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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【カシャリ! ひとり旅】2701神奈川県の古刹 称名寺 金沢北条氏の菩提寺

2022-11-25 13:47:37 | 【カシャリ!一人旅】 おすすめ

■【カシャリ! ひとり旅】2701神奈川県の古刹 称名寺 金沢北条氏の菩提寺



 
 
 
 
 
 
 
       

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。
 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。
 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。
 
神奈川県 称名寺
 
 
称名寺の写真集

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園

2022-11-24 13:08:34 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園


 


 皆生温泉(かいけおんせん)は、米子市の北、日本海に面した山陰を代表する海辺の温泉地です。
 白砂青松の美しい海岸線と中国地方最高峰の大山を眺めることができ、「日本の渚100選」、「日本の白砂青松100選」、「日本の夕陽・朝日100選」、「都市景観100選」、「日本の水浴場88選」に選定されています。

健康と美肌を作る温泉
 泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉で、湧出量は毎分4456.5リットルと豊富な湯量を誇っています。源泉数は19カ所あり、源泉温度は63〜83℃と高温です。主な効能は神経痛、リウマチ、慢性皮膚病、慢性婦人病などに有効です。近年お湯の調査から美肌効果に優れていることが分かり、女性にとって喜ばれる温泉として注目されています。「ホカホカ、ツルツルの健康と美肌をつくる」温泉です。
 



ホテルロビードアの眼前に広がる


 



惚れ惚れする石畳


 



石畳右側に沿う石橋のある池


 



正面にある滝が庭園に響く


 



 



石畳左の小池


 



玄関前の枯山水庭園


 



ユニークな石組み


 



七福神のレリーフ


 



 


 


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県安来市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園

2022-11-22 14:18:08 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県安来市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園 

 足立美術館(あだちびじゅつかん)は、島根県安来市に所在する、近代日本画を中心とした島根県の登録博物館です。

 地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)が、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館しました。

 美術館としての特徴は、横山大観等日本画のコレクションと美しい日本庭園です。

創立者・足立全康
 

 足立全康(あだちぜんこう 1899年 - 1990年)は、明治32年2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町)の農業に生まれました。
 戦後、大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集し、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになったのです。裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげるほどの才能の持ち主といえます。
 逸話も多くあります。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む北澤國男(東洋バルヴ創業者)の「北沢コレクション」を、1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名です。
 昭和53年に名古屋の横山大観展で見た「紅葉」(六曲一双屏風)に言葉も出ないほどの感動を受けました。何が何でも手に入れるのだと八方手を尽くしたそうです。門外不出の「幻のコレクション」といわれた北沢コレクションの一部とわかりました。
 「一目惚れの女性に2年も通い続けて枕金も決め、さあ床入りという時に、枕をかかえて逃げられるようなもんだ。そりゃあんまりじゃないですか」と頼み込み、泣き落として決めたそうです。

 

 

          

                  苔庭に立つ足立全康像

美術館としての足立美術館

 日本人なら誰でも知っている画家の作品に接することで、日本画の魅力を理解して欲しいというのが、足立美術館のコンセプトです。また、大観を知ることによって日本画の美、すなわち「美の感動」に接する契機となることが、創立者足立全康の願いでもあるのです。

 横山大観の作品総数130点が所蔵され、質量ともに日本一として知られています。代表作「紅葉」は、大観の代表作のひとつで、昭和6年(1931)の作です。
 真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。

 大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら、近代日本画壇の巨匠たちの作品も揃っています。それに加え、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵され、魯山人館には、北大路魯山人の作品が陳列されています。

日本庭園美の足立美術館

 足立美術館のもう一つの特色である、広大な日本庭園は、中根金作の設計で、苔庭は、小島佐一も参画しています。足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念の結晶です。

 庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪にまでも及んでいます。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたのです。全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園です。

 日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られています。彼方の山や木々までも織り込まれています。その借景を維持するために、借景となる山林の一部を購入するほどまでにもこだわっています。

 90歳を超えても、全康は、朝に夕に庭を見て廻ったそうです。少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとって手を加えさせました。

 米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキング(Shiosai Ranking)では、初回の2003年から何度も日本一に選出されています。

 フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』や『Guide Bleu Japon』におきましても、それぞれ三つ星(最高評価)を獲得しているのです。

 外国人にも人気が高く、年間の来館者数は、60万人を超えることも多いそうです。

■ アクセス

JR: 安来駅より無料シャトルバスで約20分
車: 山陰道安来ICより約10分

開館時間 年中無休
 夏季    4月-9月    9:00-17:30
 冬季    10月-3月    9:00-17:00

 

          

 

 美術品は撮影できませんので、庭園を中心にご紹介します。

 

歓迎の庭
 足立美術館の建物前から白砂青松と紅葉の赤がクッキリと見える庭園が歓迎してくれています。
 受付を通って直進すると通路に出ます。その右手が白砂青松の「歓迎の庭」の裏側になります。足立美術館庭園の素晴らしさの前奏曲といえます。

          

苔庭
 歓迎の庭通路を左折すると苔庭を通して足立翁像が見えます。
 スギゴケを主体とした強風の雅やかさを醸し出す庭園で、苔の緑と白砂のコントラスト、苔庭の先と枯山水庭を結ぶ石橋が心を慰めてくれます。
 苔庭を見ながら左折すると魯山人館です。その手前に魯山人館の竹林と蹲踞があります。

          


枯山水庭
 足立美術館庭園のハイライトともいえる枯山水庭が見えるロビーにでます。
 借景の山も足立美術館が購入するほど、自然との調和が美しい庭です。中央に立つ石は、険しい山をイメージしたものでしょう。そこから流れ落ちる滝水が大河となって、大海を表す池に流れ込む雄大な山水を感じ取れます。
 右手奥を見ますと、高さ15mの瀑布が見えます。那智の滝を模して作られたという「鶴亀の滝」です。

 

 

 

          

 

          

              鶴亀の滝は、写真中央よりやや右上

白砂青松庭
 庭園を満喫できる喫茶室前を通ると「白砂青松庭」が見えます。足立美術館の表庭の最も奥に位置します。
 横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園だそうです。白砂の丘陵には、右手がクロマツ、左手が赤松が配されていて、その対照的な調和を楽しみながら鑑賞できます。

          

 

