経営コンサルタントへの道

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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄 ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~

2024-11-16 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸
      ~ 物事や行為など意思決定の判断規準 ~


「規矩準縄(きくじゅんじょう)」の「規」は「規則」などという言葉からも推察できますように、何かの「規準」を表し、看護の影響を受けている日本語でも「コンパス」などを指すときに用いる漢字で、出典は「孟子」です。
 多少脱線しますが、広辞苑によりますと、「規準」とは、「何かを行う際に、手本や標準とすべきもの」とあります。同書では「道徳の規準」「社会生活の規準」「規準をはずれる」「順守すべき規準」などという用例が列挙されています。
 おなじ「きじゅん」でも「基準」という字があります。こちらは「物事を判断するためのよりどころ。また、標準とみなす数値など(広辞苑)」という意味で、「選考基準」「労働基準法」「建築基準」「前年度実績を基準にして算定する」などの用例も併記されています。
 両者は、大変類似した意味を持ちますが、前者が比較的定性的な判断のよりどころとして用いられるのに対して、後者の「基準」は、定数的な判断のよりどころ的な用例が多いように見えます。
 話を「規矩準縄」に戻しますが、「規」は「コンパス」のように方向性を決めるときなどの判断のよりどころなる言葉です。それに対して「矩(く)」は、「ものさし」とか「定規」のような判断のよりどころで、どちらかといいますと「基準」という言葉に近いようです。
 「準」は「水準器」という言葉に見られますように「水平線」を指します。「縄」は、大工さんが使う「墨壺」の糸などを指す「墨縄」のことです。墨壺を使って基準となる線を引いてから、のこぎりで板を挽いたり、柱を切ったりします。「規矩」も「準縄」もいずれも「規則」とか「法律」という意味で、規矩準縄という四字熟語は、同じような言葉を重ねて、意味を強調して用いられます。
 似たような言葉で「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」という四字熟語があります。「一定の基準や形式にあてはめる」という意味ですが、一般的には「規則などにとらわれすぎて融通が利かない」というマイナスのニュアンスで使われます。「融通無碍(ゆうづうむげ)」ともいいます。同様に「四角四面(しかくしめん)」も「大変まじめ」という原意よりも、後者のように、「まじめすぎて融通が利かない」という意味で用いられます。

 企業経営におきましては、判断業務の連続といっても過言ではありません。経営上の判断をするときには、経営理念が規準になります。その経営理念を基に、経営戦略が練られ、それが経営計画に織り込まれます。経営計画に基づき、各部門長は部門計画を立てます。その部門計画を実践し、計画通りの結果を出すために、各担当者は自分自身の計画を立てます。
 例えば、営業パーソンが営業活動をするとします。その際に、自分の年度計画に基づいて作成された月次行動計画書を参照して、日々の行動計画を立てて、PDCAに基づいて行動します。
 このように、企業における計画は、ひとつの目標に向かってベクトルがあっていなければなりません。また、階層化され、それぞれが上位計画を規準にして決められています。例えば、顧客を訪問したときに、値引き要請をされたとします。値引きをどこまでしたら、その商談が成立するかということを推測すると共に、自分に許されている値引き範囲基準と比較します。もし、後者の基準内に前者が入っていれば、その場で即決して受注に結びつけます。逆に、前者、すなわち顧客の要望金額に、自分が許されている値引き基準が至らない場合には、上司に相談することになるでしょう。
 このようにビジネスパーソンは、行動するときに、常に規矩準縄を意識することで経営がスムーズに進むのです。
 経営では、経営理念や経営計画などという企業の目標が規矩準縄として、全社員がめざして、「個を全体に」すなわち個々バラバラではなく、統一した方向に向けて心を一つにして努力することで業績に結びつけていくことに繋がります。
 ベクトル合わせという観点で代表的な四字熟語として「上意下達(じょういかたつ)」があります。「トップの意図に基づく指示・命令を下部のものに伝え徹底する」ということで、報連相の基本です。ただし、「下意上達(かいじょうたつ)」という四字熟語もあり、トップの意図が一方通行でないことが重要で、「上意下達」と報連相はセットで体得させる必要があります。因みに「体得」とは、知識として頭で理解できているだけではなく、言動にそれが表れることを指します。
 またベクトルあわせということでは「一致団結(いっちだんけつ)」という言葉もあります。説明する必要もない四字熟語で、大勢の人が、共通の目的に向かって心を一つに合わせて、その実現のために力を合わせることです。類似な四字熟語として「一致協同(いっちきょうどう)」「一致協力(いっちきょうりょく)」があります。
 また、「一味同心(いちみどうしん)」という言葉もあります。上記が、心を一にするという抽象的な概念を表すのに対して、こちらは、心を一つにして、同じ目的を実現するために、集まっている「人」に重点がおかれています。平家物語にも使われている四字熟語です。「情意投合(じょういとうごう)」「意気投合(いきとうごう)」する組織作りにも繋がります。心と体が一体となるかのように、心を一つにする強い結びつきのことを「一心同体(いっしんどうたい)」とか「異体同心(いたいどうしん)」と言います。
 これによく似たのが「一味徒党(いちみととう)」です。有名なアレクサンドル・デュマの「三銃士」という小説があります。その中に「一人はみんなのため、みんなは一人のため」という台詞がありますが、まさに一味同心を示しています。
 企業経営では、一味同心達が、規矩準縄で心を一にし、一致団結することにより、「一粒万倍(いちりゅうまんばい)」が実現できます。一粒の種でもこれにより万倍の収穫に繋げることができようになります。このことから「一粒万倍」は、小さなことから大きな成果を得ることができるたとえとして使われます。また、一つの善行から、多くの恩恵が得られるという意味でも「報恩経」の中で使われています。「一日一善(いちにちいちぜん)」が万倍の成果として結実すると言うことです。
「一日一善」は、一日に一つの善い行いをしなさいという教えです。その積み重ねが、人生を明るくしてくれるという前向きな言葉です。「積善」という言葉がありますが、この四字熟語と同じように、善行を積み重ねることをいいます。因みに「積善」は「せきぜん」という読みと共に「しゃくぜん」という読み方もあります。
 善い行いをしますと、相手も自分も気持ちが良いモノです。孟子に出てきます「浩然之気(こうぜんのき)」の「浩然」は「広く、ゆったりしている」ことを指しますので「天地に恥じない正しい行いをしました時に感じる清々しい道徳的な感覚」を指します。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー03 郢書燕説 信頼できる外部ブレイン選び ~道理や理屈に反することを最もらしく説明~

2024-11-09 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー03 郢書燕説 信頼できる外部ブレイン選び ~道理や理屈に反することを最もらしく説明~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー03 郢書燕説 信頼できる外部ブレイン選び
      ~ 道理や理屈に反することを最もらしく説明 ~


