経営コンサルタントへの道

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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー09 抜本塞源 問題解決と原因除去 ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~

2024-12-21 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー09 抜本塞源    問題解決と原因除去 ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー09 抜本塞源    問題解決と原因除去
      ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~



「抜本塞源(ばっぽんそくげん)」は、「根本を忘れ、道理を乱す」という意味で、出典は春秋左氏伝です。ところが近年は、「抜本」は木の根から全てを抜き、「塞源」は水源をせき止めるという意味から、「抜本塞源」は「災難の原因を完全に除去する」という意味で使われることが一般的です。
 問題を解決するということは、大小あれど日々の生活の中で、何らかの形で存在します。問題があっても「快刀乱麻(かいとうらんま)」のごとく解決できる神様のような経営コンサルタントがいたら素晴らしいと思います。「快刀、乱麻を断たつ」の略で、「快刀」は「鋭利でよく切れる刃物」、「乱麻」は「乱れ、もつれた麻」のことを指します。よく切れる刃物で、もつれた麻糸のもつれた部分を切り取るように「こじれた物事を鮮やかに解決し、処理する」という意味です。
 東日本大震災で起こった原発問題ですが、ピーク時に大需要を持つ企業の15%電力削減が一律に適用されました。マスコミもピーク時のことばかりに偏重して報道していました。
 一般家庭もピーク時電力削減ばかりに目が行ってしまいますが、ムダな電力消費そのものを減らすだけではなく、電力消費そのものを減らす努力をすべきです。ムダなTV番組を減らすことにより、制作側、放送局、視聴電力等々を減らすことができます。ただし、このことは経済原則からしますと、異なった見方ができますが、上述のように解釈したいと思います。
 一方で、それによる経済的な側面をはじめ、多面的にそれによるディメリットも検証しなければなりません。その際にも根本を忘れて枝葉末節的な論争を延々とやっていてはならないとお思います。因みに「枝葉末節(しようまっせつ)」は、「主要部分ではない些末なこと」、すなわち「本質から外れたつまらないこと」という意味です。
 企業経営においても、しばしば類似した過ちを犯しがちです。「赤字である」ということから、「経費削減」「人員削減」と決めつけてはなりません。人間も生きるために最低限度のエネルギーと栄養が必要なように、企業にもそれが必要です。
 正しく原因分析をし、原因を根本から除去し、正しい方針で、正しい方法で解決することが望まれます。他書でも記述していますが、分最適ができても、必ずしも全体最適とは限りません。素人の生兵法で判断しては抜本塞源にならないことが多いことを忘れてはならないでしょう。
 マズローの欲求五段階説にもありましょうに、生活程度が高くなりますと、人間のニーズは多様化し、複雑化します。抜本塞源を意識することにより問題解決に結びつけやすくなりますが、昨今では「盤根錯節(ばんこんさくせつ)」している課題にしばしばであいます。
 インターネットのkotobankによりますと「盤根(ばんこん)」とは、下記のように説明されています。
雑木、特にもみじやぶな、姫しゃらなど根張りを見所とする樹種において、上根が癒着してひとかたまりになった状態を盤と言い、その根を盤根と呼ぶ。


「錯節(さくせつ)」の「錯」は「乱れて入りくむ」と言う意味で、「節」は「ふし」のことです。kotobankでは「 入り組んだ木の節」とあります。また「入り組んでいて解決しにくい事件や問題」ともあります。
 すなわち「盤根錯節」とは、根が張り、それが入り組んでいましたり、枝が複雑に絡んで節がごつごつしているようなことを指します。このことから、物事が複雑に絡み合っていて、処理するのが難しいことのたとえなのです。
 企業経営というのは、いろいろな問題が絡み合っています。それを整理するのが別項にあります「論理思考(ろんりしこう)」です。ロジカル・シンキング・ツールを使って事象を整理するのは大変ですが、それを実施し、全体が見えてきたときには、問題が解決していない段階でありましても、嬉しくなり、何としても解決に導こうという気になります。
 受験生の頃、数学の難問集に取り組み、解決できたときの快感は、登山で頂上を極めたときのそれに通ずるところがありました。経営コンサルタントも、クライアント・顧問先の問題を解決できたときには「“日本で”経営コンサルタントをやっていてよかった~」と叫びたくなります。少々古いですが、「日本で猫をやっていて良かった」というTVコマーシャルを見た人はわかる表現です。
 京都の鞍馬山を訪れたことがある人はご存知ですが、地上に根が露出して、ゴツゴツとなり、非常に歩きにくいところがあります。牛若丸がそれを利用して、ここで修行をしたと言われています。
 これを見たときに、盤根錯節という言葉を思い出し、上を見上げましたが、木々はすんなりと育って、錯節状態ではありませんでした。
 叡山電鉄鞍馬駅→徒歩10分→由岐神社→徒歩15分→鞍馬寺→徒歩20分→鞍馬寺・魔王殿→徒歩30分→貴船神社→徒歩30分(またはバス)→叡山電鉄貴船口駅(ウェブサイトより)というルートをある年の初夏に歩きました。
 まさか、山越え・峠越えとは知らず、革靴で行ったために往生しました。革靴といってもウォーキングシューズですが、右足の親指の爪が内出血して、黒くなり、数ヶ月した今もまだ抜け切れていません。
 訪れるところがどういう状態の場所なのかを事前に調査もせず、山に行きますと、自然に圧倒されて遭難に至ってしまうこともあるでしょう。
 若い頃は、山歩きが好きで、南アルプスを始めあちこちには行きましたので、「半山男」と言えますのに、この顛末は恥ずかしい次第です。
 何ごとも事前に情報収集しないとこのようなことになると自戒しています。
 因みに「山紫水明(さんしすいめい)」は「自然に囲まれた景色は清々しく、美しい」という意味です。山派紫に霞み、川は清らかに澄んだ流れをしているという、一幅の絵を連想させる四字熟語です。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー08 実事求是 ウラを取る ~ 事実にも基づいて追求する ~

2024-12-14 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー08 実事求是    ウラを取る ~ 事実にも基づいて追求する ~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー08 実事求是    ウラを取る
      ~ 事実にも基づいて追求する ~



 中国清朝時代に盛んになった考証学では、「ことを実にして、是を求む」という学風で臨むことを基本としていました。すなわち、「実事求是(じつじきゅうぜ)」はあらゆることにおいて、根拠を追求し、それを明示して、論証するという学問追求の姿勢です。
 企業経営において、問題が発生しますと、その原因追及をして、再発防止に努めるという姿勢でいることは重要なことです。これがないと企業は悪い方向に向かうことが必定と言えます。
 ある経営者の話です。自分は社員の声に平素から耳を傾けていると信じて経営をしていました。ところが私ども経営コンサルタントが社員にヒアリングをすると「社長は、我々の思いとは違う、自分の考えだけで経営をしている」という答えが返ってきました。
 確かに、その社長は、なにかがあると社員を呼んでは意見を求めています。相手が社長では、お座なりにはできませんので、社員もそれに対して「一所懸命」に答えます。ところがその時に「いや、君の考えは間違えている」ということを社長が言い、その論拠を得々と説明して、結局自分の考えを社員に押しつける会話で終わっていました。
 社員は、「うちの社長は、俺たちの意見を聞こうとするけど、それはジェスチャーだけで、結局自分の考えを押しつけてくる。結果として、俺たちの意向は全然入れられない」と次第に諦めてしまっていたのです。
 経営者自身は、社員に意見を求めた結果を基に経営判断していると思い込んでいるだけに始末が悪いです。手前味噌になって恐縮ですが、われわれ経営コンサルタントなどが、第三者的な立場で、ビシッと言わない限り、その姿勢は変わらない人が大半でしょう。
 また、ある経営者は、社員の意見を求めはしますが、自分の都合の良い意見だけを採り上げることの繰り返しです。この経営者は、一人、あるいは一方の集団の言葉を聞くだけで、それが全て、それが事実、という偏った認識をしてしまいます。その結果でもって、経営判断をしてしまうので、正しい判断ができないだけではなく、社内に不満も残ってしまいます。
 私は、若手の経営コンサルタントの育成ということに永年携わってきましたが、口癖のようにいう言葉の一つに、刑事が活躍するサスペンス物の見すぎかもしれませんが「ウラを取れ」ということがあります。「一部分を見ただけで全体を推し量るな、闇夜にカラスで見えない部分が必ずあると思え」と言うようにしています。盲目の方には大変失礼ながら「群盲象を撫でる」という言葉がありますように、一部を触っただけでは、木の幹のようであったり、壁のようであったりします。「
 ウラの取り方として、現場百遍(げんばひゃっぺん)」という言葉もありますので、事実をいろいろな角度で観て、検討することが必要です。一人の人の話を聞くだけではなく、複数の人の証言を聞くことも大切です。一方の意見を聴くだけではなく、必ず他方の言い分にも必ず耳を傾けるようにします。それだけでも不充分で「物証」が必要なことがあります。例えば統計数値ですとか、マスコミ報道ですとか、公的な性格の強い、第三者が提供する情報や意見です。それでも判断を誤ることがあります。
 なぜなら、人というのは「外柔内剛(がいじゅうないごう)」だからです。「内剛外柔(ないごうがいじゅう)」とも言い、その反語的表現として「内柔外剛(ないじゅうがいご)」という四字熟語もあります。外柔内剛というのは、外見から見ますと、その言動が物腰柔らかに見える人がいても、「やわな人」と判断せずに、その内面がしっかりしていて、「意志強固(いしきょうこ)」かもしれません。外見だけで判断しますと、火傷を負うかもしれないのです。
 昨今は、インターネットを利用するといろいろな情報を容易に入手できます。それを見つけますと、答がわかったような「つもり」になってしまいます。それどころか、調べただけで、自分の知識となったような気になってしまいがちです。検索サイトで、一つのキーワードで検索しますと多数の項目が列挙されます。中には、相反していたり、真の目的とは異なっていたりすることが記述されていることさえあります。容易さに慣れてしまって、そこに記述されていることが正しいのかどうかのウラを取ることに意識が行きません。
 企業の経営者・管理職は、双方向コミュニケーションが基本です。傾聴と言うことがよく言われるようなりましたが、まっさらな気持ちで相手との話に臨むことが必要です。色眼鏡をかけて相手の話を聴くだけでは、相手の言いたいことを素直に聞き取れないでしょう。
 特に意見対立があるような場合には、一方の言い分だけを聞いただけでは、MECE(ミーシー)な情報収集とはいえません。MECEというのはロジカル・シンキングの基本である「漏れや重複がない」状態を言います。
 事実求是の基本はMECEにもありそうです。因みにMECEというのは、下記の英語の頭文字をとったものです。
  M mutually 相互に、相互間において
  E exclusive 排他的な、独占的な
  C collectively 集合的な、集まった
  E exhaustive 徹底的な、全てをはき出した
「Mutually exclusive」は「相互的に排他的」ということから「重複しない」という意味になります。「Collectively exhaustive」は「徹底的に集合している」ということから「漏れがない」という意味です。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー07 軽諾寡信 身の丈を超えた仕事の依頼~軽々しく引き受ける人は信用されない~

2024-12-07 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー07 軽諾寡信    身の丈を超えた仕事の依頼~軽々しく引き受ける人は信用されない~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー07 軽諾寡信    身の丈を超えた仕事の依頼
      ~ 軽々しく引き受ける人は信用されない ~