坪庭
 本館から喫茶室「大観」に行く途中に坪庭があります。蹲踞が存在感を高めています。

          

 

池庭
 喫茶室「大観」からお茶をしたり、軽食をとったりしながら楽しめる池泉庭園です。
 周囲との調和のとれた、新しい感性と伝統的な手法のハイブリッド型の池泉庭園といえます。奥には小滝が二段になって流れ落ち、中央に架かる石橋を通して大毛に流れ込んでいます
 池には優雅に泳ぐ鯉が、「これこそ、俺たちの池だ!」と言っているようです。

          

 

生の額絵
 枯山水庭へ行く通路に、生の額絵と言われる、枯山水庭が見える額縁窓があります。窓のすぐ外に大きなクロマツが、格好良く庭にアクセントを付けて立っています。大小の木や石がバランス良く配置されていて、芝生の稜線が美しく見えます。「琳派の絵のようだ」と形容されるそうです。

          

 

生の掛け軸
 池庭を見るふもとに休憩所があり、窓越しに池庭を見ると一幅の絵となります。その反対側にも額縁窓があります。床の間の壁を縦長にくりぬいて、あたかも山水画の掛け軸のような演出もなされています。
 見落としがちなところにありますが、美術館側のお薦めスポットですので、見逃さないようにしたいです。
 

          

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【経営コンサルタントのお勧め図書】 ドイツ在住37年の日本人が語る(2)

2022-11-22 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営コンサルタントの本棚

本  【経営コンサルタントのお勧め図書】 ドイツ在住37年の日本人が語る(2)




経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。


 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。


 


 【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。


 幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけましたところ、ご協力いただけることになりました。


 それが、今日まで継続されていますので、10年余もの長きにわたって、皆様にお届けできていることに誇りを持っています。


 


本


■    今日のおすすめ


 


  『ドイツで今、何が起こっているか』
                                  (川口ロマーン恵美著 ビジネス社)

本


■  ドイツ在住37年の日本人が語るドイツ-その2-(はじめに)


 


 著者の『「メルケル仮面の裏側」―ドイツは日本の反面教師である―』2021.12.28を本ブログにご紹介してから間もなく1年になります。「メルケル仮面の裏側」は、明治維新以来、法制・文化などの様々な分野で日本の模範となってきたドイツを、2021年12月の政権交代まで、16年間率いてきたメルケルの、日本などにおける高評価とは異なる、多くの政策の誤りを指摘しています。


 メルケル政権が交代し、社民党(SPD)、環境政党の緑の党、リベラルの自由民主党(FDP)の連立政権がスタートしました。その2か月後に、ウクライナ戦争が起こり、今も戦闘が続いています。


 紹介本「ドイツで今、何が起こっているか」は、ウクライナ戦争勃発でメルケル政策の矛盾が顕在化した「今」を検証しています。


 次項で、紹介本「ドイツで今」からのヒントを基に、エネルギー問題を中心にして、ファクトを見てみましょう。


本


■  ドイツの今


 


【ウクライナ戦争後のドイツのエネルギー問題】


 


 2022年9月26日ドイツのノルドストリーム(1)(2)〈以下NS1,NS2〉のパイプラインが何者かの破壊工作により4か所のガス漏れを起こしました。


 著者はこの問題を次のように指摘していました。「ロシアへのガス依存は30%を超えるべきではないということは、20年も前から言われていた。しかし、メルケル政権は16年間、その不文律を完璧に無視し、粛々と55%まで依存を増やしてしまった。ここまでくると、今さら慌てても、そう簡単に修正もできない。国の要であるエネルギーを、ここまで一国に依存するのは明らかな失政で、安全保障上の思考が一切働いていなかったと非難されても仕方がない。」と。


 まさに、著者の指摘してきたリスクが現実のものとなったのです。このリスクは並外れたリスクです。エネルギー価格の高騰、高インフレ、化石燃料の調達難は、ドイツに限らず、EUへ、日本へ、そして、ロシアと友好関係にあるインドや中国などを除く、世界へと拡大しています。


 ドイツにとっては、直近では、この冬を乗り越えることが出来るかのリスクがあり、長期的にはエネルギー価格の高騰が及ぼす様々な影響が懸念されます。


 ドイツは、今、厳しい局面に立たされています。


 それは、パイプラインによるガス供給を、新たにLNG調達に切り替えるには、新たな設備として、LNG運搬船、陸上LNG受入基地、FSRU(洋上で約-160℃のLNGを受け入れて貯蔵し、LNGを温めて再ガス化してパイプラインへ高圧ガスとして送出することができる浮体式LNG貯蔵再ガス化設備)が必要であり、これらが整うには3,4年かかると言われています。


 また、ガスは、プラスチックや合成繊維、塗料、医薬などの化学製品の原料であり、石油・石炭・褐炭などでは代替できないリスクもあります。


 メルケルは、これらを認識し、加えてロシアへ依存のリスクを認識し、16年間の治世の間に、然るべき対応をすべきでした。何ら対応しなかったメルケルの失政を指摘せざるを得ません。


 


【ドイツが歩んだ「脱原発」は正しかったのか?】


 


 NS1が開通した2011年11月時点の原発の稼働台数は17基ありましたが、現在稼働しているのは3基です。2011年に19.5%あった原発による発電比率が2022年現在は6.6%です(Wedge 2022.9.16より)。


 2002年に当時の社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権は、稼働している19基の原発を2021年までに全て廃止することを決定しました。その後、メルケルは2010年5月に2002年の脱原発の決定を無効にし、原発の利用継続を決めました。しかし、翌年の2011年の福島事故を契機に国民の原発嫌いを意識し、反原発へと切替える格好のチャンスと捉え、2022年末までにすべての原発を段階的に閉鎖することを決めたのです。多数派迎合型で旧東ドイツの自然保護主義がバックグラウンドにあるメルケルならではの決定でした。


 メルケルはCDU本来の原発維持政策を堅持せず、2011年5月の脱原発宣言をした結果、約13%(19.5%-6.6%)の原発(約800億kwh)の発電量が減少しました。メルケルは、2011年11月にスタートするNS1によるロシアからのガス調達が見えたので、2011年の脱原発を決定したのでしょう。福島原発事故は2011年3月、NS1の開通が2011年11月、脱原発のリスク対応が全く検討されないままの脱原発法案の成立が2011年7月でした。このタイミングの良さを見ると、著者が言う、メルケルの“・・賢さ”が透けて見えます。(数字はWedge 2022.8.5「ドイツの脱原発が世界に迷惑をかけるこれだけの理由」より筆者試算。)