「郢書燕説(えいしょえんせつ)」とは、道理や理屈にかなわないことをこじつけてもっともらしく説明するという意味です。
「郢(えい)は、春秋戦国時代の楚国の首都で、現代の湖北省荊州市江陵(荊州)のことです。蛇足になりますが、春秋時代の楚という国は、どこへ都を移しても「郢」と称したということです。(四字熟語辞典)
 この言葉の語源は、楚の国の首都であった郢(えい)の役人が、ディクテーション(口実筆記)をしているときに、暗くなってきたので「燭を上げよ」といってお付きの者に明かりをつけるように指示をしました。筆記者が、御役人のその言葉を、そのままの言葉で手紙に書いてしまい、それが相手に届けられることになりました。
 それを受け取った燕の国の大臣が「燭を上げよ」という言葉をどのように解釈したら良いのか考えました。「燭(しょく)」というのは、現代では明るさ、すなわち光度の単位であります「カンデラ」の原型になっている言葉です。燭光という言葉もありますように、もともとは「蝋燭(ろうそく)」、すなわち「明かり」を指します。
 燕の大臣は、「明かり」という言葉から、「知識に明るい人」を指すのだろうと連想しました。そこから「賢人を登用せよ」とう意味にとらえて、国内の賢い人達を積極的に登用しました。その結果、燕の国が以前にも増して益々栄えたという故事が残され、現代にまで伝わってきたのです。
 この言い伝えからもわかりますように、もともとの故事には悪いニュアンスはありませんでした。むしろ良い結果を生んだのですが、間違えて書かれた「燭を上げよ」を「賢人を登用せよ」というように、強引なこじつけをしたことから、昨今では余りよい意味には使われないことが多いのです。因みに強引な行動をする時に「我武者羅(がむしゃら)」と言いますが「向こう見ずに、ひたすら突進する」ことを指します。
 私事になりますが、経営コンサルタント業やICT(IT)関連企業とのつきあいが長いこともあり、これらの業界には、郢書燕説をぶつ人が多いように思っていました。しかし、最近は、必ずしもその業界に偏重するのではなく、結構いろいろな人にこの現象が見られます。
 ある企業の課長さんが、自分の部下のことで悩んでいました。部下のAさんは、一流大学を好成績で卒業し、今もなお自己研鑽を欠かしません。彼が学んできたことに一つが、「自分に与えられた仕事は、百パーセント達成する」ということです。ところが、この会社の場合には、突発事高がしばしば発生し、課長としてはそのたびに誰かにその対応を指示しなければなりません。ところがAさんは、自分の仕事ではないからという理由で何としても引き受けようとしないのです。
 たとえそのたびに注意をしたり、説得をしたりしても、自説が正しいと信じ込んでいる場合には、それが誤りであったり、適切な言動ではなかったりすることを気づかせることに苦労します。ところが、往々にして自説が郢書燕説であることに気がついていながら、強引にそれを強調している人の多いのも驚きです。
 大変残念なことですが、経営コンサルタントや経営者・管理職の中にも郢書燕説を、言葉巧みに平気でぶっている人がいます。強引なへりくつをもとに郢書燕説をする人もいれば、「曖昧模糊(あいまいもこ)」とした理屈になっていないことを平気で言う人もいます。曖昧模糊という四字熟語も改めて説明するまでもなく、漠然と、ぼんやりした様子をいいます。「曖昧」も「模糊」も同じ意味で、このように同じ意味の言葉を重ねて意味を強調する用法が四字熟語の中にはしばしばできてきます。類語として「朦朧模糊(もうろうもこ)」や「有耶無耶(うやむや)」というものがあります。
 このような強引な話方をする人は、経営の専門家の中にもいますので、外部ブレインを利用される経営者・管理職の皆様は、エセコンサルタントに注意しましょう。企業が良くなるどころか、かえって悪くなってしまうかもしれません。
 信頼できる外部ブレイン選びができる経営者・管理職こそが、生き残れる時代になって来たのかもしれません。相手が信頼できる人かどうかの判断力を持つことも重要です。この観点では「一諾千金(いちだくせんきん)」という言葉をご紹介しましょう。
 この四字熟語は、史記にできてきます故事に見られます。中国の楚(そ)の国にいた季布は、以前は項羽の傘下にいた人です。劉邦が率いていた漢軍を多いに苦しめた武将です。季布は、一旦引き受けたことは確実に実行してきた人で、信義に厚く任侠の人として知られています。そのことから、楚の人々から「黄金百斤を得るより、季布の一度の承諾を得るほうが価値がある」という故事があるほど人でした。(新明解四字熟語辞典)
「一諾」は、承諾し引き受けることをいみします。その一諾が千金(黄金百斤)に相当するということで「信義に厚く、裏切ることのない」という意味で遣われます。いったん承諾したことは千金にも値するほどの重みがありますので、「一旦約束したことは、なんとしても実行なければならない」という教えです。
 約束したことは実行しなければならないという、「有言実行」の精神ですが、言うは易く行うは難しの一つと言えます。しかし、これを励行することが、信頼関係を築く得策の一つで、裏を返しますと、これを軽視すると信頼関係は直ぐに崩れますし、その前に信頼関係を築くことすらできません。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ 相互矛盾の両立しない状態

2024-11-02 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ 相互矛盾の両立しない状態       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ
      ~ 相互矛盾の両立しない状態 ~

 「二律背反(にりつはいはん)」とは、ドイツ語の「アンチノミー( Antinomie)」の日本語訳です。「二つの命題に妥当性がありましても、お互いに矛盾し、現実だけではなく見かけ上も両立しない状態」をいいます。Wikipediaでは「正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのこと」と説明されています。
 哲学者カントの名前はよく知られています。二律背反とカントについては、Wikipediaの記述が大変興味深いですので、ここに掲載しておきます。
【Wikipedia】
 この術語は、イマヌエル・カントの哲学において特別な意味を要求する。カントは、感覚的知覚あるいは経験(現象)の領域のみ用いられるカテゴリーあるいは理性の規準を純粋思惟の領域に適用した際に生じる、同等に合理的ではあるが矛盾する帰結を記述するのに用いた。理性はここでは合理的な真理を確立する役割を演じることができない。なぜなら、それは可能な経験を超えているし、理性を超越しているものの領域に適用されているからである。
 カントにとって、以下のものに関連する四つのアンチノミーが存在する。
1 時間と空間に関する宇宙の限界
2 全ては分割不可能な原子から構成されている(それに対して、実際にはそのようなものは存在しない)という理論
3 普遍的な因果性に関する自由の問題
4 必然的な存在者の実在