 「老子」に「軽諾は必ず信、寡なし(少なし)」とあります。
 「軽諾」は、「軽く諾する」すなわち「熟考せず、軽い気持ちで引き受ける」という意味です。「寡信」は、「信が少ない」ということから「信用が少ない」という意味であり、「軽諾寡信(けいだくかしん)」で「物事を軽々しく引き受ける人は、信用できない」という意味になります。反意語としては「一諾千金(いっかくせんきん)」があります。ご存知の方が多いと思いますが、「一度にたくさんの利益を、あまり苦労もせずに得ること」を指します。「一攫」は「ひとつかみ」という意味です。ところでこの「攫」という漢字ですが、「獲得」という意味に通じることから「一獲」と書く人が多いようです。常用漢字などの問題からでしょうか、最近、後者が用いられているのを時々見ます。できれば、前者の伝統的な表記を用いるようにして、博学であることを無言の内に示した方がよろしいのではないでしょうか。
 経営コンサルタントとして仕事をし始めたばかりの頃は、はじめからクライアント・顧問先を持っているわけではありませんでした。企業から声をかけられますと、仕事ほしさから何でも引き受けたくなりました。自分の実力以上の仕事であったり、自分の専門外であったりしても、仕事を欲しいという気持ちが先行してしまいがちです。
 経営コンサルタントに取って、その様な引き合い案件は、例え契約に結びついたとしても、自分の手に負える仕事ではなく、一夜漬けやドロ縄では間に合いません。経営者といっても、その道に永年従事していますので、ド素人のコンサルタントの化けの皮はすぐにはがれてしまいます。その結果、「あの人は無能なコンサルタントだ」という評判が立ち、次の引き合いになかなか巡り会えなくなってしまいます。
 身の丈に合った仕事を選ぶことが大切です。
 では、もし、自分の実力を超えたり、専門外であったりする仕事の話が経営コンサルタントに持ち込まれたときにはどうしたら良いのでしょうか?
 せっかくの引き合いですので、みすみす逃すのはもったいないです。かといって、身の丈を超えた仕事を引き受ければ、前述の結果になることは火を見るよりも明らかです。
 その様なときにはむしろ正直に言うようにしています。「大変うれしい話をありがとうございます。ただ、私の専門外のお仕事ですので、本日はお話を承り、その分野を得意とする先生をご紹介したいと思いますが、それで宜しいでしょうか?」と言ってみてはどうでしょうか。
 それでダメなら諦めざるを得ません。でもただで諦めてはプロの名折れです。自分が親しくしているコンサルタントに、「○○会社では、先生が専門としている分野のコンサルタントを探しているようですから、一度アプローチをしてはいかがでしょうか」と情報を流します。
 そのコンサルタントが信用できる人であれば、いつか逆に仕事に誘ってくれるでしょう。もし、その経営者が、「誰かを紹介して欲しい」という意向であれば、その時は、信頼できる先生を紹介し、鞄持ちをしながらその先生の仕事のやり方を学ばせてもらえば一石二鳥です。その先生が、ホンモノのコンサルタントであれば、顧問料の一部を分けてくれることが多いのです。「情けは人のためならず」という言葉は、このような時にも言えることです。
 しかし、なかなか信頼できるコンサルタントに出会うことは、コンサルタント業界にいる人にとっても難しいことです。それを解決できるのがコンサルタントの団体です。「共業・共用・共育」といって、「仲間と仕事をしながら実力を付け、収入を増やしていこう」という団体もあります。
 平素から、「コンサルタントは一人ではやって行けない時代である」ということを自覚し、仲間作りをすることが、ビジネスチャンス拡大にも繋がりますし、実力を養ったり、知識や情報を手に入れたりすることにも繋がります。
 一般企業でも同様なことがいえます。お客様から自社製品ではできない仕様要求があったときに、それをごまかして受注を取ってみてもダメな結果はわかりきっています。「羊頭狗肉(ようとうくにく)」は、「羊頭を懸かげて狗肉を売る」を略した表現です。「羊頭」は店頭や看板に未の頭を掲げ、実際には「狗肉」、犬の肉を売るという意味です。外見と実際が一致しなことを言います。あたかも素晴らしい商品であるかのように、派手な宣伝をしたり、展示会や店頭などで見せたりするものの、実際には粗悪品を売るようなビジネスの仕方を指します。
 上述のようなときに、「羊頭狗肉」ではなく、「△△の機能は弊社商品には有りませんが、こちらの機能を使えば代替方法でこのようにできます。○○の機能は他社にはない機能で、このようなことをすることができます」と正直に説明して、切り返すことも必要です。
 できないからと言って、一度つかみかけたお客様をむざむざと放さない粘りも不可欠です。本当に自社の技術では解決できないものかどうか、研究開発部門とじっくり腰を落ち着けて検討すべきではないでしょうか。ひょっとして、画期的な機能に繋がり、自社の将来を明るくする機会となるかもしれません。あるいは仲間や同業者に橋渡しをして、将来のチャンスを待つことも必要ではないでしょうか。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー06 鬼哭啾啾 日はまた昇る~恐ろしい気配の漂う様子や状態~

2024-11-30 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー06 鬼哭啾啾    日はまた昇る~恐ろしい気配の漂う様子や状態~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー06 鬼哭啾啾    日はまた昇る
      ~ 恐ろしい気配の漂う様子や状態 ~


「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)」という四字熟語があります。この言葉に初めて接したときには、その意味がわかりませんでした。「鬼」というのは鬼とか亡霊とか呼ばれる、どちらかというとおどろおどろしいものをさすだろうということは想像できました。「哭」は、大声を上げて鳴き叫ぶという意味で知っていましたが「啾」という時の意味がわかりませんでした。
 因みに、「哭」という字を中国では、「人の死を悲しんで泣きさけぶ礼(広辞苑)」という時に使うそうです。「啾啾」は、虫や鳥などが小声に鳴く様子を指し、しくしくと力なく泣く様子や細かく尾を引いて悲しげに、また恐ろしげに鳴く様子を指すようです。すなわち、「鬼哭啾啾」は、亡霊の泣き声が恨めしげに響くという意味となります。このことから「恐ろしい気配の漂う様」を形容する時の表現として使われます。
 私が、所属する団体の役員会議の席上、その団体の変革を求める要求について、会員からの声を率直に伝えました。その座長の逆鱗に触れることは、この団体にいられないというような雰囲気でした。誰しも自分が可愛く、自分に余計な火の粉がかかってくることは望みません。その場が一瞬にしてシーンと静まりかえり、私の発言を誰一人としてフォローしてくれませんでした。その時に初めて鬼哭啾啾という場に遭遇しました。
 日本企業は、「技術力はあるが、マーケティングが下手」というようなことがしばしば言われます。高い技術力で良い商品を開発しても、後発の国の模倣により、軒先を貸して母屋を乗っ取られてしまう事態が処々に見られました。
 マーケティングの基本の一つに「プロダクトアウトではなく、マーケットインであるべき」という考えがあります。日本企業は、自社の技術力をベースに「良い製品は売れる」と信じ、満を持して新製品を世に投じてきました。残念ながら、それが市場でユーザーに受け入れられないことが多かったのです。
 かつては、日本国内では、N社が日本のパソコンの標準であると言われる時代がありました。しかし、IBMがDOS/Vという仕様のOSを発表しますと、急速に市場から駆逐されてしまいました。同様にガラケー(ガラパゴス携帯電話、日本独自OS携帯電話)も、日本独自の仕様と言うことで、世界の市場から日本の携帯電話は見向きもされなくなってしまいました。
 日本という国全体が、バブルがはじけると「失われた○十年」が始まり、「鬼哭啾啾」しました。グローバル市場での相対的地位の低下から、日本全体が自信をなくしてしまったのです。「威風堂堂(いふうどうどう)」「旗鼓堂堂(きこどうどう)」という威厳に満ち、立派に見える状態ではなく、自信と活気に溢れた高度成長期とは大きく異なっています。
 高度成長期には、「騎虎之勢(きこのいきおい)」で、自社の考えを基に、市場に立ち向かう「プロダクトアウト」の戦略が採られました。「騎虎」、すなわち「虎にまたがる」とうことで、虎を目の前にしたときの戦法として虎にまたがるという方法があります。ところが一旦虎の背にまたがってしまうと、その勢いが激しくて降りることもできないでしょうし、降りてしまったら虎に食べられてしまいます。このことから「勢いよいときには塗中で止められない」、すなわち「一旦はじめてしまったら、後に引けない」という意味です。
このような時には、市場の動向に合わせた新製品開発、すなわち「マーケットイン」が改めて見直されるとともに、技術だけを前面に出したグローバル市場への参入に、高らかに警鐘が鳴らされました。
「日はまた昇る(The Sun Also Rises)」といいますと、小説家アーネスト・ヘミングウェイの長編小説を連想する人が多いでしょう。これをもじって、「エコノミスト誌」の編集長をしていたビル・エモットは「日はまた沈む」と、「日」すなわち「日本」はその繁栄からまた沈んでしまうだろうと、日本経済を揶揄し、バブル崩壊を見事に予測して、1990年代にベストセラーとなりました。二一世に入りますと、エモットは、日本は長い低迷の時期を続けていますが、ゆっくりと、確実に変化しているとして「日はまた昇る」とヘミングウェイと同じタイトルの本の出版をしました。
 日本は、鬼哭啾啾の後、東アジア情勢への展望を視野におきながら、社会インフラ面での、技術だけではなく仕組みとして、水事業を始め、いくつかに絞り込んだグローバル戦略に目を向け始めています。アメリカを始めとしたいろいろな国に、新幹線の、高い安全性における実積を武器に、運用技術も含めたトータスサービスを商品として、ふたたび羽ばたき始めています。
 グローバル市場で、いろいろな課題がある中、何度失敗してもくじけない精神で「七転八起(しちてんはっき)」し、不死鳥のように蘇るでしょう。日本は、ロボット産業、リニアモーターカーや環境技術を始め、たくさんの強味を持っています。「第四の波」と言われますナノテクノロジー、バイオテクノロジー、人工知能も視野に入れることにより、日はまた昇るのではないでしょうか。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー05 一期一会 部下を育てる~一生に一度の機会として誠意を持って対峙する~

2024-11-23 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー05 一期一会    部下を育てる~一生に一度の機会として誠意を持って対峙する~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー05 一期一会    部下を育てる
      ~ 一生に一度の機会として誠意を持って対峙する ~