 ロシアからのNS1によるガス調達が既定路線であればこそ、メルケルは長期政権の中で、原発によるベース電源を確保しながら、「脱原発」を「脱炭素」の後回しにし、安定的にグリーン化を進め、並行してロシアリスクに対応したLNGの段階的調達やガスの貯蔵体制強化など進め、リスク対応策を実施すべきでした。


 


【ドイツのエネルギー政策の失敗】


 


 「脱炭素は噓だらけ」の著者で地球温暖化問題およびエネルギー政策を専門家の杉山大志氏は次のように述べます。『日本でも信奉者の多かったドイツの「エネルギーベンデ(エネルギー転換)政策」は、恐るべき“災厄”をもたらした。ドイツは「脱原子力」と「脱炭素」を同時に進め、再生可能エネルギーへ移行するとした。だが実際にはそれではエネルギーが足らず、ガス輸入をロシアのパイプラインに大きく依存することになった。この弱みを握ったプーチン大統領は、欧州は強い態度を取れないと読んでウクライナへ侵攻した』と。(2022.9.24キャノングローバル研究所より)


 杉山大志氏のこのコメントが、メルケルのエネルギー政策の失敗を的確に指摘しているのではないでしょうか。


本
■    ドイツの失政を他山の石に(むすび)




 ドイツとロシアの関係は、日中、日露の関係に置き換えてみることが出来ます。経済安全保障政策、原発・脱炭素を中心とするエネルギー政策においてドイツの失政を他山の石として、緊張感をもってアジャイルに政策を実行していく必要があります。


 


 


本


【酒井 闊プロフィール】


 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。


  http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm


  http://sakai-gm.jp/


 


【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。


 


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭

2022-11-21 16:53:08 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭 

 

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられた茶室です。

 不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵(かんでんあん)の敷地内にある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 茅葺の厚い入母屋に、不昧直筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた、奥行きの浅い床です。また二畳台目の席は、中柱もなく、炉も向切りといった軽快なものです。定石に頓着しない松平不昧の好みの一端が表れています。

 園内にある「百草亭」では、お抹茶をいただけます。これは、明々庵が再々移築された昭和41年に作庭・建立されました。庭園は、“出雲流庭園”の枯山水庭園と露地庭で高盛されています。

 

■ アクセス

 

  JR山陰本線 松江駅より約2.5km(徒歩30分・駅周辺にレンタサイクルあり)
  松江駅よりレイクラインバス15分、「塩見縄手」バス停下車 徒歩5分
 

【 コメント 】
 

 私が訪れた時は、紅葉がすでに始まっていましたが、ピークまでには少々早い時期でした。
 松江城から徒歩で10分ほどのところにあるので、北総門からでて左折、宇賀橋を渡り、左折後、3本目の小径を右折して、150m程さきにある入口階段から行きました。
 冬時間では、17時に閉まってしまいますので、時間配分に注意する必要があります。

 


■ 明々庵 3 茶室と前庭

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられた茶室です。

 松平不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵の敷地内にある有澤山荘の向月亭に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 

茶室「明々庵」入り口

 

 受付から庭園木戸越し正面に、

茶室明々庵の入り口建物を通して

茶室の建物や茶室前庭の一部が見えます。


茶室「明々庵」入り口


 茶室入り口の建物は、茶室の待合所です。

 

飾り雪隠

 

茶室入り口の建物の一部が飾り雪隠です。

茶室利用者が使ったのかどうかはわかりませんが、

簡易トイレといったところでしょうか。


茶室「明々庵」前庭へ


 待合所から茶室前庭に出ますと、踏み石が連なり、

右手に石灯籠や蹲踞があります。


茶室「明々庵」建物


 明々庵は、茅葺きの建物で、

屋根は入母屋造りになっています。
 松平不昧が通った茶室ですので、

彼好みの建物なのでしょう。


茶室「明々庵」にじり口


 茶室のにじり口前から振り返りますと、

柱越しに待合所の建物が見えます。
にじり口の前には、形の良い踏み台石が配されています。

 

 


茶室「明々庵」にじり口刀掛け


 にじり口の横には、刀掛けがあります。
 茶室とは、武士も町人も同等という関係から、

武士は、にじり口から入る前に

刀をここにかけなければなりません。



茶室「明々庵」本席


 にじり口から、本席の内部を覗いてみました。
 茶室の床の間に掛け軸が下がっています。

そこに“明々庵”と書かれていますが、

松平不昧の自筆だそうです。


茶室「明々庵」


 一旦、茶室本席を離れ、踏み石伝いに、書院風広間の方に廻りました。
 本席のように少人数でお茶の嗜む茶室を「小間」といい、

それ以上の人が列席する場合は「広間」というそうです。

本席が二畳台目の間取りですが、

広間は書院風にしつらえられている四畳半の間取りです。


茶室「明々庵」広間
 

広間にも炉が切られています。

炉の切り方には2種あり、

点前畳の中に切るのを「入炉(いりろ)」といい、

外に切るのを「出炉(でろ)」というそうです。

 


 この茶室は、入炉で、

点前畳の客側に炉が切られている

向切(むこうぎり)」という造りです。


 茶道のことには疎いのですが、

何か清々しい気分となりました。

充分に理解できないままですが、

気持ちよく明々庵を離れられました。

 

島根県松江市 茶室庭園「明々庵」

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園     

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭     

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園

2022-11-21 07:29:58 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園 

 

 

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられた茶室です。

 不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵(かんでんあん)の敷地内にある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 茅葺の厚い入母屋に、不昧直筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた、奥行きの浅い床です。また二畳台目の席は、中柱もなく、炉も向切りといった軽快なものです。定石に頓着しない松平不昧の好みの一端が表れています。

 園内にある「百草亭」では、お抹茶をいただけます。これは、明々庵が再々移築された昭和41年に作庭・建立されました。庭園は、“出雲流庭園”の枯山水庭園と露地庭で高盛されています。

 

■ アクセス

 