 我々に直結するビジネスの世界でもしばしば二律背反は起こります。経営者は、できるだけ多くの売上や利益を上げたいと考えます。一方で、顧客・ユーザーの立場に立ちますと、「よい商品・サービスを安く提供する」ことが求められます。
 ICT(IT)においては、セキュリティを強化することが安全のために求められます。一方で、セキュリティを強化すると使い勝手が悪くなることがしばしば起こります。セキュリティとユーザビリティという二律背反的な事情にしばしば挟まれます。
 経営においては矛盾する事象に直面したときに、そこから目をそらすのではなく、そのことにガチンと真っ向からぶつかって解決する方策を追求する姿勢が重要と考えています。そこに新しい局面が展開してくることが多々あるからです。
 例えば、非常に卑近な例ではありますが、労使の衝突です。景気が悪く、収益が上がらないから給料を上げられないという経営者の言い分があります。労組は、給料が上がらないからモラールが上がりません。モラールが上がりませんので収益が上がりません。だから給料を上げるべきだという主張とぶつかります。
「鶏が先か、卵が先か」の問題だと言って、言葉を濁していても解決しません。景気を理由にして、戦略や戦術の十分な検討を逃げている経営者がいます。自分達の会社であり、その変革は自分達がしなければいけないという労働側におけます意識の稚拙さとのぶつかり合いでは解決しません。業績が悪ければ、一丸となってやるべきことがあるはずです。


 世の中というのは、このような矛盾・パラドックスというか、二律背反というか、板挟みになることが多々あります。
 私は「矛盾を楽しむ」ということをしばしば考えます。ヘーゲルによって定式化された弁証法論理の三段階といわれます「正反合」という理論がどのようなものかはお恥ずかしながら充分な知識を持ちあわせてはいませんが、ここに通じるように思えます。weblioによりますと「ある判断(定立)と,それと矛盾する判断(反定立)と,正反二つの判断を統合したより高い判断(総合)のこと」と正反合の説明があります。
 矛盾を楽しむということは、矛盾するからといって、その課題を否定するのではなく、それに四つに取り組むことだと考えます。別項で触れています「重考高盛」することが 矛盾を楽しむことに繋がり、そのうちに、自然と方策が生まれてきます。それだけではなく思考力の養成になります。歳を重ねてきた昨今では、老化防止と考えて、若い経営コンサルタントに負けないように知恵を絞る努力を続けています。


 矛盾という言葉を含む四字熟語に「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」があります。矛盾という言葉は、私たちが日常よく使う言葉の一つですので説明するまでもありません。一方「撞着」という言葉はあまり聞き慣れない言葉です。撞着という言葉は、広辞苑によると「つきあたること。ぶつかること」とあります。
 説明の次項に「前後が一致しないこと。つじつまが合わないこと。矛盾」とあり、この場合は後者の意で、「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」の前半分の二語も後ろの二語も「矛盾」という意味になります。すなわち、物事が論理的に整合性がとれていないことをさします。
 「撞着」は、「自家撞着(じかどうちゃく)に陥る」という使い方をします。「同じ人の言行が前と後とくいちがって、つじつまの合わないこと(広辞苑)」という意味です。
 これとは直接関係ありませんが、「撞」という文字は「しょう」と読みますが、慣用的に「どう」と読みます。「憧れる(あこがれる)」という字と混同されることがありますので注意が必要です。「憧着」ですと、憧れにとりつかれる夢見る女の子みたいになってしまいます。
 同じような意味で「自己矛盾(じこむじゅん)」があります。「自分の言動が論理的に齟齬をきたして、つじつまが合わない」ことをさします。それを強引に進めてゆきますと「自縄自縛(じじょうじばく)」に陥ります。「自縄」は、自分の縄(なわ)、「自縛」は自分自身を縛るということから「自分の言動や考え方に固執し、自分自身を縛ってしまい、身動きできなくしてしまう」、いわば「自業自得」に陥ってしまうことです。


 かつて、私の上司で、矛盾撞着を地で行くような人がいました。これは少々オーバーで、彼に対して失礼極まりない言い方かも知れませんが、矛盾した言動を平素から平気でとる人でした。
 1997年の暮れのことです。私が提出した書類の中に「二〇世紀も三年余りとなり・・・」という下りがありました。「君、二一世紀はあと二年強で来るのだから、三ではなく二にしなければいけないだろう」と赤ペンを入れられました。
 私が「西暦0年という年はなく、BC1年の次はAD1年ですから、21世紀は2001年1月1日から始まります。ですからこの場合は、“3”でよいのではないでしょうか」と答えました。
 その上司は、自分の考えと法律とがマッチしないときに「それは法律が間違えている」とさえ言う人です。ですからこの件も頭らか自分が正しいと考えていますので、上述の私がしました西暦の説明は音として左の耳から入っても、右の耳に抜けるだけだったのでしょう。
「満で数えるか、数え年で数えるかの違いで、数えなら君の言うことが正しいが、普通は満で数えるだろう」という言葉が返ってきました。私の説明をまるで理解していなかったのです。
 「植木算を知っているだろう。あの考え方だよ、君」
「異端邪説(いたんじゃせつ)」と言えるほどの論理ではないですが、矛盾撞着、一歩も譲らず、その書類をそのまま印刷物にして外部に出すといいますので、彼の意に反して赤ペンをもとに書き直して印刷部門に回すことにしました。できあがった印刷物を彼が目を通したのかどうかわかりませんが、その後、何のとがめもありませんでした。
 因みに「異端邪説」は、「正統ではない思想や学説のことで、しばしば正当性あることに対して異論を唱えることを指します。類語として「異端邪宗(いたんじゃしゅう)」という四字熟語もあります。「正統ではない異なる教え」という意味です。
 上述の御仁からは、「反面教師(はんめんきょうし)」として多くを学ぶことができました。「反面教師」というのは、「悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例(新明解四字熟語辞典)」という意味です。その人のなすことを見ていますと、反省の材料をたくさん示してくれました。自分を律する気持ちがあれば、相手が誰でありましても「反面教師」として、自分を高めることができることを体感できました。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー01 寸善尺魔  想定外と負け犬 世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い

2024-10-26 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー01 寸善尺魔  想定外と負け犬 世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い     


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー01 寸善尺魔  想定外と負け犬
         ~ 世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い ~