「一期一会(いちごいちえ)」とは、千利休の言葉として、茶道に由来する和製四字熟語として、広く知られています。茶会に臨むにあたり、このような出会いや機会は、一生のうちで二度と訪れることがないかもしれないので誠意を持って対応すべきという意味です。
 山上宗二記に「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文が残されています。「一期」は、「いちき」と読む人がないといわれるほど、その読みはよく知られています。「一期」は、もともとは仏教語で、「人が生まれてから死ぬまでの間」、すなわち一生をあらわす言葉です。
「この一瞬は二度と巡り会えないかもしれませんので、最高のおもてなしをしなさい」ということから、神経を集中して、ベストを尽くしなさいという戒めです。
 人間の集中力というのは、われわれ凡人では三分くらいしか持続しないと言われています。また、集中しているつもりでも、ちょっとした気の緩みから集中状態が崩れ、失敗に繋がることがあります。それを戒めるのが、徒然草の「高名の木登り」の話です。
「高名の木登りといひし男・・・」で始まります第百九段に登場します。弟子の職人が高いところで梢を切っているときには何も言わなかったのにもかかわらず、軒の高さほどになり、もうすぐ地上に近いところまで下りて来たときに「あやまちすな。心して降りよ」と声をかけて注意を促したのです。
 怖さを感じる高所にいるときには、自分自身で注意をしますけれど、地上近くなりますと怖さも薄れ、つい気が緩み、木から転げ落ちるミスに陥りやすいという教えです。
 私がかつて会社勤務一年生であったときに、私の同僚が、ケアレスミスを起こしました。その時に、私も一緒に作業をしていましたので、彼をかばおうと「解っていながら、ちょっとした気の緩みでのミスで、私でも起こしかねないことです」と言いました。課長は、私に「ケアレスミスを軽視するな」と厳しく注意してくれたときに、徒然草のこの段を引用してくれたのです。
 私が若い頃に「ZD運動(ZeroDefects)」というのが、社員研修でさかんに叫ばれました。「無欠点で仕事をしようという標語であり、1962年に航空機の製造会社であったアメリカのマーチン・マリエッタ社のミサイル生産現場における作業改善運動が始まり(【Wikipedia】)」のことです。課長が言いたかったのは、ZD運動を知らないわけではないでしょうに、それを軽視するような私の発言を重要視してくれたのです。
 このことから、大いに反省し、近年「ヒヤリ・ハット」ということが叫ばれるようになりますと、その課長の顔を思い出し、自分を戒めています。「ヒヤリ・ハット」は、ちょっとしたミスで、重大なことに繋がりそうなことを、間一髪で避けることができ、結果として大事に至らなかったために、看過されてしまうことがないようにする注意喚起用語です。
 ヒヤリとしたりハッとしたりしりするものの、大事に至れば、大いに反省はしますが、「ミスにならなくて良かった」と思って、直ぐに忘れてしまいがちです。人命に関わる医療現場では、非常にこの意識が高くなってきていますが、まだまだ一般の企業ではその意識が低いところが多いです。
 重大な事故が発生した際には、その予兆としてのヒヤリ・ハットが顕在化していないことが多いです。そこで、ヒヤリ・ハットの事例を集め、共有化して共通認識することが、重大なミスや事故防止に繋がると考えます。ハインリッヒの法則というのがありまして、「重大事故の陰に二九倍の軽度事故と、三〇〇倍のニアミスが存在する」と言われています。
 人を育てることは難しいです。仕事を指示するときに、新入社員が相手なら、どの様なやるのか、手順や方法、ポイントなどをしっかり伝えて仕事に取り組んでもらいます。しかし中堅社員を相手にするときには、その仕事の目的は何かをキチンと伝え、方法論などは相手に任せることです。
 中堅社員などを育てるときのポイントとして、私が重視していることの一つが答えを言わず、失敗させる、考えさせる、矛盾に取り組ませるということを基本にしています。人間というのは、自分が気づかないと同じ失敗を繰り返すものです。部下を本当に共育しようと思ったら、部下に失敗させ、部下に上司である自分が叱られたり、恥をかいたりすることを怖れないことです。部下も、自分の代わりに自分の樹脂がそのような思いをしたら、二度と同じ失敗を繰り返すまいと努力をしてくれるのです。
 実務や研修では、答えを言わず、失敗させる、考えさせる、矛盾に取り組ませるということを基本にしています。すなわち、答えは知識や経験をベースに、ひらめきから得ることが重要であると考えているのです。
 ところが、中堅どころであるにもかかわらず、この方法が通じない社員も結構います。その場合には、一ランク下げた形で指示を出します。すなわち、目的だけではなく、方法論としてどの様なやり方を相手が考えているのか指示を出すときに確認するようにします。相手によっては、「この作業のポイントは何だろう」と相手に考えさせ、必要に応じて適切なアドバイスをします。
 それでも成長しない社員がいる時には、失敗事例集の中から、事例を選んで、会議の場をOJT研修の場として流用するようにします。この事例は、課長に恥をかかせてしまったあれのことだと言うことを皆が知っています。同じ失敗を繰り返さないように皆で知恵を出し合います。その過程で、当該者が自分自身に問題あることを認識してきます。爾後、同じような失敗を繰り返しますと、他の社員の目が厳しくなり、管理職がいなくても当該者の意識が変わらざるを得ません。きめの細かいコミュニケーションで社員を育ててゆきましょう。
 社員の育成には「不撓不屈(ふとうふくつ)」という四字熟語を社員に浸透させるのが効果の上がる方法のひとつです。「撓」は「たわむ」ですので、「不撓不屈」は、「たわむことなく、また屈することのない」となります。このことから「強固な意志を持っていれば、どのような辛苦や困難にもくじけない」という意味で使われます。「不屈不撓(ふくつふとう)」と表記することもあります。
 社員が不撓不屈の精神でもって努力するようになりますと、企業は組織で動くことができ、協力軍団として管理職の下で「三面六臂(さんめんろっぴ)」の活躍するようになるでしょう。「三面」は「三つの顔」、「臂」は肘や腕のことですので、「三つの顔や六つの腕を持つ」という意味から、「三面六臂」とは「一人で百人力を発揮し、多方面で活躍をする」という意味です。
 また、「獅子奮迅(ししふんじん)」の活躍という四字熟語もあります。「奮迅」は「激しく奮い立つ」という意味ですので、「志士が猛々しく奮い立つような激しい勢いで、猛烈に物事に取り組む」という意味で、「活躍」という言葉を強調するときに使います。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄 ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~

2024-11-16 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸
      ~ 物事や行為など意思決定の判断規準 ~


「規矩準縄(きくじゅんじょう)」の「規」は「規則」などという言葉からも推察できますように、何かの「規準」を表し、看護の影響を受けている日本語でも「コンパス」などを指すときに用いる漢字で、出典は「孟子」です。
 多少脱線しますが、広辞苑によりますと、「規準」とは、「何かを行う際に、手本や標準とすべきもの」とあります。同書では「道徳の規準」「社会生活の規準」「規準をはずれる」「順守すべき規準」などという用例が列挙されています。
 おなじ「きじゅん」でも「基準」という字があります。こちらは「物事を判断するためのよりどころ。また、標準とみなす数値など(広辞苑)」という意味で、「選考基準」「労働基準法」「建築基準」「前年度実績を基準にして算定する」などの用例も併記されています。
 両者は、大変類似した意味を持ちますが、前者が比較的定性的な判断のよりどころとして用いられるのに対して、後者の「基準」は、定数的な判断のよりどころ的な用例が多いように見えます。
 話を「規矩準縄」に戻しますが、「規」は「コンパス」のように方向性を決めるときなどの判断のよりどころなる言葉です。それに対して「矩(く)」は、「ものさし」とか「定規」のような判断のよりどころで、どちらかといいますと「基準」という言葉に近いようです。
 「準」は「水準器」という言葉に見られますように「水平線」を指します。「縄」は、大工さんが使う「墨壺」の糸などを指す「墨縄」のことです。墨壺を使って基準となる線を引いてから、のこぎりで板を挽いたり、柱を切ったりします。「規矩」も「準縄」もいずれも「規則」とか「法律」という意味で、規矩準縄という四字熟語は、同じような言葉を重ねて、意味を強調して用いられます。
 似たような言葉で「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」という四字熟語があります。「一定の基準や形式にあてはめる」という意味ですが、一般的には「規則などにとらわれすぎて融通が利かない」というマイナスのニュアンスで使われます。「融通無碍(ゆうづうむげ)」ともいいます。同様に「四角四面(しかくしめん)」も「大変まじめ」という原意よりも、後者のように、「まじめすぎて融通が利かない」という意味で用いられます。

 企業経営におきましては、判断業務の連続といっても過言ではありません。経営上の判断をするときには、経営理念が規準になります。その経営理念を基に、経営戦略が練られ、それが経営計画に織り込まれます。経営計画に基づき、各部門長は部門計画を立てます。その部門計画を実践し、計画通りの結果を出すために、各担当者は自分自身の計画を立てます。
 例えば、営業パーソンが営業活動をするとします。その際に、自分の年度計画に基づいて作成された月次行動計画書を参照して、日々の行動計画を立てて、PDCAに基づいて行動します。
 このように、企業における計画は、ひとつの目標に向かってベクトルがあっていなければなりません。また、階層化され、それぞれが上位計画を規準にして決められています。例えば、顧客を訪問したときに、値引き要請をされたとします。値引きをどこまでしたら、その商談が成立するかということを推測すると共に、自分に許されている値引き範囲基準と比較します。もし、後者の基準内に前者が入っていれば、その場で即決して受注に結びつけます。逆に、前者、すなわち顧客の要望金額に、自分が許されている値引き基準が至らない場合には、上司に相談することになるでしょう。
 このようにビジネスパーソンは、行動するときに、常に規矩準縄を意識することで経営がスムーズに進むのです。
 経営では、経営理念や経営計画などという企業の目標が規矩準縄として、全社員がめざして、「個を全体に」すなわち個々バラバラではなく、統一した方向に向けて心を一つにして努力することで業績に結びつけていくことに繋がります。
 ベクトル合わせという観点で代表的な四字熟語として「上意下達(じょういかたつ)」があります。「トップの意図に基づく指示・命令を下部のものに伝え徹底する」ということで、報連相の基本です。ただし、「下意上達(かいじょうたつ)」という四字熟語もあり、トップの意図が一方通行でないことが重要で、「上意下達」と報連相はセットで体得させる必要があります。因みに「体得」とは、知識として頭で理解できているだけではなく、言動にそれが表れることを指します。
 またベクトルあわせということでは「一致団結(いっちだんけつ)」という言葉もあります。説明する必要もない四字熟語で、大勢の人が、共通の目的に向かって心を一つに合わせて、その実現のために力を合わせることです。類似な四字熟語として「一致協同(いっちきょうどう)」「一致協力(いっちきょうりょく)」があります。
 また、「一味同心(いちみどうしん)」という言葉もあります。上記が、心を一にするという抽象的な概念を表すのに対して、こちらは、心を一つにして、同じ目的を実現するために、集まっている「人」に重点がおかれています。平家物語にも使われている四字熟語です。「情意投合(じょういとうごう)」「意気投合(いきとうごう)」する組織作りにも繋がります。心と体が一体となるかのように、心を一つにする強い結びつきのことを「一心同体(いっしんどうたい)」とか「異体同心(いたいどうしん)」と言います。
 これによく似たのが「一味徒党(いちみととう)」です。有名なアレクサンドル・デュマの「三銃士」という小説があります。その中に「一人はみんなのため、みんなは一人のため」という台詞がありますが、まさに一味同心を示しています。
 企業経営では、一味同心達が、規矩準縄で心を一にし、一致団結することにより、「一粒万倍(いちりゅうまんばい)」が実現できます。一粒の種でもこれにより万倍の収穫に繋げることができようになります。このことから「一粒万倍」は、小さなことから大きな成果を得ることができるたとえとして使われます。また、一つの善行から、多くの恩恵が得られるという意味でも「報恩経」の中で使われています。「一日一善(いちにちいちぜん)」が万倍の成果として結実すると言うことです。
「一日一善」は、一日に一つの善い行いをしなさいという教えです。その積み重ねが、人生を明るくしてくれるという前向きな言葉です。「積善」という言葉がありますが、この四字熟語と同じように、善行を積み重ねることをいいます。因みに「積善」は「せきぜん」という読みと共に「しゃくぜん」という読み方もあります。
 善い行いをしますと、相手も自分も気持ちが良いモノです。孟子に出てきます「浩然之気(こうぜんのき)」の「浩然」は「広く、ゆったりしている」ことを指しますので「天地に恥じない正しい行いをしました時に感じる清々しい道徳的な感覚」を指します。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー03 郢書燕説 信頼できる外部ブレイン選び ~道理や理屈に反することを最もらしく説明~