  JR山陰本線 松江駅より約2.5km(徒歩30分・駅周辺にレンタサイクルあり)
  松江駅よりレイクラインバス15分、「塩見縄手」バス停下車 徒歩5分
 

【 コメント 】
 

 私が訪れた時は、紅葉がすでに始まっていましたが、ピークまでには少々早い時期でした。
 松江城から徒歩で10分ほどのところにあるので、北総門からでて左折、宇賀橋を渡り、左折後、3本目の小径を右折して、150m程さきにある入口階段から行きました。
 冬時間では、17時に閉まってしまいますので、時間配分に注意する必要があります。

 


■ 明々庵 2 枯山水庭園

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられた茶室です。

 松平不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵の敷地内にある有澤山荘の向月亭に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。
 

 

明々庵枯山水庭園入口木戸


 左手に、見学者のための受付があります。

受付の横には、明々庵に続く木戸があり、

その右手前に石灯籠が立っています。




 木戸をくぐりますと、踏み石が庭園へと誘ってくれます。

奥には、茶室への木戸があります。

 


明々庵百草亭


 木戸を入って左手に「百草亭」があります。

ここでは、お抹茶をいただけます。

百草亭は、明々庵が再々移築された昭和41年に、

作庭されたときに、あわせて建立されました。



明々庵百草亭前の枯山水庭園

 

百草亭の周辺には、石や椿が配されています。
 百草亭前の庭園は、“出雲流庭園”と呼ばれる枯山水庭園です。

この庭園は、それと同時に露地庭として、

周囲が高く盛られて、庭園を引き締めています。


明々庵百草亭露地庭


 枯山水庭園の奥に木立や石灯籠が見えます。

これが、露地庭ともいわれる由縁です。

 


 紅葉やドウダンの赤と、五

葉松などの緑のコントラストが絶妙に配されています。
 その中にある石灯籠がアクセントとなっています。


 露地庭として、山々を表し、

そこに配されている飛び石が島々や陸地なのでしょうか。


明々庵百草亭枯山水庭園の波紋


 小砂利がまかれている部分が大海を表しているのでしょう。
 そこには、幾何学的ともいえる、整然とした波が表されています。


明々庵百草亭枯山水庭園の椿


 枯山水の中に配されている、背の低い椿が一本
 その手前に、白い椿が花弁を横たえていました。

心憎い演出ですね。

 

 

島根県松江市 茶室庭園「明々庵」

 

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園     

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭     

 

 


 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都江戸川区「江戸川平成庭園」は四季の美しさをいろどる築山池泉廻遊式庭園

2022-11-20 20:33:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都江戸川区「江戸川平成庭園」は四季の美しさをいろどる築山池泉廻遊式庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。  旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。  下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。 ■ 東京都江戸川区「江戸川平成庭園」は四季の美しさをいろどる築山池泉廻遊式庭園 

 

  江戸川平成庭園は、東京都江戸川区行船公園内にある、平成元年に作庭された池を囲む緑豊かな「築山池泉廻遊式庭園(つきやまちせんかいゆうしき)」です。池の畔には源心庵(げんしんあん)・林泉亭(りんせんてい)・つつじ亭があります。池畔を回る散策路では、サクラ・ツツジ・ハナショウブ・モミジなど、四季折々に移り変わる自然の美しさを身近に感じられます。

 

■ アクセス  地下鉄東京メトロ東西線 西葛西駅より徒歩15分  〒134-0081 東京都江戸川区北葛西3丁目2-1

 

 

東京メトロ東西線の西葛西駅から

徒歩で15分強のところにある行船公園は

複合公園で、動物園や江戸川平成庭園があります。

区民だけではなく、広く開放されていて、

いずれも無料で入園できます。

 

 「行船公園」(ぎょうせんこうえん)は、明治から昭和初期にかけて、

東京府議長や衆議院議員を務めた政治家・田中源により寄贈された敷地に開園され、

現在は、江戸川区立の公園となっています。  

 

門を入ると広く開けた広場になっています。

右手が動物園、その奥が江戸川平成庭園です。

庭園の向かいに水草の池があり、

その奥が釣り堀になっています。

 

 「行船」の名は、田中源の屋号にちなんだものです。  

 

噴水の奥に桜庭があり

私が訪れた10月下旬というのに紅葉が始まっていました。

 

庭園の南隣(下)が動物園です。

 

 

 公園の北側に位置する「江戸川平成庭園」は、平成元年に整備された敷地面積1万2千平方メートルの池泉回遊式庭園です。数寄屋造りの和風建築「源心庵」や林泉亭やつつじ亭の四阿(あづまや)があります。

 湧水が流れ込んでいる主池は、江戸時代に東京湾の水を引き込んでいた潮入り式庭園にならって、池の水位が上下するような工夫がなされています。  庭園と同時にオープンした「源心庵」は、地元の方の茶会、句会、華道など和のイベントで利用されています。建物が池泉にせり出している一方で、玄関前にある枯山水庭園がとてもかっこいいです。  庭園には桜もあり、「つつじ亭」前のツツジ、花菖蒲、秋には紅葉、冬には雪吊りと四季通じて楽しめる庭園です。

 

源心庵まの枯山水庭園

 

源心庵を半周囲んで流れるせせらぎは

「これぞ日本庭園」という風情を醸し出しています

 

せせらぎの流れ込む先に堰堤があり

そこから流れ込むのが主池です

その先にせり出している数寄屋造りの建物が

源心庵です

 

数寄屋造りの和風建築「源心庵」

 

 庭園と同時にオープンした「源心庵」は、

地元の方の茶会、句会、華道など和のイベントで利用されています。

建物が池泉にせり出していす数寄屋造りで

端正さに重厚さを感じます。

 

■ 源心庵  

 純日本建狐の数寄屋造りで、226平方メートル(68坪)の広さをもち、月見台が大きく池へ張り出した浮見堂の形式で建てられています。  

 外装は京じゅらく色の吹き付け壁、屋根は銅板葺きで、ゆるやかな波を表現し、「むくり」のついた入母屋となっています。  

 池泉を眺望する和室や立礼席は、本格的な茶会など、日本文化の伝統を受け継ぐ催しの場としてご利用出来ます。(案内板より)  

 

 

つつじ亭

 