 「寸善尺魔(すんぜんしゃくま)」の「寸」も「尺」も日本の昔の尺貫法に基づく長さを計測する単位です。一尺は約三十cm、一寸は、その十分の一の長さです。
 サラリーマン時代に、輸出入業務を担当していました。商品は当時船便で送ることが多く、運賃計算は、重量ではなく体積を基準に算定するのが一般的でした。輸出梱包は安価な商品ほど割高となり、そのコストは馬鹿にならないほど響いてきます。従いまして輸出価格を決めるのに梱包された状態での商品の体積がどのくらいなのかを算出する必要がありました。
 一尺は、約一フィートでしたので、尺貫法のメジャーを用いて、何尺何寸かを計測して、その単位をフィートに単純に置き換えるだけで、換算計算を省略しました。多少の誤差はありますが、それをもとに体積計算ができます。その数値に、単位当たりの運賃をかけ算して運賃や梱包料金を算出しました。基本単位が一キュービックフィートとなっていました。これを尺貫法では「一才(いっさい)」と呼んでいて、「○才なので××円の運賃が単価に加算される」などと計算していました。
 余談になりましたが、「寸善」とは、「”善”の大きさは一寸ほどでしかない」ということから「良いことは小さい」という意味で、「寸前」と表示されています。それに対して、「尺魔」、すなわち「魔」の大きさは「寸」より大きい「尺」という単位で表されていますので「寸善」が一寸であるのに対して、「尺魔」は一尺もあるとなります。
 すなわち「善は一寸ほどの大きさに過ぎず、魔(悪)は善の一寸に対して一尺ほどもある」という意味で、「世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い」という意味で使われます。
 私の知人で、彼の知人の債務保証をしたがために、自分自身も自己破産宣告をせざるを得なくなりました。ところが、強い人で、雌伏十年、その間、自己充電期間として、「晴耕雨読(せいこううどく)」をしました。晴れた日には田はなたを耕し、雨が降ると読書を楽しむという、世間の煩わしさから離れ、心穏やかな生活を続けました。その結果、自分の生きる道として、自分と同じように債務保証で苦しむ人達に心の潤いを与えることははじめました。
「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」というのは、この人のためにあるような四字熟語です。中国の春秋時代に、呉の王である夫差(ふさ)が戦いで死んでしまった父親の仇討ちのために、牧野上に臥して、苦い肝を嘗めて、報復の志を忘れないようにしたという故事があります。(四字熟語辞典)このことから転じて「目的を達成するために、苦心惨憺してチャンスを待ち続ける」という意味で使われます。
「堅忍不抜(けんにんふばつ)」、すなわち「強固な意志を持って耐え、何があってもくじけて諦めない」でやってきた結果、雌伏が雄飛に変化する「捲土重来(けんどちょうらい)」をやり遂げたのです。「捲土」とは、土煙が巻き上がるような厳しさ、「重来」は「再来」と同じ意味です。すなわち「捲土重来」とは「一度は、敗者となった人が、再び勢力を盛り返して巻き返す」ことを指します。「堅忍」は「意志強固に耐える」、「不抜」は「」固くて抜けない」という意味です。類語に「志操堅固(しそうけんご)」という四字熟語があります。
 確かに世の中は、我々が思うようには行かないことが多いです。「こうありたい」と思っても、その実現には色々な障害や問題が立ちはだかります。これは企業経営においても同じことです。リスクマネジメントというのは、これから起こるだろう障害を予測して、事前に手を打つことの重要性が説かれています。
 福島第一原子力発電所問題で表面化しましたが、「想定外」という言葉はしばしば使われてきました。それだからといって「人知が及ばぬこと」と諦めてはならず、「自分の力が至らなかった」と解釈し、謙虚に受け止めるべきです。
 「想定外」で、世の人だけではなく、自分自身を納得させてしまっては、成長の原動力を失うことになります。
 想定のレベルが高ければ、その様な障害が訪れてくることを予測できるかも知れないのです。否、できるだけそれも含めて想定すべきです。これが経営であり、経営者や経営コンサルタントの為すべきことであり、その能力の高さということになります。
 口で言うは易しいですが、その実行は困難であることを私も認めますが、負け犬で終わりたくないですね。因みに、本来このような意味ですが、誤用されて「良いことには、とかく邪悪が入りやすい」という意味で使う人がいます。
 このように言葉の誤用は、近年目立ちます。例えば「悪循環」という言葉に対して「好循環」という言葉が使われていますが、私は「好循環」ではなく「善循環」という言葉を用います。
 「大小」とか「寒暖」など、反対の意味を表す表現を私たちはしばしば用います。「悪」という漢字の反対の意味を含む表現は何でしょうか?大半の人が「善悪」という熟語に思い当たるでしょう。従って、「悪循環」に対して「善循環」というべきだと考えます。
 ただし、「好悪(こうお)」とう言葉もありますので、「悪」の反対を表す漢字に「好」を充てることは間違いではありません。従って「好循環」という言葉は間違いではないのですが、上記の通り、正しい語感を持てば「善循環」の方がどちらかと言えば良いと言えると考えています。
 ある面では、これは感覚の問題ですが、近年、語感のずれが軽視されているように思えます。例えば、ストッキングをはいていない脚のことを「生足」というのを聞きます。「生爪を剥がす」や「生首」などの例に見れますように、人間の身体の一部に関する表現として「生」という字はあまり良いニュアンスを持っていません。それを「生野菜」などの「生」とう字の誤用から「生足」などいう言葉が生まれてしまうのでしょう。
「鳥肌が立つ」という言葉も、ゾッとするような恐ろしげな体験をしたときに用いる表現です。それが昨今では、良い意味の時にも「鳥肌が立つ」という表現が用いられることがあります。語感が正常であれば、それもおかしいと感じるはずです。
 語感というものさしからずれた感覚で、言葉を選択するからこのようなことが起こってしまいます。
 企業経営において、いくつかの選択肢がある場合に、どれを選ぶべきかを考えるとき、判断に困ったら、「原点は何か」「どちらが一般的か」などと判断基準を装幀した上で判断しますと、より良い選択ができることが多いです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-10 日進月歩 情報収集で先見性を持つ 技術や環境が速く、大きく変化する時代

2024-10-19 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-10 日進月歩    情報収集で先見性を持つ 技術や環境が速く、大きく変化する時代        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-10 日進月歩    情報収集で先見性を持つ
       ~ 技術や環境が速く、大きく変化する時代 ~


