夫のことを話し合う。

1人は、夫が仕事が終って帰ってくると、すぐに食事か出てこないと気が済まないので、4時には帰って、夕食時の支度をする毎日。

珠に、友達と旅行に行く時も、食事の支度をきちんとして出かけていた。

友だちに話をすると、「ウソ!」と言われる。

もう1人は、病弱な夫を抱え苦労して、子ども達を育てたが、自分も体を壊して、入院している時、毎日のように見舞いに来てくれた人に出会い、その人と広島に行くことになって、夫と別れる。

  三人三様の人生がある。

これからの短い人生を楽しく悔いのないように生きていこう。

意気投合した3人でした。

   見晴台学園大学

     娘が午後から見晴台学園大学の見学に行く。

帰ってくると、「テストがあるけれど、受かったら、途中からでも通えるようになるんだって」嬉しそうに話してくれた。

     ちょうど40歳の人が入学するので、友達になれそうである。

4年間は大変だが、楽しく学園生活を満喫してもらいたいものである。

   海南の診察の時に、先生に話して許可をもらうことにすると張り切っていた。

   見晴台学園大学は、不登校などで、勉強できなかった子供達が通う学園で、楽しみながら、学ぶところが気に入ったようである。

     それからでも自分の得意な仕事でも見つかるといいかな。焦らない、慌てない!

    今日の万歩計は、7,516歩でした。

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2018年3月22日(木)、お彼岸

2018年03月23日 05時13分28秒 | 四季、暦、祝日

    やっと雨があがり、風は冷たいが、午後から陽射しが強くなった。

午後から1人で、お彼岸でもあり、昨日からしきり夫に会いたくなって、日進市の五色園のお墓にお参りに行く。

    高速道路の上社まで行き過ぎてしまったので、カーナビで戻って、取りあえずお腹も空いたので、「アヴァンセ長久手店」で、カレーパン、角煮パン、タマゴパンを買って、コーヒーで一服して、五色園までは十分程であった。

   何人かの人がお参りをしていた。

日当たりの良いところの桜が、2~3花びらが開いていた。

   一番日当たりの良いところに立っている碑は暖かった。

碑の裏に「真に自由な世の中をめざし、たたかいぬいた人びとの志をうけつぎ、新しい歴史をともにつくる誇りと誓いをもって、愛知解放運動戦士の碑をここに建立した」

  1992年10月18日

    帰りは名阪を通ってかえると1時間ぐらいで帰ることが出来た。

一日夫を想い出して涙が出た。

   今日の万歩計は、3,289歩でした。

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2018年3月21日(水)、45年前の交換日記

2018年03月22日 05時06分06秒 | 日記

    3日間で1番激しい雨が降っている。

夫のお墓に行こうかと思ったが、とても行けるお天気ではなかった。

昨日の夫との交換日記を読んで、一番感動した文章を2編残しておきたい。

   「交換日記のはじまり」(1971.1.2~10.22)

   1971年1月2日  夜

  我が思いは    御岳へ

なんと長い一日であろうか

   1971年1月3日   

   おもいは  はせる   なんと重い空気だ    いきがつまりそうだ

   なぜおもいははせるのか    なぜこうまていきがつまりそうなのか

   早く帰って来い    おもいきり   だきしめたい

   力強くお前を   抱きしめたい

(私が初めての冬登山に出かけて、帰って来た時に見せられ、プロポーズしてくれました)

   1971年5月26日(水)晴

    昨日は遅くまで話し合えて良かった。

いろいろな意味で和子の両親が、いろいろと考えてることは大きな収穫であった。

心配されていることは、よく分かるが、認識不足から、来ている面も多分にあるので、話し合いの場をもっと持つ必要がある。

  部屋に帰ってから、考えてなかなか眠れなかったが、このことは会ってから話す。

   只一つ腹わたがにえかえる思いをしたことがある。今でも頭からはなれないが。

和子には分かるかな。いや気がついたかな。

おそらく気づかなかったと思うが、俺自身笑って「ルンペンプロレタリアと僕達は言っている」とヒニクって言ったけどが。

  「ルンペン」と言われれば、たしかにそうだろうけど、この言葉の意味、ひびきはなにを言うものか分かるだろう。

人をバカにしたたぐいのものだ。

俺はそれを和子の母から、これから俺の少なからず、どうあれ親になる人から言われたのだ。

俺の今の気持ちは、しょげていない。意地でも立派にやって、みかえしてやるぞというきでいるが、一面では情けなくなる気もある。

自分自身に情けなくなってるのではなく、和子の母にだ。

こんなこと位は気にすることはなく、笑ってすごせばそれですむことてあるだろうが、

そうなるまでは時間が少しかかる。

すくいがたいことは、俺自身バカになれる才能を持っていることだ。

和子!どうなれ やるぞ。やれるんだ俺達は。

(今、無性に和子をだきしめ、俺の気持ちを肌でつたえたい。ノートでは実にじれったい)

 

   みなと労山の会長と結婚のお願いに行った時の母の言葉でした。

こんな日記を46年振りに読むと、夫のことを思い出して涙が出てくる。

やっぱり生まれ変わってもまた一緒になりたいなあ。

 

母は、母にとっては長女の私が、会社からクビを切られて、労働組合で反対運動をしている人が、娘をほしいと言ってきたことなんて信じられないのでしょう。

    でも、長男が喘息で苦しんでいるのを知って、少しでも空気のいいところにということで、佐屋で一緒に住むようになって、母も夫のやっていること、人柄を認めてくれました。夫も母を最後まで一番気にかけていた人でもあった。

    今日の万歩計は、3,453歩でした。

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