「つつじ亭」からは主池を見下ろせます。

つつじ亭前のツツジ、花菖蒲、

秋には紅葉、冬には雪吊りと四季通じて楽しめる庭園です。

 

 

林泉亭

 

池を廻遊して、一息

すぐ近くにある、二段に落ち込む大滝の音を聞きながら

疲れを癒やせます

 

大滝

 

ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】 写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。 静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm 映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm  【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院

2022-11-20 12:33:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院


 


「光縁山 勢至院 大蓮寺」(だいれんじ)は、室町時代後期、すなわち戦国時代の天文13年(1544)に、小田原から行脚してきた覚誉存栄上人によって建てられた浄土宗のお寺です。東京メトロ東西線・浦安駅から徒歩で5分強のところにあります。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所33番札所で、重森三玲に師事した現代の作庭家・吉河功さんの作庭による4つの庭園があります。

 池泉庭園“薬師如来瑠璃光浄土之庭”、本堂前庭“二十五菩薩来迎之庭”は常時公開されていますが、枯山水の中庭“二河白道之庭”、および書院庭園“仙樹庭”は通常非公開です。

 室町時代後期の浦安は、江戸川河口の小さな漁村に過ぎませんでした。町外れにある小さなお堂に、行基が彫ったといわれる勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)が奉られていました。覚誉は、その見事さに惹かれ、小田原にあった自分のお寺と同じ名前の大蓮寺を創建し、その勢至菩薩像を守ろうとしました。
 火災などの災害に遭いながらも、現在は、開山堂に奉られていて、安産祈願に多くの人が訪れています。

 江戸時代には、東京の大寺院『増上寺』の住職・学誉冏鑑を輩出したり、鐘楼の脇にある黒門(裏門)が福岡藩主・黒田氏の江戸屋敷より移築されたりと、伝統ある寺院です。鐘楼は、増上寺法主・学誉冏鑑の頃に整えられましたが、現在の鐘楼は、明治時代に再建されたものです。


 


■ アクセス


 


 東京メトロ東西線 浦安駅より南の方向に徒歩10分弱
 〒279-0041 千葉県浦安市堀江4丁目14-2


 



常念仏塔下方が参道・表門


 



大蓮寺参道


 


 東京メトロ地下鉄東西線浦安駅から歩きますと、


清滝神社を通り越したところに、


大蓮寺の参道が見えてきます。


 



大蓮寺表門



 長い参道の途中に表門がたたずんでいます。


参道には、海苔養殖により浦安に貢献した大塚亮平と、


魚市場の設立をはじめ幾多の業績を残した


宇田川六郎兵衛の説明文があります。


 


 



水子地蔵尊


 


 表門をくぐりますと水子地蔵が見てきます。
 「水子地蔵尊」は参道左側にあり、


3月の春彼岸会にはだれでも参詣できる、


水子供養の大法要が厳修されます。


 



大蓮寺本堂


 


 参道をさらに進みますと正面に本堂が見えます。
 現在の本堂は、昭和2年の建立です。


しかし、老朽がすすみ、平成8年に改修築されました。


その時に、三夜堂と地蔵堂も、あわせて建立されました。


また客殿は平成13年に再築されました。
 ご本尊は阿弥陀仏で、毎朝、ここで勤行が行われています。


鐘楼



 鐘楼は、本堂を背にして斜め左にあります。
 享保19年(1734年)に、学誉大僧正の遺徳顕彰のために建立されました。


農繁期の時報として、12月31日の除夜の鐘として利用されてきました。
 鐘楼は、古くなったために、明治10年に再築されました。


また、梵鐘は、昭和18年の金属供出運動によって献納されてしまいました。


そのために、現在の梵鐘は、昭和26年に、


千葉県佐倉出身の彫金の大家、香取正彦により、鋳造されたものです。
 浦安市唯一の鐘楼ですので、


大晦日には、除夜の鐘として、ここに多くに参詣者が訪れます。


 



本堂前庭『二十五菩薩来迎之庭』



 本堂前にある庭園は、「本堂前庭」と呼ばれています。
 伝統的な枯池・枯山水庭園で、


“阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭”とも呼ばれています。
 1991年に、大蓮寺の開創450年の記念法要に際して、


作庭家・重森三玲に師事した吉河功により作庭されました。
 この庭園は、大きく3つの部分に分かれていて、


本堂寄りの白砂と松、中央(上部写真が中央部分)が


庭園の核となる来迎の庭、


写真左側に移っていない、庫裏の前にある


枯山水庭で構成されています。


 



【カシャリ!庭園めぐりの旅】 大蓮寺の4つの池泉・枯山水庭園


『二十五菩薩来迎之庭』の本堂寄り部分



白砂に松、中央に三角石の置かれた、


非常に見た目は簡素ながら、


中央の石が堂々とどっしり見えます。


 



『二十五菩薩来迎之庭』 中央、最も奥の部分


 


前庭の中央部分が、この庭園の核となる部分で、


庫裏の玄関に至る小径沿いにあります。
 西方極楽浄土から来迎して下さる、


二十五菩薩を引き連れた


阿弥陀如来慈悲が表現されている庭園です。
 建物に向かって正面に見て、


左手奥にある枯滝石組が阿弥陀如来を中心にして、


左右に観音菩薩と勢至菩薩の三尊を、


その他の立石が二十五菩薩を表しています。
 念仏により、西方極楽浄土から、


私たち庶民の許へ来迎する阿弥陀如来および


二十五菩薩の慈悲を表しています。


 



池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』



 大蓮寺にある4つの庭園の二番目の庭園は、梵鐘の隣にあります。
 本堂前庭と同じ、吉河功による作庭です。


作庭者が“十二神将之庭”と命名している


この池泉庭園は、1999年の作です。


 



池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』は鐘楼の西隣


 


鯉が泳ぐ池泉庭園で、


教典にある東方世界の浄土「瑠璃光浄土」が


表現されています。


 



池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』の二段の滝


 


水が流れ落ちる二段の滝石組は、


薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)を中心とした


落ちつきのある造形となっています。


深山幽谷から流れ落ちる神秘の滝で、


薬師水と呼ばれる浄水によって、


病気を平癒させる意味が込められています。


 



永代供養塔
 本堂左手の墓地入口には「永代供養塔」があります。


 