 物事が日々進歩しいる様子を「日進月歩(にっしんげっぽ)」と言います。ICT(IT)技術が世の中に誕生してから、技術変化が急速に進むようになりました。その結果、世の中の変化が著しいことを日々の生活の中で感じることがしばしばあります。そのことから昨今では「秒進分歩(びょうしんふんぽ)」とさえ言われるようになりました。
「有為転変(ういてんぺん)」と言いますように、世の中はドンドンと変化をしています。「有為」は「うい」と読みますので、恥をかかないように注意して下さい。もともとは仏教用語で「世の中のすべての現象や出来事、万物の存在」という意味です。仏教では、万物すべてが因縁のしがらみによって生じたものですので、一瞬も留まることはなく、変化して行き、移ろい、変化しやすく、はかないということが基本にあります。「転変」は、古くは「てんべん」とも読みますが「万物が生滅・変化すること。うつりかわること(広辞苑第六版)」という意味です。類語として「有為無常(ういむじょう)」や「諸行無常(しょぎょうむじょう)」があります。
「烏兎怱怱(うとそうそう)」という四字熟語も「烏兎匆匆(うとそうそう)」も、月日の経つことの速く、慌ただしいことをさします。「烏兎」は烏と兎のことで、中国では太陽の中に烏が、月には兎の形があると言われています。このことから「烏兎」は太陽と月、すなわち「月日」をさし、「怱怱」は慌ただしい様子を指しています。
 一九九〇年代前半に、ビル・ゲーツ氏が「スピード経営の時代」という言葉を再三使っていましたように、昨今では意思決定の迅速化が求められようになりました。日本企業のグローバル市場での存在感が薄くなった原因のひとつが、意思決定速度の遅さであると言われています。それが言われていながら、お役所も、大企業も遅々として意思決定の高速化という点での改善が進んでいないように思えます。
 このように、知識として持っていながら、結果として出てきていないという状況は、企業内でもしばしば見られます。私は、別項でも記述していますが「あたり前のことがあたり前にできる企業作り」ということを掲げて経営コンサルタントという仕事をしてきました。
 企業は経営コンサルタントなど専門家に対して、「自分達が知っていることを教えてもらいたいのではなく、知らないこと、高度なことなど、自分達の手に負えないことを教えて欲しいのだ」ということを求めることが多いです。ビギナーゴルファーが、プロゴルファーのスイングをまねしてもうまくいきません。しかし、企業の現状を見ますと、それをやりたがっています。
 日進月歩とか秒進分歩ということに逆行するように見えますが、自社の現状をキチンと把握し、身の丈を知り、それに合わせた経営をすることで、企業の基礎体力を付けることをお薦めするようにしています。基礎体力ができますと、新しいことに挑戦しても消化できるようになるのです。日進月歩という言葉は、「近道より遠回りの方が先に目的地に着く」という逆説的なことも教えてくれているように思えます。
 自分自身を見極め、時代の流れを読みながら経営戦略を立てるお手伝いを私はやってきました。その時に、時代の流れを体感しながら、先見性を養って欲しいと願って企業経営者・管理職とお付き合いをしてきました。それには「耳目(じもく)」を働かせることが重要です。経営コンサルタントを始めとする、経営の専門家には、経営者・管理職が、そのために時間をかけすぎて、本来的な経営者・管理職としての仕事がおろそかにならないように、支援できなければなりません。
 経営コンサルタントをめざす人から時々訊かれることの一つに、「どのような性格の人が経営コンサルタントに適していますか?」ということがあります。
 私の口癖の一つは、「経営コンサルタントは、お節介役であるべき」ということです。お節介というのは、相手に頼まれなくても、相手のためになっているだろうと思われることを行動に移すことです。すなわち、相手が何を欲しているのかを推量し、それに対して頼まれもしていないのに何かをしてあげるのです。企業経営におきましても、管理職による部下管理におきましても、これが言えると思います。
 相手のニーズにマッチした推量でありますと、「あなたはよく気のつく人ですね」と誉められたり、感謝されたりします。一方で、こちらがよいと思ってやってやったことが、相手のニーズにあっていなかったり、タイミングが悪かったりすると「余計なことをしてくれて・・・」といやがられてしまいます。
 1990年代に、当時のマイクロソフトのビル・ゲーツ会長が「スピード経営」の重要性をさかんに説きました。日本企業は稟議制度などにより、意思決定が遅いとしばしば言われます。「巧遅拙速(こうちせっそく)」とか「拙速巧遅(せっそくこうち)」という四字熟語が孫子に出てきます。孫子ですから、兵法用語なのですが、「巧遅」は、「仕上がりは良いのですが、出来上がるまで時間がかかる」ということです。逆に「拙速」は、「仕上がりは今ひとつ満足できる状態ではないが、期日通りなど、時間要素面では優れている」という意味です。このことから「巧みで遅いよりは、稚拙でも必要な時期までに完成する方が良い」という意味で用いられます。
 「飛耳長目(ひじちょうもく)」という四字熟語があります。耳を飛ばし、目を長く(大きく)して情報を収集できる人や能力のことです。すなわち、優れた観察力を持っていたり、情報集能力に優れていたり、博学であって全てに精通していることを意味します。
 私の口癖の言葉に置き換えますと「アンテナの感度と量」ということになります。たとえば企業を訪問したときに玄関の傘立てに傘が何本か置いてあったとします。ある人は、それを見て、「万一、雨が降ってきたらすぐに傘を差して出かけられる、準備の良い会社」というように思うかもしれません。ところが別の人は「天気の良い日に傘立てが置いてあり、ましてや何本か傘が残されたままというのはだらしのない企業ではないか」というように考えるかもしれません。
 一つの現象でも、見る人により見方が異なっていますが、「これがアンテナの感度」です。
 話は変わりますが、野辺山に東京大学の電波望遠鏡があるのをご存知の方も多いと思います。そこに行ってみますと電波望遠鏡が一つあるのではなく、十数基が置かれています。アンテナの数が多いことで、より広域な、より多くの情報を収集できるのです。
「日進月歩」や「秒進分歩」と逆な意味合いを持つのが「十年一日(じゅうねんいちじつ)」という四字熟語です。直訳的には「十年があたかも一日のようである」だという意味ですが、「十年一日のごとし」という形で用いられます。
 このことから「何年経っても相も変わらず同じことをやったり、状態が続いたりしていて、変化も無ければ、前進や進歩もない」ことをいいます。代わり映えがしない意味でも使います。別の四字熟語に「旧態依然(きゅうたいいぜん)」というのがあります。
 世の中の成長が多きときには、企業が十年一日、旧態依然とした経営をやっていては、相対的には縮小の方法に向かっていまいますので、自社の現状をキチンと把握した上で、時代に即した経営管理ができるようにして行きたいですね。
 日進月歩の時代に、取り残されないためには、近道を求めるよりは、オーソドックスに「飛耳長目」により、地に足がついた経営から始めることをお勧めします。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-09 実践躬行 高い目標の実現行動 高い目標に向かって、実現するために努力する

2024-10-12 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-09 実践躬行 高い目標の実現行動 高い目標に向かって、実現するために努力する   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-09 実践躬行    高い目標の実現行動
       ~ 高い目標に向かって、実現するために努力する ~