2024-11-09 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー03 郢書燕説 信頼できる外部ブレイン選び ~道理や理屈に反することを最もらしく説明~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー03 郢書燕説 信頼できる外部ブレイン選び
      ~ 道理や理屈に反することを最もらしく説明 ~


「郢書燕説(えいしょえんせつ)」とは、道理や理屈にかなわないことをこじつけてもっともらしく説明するという意味です。
「郢(えい)は、春秋戦国時代の楚国の首都で、現代の湖北省荊州市江陵(荊州)のことです。蛇足になりますが、春秋時代の楚という国は、どこへ都を移しても「郢」と称したということです。(四字熟語辞典)
 この言葉の語源は、楚の国の首都であった郢(えい)の役人が、ディクテーション(口実筆記)をしているときに、暗くなってきたので「燭を上げよ」といってお付きの者に明かりをつけるように指示をしました。筆記者が、御役人のその言葉を、そのままの言葉で手紙に書いてしまい、それが相手に届けられることになりました。
 それを受け取った燕の国の大臣が「燭を上げよ」という言葉をどのように解釈したら良いのか考えました。「燭(しょく)」というのは、現代では明るさ、すなわち光度の単位であります「カンデラ」の原型になっている言葉です。燭光という言葉もありますように、もともとは「蝋燭(ろうそく)」、すなわち「明かり」を指します。
 燕の大臣は、「明かり」という言葉から、「知識に明るい人」を指すのだろうと連想しました。そこから「賢人を登用せよ」とう意味にとらえて、国内の賢い人達を積極的に登用しました。その結果、燕の国が以前にも増して益々栄えたという故事が残され、現代にまで伝わってきたのです。
 この言い伝えからもわかりますように、もともとの故事には悪いニュアンスはありませんでした。むしろ良い結果を生んだのですが、間違えて書かれた「燭を上げよ」を「賢人を登用せよ」というように、強引なこじつけをしたことから、昨今では余りよい意味には使われないことが多いのです。因みに強引な行動をする時に「我武者羅(がむしゃら)」と言いますが「向こう見ずに、ひたすら突進する」ことを指します。
 私事になりますが、経営コンサルタント業やICT(IT)関連企業とのつきあいが長いこともあり、これらの業界には、郢書燕説をぶつ人が多いように思っていました。しかし、最近は、必ずしもその業界に偏重するのではなく、結構いろいろな人にこの現象が見られます。
 ある企業の課長さんが、自分の部下のことで悩んでいました。部下のAさんは、一流大学を好成績で卒業し、今もなお自己研鑽を欠かしません。彼が学んできたことに一つが、「自分に与えられた仕事は、百パーセント達成する」ということです。ところが、この会社の場合には、突発事高がしばしば発生し、課長としてはそのたびに誰かにその対応を指示しなければなりません。ところがAさんは、自分の仕事ではないからという理由で何としても引き受けようとしないのです。
 たとえそのたびに注意をしたり、説得をしたりしても、自説が正しいと信じ込んでいる場合には、それが誤りであったり、適切な言動ではなかったりすることを気づかせることに苦労します。ところが、往々にして自説が郢書燕説であることに気がついていながら、強引にそれを強調している人の多いのも驚きです。
 大変残念なことですが、経営コンサルタントや経営者・管理職の中にも郢書燕説を、言葉巧みに平気でぶっている人がいます。強引なへりくつをもとに郢書燕説をする人もいれば、「曖昧模糊(あいまいもこ)」とした理屈になっていないことを平気で言う人もいます。曖昧模糊という四字熟語も改めて説明するまでもなく、漠然と、ぼんやりした様子をいいます。「曖昧」も「模糊」も同じ意味で、このように同じ意味の言葉を重ねて意味を強調する用法が四字熟語の中にはしばしばできてきます。類語として「朦朧模糊(もうろうもこ)」や「有耶無耶(うやむや)」というものがあります。
 このような強引な話方をする人は、経営の専門家の中にもいますので、外部ブレインを利用される経営者・管理職の皆様は、エセコンサルタントに注意しましょう。企業が良くなるどころか、かえって悪くなってしまうかもしれません。
 信頼できる外部ブレイン選びができる経営者・管理職こそが、生き残れる時代になって来たのかもしれません。相手が信頼できる人かどうかの判断力を持つことも重要です。この観点では「一諾千金(いちだくせんきん)」という言葉をご紹介しましょう。
 この四字熟語は、史記にできてきます故事に見られます。中国の楚(そ)の国にいた季布は、以前は項羽の傘下にいた人です。劉邦が率いていた漢軍を多いに苦しめた武将です。季布は、一旦引き受けたことは確実に実行してきた人で、信義に厚く任侠の人として知られています。そのことから、楚の人々から「黄金百斤を得るより、季布の一度の承諾を得るほうが価値がある」という故事があるほど人でした。(新明解四字熟語辞典)
「一諾」は、承諾し引き受けることをいみします。その一諾が千金(黄金百斤)に相当するということで「信義に厚く、裏切ることのない」という意味で遣われます。いったん承諾したことは千金にも値するほどの重みがありますので、「一旦約束したことは、なんとしても実行なければならない」という教えです。
 約束したことは実行しなければならないという、「有言実行」の精神ですが、言うは易く行うは難しの一つと言えます。しかし、これを励行することが、信頼関係を築く得策の一つで、裏を返しますと、これを軽視すると信頼関係は直ぐに崩れますし、その前に信頼関係を築くことすらできません。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ 相互矛盾の両立しない状態

2024-11-02 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ 相互矛盾の両立しない状態       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ
      ~ 相互矛盾の両立しない状態 ~

 「二律背反(にりつはいはん)」とは、ドイツ語の「アンチノミー( Antinomie)」の日本語訳です。「二つの命題に妥当性がありましても、お互いに矛盾し、現実だけではなく見かけ上も両立しない状態」をいいます。Wikipediaでは「正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのこと」と説明されています。
 哲学者カントの名前はよく知られています。二律背反とカントについては、Wikipediaの記述が大変興味深いですので、ここに掲載しておきます。
【Wikipedia】
 この術語は、イマヌエル・カントの哲学において特別な意味を要求する。カントは、感覚的知覚あるいは経験(現象)の領域のみ用いられるカテゴリーあるいは理性の規準を純粋思惟の領域に適用した際に生じる、同等に合理的ではあるが矛盾する帰結を記述するのに用いた。理性はここでは合理的な真理を確立する役割を演じることができない。なぜなら、それは可能な経験を超えているし、理性を超越しているものの領域に適用されているからである。
 カントにとって、以下のものに関連する四つのアンチノミーが存在する。
1 時間と空間に関する宇宙の限界
2 全ては分割不可能な原子から構成されている(それに対して、実際にはそのようなものは存在しない)という理論
3 普遍的な因果性に関する自由の問題
4 必然的な存在者の実在


 我々に直結するビジネスの世界でもしばしば二律背反は起こります。経営者は、できるだけ多くの売上や利益を上げたいと考えます。一方で、顧客・ユーザーの立場に立ちますと、「よい商品・サービスを安く提供する」ことが求められます。
 ICT(IT)においては、セキュリティを強化することが安全のために求められます。一方で、セキュリティを強化すると使い勝手が悪くなることがしばしば起こります。セキュリティとユーザビリティという二律背反的な事情にしばしば挟まれます。
 経営においては矛盾する事象に直面したときに、そこから目をそらすのではなく、そのことにガチンと真っ向からぶつかって解決する方策を追求する姿勢が重要と考えています。そこに新しい局面が展開してくることが多々あるからです。
 例えば、非常に卑近な例ではありますが、労使の衝突です。景気が悪く、収益が上がらないから給料を上げられないという経営者の言い分があります。労組は、給料が上がらないからモラールが上がりません。モラールが上がりませんので収益が上がりません。だから給料を上げるべきだという主張とぶつかります。
「鶏が先か、卵が先か」の問題だと言って、言葉を濁していても解決しません。景気を理由にして、戦略や戦術の十分な検討を逃げている経営者がいます。自分達の会社であり、その変革は自分達がしなければいけないという労働側におけます意識の稚拙さとのぶつかり合いでは解決しません。業績が悪ければ、一丸となってやるべきことがあるはずです。


 世の中というのは、このような矛盾・パラドックスというか、二律背反というか、板挟みになることが多々あります。
 私は「矛盾を楽しむ」ということをしばしば考えます。ヘーゲルによって定式化された弁証法論理の三段階といわれます「正反合」という理論がどのようなものかはお恥ずかしながら充分な知識を持ちあわせてはいませんが、ここに通じるように思えます。weblioによりますと「ある判断(定立)と,それと矛盾する判断(反定立)と,正反二つの判断を統合したより高い判断(総合)のこと」と正反合の説明があります。
 矛盾を楽しむということは、矛盾するからといって、その課題を否定するのではなく、それに四つに取り組むことだと考えます。別項で触れています「重考高盛」することが 矛盾を楽しむことに繋がり、そのうちに、自然と方策が生まれてきます。それだけではなく思考力の養成になります。歳を重ねてきた昨今では、老化防止と考えて、若い経営コンサルタントに負けないように知恵を絞る努力を続けています。


 矛盾という言葉を含む四字熟語に「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」があります。矛盾という言葉は、私たちが日常よく使う言葉の一つですので説明するまでもありません。一方「撞着」という言葉はあまり聞き慣れない言葉です。撞着という言葉は、広辞苑によると「つきあたること。ぶつかること」とあります。
 説明の次項に「前後が一致しないこと。つじつまが合わないこと。矛盾」とあり、この場合は後者の意で、「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」の前半分の二語も後ろの二語も「矛盾」という意味になります。すなわち、物事が論理的に整合性がとれていないことをさします。
 「撞着」は、「自家撞着(じかどうちゃく)に陥る」という使い方をします。「同じ人の言行が前と後とくいちがって、つじつまの合わないこと(広辞苑)」という意味です。
 これとは直接関係ありませんが、「撞」という文字は「しょう」と読みますが、慣用的に「どう」と読みます。「憧れる(あこがれる)」という字と混同されることがありますので注意が必要です。「憧着」ですと、憧れにとりつかれる夢見る女の子みたいになってしまいます。
 同じような意味で「自己矛盾(じこむじゅん)」があります。「自分の言動が論理的に齟齬をきたして、つじつまが合わない」ことをさします。それを強引に進めてゆきますと「自縄自縛(じじょうじばく)」に陥ります。「自縄」は、自分の縄(なわ)、「自縛」は自分自身を縛るということから「自分の言動や考え方に固執し、自分自身を縛ってしまい、身動きできなくしてしまう」、いわば「自業自得」に陥ってしまうことです。


