室温は、15.7度(6時)。


図書館で借りてきた浅田次郎の「流人道中記上下」を読み終える。
今日も4月後半の気温で、西の山々に霞がかかっているが、どうも中国の黄砂が吹いてきているようである。
友人は花粉症なのか鼻水が止め度もなく流れてくるので、医者に行くと、コロナではないかと言われ、PCR検査をするが、陰性だったと連絡があり、ただの風邪であるといわれホッとする。
散歩に行くと庭先にサクラソウやスイセンなどの花が咲き乱れています。

近所空き地にはホトケノザの濃いピンクの絨毯のように咲いている。春爛漫ですね。

図書館で借りてきた浅田次郎の「流人道中記上下」を読み終える。

姦通罪に問われ、切腹を言い渡された新番組士青山玄蕃は切腹を拒み、蝦夷福山藩に永年お預けとなった。
町奉行所与力石川乙次郎が流人の玄蕃を押送人として、奥州街道を歩いて、蝦夷福山藩に送り届ける旅が始まった。
元旗本玄蕃との旅は若い乙次郎にとって、何処に行っても家来としかみられない旅となった。
お尋ね者稲妻小僧の捕り物に巻き込まれたり、敵討ちの旅を続ける侍の助太刀になったり、様々な体験をしながら、旅が続く。
そして、夫の供養にお伊勢参りの旅に疲れた百姓が故郷の水を飲んで死にたいと願い、宿村送りの制度があり、故郷に送り届ける手伝いをすることになり、医者に見せたり、至れり尽くせりの看病しながらの故郷への旅に少しずつ元気を取り戻すが、そのまま宿村送りを続けて村に送り届ける。
松前藩のお迎えの三厩小湊に近づくにつれて、玄蕃は姦通罪で囚われの身となったか、話し始めて、玄蕃の出世を阻む策略によって嵌められたことを語るが、御家御取り潰しになっても、策略に従い、流人の道を選んだ玄蕃の苦しみを知る乙次郎であった。
玄蕃は千年の武士の世の自ら贄となったのである。
中々読みごたえのある「流人道中記」であった。
今日の万歩計は、11,270歩でした。