 「実践」は、広辞苑では「実際に履行すること。一般に人間が何かを行動によって実行すること」と解説され、さらに哲学的な面では下記の説明もあります。
 人間が行動を通じて環境を意識的に変化させること。この意味での実践の基本形態は物質的生産活動であり、さらに差別に対する闘争や福祉活動のような社会的実践のほか、精神的価値の実現活動のような個人的実践も含まれる。認識(理論)は実践の必要から生まれ、また認識の真理性はそれを実践に適用して検証される、という立場で実践の意義を明らかにしたのはマルクスとプラグマティズムである。(広辞苑)
 広辞苑の「実践」の項で、「認識(理論)は実践の必要から生まれ、また認識の真理性はそれを実践に適用して検証される」という部分を注目したいと思います。昨今、企業経営は、各種メディアを通じて注目される理論があって、その導入に躍起となっている傾向が窺えます。しかし、経営というのは、とりわけ経営が必ずしも芳しくない中小企業においては、現状の中で各種の問題・課題に直面し、それに取り組む中で、全社に認識が高まり、理論的な裏付けに繋げていくべきと考えます。
 すなわち、目標を設定し、それに対する実践方法が明確になったら、進捗管理をキチンとして実践してゆきます。その中で不足したり、不充分であったりする部分を認識し、対応策の再検討をします。新たな対応策が間違えていないかどうか、裏付けをとった上で決定し、文書化し、次の実践に繋げます。文書化の中には経営理念、経営計画書等々の規範的な文書もあるでしょう。また、実践段階で、着実の遂行するためのマニュアル化という部分もあるでしょう。このように進めていく中で、自社のノウハウを蓄積してゆくことにより、別項でも書いています「あたり前のレベルを向上」させてゆくのです。「蓄積堅裾」の項でも記述していますように「蓄積は力」、単に継続するだけではなく蓄積していくことが、企業成長に繋がります。
「躬行」の「躬」は「自ら」の意で、「みずから実行すること」を指します。すなわち「実践躬行(じっせんきゅうこう)」とは「自分の力で、自らが行動すること」という意味となります。私は「経営コンサルタント不要の企業作り」ということを常々警官の皆さんに言うようにしています。そうしますと、「それではいずれ経営コンサルタントが入らなくなってしまい、自分の首を絞めることに繋がるのでは」ということを言われます。幸か不幸か、企業というのは常に一歩上をめざしますので、経営コンサルタント自身がレベルアップしていれば、企業の次に控えています、さらなる上をめざすときに、再び出番がやってくるので心配ないとお答えするようにしています。
 企業経営における「実践躬行」は、通常より高い目標や理念を掲げて、それに向かって実現するために行動することを強調するときに使うようにしています。
 経営コンサルタントである私は、別項でも述べていますように、顧問先に対して「当たり前のことが当たり前にできる企業作り」ということを言っています。しかし、「当たり前」とは何でしょうか?
 誰もができることが当たり前なのですが、経営計画は、何の努力をしなくても実現できるような立案では企業は成長しません。少々目標が高く、きつめであっても、努力を重ねれば実現できるような計画を立てるべきです。
 このようにして立てた計画が自分達の実践躬行で達成できること、すなわちそれが自社の「当たり前」であるのです。安易に実現できる目標に留まっていては成長につながりません。実践躬行を繰り返しながら、「当たり前のレベルを上げる」ことを継続してゆきます。それにより、次の計画はさらにレベルが上がります。
 レベルというのは、前年度に対してのレベルではなく、経営環境や取り組み課題の質などにより変動するものと考えています。ですから計画の立案は「前年度比○%アップ」などと安易な決め方をしてはならないのです。
 自社やその経営環境の「認識」の上に立って経営計画は立案されなければならないのです。全社の経営計画に基づき、部門計画が立案されます。それを実現するために、個人として自分が何をすべきかが個別計画です。すなわち、個別計画というのは、前者の計画に基づいて立案されて部門計画と整合性がとれていなければなりません。換言しますと、自分が所属する部門の計画を実現するために、自分は、何を、どの様に、いつまでにするのか、5W1Hに基づいて表現する必要があります。そして、それを実行する、「有言実行(ゆうげんじっこう)」を忘れてはならないのです。「言葉に出して周囲や自分自身に公言して、実行する」という意味は広く知られています。また、有言実行の前に「充分時間をかけて、果敢に実行する」という意味で、「熟慮断行)」もあります。「熟慮断行」ができる人は「思慮分別(しりょふんべつ)」のある人が多いと思います。「分別」は、「分別のある人」等という用例が代表的ですが「道理や常識を踏まえて判断する」ということですので、「思慮分別」は「ものごとを注意深く熟考し、判断する」という意味です。「熟慮断行(じゅくりょだんこう)」も類似し「熟考してから、潔く挑戦する」ということで、「軽挙妄動(けいきょもうどう)」という「軽率に判断して、闇雲に動く」という四字熟語の反対の意味です。


 上述の「有言実行」という四字熟語を見ますと「雲泥万里(うんでいばんり)」という言葉を連想します。世の中には、言っていることと、自分の行いに天地の違いが「支離滅裂」である人がいます。「雲泥万里」は、天と地のように大きな隔たりがあることを言います。
 因みに、「有言実行」とよく似た言葉に「言行一致(げんこういっち)」という四字熟語があります。「言うことと自分の行動に相違がない」という意味で、平素、口にしていることを実践している人に対して用いる表現です。言葉には出さないが心密かに決意し、計画して実行することを「暗中飛躍(あんちゅうひやく)」と言います。「暗躍」というあまり良いニュアンスではないですが、この言葉の語源でもあります。また、一生涯で、ただの一度だけの重要なことを決意するときに「一世一代(いっせいちだい)」ともいいます。中には、「有名無実(ゆうめいむじつ)」「有名亡実(ゆうめいぼうじつ)」な人もいます。「名前や言っていることは立派ですが、行動がそれに伴わない」という意味です。
 自分の計画に基づき、行動をしても、うまく行かないことがあります。例えば年度計画に対して、年度末になって未達がわかるのではなく、常に進捗状況を把握し、期の途中で自分自身に、有言実行を言い聞かせます。最大限の努力を払っても、年度が終わって計画を達成できなければ、「心機一転(しんきいってん)」し、「面目一新(めんもくいっしん)」するには、どうすべきか、ふたたび5W1Hに基づき、PDCAのスパイラルを回してゆけば良いのです。
 蛇足になりますが、「面目一新」の「面目」は、「めんぼく」とも読み、「世間に対する名誉(広辞苑)」という意味です。すなわち面目一新とは、「世間に対する名誉を一新すること」すなわち、世間で厳しく判断されたことに対して、手を加えることにより一段と高い評価が得られることを言います。
 面目一新と同義語で面目躍如という言葉があり、「面目を凌ぐ」という用法と同じ意味となります。ちなみに「凌ぐ」は「しのぐ」と読み、読み方を間違えられやすいですし、さらに漢字の旁(つくり)が「にすい」であるのであって、さんずいでないことを再認識していただきたいのです。因みに「にすい」は、氷に関係し、「さんずい」は水に関係する意味が多いことを知っていますと、物知り博士として一目置かれるかもしれません。
 欠陥商品を出してしまってすっかり信用を失ってしまった企業が、躍起となって新商品を開発して、一旦失った信用を取り戻すと言うことがまれにあります。これは面目一新することになり、別の四字熟語では「名誉挽回(めいよばんかい)」というのもあります。「名誉挽回」と同じような意味で「汚名返上(おめいへんじょう)」があります。この二つを混同して「汚名挽回」と誤解している人がいますが、「汚された名」は、返したいので「返上」が正しいのです。
 ちなみに枕草子に「かばかり面目なることなかりき」では、「面目」を「めいぼく」と読むのだと祖母に教えられたことを思い出します。
 日本語は難しいですね。その難しい言語を母国語にして使いこなせる、言葉の達人である日本人が、なぜ英語に弱いのでしょうか?
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-08 緊褌一番 - カレーのCoCo壱番屋 気持ちを引き締めて挑戦する

2024-10-05 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-08 緊褌一番 - カレーのCoCo壱番屋 気持ちを引き締めて挑戦する        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-08 緊褌一番 - カレーのCoCo壱番屋
       ~ 気持ちを引き締めて挑戦する ~