 かつて、私の上司で、矛盾撞着を地で行くような人がいました。これは少々オーバーで、彼に対して失礼極まりない言い方かも知れませんが、矛盾した言動を平素から平気でとる人でした。
 1997年の暮れのことです。私が提出した書類の中に「二〇世紀も三年余りとなり・・・」という下りがありました。「君、二一世紀はあと二年強で来るのだから、三ではなく二にしなければいけないだろう」と赤ペンを入れられました。
 私が「西暦0年という年はなく、BC1年の次はAD1年ですから、21世紀は2001年1月1日から始まります。ですからこの場合は、“3”でよいのではないでしょうか」と答えました。
 その上司は、自分の考えと法律とがマッチしないときに「それは法律が間違えている」とさえ言う人です。ですからこの件も頭らか自分が正しいと考えていますので、上述の私がしました西暦の説明は音として左の耳から入っても、右の耳に抜けるだけだったのでしょう。
「満で数えるか、数え年で数えるかの違いで、数えなら君の言うことが正しいが、普通は満で数えるだろう」という言葉が返ってきました。私の説明をまるで理解していなかったのです。
 「植木算を知っているだろう。あの考え方だよ、君」
「異端邪説(いたんじゃせつ)」と言えるほどの論理ではないですが、矛盾撞着、一歩も譲らず、その書類をそのまま印刷物にして外部に出すといいますので、彼の意に反して赤ペンをもとに書き直して印刷部門に回すことにしました。できあがった印刷物を彼が目を通したのかどうかわかりませんが、その後、何のとがめもありませんでした。
 因みに「異端邪説」は、「正統ではない思想や学説のことで、しばしば正当性あることに対して異論を唱えることを指します。類語として「異端邪宗(いたんじゃしゅう)」という四字熟語もあります。「正統ではない異なる教え」という意味です。
 上述の御仁からは、「反面教師(はんめんきょうし)」として多くを学ぶことができました。「反面教師」というのは、「悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例(新明解四字熟語辞典)」という意味です。その人のなすことを見ていますと、反省の材料をたくさん示してくれました。自分を律する気持ちがあれば、相手が誰でありましても「反面教師」として、自分を高めることができることを体感できました。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー01 寸善尺魔  想定外と負け犬 世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い

2024-10-26 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー01 寸善尺魔  想定外と負け犬 世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い     


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー01 寸善尺魔  想定外と負け犬
         ~ 世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い ~


 「寸善尺魔(すんぜんしゃくま)」の「寸」も「尺」も日本の昔の尺貫法に基づく長さを計測する単位です。一尺は約三十cm、一寸は、その十分の一の長さです。
 サラリーマン時代に、輸出入業務を担当していました。商品は当時船便で送ることが多く、運賃計算は、重量ではなく体積を基準に算定するのが一般的でした。輸出梱包は安価な商品ほど割高となり、そのコストは馬鹿にならないほど響いてきます。従いまして輸出価格を決めるのに梱包された状態での商品の体積がどのくらいなのかを算出する必要がありました。
 一尺は、約一フィートでしたので、尺貫法のメジャーを用いて、何尺何寸かを計測して、その単位をフィートに単純に置き換えるだけで、換算計算を省略しました。多少の誤差はありますが、それをもとに体積計算ができます。その数値に、単位当たりの運賃をかけ算して運賃や梱包料金を算出しました。基本単位が一キュービックフィートとなっていました。これを尺貫法では「一才(いっさい)」と呼んでいて、「○才なので××円の運賃が単価に加算される」などと計算していました。
 余談になりましたが、「寸善」とは、「”善”の大きさは一寸ほどでしかない」ということから「良いことは小さい」という意味で、「寸前」と表示されています。それに対して、「尺魔」、すなわち「魔」の大きさは「寸」より大きい「尺」という単位で表されていますので「寸善」が一寸であるのに対して、「尺魔」は一尺もあるとなります。
 すなわち「善は一寸ほどの大きさに過ぎず、魔(悪)は善の一寸に対して一尺ほどもある」という意味で、「世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い」という意味で使われます。
 私の知人で、彼の知人の債務保証をしたがために、自分自身も自己破産宣告をせざるを得なくなりました。ところが、強い人で、雌伏十年、その間、自己充電期間として、「晴耕雨読(せいこううどく)」をしました。晴れた日には田はなたを耕し、雨が降ると読書を楽しむという、世間の煩わしさから離れ、心穏やかな生活を続けました。その結果、自分の生きる道として、自分と同じように債務保証で苦しむ人達に心の潤いを与えることははじめました。
「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」というのは、この人のためにあるような四字熟語です。中国の春秋時代に、呉の王である夫差(ふさ)が戦いで死んでしまった父親の仇討ちのために、牧野上に臥して、苦い肝を嘗めて、報復の志を忘れないようにしたという故事があります。(四字熟語辞典)このことから転じて「目的を達成するために、苦心惨憺してチャンスを待ち続ける」という意味で使われます。
「堅忍不抜(けんにんふばつ)」、すなわち「強固な意志を持って耐え、何があってもくじけて諦めない」でやってきた結果、雌伏が雄飛に変化する「捲土重来(けんどちょうらい)」をやり遂げたのです。「捲土」とは、土煙が巻き上がるような厳しさ、「重来」は「再来」と同じ意味です。すなわち「捲土重来」とは「一度は、敗者となった人が、再び勢力を盛り返して巻き返す」ことを指します。「堅忍」は「意志強固に耐える」、「不抜」は「」固くて抜けない」という意味です。類語に「志操堅固(しそうけんご)」という四字熟語があります。
 確かに世の中は、我々が思うようには行かないことが多いです。「こうありたい」と思っても、その実現には色々な障害や問題が立ちはだかります。これは企業経営においても同じことです。リスクマネジメントというのは、これから起こるだろう障害を予測して、事前に手を打つことの重要性が説かれています。
 福島第一原子力発電所問題で表面化しましたが、「想定外」という言葉はしばしば使われてきました。それだからといって「人知が及ばぬこと」と諦めてはならず、「自分の力が至らなかった」と解釈し、謙虚に受け止めるべきです。
 「想定外」で、世の人だけではなく、自分自身を納得させてしまっては、成長の原動力を失うことになります。
 想定のレベルが高ければ、その様な障害が訪れてくることを予測できるかも知れないのです。否、できるだけそれも含めて想定すべきです。これが経営であり、経営者や経営コンサルタントの為すべきことであり、その能力の高さということになります。
 口で言うは易しいですが、その実行は困難であることを私も認めますが、負け犬で終わりたくないですね。因みに、本来このような意味ですが、誤用されて「良いことには、とかく邪悪が入りやすい」という意味で使う人がいます。
 このように言葉の誤用は、近年目立ちます。例えば「悪循環」という言葉に対して「好循環」という言葉が使われていますが、私は「好循環」ではなく「善循環」という言葉を用います。
 「大小」とか「寒暖」など、反対の意味を表す表現を私たちはしばしば用います。「悪」という漢字の反対の意味を含む表現は何でしょうか?大半の人が「善悪」という熟語に思い当たるでしょう。従って、「悪循環」に対して「善循環」というべきだと考えます。
 ただし、「好悪(こうお)」とう言葉もありますので、「悪」の反対を表す漢字に「好」を充てることは間違いではありません。従って「好循環」という言葉は間違いではないのですが、上記の通り、正しい語感を持てば「善循環」の方がどちらかと言えば良いと言えると考えています。
 ある面では、これは感覚の問題ですが、近年、語感のずれが軽視されているように思えます。例えば、ストッキングをはいていない脚のことを「生足」というのを聞きます。「生爪を剥がす」や「生首」などの例に見れますように、人間の身体の一部に関する表現として「生」という字はあまり良いニュアンスを持っていません。それを「生野菜」などの「生」とう字の誤用から「生足」などいう言葉が生まれてしまうのでしょう。
「鳥肌が立つ」という言葉も、ゾッとするような恐ろしげな体験をしたときに用いる表現です。それが昨今では、良い意味の時にも「鳥肌が立つ」という表現が用いられることがあります。語感が正常であれば、それもおかしいと感じるはずです。
 語感というものさしからずれた感覚で、言葉を選択するからこのようなことが起こってしまいます。
 企業経営において、いくつかの選択肢がある場合に、どれを選ぶべきかを考えるとき、判断に困ったら、「原点は何か」「どちらが一般的か」などと判断基準を装幀した上で判断しますと、より良い選択ができることが多いです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-10 日進月歩 情報収集で先見性を持つ 技術や環境が速く、大きく変化する時代

2024-10-19 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-10 日進月歩    情報収集で先見性を持つ 技術や環境が速く、大きく変化する時代        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-10 日進月歩    情報収集で先見性を持つ
       ~ 技術や環境が速く、大きく変化する時代 ~


 物事が日々進歩しいる様子を「日進月歩(にっしんげっぽ)」と言います。ICT(IT)技術が世の中に誕生してから、技術変化が急速に進むようになりました。その結果、世の中の変化が著しいことを日々の生活の中で感じることがしばしばあります。そのことから昨今では「秒進分歩(びょうしんふんぽ)」とさえ言われるようになりました。
「有為転変(ういてんぺん)」と言いますように、世の中はドンドンと変化をしています。「有為」は「うい」と読みますので、恥をかかないように注意して下さい。もともとは仏教用語で「世の中のすべての現象や出来事、万物の存在」という意味です。仏教では、万物すべてが因縁のしがらみによって生じたものですので、一瞬も留まることはなく、変化して行き、移ろい、変化しやすく、はかないということが基本にあります。「転変」は、古くは「てんべん」とも読みますが「万物が生滅・変化すること。うつりかわること(広辞苑第六版)」という意味です。類語として「有為無常(ういむじょう)」や「諸行無常(しょぎょうむじょう)」があります。
「烏兎怱怱(うとそうそう)」という四字熟語も「烏兎匆匆(うとそうそう)」も、月日の経つことの速く、慌ただしいことをさします。「烏兎」は烏と兎のことで、中国では太陽の中に烏が、月には兎の形があると言われています。このことから「烏兎」は太陽と月、すなわち「月日」をさし、「怱怱」は慌ただしい様子を指しています。
 一九九〇年代前半に、ビル・ゲーツ氏が「スピード経営の時代」という言葉を再三使っていましたように、昨今では意思決定の迅速化が求められようになりました。日本企業のグローバル市場での存在感が薄くなった原因のひとつが、意思決定速度の遅さであると言われています。それが言われていながら、お役所も、大企業も遅々として意思決定の高速化という点での改善が進んでいないように思えます。
 このように、知識として持っていながら、結果として出てきていないという状況は、企業内でもしばしば見られます。私は、別項でも記述していますが「あたり前のことがあたり前にできる企業作り」ということを掲げて経営コンサルタントという仕事をしてきました。
 企業は経営コンサルタントなど専門家に対して、「自分達が知っていることを教えてもらいたいのではなく、知らないこと、高度なことなど、自分達の手に負えないことを教えて欲しいのだ」ということを求めることが多いです。ビギナーゴルファーが、プロゴルファーのスイングをまねしてもうまくいきません。しかし、企業の現状を見ますと、それをやりたがっています。
 日進月歩とか秒進分歩ということに逆行するように見えますが、自社の現状をキチンと把握し、身の丈を知り、それに合わせた経営をすることで、企業の基礎体力を付けることをお薦めするようにしています。基礎体力ができますと、新しいことに挑戦しても消化できるようになるのです。日進月歩という言葉は、「近道より遠回りの方が先に目的地に着く」という逆説的なことも教えてくれているように思えます。
 自分自身を見極め、時代の流れを読みながら経営戦略を立てるお手伝いを私はやってきました。その時に、時代の流れを体感しながら、先見性を養って欲しいと願って企業経営者・管理職とお付き合いをしてきました。それには「耳目(じもく)」を働かせることが重要です。経営コンサルタントを始めとする、経営の専門家には、経営者・管理職が、そのために時間をかけすぎて、本来的な経営者・管理職としての仕事がおろそかにならないように、支援できなければなりません。
 経営コンサルタントをめざす人から時々訊かれることの一つに、「どのような性格の人が経営コンサルタントに適していますか?」ということがあります。
 私の口癖の一つは、「経営コンサルタントは、お節介役であるべき」ということです。お節介というのは、相手に頼まれなくても、相手のためになっているだろうと思われることを行動に移すことです。すなわち、相手が何を欲しているのかを推量し、それに対して頼まれもしていないのに何かをしてあげるのです。企業経営におきましても、管理職による部下管理におきましても、これが言えると思います。
 相手のニーズにマッチした推量でありますと、「あなたはよく気のつく人ですね」と誉められたり、感謝されたりします。一方で、こちらがよいと思ってやってやったことが、相手のニーズにあっていなかったり、タイミングが悪かったりすると「余計なことをしてくれて・・・」といやがられてしまいます。
 1990年代に、当時のマイクロソフトのビル・ゲーツ会長が「スピード経営」の重要性をさかんに説きました。日本企業は稟議制度などにより、意思決定が遅いとしばしば言われます。「巧遅拙速(こうちせっそく)」とか「拙速巧遅(せっそくこうち)」という四字熟語が孫子に出てきます。孫子ですから、兵法用語なのですが、「巧遅」は、「仕上がりは良いのですが、出来上がるまで時間がかかる」ということです。逆に「拙速」は、「仕上がりは今ひとつ満足できる状態ではないが、期日通りなど、時間要素面では優れている」という意味です。このことから「巧みで遅いよりは、稚拙でも必要な時期までに完成する方が良い」という意味で用いられます。
 「飛耳長目(ひじちょうもく)」という四字熟語があります。耳を飛ばし、目を長く(大きく)して情報を収集できる人や能力のことです。すなわち、優れた観察力を持っていたり、情報集能力に優れていたり、博学であって全てに精通していることを意味します。
 私の口癖の言葉に置き換えますと「アンテナの感度と量」ということになります。たとえば企業を訪問したときに玄関の傘立てに傘が何本か置いてあったとします。ある人は、それを見て、「万一、雨が降ってきたらすぐに傘を差して出かけられる、準備の良い会社」というように思うかもしれません。ところが別の人は「天気の良い日に傘立てが置いてあり、ましてや何本か傘が残されたままというのはだらしのない企業ではないか」というように考えるかもしれません。
 一つの現象でも、見る人により見方が異なっていますが、「これがアンテナの感度」です。
 話は変わりますが、野辺山に東京大学の電波望遠鏡があるのをご存知の方も多いと思います。そこに行ってみますと電波望遠鏡が一つあるのではなく、十数基が置かれています。アンテナの数が多いことで、より広域な、より多くの情報を収集できるのです。
「日進月歩」や「秒進分歩」と逆な意味合いを持つのが「十年一日(じゅうねんいちじつ)」という四字熟語です。直訳的には「十年があたかも一日のようである」だという意味ですが、「十年一日のごとし」という形で用いられます。
 このことから「何年経っても相も変わらず同じことをやったり、状態が続いたりしていて、変化も無ければ、前進や進歩もない」ことをいいます。代わり映えがしない意味でも使います。別の四字熟語に「旧態依然(きゅうたいいぜん)」というのがあります。
 世の中の成長が多きときには、企業が十年一日、旧態依然とした経営をやっていては、相対的には縮小の方法に向かっていまいますので、自社の現状をキチンと把握した上で、時代に即した経営管理ができるようにして行きたいですね。
 日進月歩の時代に、取り残されないためには、近道を求めるよりは、オーソドックスに「飛耳長目」により、地に足がついた経営から始めることをお勧めします。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-09 実践躬行 高い目標の実現行動 高い目標に向かって、実現するために努力する