開山堂



 戦国時代の天文13年(1544)に、


小田原から行脚してきた覚誉存栄上人は、


行基が彫ったといわれる勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)に、


この地であうことができました。


覚誉は、その見事さに惹かれ、


小田原にあった自分のお寺と同じ名前の大蓮寺を創建し、


その勢至菩薩像を守ろうとしました。
 ここには、大蓮寺が建立されるきっかけとなった、


覚誉が惚れ込んだ勢至菩薩像が、現在も奉られています。
 火災に遭いながらもその姿をとどめてきましたが、


今日では、安産のご祈願のお参りに多くの方が訪れてきます。


 



裏門(黒門)



 裏門は黒塗りで、


江戸の黒田藩の馬検所(馬場の入口)の門が移築されたもので、


今から300年以上も前の古いものです。


 


 





【カシャリ!庭園めぐりの旅】 大蓮寺の4つの池泉・枯山水庭園
 


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写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院

2022-11-20 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 映像で視る

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 千葉県浦安市 浄土宗大蓮寺 池泉庭園や枯山水庭園など4つの庭園のある寺院


 


「光縁山 勢至院 大蓮寺」(だいれんじ)は、室町時代後期、すなわち戦国時代の天文13年(1544)に、小田原から行脚してきた覚誉存栄上人によって建てられた浄土宗のお寺です。東京メトロ東西線・浦安駅から徒歩で5分強のところにあります。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所33番札所で、重森三玲に師事した現代の作庭家・吉河功さんの作庭による4つの庭園があります。

 池泉庭園“薬師如来瑠璃光浄土之庭”、本堂前庭“二十五菩薩来迎之庭”は常時公開されていますが、枯山水の中庭“二河白道之庭”、および書院庭園“仙樹庭”は通常非公開です。

 室町時代後期の浦安は、江戸川河口の小さな漁村に過ぎませんでした。町外れにある小さなお堂に、行基が彫ったといわれる勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)が奉られていました。覚誉は、その見事さに惹かれ、小田原にあった自分のお寺と同じ名前の大蓮寺を創建し、その勢至菩薩像を守ろうとしました。
 火災などの災害に遭いながらも、現在は、開山堂に奉られていて、安産祈願に多くの人が訪れています。

 江戸時代には、東京の大寺院『増上寺』の住職・学誉冏鑑を輩出したり、鐘楼の脇にある黒門(裏門)が福岡藩主・黒田氏の江戸屋敷より移築されたりと、伝統ある寺院です。鐘楼は、増上寺法主・学誉冏鑑の頃に整えられましたが、現在の鐘楼は、明治時代に再建されたものです。


 


■ アクセス


 


 東京メトロ東西線 浦安駅より南の方向に徒歩10分弱
 〒279-0041 千葉県浦安市堀江4丁目14-2


 



 


 


 東京メトロ地下鉄東西線浦安駅から歩きますと、


清滝神社を通り越したところに、


大蓮寺の参道が見えてきます。


 



大蓮寺表門



 長い参道の途中に表門がたたずんでいます。


参道には、海苔養殖により浦安に貢献した大塚亮平と、


魚市場の設立をはじめ幾多の業績を残した


宇田川六郎兵衛の説明文があります。


 


 



大蓮寺本堂


 


 参道をさらに進みますと正面に本堂が見えます。
 現在の本堂は、昭和2年の建立です。


しかし、老朽がすすみ、平成8年に改修築されました。


その時に、三夜堂と地蔵堂も、あわせて建立されました。


また客殿は平成13年に再築されました。
 ご本尊は阿弥陀仏で、毎朝、ここで勤行が行われています。


鐘楼



 鐘楼は、本堂を背にして斜め左にあります。
 享保19年(1734年)に、学誉大僧正の遺徳顕彰のために建立されました。


農繁期の時報として、12月31日の除夜の鐘として利用されてきました。
 鐘楼は、古くなったために、明治10年に再築されました。


また、梵鐘は、昭和18年の金属供出運動によって献納されてしまいました。


そのために、現在の梵鐘は、昭和26年に、


千葉県佐倉出身の彫金の大家、香取正彦により、鋳造されたものです。
 浦安市唯一の鐘楼ですので、


大晦日には、除夜の鐘として、ここに多くに参詣者が訪れます。


 



本堂前庭『二十五菩薩来迎之庭』



 本堂前にある庭園は、「本堂前庭」と呼ばれています。
 伝統的な枯池・枯山水庭園で、


“阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭”とも呼ばれています。
 1991年に、大蓮寺の開創450年の記念法要に際して、


作庭家・重森三玲に師事した吉河功により作庭されました。
 この庭園は、大きく3つの部分に分かれていて、


本堂寄りの白砂と松、中央(上部写真が中央部分)が


庭園の核となる来迎の庭、


写真左側に移っていない、庫裏の前にある


枯山水庭で構成されています。


 


白砂に松、中央に三角石の置かれた、


非常に見た目は簡素ながら、


中央の石が堂々とどっしり見えます。


 


前庭の中央部分が、この庭園の核となる部分で、


庫裏の玄関に至る小径沿いにあります。
 西方極楽浄土から来迎して下さる、


二十五菩薩を引き連れた


阿弥陀如来慈悲が表現されている庭園です。
 建物に向かって正面に見て、


左手奥にある枯滝石組が阿弥陀如来を中心にして、


左右に観音菩薩と勢至菩薩の三尊を、


その他の立石が二十五菩薩を表しています。
 念仏により、西方極楽浄土から、


私たち庶民の許へ来迎する阿弥陀如来および


二十五菩薩の慈悲を表しています。


 



池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』



 大蓮寺にある4つの庭園の二番目の庭園は、梵鐘の隣にあります。
 本堂前庭と同じ、吉河功による作庭です。


作庭者が“十二神将之庭”と命名している


この池泉庭園は、1999年の作です。


 



池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』は鐘楼の西隣


 


鯉が泳ぐ池泉庭園で、


教典にある東方世界の浄土「瑠璃光浄土」が


表現されています。


 



裏門(黒門)



 裏門は黒塗りで、


江戸の黒田藩の馬検所(馬場の入口)の門が移築されたもので、


今から300年以上も前の古いものです。


 


 





【カシャリ!庭園めぐりの旅】 大蓮寺の4つの池泉・枯山水庭園
 


ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

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【話材】 昨日11/1のつぶやき イロの世界を究めるには? 