 これまでなら「褌(ふんどし)」の話など、女性のいる前では御法度でした。ところが近年、女性用の褌が販売されているというニュースを見ました。締め付け観が少ないこともあり、カラフルで、女性らしいものが出回ってきているようです。
「緊褌一番(きんこんいちばん)」の「緊褌」に含まれる「褌」という漢字は、「ふんどし」のことで、いまさら言うまでもなく「下帯」とも言います。「緊」は緊張というような熟語を構成したりしますが、「差し迫る」「引き締める」という意味です。従って「緊褌」というのは「褌を引き締める」ということになります。
 企業においてだけではなく、日常生活でも新たなことを開始するときなどに「褌の紐を締め直して取り組む」というような表現を使います。ちょっと用途は異なりますが「勝って兜の緒を締めよ」ということにもその精神は繋がっていると考えます。
「緊褌一番」は「気持ちを引き締めて、何かに挑戦する」というような時に使われます。「緊褌一番」の「一番」は、「ここ一番」などという言い方がありますように、身近な言葉にも繋がっています。「乾坤一擲(けんこんいってき)」の「乾坤」は、それぞれ「天」と「地」のことです。「一擲」は、ハンマー投げなどのスポーツを「投擲」と言いますが、「擲」は投げることです。「投げるときになったら、天地に前例をかける」ということから「運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負をする」という時の「ここ一番」という時の表現です。
「ここ一番」というと「CoCo壱番屋」を連想する人も多いのではないでしょうか。CoCo壱番屋は、本社が愛知県にある株式会社壱番屋が運営する日本のカレー専門店チェーンの最大手です。しかし、ハウス食品の関連会社であることは意外と知られていません。
 フランチャイズ展開をしていますが、日本各地だけではなく海外展開にも積極的です。中国での成功例がテレビでも放映されたことをご記憶の方もいるでしょう。もちろん店名の「CoCo壱番屋」というのは「カレーならココが一番や!」から来ていることは容易に推測できます。
 単品ビジネスは景気の影響を受けやすく経営が難しいと言われる中で、CoCo壱番屋の成功要因は何でしょうか?
 カレーの辛さは、人により好みがちがいます。カレーの量やご飯の量も選択でき、トッピングも選べるため、カレーという単品でありながら30種類以上の定番メニューがあり、期間限定で特別メニューが提供されることもあります。
 カレーを連想させる見つけやすい色使いの看板と店舗立地、入りやすい店舗レイアウトなども上記の特徴を側面支援しています。身近なお店にも、ちょっとした工夫を見つけることができ、それをヒントにしている人も多いのではないでしょうか。
 一般的には、単品ビジネスであると景気の変動に左右されがちであると言われています。ところが、カゴメという会社の例を見ますと、単品であること、すなわちコアコンピタンスを明確にすることは、ビジネスの成功に繋がりやすいことを証明しています。
 カゴメは、バブルの時代に、トマトケチャップやトマトジュースという、同社の定番商品だけに頼っていては成長に限界があると考えました。そこで事業の多角化戦略を取り入れて「総合食品メーカー」を目指しました。
 その実現のために消費者ニーズの多様化に添った加工食品を中心に品揃えを豊富にしました。輸入食材も強化し、日本人の食文化の国際化に対応することにも力を注ぎました。その戦略名も「SKY計画」と大空に羽ばたく戦略でした。
 その結果、売上高は天井知らずとはいえませんが大きく伸びました。「大きいことは良いことだ」という時代であればそれでよしと経営者は判断したかもしれません。ところが、総合食品メーカーと「トマトのカゴメ」という企業イメージはあい入れず次第に「トマト」のイメージが薄まるにつれ、顧客に「カゴメ」という会社の見方が変化して来ました。良い方向に進むと考えていた経営陣の期待に反し、収益性、利益率という面では悪い方向に向かってしまったのです。
 今日では緊褌一番「農業食品メーカー」としてのイメージ回帰に成功し、カゴメらしさを取り戻してきているように見えます。
 企業経営は、業績が順調なときほど、自社の経営を厳しく見つめ直すべきと言われます。厳しく”観る”ことにより、それまでは気がつかなかった面まで目が届くようになり、その改善や対策のために次の手を打つことができます。さらに次の飛躍のための新製品や、新しい柱となる商品開発を行う契機ともなります。
 上述のカゴメのように、自社のドメインを見つめ直し、その中で新たな戦略を実践していくときに、注意すべき点をカゴメから学ぶことができます。新規事業を企画するときには、「企業イメージを壊さない、ぼやかさない、反さない」ということに注意し、やると決めたら緊褌一番、兜や褌の紐を締めて、全力で取り組むべきでしょう。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-07 侃侃諤諤 三人寄れば文殊の知恵 信ずることを遠慮せずに堂々と議論を闘わせる

2024-09-28 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-07 侃侃諤諤 三人寄れば文殊の知恵 信ずることを遠慮せずに堂々と議論を闘わせる        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-07 侃侃諤諤 三人寄れば文殊の知恵
       ~ 信ずることを遠慮せずに堂々と議論を闘わせる ~


 論理思考を行う方法の一環として、発散思考という方法があります。経験や知識・能力の異なる社員が集まって意見を交換することにより、新しい発想が生まれてくる可能性が高まります。会議が多すぎるのも問題ですが、企業における会議というのは、社員が持つ智恵を結集して、それを活用することで企業経営を円滑に、発展的に行う経営の基本です。
 それを四字熟語で表すと「侃侃諤諤(かんかんがくがく」となります。「侃(かん)」は、剛直なこととか気質が強くて心の正しいことを表します。「諤(がく)」は遠慮することなく、はっきり言うという意味です。すなわち「侃侃諤諤」というのは、「侃々諤々」とも書きますが、「正しいと信ずることを遠慮せずに堂々と発言し、議論を闘わせる」ということになります。
「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」という同じ意味の言葉もあります。ときどき「喧喧諤諤」と、二つの四字熟語をクロスして誤用している人を見かけますが、注意してください。

 ところで何かトラブルが発生したりしたときに、その原因究明で議論を闘わせることはありませんか?
 そのようなときに、何が原因なのか、考えられる事項をすべて洗い出する手法として、ブレインストーミングに代表されます、発散思考がしばしば用いられます。発散思考というのは、「議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)」、すなわち「様々な意見が出されて、議論が沸騰する」ということで、いろいろな意見やアイディア等を出していく方法です。「議論沸騰(ぎろんふっとう)」という類似四字熟語もあります。また「いろいろな意見や憶測が飛び交い、収拾がつかない」という意味で「諸説紛紛(しょせつふんぷん)」もあります。
「満場一致(まんじょういっち)」の方向に建設的な意見で沸騰し、会議がまとまる方向にあれば良いのですが、「甲論乙駁(こうろんおつばく)」では収拾がつきません。甲が意見を言いますと、乙が反駁(はんばく)するというように「お互いが意見を主張しあい、意見がまとまらない」ことを言います。
 ましてや「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」、派閥間の争いとなりますと骨肉の争いが演じられることになります。孫子に出てきます四字熟語ですが、中国の春秋時代に呉と越が互いに争っていました。「呉と越は宿敵同士でしばしば戦いを繰り広げたが、その憎しみ合っている両国の人が、同じ舟に乗って川を渡るときに大風が吹いて舟が覆りそうになれば、普段の恨みも忘れて互いに助けあうだろう(新明解四字熟語辞典)」というたとえの故事に由来しています。
 このことから「仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること。本来は、仲の悪い者同士でも同じ災難や利害が一致すれば、協力したり助け合ったりする(新明解四字熟語辞典)」ということです。