2024-10-12 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-09 実践躬行 高い目標の実現行動 高い目標に向かって、実現するために努力する   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-09 実践躬行    高い目標の実現行動
       ~ 高い目標に向かって、実現するために努力する ~


 「実践」は、広辞苑では「実際に履行すること。一般に人間が何かを行動によって実行すること」と解説され、さらに哲学的な面では下記の説明もあります。
 人間が行動を通じて環境を意識的に変化させること。この意味での実践の基本形態は物質的生産活動であり、さらに差別に対する闘争や福祉活動のような社会的実践のほか、精神的価値の実現活動のような個人的実践も含まれる。認識(理論)は実践の必要から生まれ、また認識の真理性はそれを実践に適用して検証される、という立場で実践の意義を明らかにしたのはマルクスとプラグマティズムである。(広辞苑)
 広辞苑の「実践」の項で、「認識(理論)は実践の必要から生まれ、また認識の真理性はそれを実践に適用して検証される」という部分を注目したいと思います。昨今、企業経営は、各種メディアを通じて注目される理論があって、その導入に躍起となっている傾向が窺えます。しかし、経営というのは、とりわけ経営が必ずしも芳しくない中小企業においては、現状の中で各種の問題・課題に直面し、それに取り組む中で、全社に認識が高まり、理論的な裏付けに繋げていくべきと考えます。
 すなわち、目標を設定し、それに対する実践方法が明確になったら、進捗管理をキチンとして実践してゆきます。その中で不足したり、不充分であったりする部分を認識し、対応策の再検討をします。新たな対応策が間違えていないかどうか、裏付けをとった上で決定し、文書化し、次の実践に繋げます。文書化の中には経営理念、経営計画書等々の規範的な文書もあるでしょう。また、実践段階で、着実の遂行するためのマニュアル化という部分もあるでしょう。このように進めていく中で、自社のノウハウを蓄積してゆくことにより、別項でも書いています「あたり前のレベルを向上」させてゆくのです。「蓄積堅裾」の項でも記述していますように「蓄積は力」、単に継続するだけではなく蓄積していくことが、企業成長に繋がります。
「躬行」の「躬」は「自ら」の意で、「みずから実行すること」を指します。すなわち「実践躬行(じっせんきゅうこう)」とは「自分の力で、自らが行動すること」という意味となります。私は「経営コンサルタント不要の企業作り」ということを常々警官の皆さんに言うようにしています。そうしますと、「それではいずれ経営コンサルタントが入らなくなってしまい、自分の首を絞めることに繋がるのでは」ということを言われます。幸か不幸か、企業というのは常に一歩上をめざしますので、経営コンサルタント自身がレベルアップしていれば、企業の次に控えています、さらなる上をめざすときに、再び出番がやってくるので心配ないとお答えするようにしています。
 企業経営における「実践躬行」は、通常より高い目標や理念を掲げて、それに向かって実現するために行動することを強調するときに使うようにしています。
 経営コンサルタントである私は、別項でも述べていますように、顧問先に対して「当たり前のことが当たり前にできる企業作り」ということを言っています。しかし、「当たり前」とは何でしょうか?
 誰もができることが当たり前なのですが、経営計画は、何の努力をしなくても実現できるような立案では企業は成長しません。少々目標が高く、きつめであっても、努力を重ねれば実現できるような計画を立てるべきです。
 このようにして立てた計画が自分達の実践躬行で達成できること、すなわちそれが自社の「当たり前」であるのです。安易に実現できる目標に留まっていては成長につながりません。実践躬行を繰り返しながら、「当たり前のレベルを上げる」ことを継続してゆきます。それにより、次の計画はさらにレベルが上がります。
 レベルというのは、前年度に対してのレベルではなく、経営環境や取り組み課題の質などにより変動するものと考えています。ですから計画の立案は「前年度比○%アップ」などと安易な決め方をしてはならないのです。
 自社やその経営環境の「認識」の上に立って経営計画は立案されなければならないのです。全社の経営計画に基づき、部門計画が立案されます。それを実現するために、個人として自分が何をすべきかが個別計画です。すなわち、個別計画というのは、前者の計画に基づいて立案されて部門計画と整合性がとれていなければなりません。換言しますと、自分が所属する部門の計画を実現するために、自分は、何を、どの様に、いつまでにするのか、5W1Hに基づいて表現する必要があります。そして、それを実行する、「有言実行(ゆうげんじっこう)」を忘れてはならないのです。「言葉に出して周囲や自分自身に公言して、実行する」という意味は広く知られています。また、有言実行の前に「充分時間をかけて、果敢に実行する」という意味で、「熟慮断行)」もあります。「熟慮断行」ができる人は「思慮分別(しりょふんべつ)」のある人が多いと思います。「分別」は、「分別のある人」等という用例が代表的ですが「道理や常識を踏まえて判断する」ということですので、「思慮分別」は「ものごとを注意深く熟考し、判断する」という意味です。「熟慮断行(じゅくりょだんこう)」も類似し「熟考してから、潔く挑戦する」ということで、「軽挙妄動(けいきょもうどう)」という「軽率に判断して、闇雲に動く」という四字熟語の反対の意味です。


 上述の「有言実行」という四字熟語を見ますと「雲泥万里(うんでいばんり)」という言葉を連想します。世の中には、言っていることと、自分の行いに天地の違いが「支離滅裂」である人がいます。「雲泥万里」は、天と地のように大きな隔たりがあることを言います。
 因みに、「有言実行」とよく似た言葉に「言行一致(げんこういっち)」という四字熟語があります。「言うことと自分の行動に相違がない」という意味で、平素、口にしていることを実践している人に対して用いる表現です。言葉には出さないが心密かに決意し、計画して実行することを「暗中飛躍(あんちゅうひやく)」と言います。「暗躍」というあまり良いニュアンスではないですが、この言葉の語源でもあります。また、一生涯で、ただの一度だけの重要なことを決意するときに「一世一代(いっせいちだい)」ともいいます。中には、「有名無実(ゆうめいむじつ)」「有名亡実(ゆうめいぼうじつ)」な人もいます。「名前や言っていることは立派ですが、行動がそれに伴わない」という意味です。
 自分の計画に基づき、行動をしても、うまく行かないことがあります。例えば年度計画に対して、年度末になって未達がわかるのではなく、常に進捗状況を把握し、期の途中で自分自身に、有言実行を言い聞かせます。最大限の努力を払っても、年度が終わって計画を達成できなければ、「心機一転(しんきいってん)」し、「面目一新(めんもくいっしん)」するには、どうすべきか、ふたたび5W1Hに基づき、PDCAのスパイラルを回してゆけば良いのです。
 蛇足になりますが、「面目一新」の「面目」は、「めんぼく」とも読み、「世間に対する名誉(広辞苑)」という意味です。すなわち面目一新とは、「世間に対する名誉を一新すること」すなわち、世間で厳しく判断されたことに対して、手を加えることにより一段と高い評価が得られることを言います。
 面目一新と同義語で面目躍如という言葉があり、「面目を凌ぐ」という用法と同じ意味となります。ちなみに「凌ぐ」は「しのぐ」と読み、読み方を間違えられやすいですし、さらに漢字の旁(つくり)が「にすい」であるのであって、さんずいでないことを再認識していただきたいのです。因みに「にすい」は、氷に関係し、「さんずい」は水に関係する意味が多いことを知っていますと、物知り博士として一目置かれるかもしれません。
 欠陥商品を出してしまってすっかり信用を失ってしまった企業が、躍起となって新商品を開発して、一旦失った信用を取り戻すと言うことがまれにあります。これは面目一新することになり、別の四字熟語では「名誉挽回(めいよばんかい)」というのもあります。「名誉挽回」と同じような意味で「汚名返上(おめいへんじょう)」があります。この二つを混同して「汚名挽回」と誤解している人がいますが、「汚された名」は、返したいので「返上」が正しいのです。
 ちなみに枕草子に「かばかり面目なることなかりき」では、「面目」を「めいぼく」と読むのだと祖母に教えられたことを思い出します。
 日本語は難しいですね。その難しい言語を母国語にして使いこなせる、言葉の達人である日本人が、なぜ英語に弱いのでしょうか?
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-08 緊褌一番 - カレーのCoCo壱番屋 気持ちを引き締めて挑戦する