2022-11-17 20:21:58 | 【話材】 ビジネス関連

 

  【話材】 昨日11/1のつぶやき イロの世界を究めるには? 

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  ■【今日は何の日】 11月17日 将棋の日 スエズ運河開通の日

カナヘイきらきら

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【カシャリ! ひとり旅】 京都の紹介 等持院 庭園と紅葉、達磨の絵で知られる隠れた名所

2022-11-15 10:33:00 | 【カシャリ!一人旅】 おすすめ

 

  【カシャリ! ひとり旅】 京都の紹介 等持院 庭園と紅葉、達磨の絵で知られる隠れた名所

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

       
 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。
 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。
 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。
 
 
カシャリ! ひとり旅
   

カシャリ! ひとり旅 

京都  等持院

 
 
■ 等持院

 暦応4年(1341年)、足利尊氏が、天龍寺の夢窓国師に依頼して、衣笠山の南麗に創建された臨済宗の寺です。

 足利義光・義正両将軍たちが、全力を尽くして立派に建立した「禅宗十刹」の筆頭寺院でした。更に、足利幕府の地の近くにあった等持寺も統合され、足利将軍家の菩提所になりました。

 応仁の乱の戦乱などに見舞われましたが、豊臣秀吉や秀頼により再建され、足利15代、230余年にわたる貴重な文化財が保存されています。
 
 
 
 

今日の写真

たくさんの写真を掲載しています
 
 
 
 
 
 

【経営コンサルタントの育成と資格付与】
 
 
since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会
 
 
 
 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 
 詳しくは、サイトでご覧下さい。 
   
 
 

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【カシャリ!ひとり旅】 気まま旅行術とモデルコース

2022-11-14 12:03:00 | 【カシャリ!一人旅】 おすすめ

 


  【カシャリ!ひとり旅】 気まま旅行術とモデルコース


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


 


■■ 気まま旅行術とモデルコース 

 多くの方が旅行会社が企画する「パック旅行」を利用することが多いでしょう。

 私のように自分で行程を設計して、カメラを持って、気ままに歩き回る方も多いのではないでしょうか。自分で行程を組む場合には、ネット情報としてのモデルコースを参考にすることが多いですね。

 しかし、どうしても、ありきたり感がぬぐえず、パック旅行に近い行程になりがちです。

 近年の私は、「庭園めぐりの旅」をテーマにしていますので、まず点在する庭園めぐりの順序を決め、そのルート上や周辺にある観光地(私の場合は、主に寺社)に立ち寄るというやり方です。

 どの様なルートになったかを基に、読者の皆さんが行程を組むときにヒントとされてはどうかと思い、ルート紹介も始めました。ただし、庭園というのは点の集まりですので、一挙に移動距離が大きい場合もあります。

 また、ハプニングがおきて行程変更を余儀なくされることもあります。ハプニング対応策についても、実際に起こったことをもとにご紹介したいと思っています。


 


日本全国の旅


http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm


 



  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm


 


 



  ■ カシャリ! ひとり旅




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■【カシャリ! ひとり旅】 京都の紹介 仁和寺 庭園だけではなく、御室桜・御衣黄など珍しい桜もあります

2022-11-13 12:03:00 | 【カシャリ!一人旅】 おすすめ

 


  【カシャリ! ひとり旅】 京都の紹介 仁和寺 庭園だけではなく、御室桜・御衣黄など珍しい桜もあります 


 



 

 





































 
 
 
 
 
 
 

       


 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。
 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。
 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。



 


 





















カシャリ! ひとり旅

 

カシャリ! ひとり旅 

京都  仁和寺




 


 仁和寺は仁和4年(888)に、第59代宇多天皇により創建された真言宗御室派の総本山です。仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」として発願されたといわれています。



 皇室出身者が代々住職を務め、平安・鎌倉期には門跡寺院として最高の格式でしたが、応仁の乱で焼失してしまいました。本尊の阿弥陀三尊や什物類、法燈等が残っています。



 徳川幕府3代将軍家光により仁和寺再興が承諾され、御所から紫宸殿(現在の金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に、ようやく創建時の伽藍に戻ることができました。



 平成6年(1994年)にユネスコの「世界遺産」に登録されました。



                         境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並んでいます。皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が、二王門を入って直ぐ左にあり、必見です。


 


 




 




 


 



今日の写真




 



たくさんの写真を掲載しています


 


 




 




 


 




【経営コンサルタントの育成と資格付与】


 


since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会


 


 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。


 


 詳しくは、サイトでご覧下さい。 




 


 

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【経営コンサルタントのお勧め図書 10周年】 「失敗の本質を語る」ーなぜ戦史に学ぶのかー

2022-11-12 10:03:00 | 【話材】 ビジネス関連

本  【経営コンサルタントのお勧め図書 10周年】 「失敗の本質を語る」ーなぜ戦史に学ぶのかー




経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。


 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。


 


 【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。


 幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけました。


 ものごとを慎重に判断される酒井先生ですので、ひょっとすると断られるかも知れないと懸念していました。


 


 当時の心境も含め、酒井先生のメッセージと当月の書籍紹介をここにお届けします。


本


■ “私の本棚”活動は10周年を迎えることが出来ました。感謝です。(はじめに)


 


【“私の本棚”はお陰様で10周年を迎えました】


 


 当“経営士ブログ”の「経営コンサルタントの本棚(“私の本棚”)」に投稿させて頂いてから今回が10周年に当たります。この間、投稿を暖かく掲載し続けて頂いた当ブログ主催の今井名誉会長(〈特非〉日本経営士協会)に感謝申し上げますと共に私の投稿をお読み頂いている読者の皆様に心から感謝申し上げます。



 2012年10月23日、最初の投稿『「失敗の本質」(野中郁二郎他5氏共著 中公文庫)』を掲載頂きました。日本経営士協会に入会してから2年半のコンサルタントになり立ての頃、尊崇する今井理事長(当時)からお声を掛けて頂いたのがスタートです。



 爾来10年、毎月第4火曜日の投稿を続けてきました。振り返ってみると続けてよかったとの思いで満たされています。読者の皆様の“いいね”は励みになりました。改めて感謝です。


 


【“私の本棚”活動10年の思い出】



 一つ目は、投稿に寄せられた紹介本の著者の喜びの声です。遠く英国からもありました。インターネットの力を感じました。友人の著書の投稿では、友人との共感を深めることができました。