2024-10-05 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-08 緊褌一番 - カレーのCoCo壱番屋 気持ちを引き締めて挑戦する        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-08 緊褌一番 - カレーのCoCo壱番屋
       ~ 気持ちを引き締めて挑戦する ~



 これまでなら「褌(ふんどし)」の話など、女性のいる前では御法度でした。ところが近年、女性用の褌が販売されているというニュースを見ました。締め付け観が少ないこともあり、カラフルで、女性らしいものが出回ってきているようです。
「緊褌一番(きんこんいちばん)」の「緊褌」に含まれる「褌」という漢字は、「ふんどし」のことで、いまさら言うまでもなく「下帯」とも言います。「緊」は緊張というような熟語を構成したりしますが、「差し迫る」「引き締める」という意味です。従って「緊褌」というのは「褌を引き締める」ということになります。
 企業においてだけではなく、日常生活でも新たなことを開始するときなどに「褌の紐を締め直して取り組む」というような表現を使います。ちょっと用途は異なりますが「勝って兜の緒を締めよ」ということにもその精神は繋がっていると考えます。
「緊褌一番」は「気持ちを引き締めて、何かに挑戦する」というような時に使われます。「緊褌一番」の「一番」は、「ここ一番」などという言い方がありますように、身近な言葉にも繋がっています。「乾坤一擲(けんこんいってき)」の「乾坤」は、それぞれ「天」と「地」のことです。「一擲」は、ハンマー投げなどのスポーツを「投擲」と言いますが、「擲」は投げることです。「投げるときになったら、天地に前例をかける」ということから「運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負をする」という時の「ここ一番」という時の表現です。
「ここ一番」というと「CoCo壱番屋」を連想する人も多いのではないでしょうか。CoCo壱番屋は、本社が愛知県にある株式会社壱番屋が運営する日本のカレー専門店チェーンの最大手です。しかし、ハウス食品の関連会社であることは意外と知られていません。
 フランチャイズ展開をしていますが、日本各地だけではなく海外展開にも積極的です。中国での成功例がテレビでも放映されたことをご記憶の方もいるでしょう。もちろん店名の「CoCo壱番屋」というのは「カレーならココが一番や!」から来ていることは容易に推測できます。
 単品ビジネスは景気の影響を受けやすく経営が難しいと言われる中で、CoCo壱番屋の成功要因は何でしょうか?
 カレーの辛さは、人により好みがちがいます。カレーの量やご飯の量も選択でき、トッピングも選べるため、カレーという単品でありながら30種類以上の定番メニューがあり、期間限定で特別メニューが提供されることもあります。
 カレーを連想させる見つけやすい色使いの看板と店舗立地、入りやすい店舗レイアウトなども上記の特徴を側面支援しています。身近なお店にも、ちょっとした工夫を見つけることができ、それをヒントにしている人も多いのではないでしょうか。
 一般的には、単品ビジネスであると景気の変動に左右されがちであると言われています。ところが、カゴメという会社の例を見ますと、単品であること、すなわちコアコンピタンスを明確にすることは、ビジネスの成功に繋がりやすいことを証明しています。
 カゴメは、バブルの時代に、トマトケチャップやトマトジュースという、同社の定番商品だけに頼っていては成長に限界があると考えました。そこで事業の多角化戦略を取り入れて「総合食品メーカー」を目指しました。
 その実現のために消費者ニーズの多様化に添った加工食品を中心に品揃えを豊富にしました。輸入食材も強化し、日本人の食文化の国際化に対応することにも力を注ぎました。その戦略名も「SKY計画」と大空に羽ばたく戦略でした。
 その結果、売上高は天井知らずとはいえませんが大きく伸びました。「大きいことは良いことだ」という時代であればそれでよしと経営者は判断したかもしれません。ところが、総合食品メーカーと「トマトのカゴメ」という企業イメージはあい入れず次第に「トマト」のイメージが薄まるにつれ、顧客に「カゴメ」という会社の見方が変化して来ました。良い方向に進むと考えていた経営陣の期待に反し、収益性、利益率という面では悪い方向に向かってしまったのです。
 今日では緊褌一番「農業食品メーカー」としてのイメージ回帰に成功し、カゴメらしさを取り戻してきているように見えます。
 企業経営は、業績が順調なときほど、自社の経営を厳しく見つめ直すべきと言われます。厳しく”観る”ことにより、それまでは気がつかなかった面まで目が届くようになり、その改善や対策のために次の手を打つことができます。さらに次の飛躍のための新製品や、新しい柱となる商品開発を行う契機ともなります。
 上述のカゴメのように、自社のドメインを見つめ直し、その中で新たな戦略を実践していくときに、注意すべき点をカゴメから学ぶことができます。新規事業を企画するときには、「企業イメージを壊さない、ぼやかさない、反さない」ということに注意し、やると決めたら緊褌一番、兜や褌の紐を締めて、全力で取り組むべきでしょう。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-07 侃侃諤諤 三人寄れば文殊の知恵 信ずることを遠慮せずに堂々と議論を闘わせる

2024-09-28 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-07 侃侃諤諤 三人寄れば文殊の知恵 信ずることを遠慮せずに堂々と議論を闘わせる        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-07 侃侃諤諤 三人寄れば文殊の知恵
       ~ 信ずることを遠慮せずに堂々と議論を闘わせる ~


 論理思考を行う方法の一環として、発散思考という方法があります。経験や知識・能力の異なる社員が集まって意見を交換することにより、新しい発想が生まれてくる可能性が高まります。会議が多すぎるのも問題ですが、企業における会議というのは、社員が持つ智恵を結集して、それを活用することで企業経営を円滑に、発展的に行う経営の基本です。
 それを四字熟語で表すと「侃侃諤諤(かんかんがくがく」となります。「侃(かん)」は、剛直なこととか気質が強くて心の正しいことを表します。「諤(がく)」は遠慮することなく、はっきり言うという意味です。すなわち「侃侃諤諤」というのは、「侃々諤々」とも書きますが、「正しいと信ずることを遠慮せずに堂々と発言し、議論を闘わせる」ということになります。
「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」という同じ意味の言葉もあります。ときどき「喧喧諤諤」と、二つの四字熟語をクロスして誤用している人を見かけますが、注意してください。

 ところで何かトラブルが発生したりしたときに、その原因究明で議論を闘わせることはありませんか?
 そのようなときに、何が原因なのか、考えられる事項をすべて洗い出する手法として、ブレインストーミングに代表されます、発散思考がしばしば用いられます。発散思考というのは、「議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)」、すなわち「様々な意見が出されて、議論が沸騰する」ということで、いろいろな意見やアイディア等を出していく方法です。「議論沸騰(ぎろんふっとう)」という類似四字熟語もあります。また「いろいろな意見や憶測が飛び交い、収拾がつかない」という意味で「諸説紛紛(しょせつふんぷん)」もあります。
「満場一致(まんじょういっち)」の方向に建設的な意見で沸騰し、会議がまとまる方向にあれば良いのですが、「甲論乙駁(こうろんおつばく)」では収拾がつきません。甲が意見を言いますと、乙が反駁(はんばく)するというように「お互いが意見を主張しあい、意見がまとまらない」ことを言います。
 ましてや「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」、派閥間の争いとなりますと骨肉の争いが演じられることになります。孫子に出てきます四字熟語ですが、中国の春秋時代に呉と越が互いに争っていました。「呉と越は宿敵同士でしばしば戦いを繰り広げたが、その憎しみ合っている両国の人が、同じ舟に乗って川を渡るときに大風が吹いて舟が覆りそうになれば、普段の恨みも忘れて互いに助けあうだろう(新明解四字熟語辞典)」というたとえの故事に由来しています。
 このことから「仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること。本来は、仲の悪い者同士でも同じ災難や利害が一致すれば、協力したり助け合ったりする(新明解四字熟語辞典)」ということです。

 いろいろな意見で沸騰するということでは、似たような状況を表すのに「百家争鳴(ひゃっかめいそう)」という言葉があります。「百家」の「家」は「逸物(いちもつ)ある人」、すなわち一般的には学者を指しますので、「百家」は、「たくさんの学者」という意味です。「争鳴(そうめい)」は、「争うように鳴く」ということから「議論を闘わせる」という意味で使われます。
 従いまして、「百家争鳴」は、「たくさんの学者や文化人が、何の縛りもなく自由に論争する」ことを指します。似たような表現の「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」は、「いろいろの花が咲き乱れる」ことをさしますが、転じて、「優秀な人材が多く出て、優秀な業績に至る」という意味で使われます。「百家争鳴」と同じような意味で用いられる四字熟語ですが、「千紫万紅(せんしばんこう)」「百花斉放(ひゃっかせいほう)」も類語と言えましょう。
 会議では、様々な立場の人達が、自説を自由に発言できることが好ましいことです。ところが、中小企業にときどき見られる会議というのは、社長などのお偉いさんの独演場で、参加者が意見を言うことはほとんどないのです。会議ではなく、演説の場になってしまっています。
 このような状況の時に「気炎万丈(きえんばんじょう)」という四字熟語が使われます。「気炎」は「さかんな炎」です。「万丈」の「万」は、多いことや大きいことを指します。「丈」は「たけ」すなわち高さですので「万丈」はすごい高さまでという意味になります。従いまして「気炎万丈」は、「さかんな炎が、たけ高く上がるほどの彷彿として議論」という意味です。
「気炎万丈」は、時にはよいのですが、会議の進行を妨げるのも困りものです。蛙や蝉ががやがや鳴くがごとく「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)」ともいいますが、議長無視の会議でもいけません。
 因みに「気炎万丈」の「気炎」は「気焔」という漢字を当てることもあり、「他の人を圧倒するほど意気盛ん」な状態を表し、「活発に議論する」ことです。「蛙鳴蝉噪」は、「蛙鳴雀噪(あめいじゃくそう)」ともいいます。北総の詩人蘇軾の詩に出てくるのですが、蛙や蝉がやかましく鳴き騒ぐ様子から、百家争鳴のように素晴らしい議論で白熱するというよりは、むしろ議題とは無関係であったり、役に立たない議論が続いたり、発言があれやこれやと乱舞することを指します。時には、内容の薄い文章に例えることもあります。

 現実からかけ離れていて、役に立ちそうもない理論や考えであります「空理空論(くうりくうろん)」に振り回されてしまうこともしばしばあります。「空理」「空論」ともに実際には役に立たない理論や考えという意味で、同じ意味の言葉を重ねて意味を強めた用法です。
 同様に、時間の浪費に繋がる会議が「愚問愚答(ぐもんぐとう)」です。愚にも付かない質問が出されたり、馬鹿げた回答がなされたりという状況です。「空中楼閣(くうちゅうろうかく)」という、もともとは蜃気楼を指す言葉が転じて、根拠や現実性に乏しくむなしい事柄を指す四字熟語もあります。その類例として「空中楼台(くうちゅうろうだい)」「砂上楼閣(さじょうろうかく)」という言葉もあり、類似した意味で使われます。


 会議というのは「会して議する」ところです。会議は、議題により「決議事項」「討議事項」「報告事項」に分類し、できるかぎり「報告事項」は文書で済ませるようにしたいですね。「決議事項」は「討議事項」は、事前に関係者に議題を通知し、それに基づき準備をした上で会議に臨み、意見を戦わせます。決議事項の場合には、議事録に決議内容を記し、その後進捗管理をどの様にするかを明確にしておき、次回の会議の時までに、それを確認しておくことも必要です。
 会議の成功には、事前準備も必要ですし、議長のリーダーシップも成功には大きく影響します。蛙鳴蝉噪になって議題から外れてしまったら議論の方向修正が必要です。空理空論や愚問愚答が頻発するようでしたら、会議のあり方に関する教育も必要かもしれません。
 最近は、立ったまま会議を行うなど、会議のやり方も変化しつつあります。会議という簡単なことのように思えることでも、企業内で「自社の常識は他社の非常識」という状況にないかと言うことを振り返ることも必要ではないでしょうか。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-06 孤立無援 一人の力には限界がある 他に頼れる助けてくれる人がいない