 二つ目は、多くの知見を得られたことです。読むだけでは、右から左に抜けてお終いですが、投稿活動により文字化することで脳が活性化し、海馬を経て大脳皮質に多くの知見が蓄積され、コンサルタントの引出しが充実しました。つん読の名著をものにすることも出来ました。「
ビジョナリー・カンパニー」シリーズ(2022.3.22投稿)、「7つの習慣」(2019.1.22投稿)、「人を動かす」(2014.1.28投稿)、等です。



 三つ目は、P・E・S・Tの真実の追求と未来の読み解きです。『
「脱炭素」は嘘だらけ』(2021.10.27投稿)、『「アメリカ一極体制の崩壊」と世界激変の行方』(2017.3.28投稿)など現在の世界の混乱を読み解いた投稿ができました。



 四つ目は、普通投げ出したくなる膨大なページの本を自家薬籠中のものに出来たことです。「
ビジョナリー・カンパニー」シリーズ;2049ページ(2022.3.22投稿)、「世界標準の経営理論」;803ページ(2021.1.26投稿)、等です。


 


【“私の本棚”活動の「知識創造プロセス(SECIモデル)」効果】


 


 最初の投稿の「失敗の本質」と書名が似た「失敗の本質を語る」を最近偶然見つけ、10周年の記念月である今月の紹介本にしました。「失敗の本質を語る」は著者の野中郁次郎が「失敗の本質」から38年後の2022年5月、「著者自身の歴史」を振り返って発刊した本です。著者は最初の著書「失敗の本質」に続き「アメリカ海兵隊」「知識創造企業(2014.7.22投稿)」「戦略の本質」「国家経営の本質」「ワイズカンパニー」を始めとする多くの著書・研究を振り返り、ナラティブ(物語る)しています。



 「失敗の本質を語る」を、10周年の記念月に採り上げたのは、10年間の“私の本棚”活動が、著者の著作の中核である「知識創造プロセス(SECIモデル)」と気付いたからです。



 『“私の本棚”活動と「知識創造プロセス(SECIモデル)」』について、次項で述べさせて頂きます。


 


 



 


本 ■    今日のおすすめ


 


  『「失敗の本質を語る」ーなぜ戦史に学ぶのかー』
                                  (野中郁次郎著 聞き手 前田裕之 日経BP)

本


■    “私の本棚”活動と「知識創造プロセス(SECIモデル)」



【“私の本棚”活動は、「知識創造プロセス(SECIモデル)」パラダイム】



 SECIモデル(注)の素晴らしい点は、進化を続けていることです。最新のSECIモデルでは「経営学」に「現象学」を加えています。つまり、モデルのプロセスの間で生じる「認識論」に加え、知識を創造する人と他者との間で生じる「存在論」の次元を強化しています。個人間、チーム内、組織内、等における「相互主観性」で繋がる相互作用を通じて、フロネシス(賢慮によるリーダーシップ)のもと、高次の知識創造が、Continuousに促進され、企業・組織の成功に繋がるとします。加えて、過去の研究事例を踏まえ、フロネシスの重要な要素は「共通善(パーパス、存在意義など)」とします。



 かかる理論のもと、知識創造の源を“人間中心”の「人格的知識」としています。「人格的知識」は次の二つです。「個人の身体への体化(職人芸など)」の知識と「個人そのものに体化される認知スキル(視点、信念など)」の知識です。



 さて、“私の本棚”活動ですが、私の「人格的知識(暗黙知)」と紹介本、WEB上の「ハイパー・テキスト(文書を超える)」情報、等々との「相互作用」、「共同化(Socialization)」を経て、文字化・形式知化され“私の本棚”原稿として「表出(Externalization)」されます。多くの“私の本棚”投稿が年月を経て蓄積され、その中の幾つかは「連結(Combination)」され、新たな知見ができます。新たな知見は、新たな「人格的知識(暗黙知)」として「内面化(Internalization)」され、私の引出しに貯蔵され、コンサルに活用する時の出番を待っています。



 この様に、“私の本棚”活動は、SECIモデルによる知識創造と気付きました。加えて「共通善(真理、真実など)」を追求してきたと思っています。



(注)知識創造の「SECIモデル」プロセスとは。
 Socialization(共同化)。二人以上がお互いの「人格的知識(暗黙知)」を出し合い、共有・共同化するプロセスです。
 Externalization(表出化)。共同化した多くの暗黙知を明確なコンセプトにするプロセスです。metaphor(比喩)、analogy(類似推論)、abduction(仮説化)、デザイン思考、等の形をとりながら文字、計算式、図表などの形式知として明示・表出化するプロセスです。
 Combination(連結化)。表出された形式知を組み合わせ(連結し)て一つの知識体系を創り出すプロセスです。
 Internalization(内面化)。連結化で出来た知識体系を書類、マニュアル、物語などに言語化・図式化し、その学習により、個人の新たな「人格的知識(暗黙知)」として「体化」するプロセスです。
 このあとは、新たなSECIを回しスパイラル・アップをします。更には、個人から・チームへ・組織へ・組織間へ・社会へとステップ・アップし、新たな知識創造を実現します。(【参考】図による理解はこちら

■    引き続き「経営コンサルタントの知識創造」を続けます。(むすび)



 人生100年時代(『LIFE SHIFT 2「100年時代の行動戦略」』2022.5.24投稿)に向けて、更なる知識創造に加え「共通善」を追求し続けたいと思っています。引き続き宜しくお願い申し上げます。
 


 


本


【酒井 闊プロフィール】


 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。


  http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm


  http://sakai-gm.jp/


 


【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。


 


■■ 経営コンサルタントへの道 ←クリック


 経営コンサルタントを目指す人の60%が見るというサイトです。経営コンサルタント歴45年余の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。


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■【カシャリ! ひとり旅】 京都一条戻橋 源頼光の四天王・渡辺綱と鬼女の物語

2022-11-12 09:52:17 | 【カシャリ!一人旅】 おすすめ

 


  【カシャリ! ひとり旅】 京都一条戻橋 源頼光の四天王・渡辺綱と鬼女の物語


 



 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。


 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。


 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。


 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。


 


 

 

 

 

 


 



 



 

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