2024-09-21 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-06 孤立無援    一人の力には限界がある 他に頼れる助けてくれる人がいない        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-06 孤立無援    一人の力には限界がある
       ~ 他に頼れる助けてくれる人がいない ~


 私事になりますが、会社勤務を辞め、経営コンサルタントとして独立起業して、名刺を作った時のことです。名刺を見ながら「さあ、これから自分のやりたい夢を実現するぞ~」と自分自身に言い聞かせました。クライアントが一社もありませんでしたので、クライアント開拓から始めなければならなかったのです。
 電話でアポイントを取って、訪問し、自分が支援すれば会社は良くなる旨を得々と伝えるつもりでいました。会社勤務時代には、考えてみたこともありませんが、アポイントが取れないのです。アポイントが取れなければ、経営コンサルタントとしての自分の価値を訴えるすべがありません。会社勤務時代には、「会社と言う看板」があればこそ仕事をすることができたのてあったのです。誰もが容易にアポを取れるわKではないことを思い知らされました。
 経営コンサルタントを始め、士業といわれる経営の専門家は、一人で仕事をすることが多いです。例えば経営コンサルタントの多くが独立経営コンサルタントと呼ばれ、成功・不成功は別として、一人で仕事をしている自営業者のひとりに過ぎないのです。そのために、自分自身で何から何までやらなければなりません。時として、責任の大きさに押しつぶされそうになり、そのようなとき、「孤立無援(こりつむえん)」ということを痛感することがあります。
 ご存知のように孤立無援というのは、「自分一人で他に頼ることができなかったり、助けてくれる人がいなかったりという状態」のことです。
 経営コンサルタントは、家族の支援がないとなかなかやってゆけません。それが奥さんであったり、両親であったり、ときには子供であるかもしれません。経営コンサルタントの中には、独身で、一人で生活をしている人もあります。そのために孤立無援感を味あうことが多いかもしれません。
 昨今のように、経営の高度化が進むと経営コンサルタントに対するニーズも高度化してきます。一人の経営コンサルタントがすべての分野の問題に対応することが難しくなってきました。するとここでも益々孤立無権感を味わうことになりかねません。
 そのようなときに助けになるのが仲間です。ところが信頼できる仲間を捜すことは大変難しいでしょう。「肝胆相照(かんたんそうしょう)」は、人間の信頼関係を考える四字熟語です。「肝胆」は、「肝臓と胆嚢」のことですが、転じて「心」という意味です。「相照」は、「お互いに相照らす」ことですので、「肝胆相照」は「お互いに腹の内をすべてさらけ出し、親しくつきあう」という意味です。その逆が「虚虚実実(きょきょじつじつ)」で、「うそと真を織り交ぜた腹の探り合い」ですが、これが転じて「お互いに相手の策謀を知り尽くして闘う」という意味で用いられます。
「肝胆相照」の交際ができる親友のことを「管鮑之交(かんぽうのまじわり)」といいます。中国・春秋時代、斉に管仲と鮑叔牙(ほうしゅくが)という男が、大変仲良いことからこの四字熟語ができました。同様な意味で「刎頸之友(ふんけいのとも)」「刎頸之交(ふんけいのまじわり)」があります。史記に出てきますが、「友人のためなら、たとえ、くびを斬られても後悔しないほどの真実の交友。生死を共にする親しい交際(広辞苑第六版)」という意味です。「水魚之交(すいぎょのまじわり)」も「水と魚の関係のように強く切れない関係」から、同じような意味で使われます。
「真の」という意味で「正真正銘(しょうしんしょうめい)」とう四字熟語がしばしば使われます。「正真」は「ホンモノである」、「正銘」は「由緒正しい名前で呼ばれる」ということから「嘘偽りがない、ホンモノ」という意味です。
 私は、経営コンサルタントとして独立起業したときに、経営コンサルタントの団体に所属していました。経営コンサルタントとして、西も東も解らない時に、先輩コンサルタントからのアドバイスを得ることができました。いろいろな先輩会員がいますので、仲間を捜すことが容易でした。費用はかかりますが、高度な仕事をやりこなすには一人では無理です。仲間とともに仕事をすることの大切さを、無言のうちに教えられました。
 この経営コンサルタント団体では、別項でも記述ていますように「共業・共用・共育」という、奇妙な言葉を使っています。仲間とともに仕事をしながら、ノウハウを共用し合い、ともに育っていこうという考え方です。この行動指針に勇気づけられた人は多いと思います。
 人は、一人では生きて行けないでしょう。個人と個人が緩やかな関わり合いで繋がっているときには余り問題がなくても、他人と共に生きてゆくには、それなりの生き方があります。組織としての結団力が強くなればなるほど、リーダーシップをとれる人が求められます。リーダーの下で働く人が動きやすく条件を整えて、「集団=組織」として活動することにより「1+1」が「2以上」になるような組織になります。
 そのために役割分担をし、各自が自分の責任をまっとうできるようにリーダーが采配を振るいます。しかし、人間というのは、時には病気をしたり、怪我をしたりして働けなくなることがあります。その人が担当する顧客から電話があったときに「本日は、お休みをいただいていますので、出社しましたら対応させます」というお茶を濁すようなやり方で済ませて良いのでしょうか。たとえ、一人欠けても、何らかの方法で欠落したパワーを穴埋めできるのが「組織で動く」ということです。
 企業におきましても、例えば営業パーソンは、受注を首尾良くとれても、仕入や製造部門との連携がうまくいかなければ、発送して、売上に結びつけることはできません。この連携がうまくいけば、顧客に約束した納期より早く収めることができて、高い評価に繋がるかもしれません。
 社会というのは、独立した個の集団です。一人では生きて行けませんので、他の人と良好な関係をいかに作り、保ち、発展させるかが求められます。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-05 合従連衡 経営の高度化に立ち向かう 強敵に立ち向かうための連合戦略

2024-09-14 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-05 合従連衡 経営の高度化に立ち向かう 強敵に立ち向かうための連合戦略        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-05 合従連衡 経営の高度化に立ち向かう
       ~ 強敵に立ち向かうための連合戦略 ~


 「従」という字は「縦」、「衡」は「横」という意味で、各々が「南北」と「東西」を表します。「合従連衡(がっしょうれんこう)」というのは、「南北に合流し、東西に連携を図る」ことの意です。このことから「強敵に立ち向かうための戦略」を指します。類語に「合従連横(がっしょうれんおう)」という言葉がありますが、ほぼ同意と考えて良いようです。
 「野党が合従連衡」などと表現しますが、「巧みな謀を巡らした外交政策」という意味でしばしば使われています。もともとは、史記に掲載されている中国の戦国時代の戦略から来ています。
 南北に6カ国が連合したのですが、それを「合従」と呼びました。ところがその合従が破綻すると東西に6カ国が連合し、それを「連衡の策」と呼んだことからあわせて「合従連衡」となりました。
 今日、経営環境は非常に厳しさを増しています。そのために経営も高度化を余儀なくされてきたことから、一人の経営者だけでは、あるいは経営コンサルタント単独では、全ての問題に立ち向かうことが難しくなってきました。
 かつては、一人の経営コンサルタントで全てのコンサルティングをできるようになってはじめて一人前と言われました。ところが全てに対応できるような間口の広いコンサルティングでは、複雑化し、高度化した昨今の経営環境下では、企業が抱える問題を解決することが困難なのです。
 少々宣伝ぽくなってしまいますが、私が所属します経営コンサルタント団体では別項でも述べていますが、「共業・共用・共育」という言葉を掲げています。経営コンサルタント同士が切磋琢磨し(共育)、ノウハウを蓄積してそれを相互で利用し合い(共用)、さらにそれを利用して共にコンサルティング業務に取り組む(共業)というユニークな発想でいます。
 そのために同協会は「士業の異業種交流会」とも呼ばれます。同協会に相談をかけると最適なコンサルタント(チーム)を受けられます。一つの声かけで、複数の専門コンサルタントが難問解決に取り組んでくれます。「ワンストップ・コンサルティング」を提供をする日本最初の経営コンサルタント団体なのです。
 企業経営面で見ましても、一つの企業でありながら、部門間の対立をしている状況を時々見ることがあります。社内でムダなエネルギーを使うよりは、まずは社内で合従連衡して、そのエネルギーを対外的に利用した方がロスが少なくて、効率よい経営展開をすることができます。
 合従連衡と関連して「遠交近攻(えんこうきんこう)」という四字熟語がしばしば上げられます。「遠交」とは遠くの国と親しく交わることをいい、「近攻」とは、近隣の国とは敵対して攻め入るという外交政策です。中国の戦国時代、秦の范雎(はんしょ)が王に進言した戦略で、どこかの国の政策みたいですね。
 経営でも地域戦略とか代理店戦略で、どの地域とか代理店を重点化して経営資源を重点配分するかを検討することがあります。中小企業ですと、日本全国をきめ細かく営業展開するのでは、経営資源が分散してしまうことから効率が悪いことがあります。「遠交」として、遠地では代理店と提携して営業展開をし、「近攻」すなわち自社の近くは、自社の営業パーソンが直接営業展開をするというような経営戦略も考えられます。
 類似四字熟語に「共存共栄(きょうぞんきょうえい)」というのがあります。互いに助け合って行き、共に栄えるということです。「共存(きょうぞん)」の「存」は、「そん」と読むこともあります。「共生」という言葉にも通じ、お互いに良い面を活かしあい、弱点を補強するために補完し合うことで「共栄」に繋げることができます。「ウィン・ウィンの関係」という言葉にも通ずるのではないでしょうか。
 この言葉の反対の意味を持つのが「弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)」「優勝劣敗(ゆうしょうれっぱい)」で、生存競争の厳しさを表すときに用いられます。弱い動物の肉を強い動物が食べる、ということから、弱者が強者に潰されてしまう状況を挿します。世の中では、時々「正者悪食(しょうしゃあくしょく)」という状況に出くわすことがあります。まじめな人が滅んだり、損をしたりして、そうでない人に有利なことが起こってしまったり、「正直者が馬鹿を見る」ということになってしまったりすることです。同様に、正論を唱える人の声より、ねじ曲げられた考えを持つ、声の大きな人がのさばることもあります。
「奸佞邪知(かんねいじゃち)」の「奸佞」は「心がねじれ、悪質である」、「邪智」は、「ねじ曲がった知恵」ということで、「ひねくれて、悪知恵が働く」ことをさします。このような世の中にはしたくないですね。
 因みに、論語で孔子は「益者三友(えきしゃさんゆう)」という友達を持つための三原則を述べています。「付き合いをするのに有益な友人というのは、正直な人、誠実な人、知識があって賢明な人」と言っています。徒然草の中で、吉田兼好は「良い友達には三種類ある。物をくれる人、医師、賢い人」をあげています。
「益者三友」の反意語として「損者三友(そんじゃさんゆう)」という四字熟語があります。兼好は、友達にふさわしくない人とには、七種類あるとあげています。「①身分が高く住む世界が違う人、②青二才、③病気をせず丈夫な人、④飲んだくれ、⑤血の気が多く戦闘的な人、⑥嘘つき、⑦欲張り(四字熟語辞典)」だそうです。
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