 いろいろな意見で沸騰するということでは、似たような状況を表すのに「百家争鳴(ひゃっかめいそう)」という言葉があります。「百家」の「家」は「逸物(いちもつ)ある人」、すなわち一般的には学者を指しますので、「百家」は、「たくさんの学者」という意味です。「争鳴(そうめい)」は、「争うように鳴く」ということから「議論を闘わせる」という意味で使われます。
 従いまして、「百家争鳴」は、「たくさんの学者や文化人が、何の縛りもなく自由に論争する」ことを指します。似たような表現の「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」は、「いろいろの花が咲き乱れる」ことをさしますが、転じて、「優秀な人材が多く出て、優秀な業績に至る」という意味で使われます。「百家争鳴」と同じような意味で用いられる四字熟語ですが、「千紫万紅(せんしばんこう)」「百花斉放(ひゃっかせいほう)」も類語と言えましょう。
 会議では、様々な立場の人達が、自説を自由に発言できることが好ましいことです。ところが、中小企業にときどき見られる会議というのは、社長などのお偉いさんの独演場で、参加者が意見を言うことはほとんどないのです。会議ではなく、演説の場になってしまっています。
 このような状況の時に「気炎万丈(きえんばんじょう)」という四字熟語が使われます。「気炎」は「さかんな炎」です。「万丈」の「万」は、多いことや大きいことを指します。「丈」は「たけ」すなわち高さですので「万丈」はすごい高さまでという意味になります。従いまして「気炎万丈」は、「さかんな炎が、たけ高く上がるほどの彷彿として議論」という意味です。
「気炎万丈」は、時にはよいのですが、会議の進行を妨げるのも困りものです。蛙や蝉ががやがや鳴くがごとく「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)」ともいいますが、議長無視の会議でもいけません。
 因みに「気炎万丈」の「気炎」は「気焔」という漢字を当てることもあり、「他の人を圧倒するほど意気盛ん」な状態を表し、「活発に議論する」ことです。「蛙鳴蝉噪」は、「蛙鳴雀噪(あめいじゃくそう)」ともいいます。北総の詩人蘇軾の詩に出てくるのですが、蛙や蝉がやかましく鳴き騒ぐ様子から、百家争鳴のように素晴らしい議論で白熱するというよりは、むしろ議題とは無関係であったり、役に立たない議論が続いたり、発言があれやこれやと乱舞することを指します。時には、内容の薄い文章に例えることもあります。

 現実からかけ離れていて、役に立ちそうもない理論や考えであります「空理空論(くうりくうろん)」に振り回されてしまうこともしばしばあります。「空理」「空論」ともに実際には役に立たない理論や考えという意味で、同じ意味の言葉を重ねて意味を強めた用法です。
 同様に、時間の浪費に繋がる会議が「愚問愚答(ぐもんぐとう)」です。愚にも付かない質問が出されたり、馬鹿げた回答がなされたりという状況です。「空中楼閣(くうちゅうろうかく)」という、もともとは蜃気楼を指す言葉が転じて、根拠や現実性に乏しくむなしい事柄を指す四字熟語もあります。その類例として「空中楼台(くうちゅうろうだい)」「砂上楼閣(さじょうろうかく)」という言葉もあり、類似した意味で使われます。


 会議というのは「会して議する」ところです。会議は、議題により「決議事項」「討議事項」「報告事項」に分類し、できるかぎり「報告事項」は文書で済ませるようにしたいですね。「決議事項」は「討議事項」は、事前に関係者に議題を通知し、それに基づき準備をした上で会議に臨み、意見を戦わせます。決議事項の場合には、議事録に決議内容を記し、その後進捗管理をどの様にするかを明確にしておき、次回の会議の時までに、それを確認しておくことも必要です。
 会議の成功には、事前準備も必要ですし、議長のリーダーシップも成功には大きく影響します。蛙鳴蝉噪になって議題から外れてしまったら議論の方向修正が必要です。空理空論や愚問愚答が頻発するようでしたら、会議のあり方に関する教育も必要かもしれません。
 最近は、立ったまま会議を行うなど、会議のやり方も変化しつつあります。会議という簡単なことのように思えることでも、企業内で「自社の常識は他社の非常識」という状況にないかと言うことを振り返ることも必要ではないでしょうか。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-06 孤立無援 一人の力には限界がある 他に頼れる助けてくれる人がいない

2024-09-21 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-06 孤立無援    一人の力には限界がある 他に頼れる助けてくれる人がいない        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-06 孤立無援    一人の力には限界がある
       ~ 他に頼れる助けてくれる人がいない ~


 私事になりますが、会社勤務を辞め、経営コンサルタントとして独立起業して、名刺を作った時のことです。名刺を見ながら「さあ、これから自分のやりたい夢を実現するぞ~」と自分自身に言い聞かせました。クライアントが一社もありませんでしたので、クライアント開拓から始めなければならなかったのです。
 電話でアポイントを取って、訪問し、自分が支援すれば会社は良くなる旨を得々と伝えるつもりでいました。会社勤務時代には、考えてみたこともありませんが、アポイントが取れないのです。アポイントが取れなければ、経営コンサルタントとしての自分の価値を訴えるすべがありません。会社勤務時代には、「会社と言う看板」があればこそ仕事をすることができたのてあったのです。誰もが容易にアポを取れるわKではないことを思い知らされました。
 経営コンサルタントを始め、士業といわれる経営の専門家は、一人で仕事をすることが多いです。例えば経営コンサルタントの多くが独立経営コンサルタントと呼ばれ、成功・不成功は別として、一人で仕事をしている自営業者のひとりに過ぎないのです。そのために、自分自身で何から何までやらなければなりません。時として、責任の大きさに押しつぶされそうになり、そのようなとき、「孤立無援(こりつむえん)」ということを痛感することがあります。
 ご存知のように孤立無援というのは、「自分一人で他に頼ることができなかったり、助けてくれる人がいなかったりという状態」のことです。
 経営コンサルタントは、家族の支援がないとなかなかやってゆけません。それが奥さんであったり、両親であったり、ときには子供であるかもしれません。経営コンサルタントの中には、独身で、一人で生活をしている人もあります。そのために孤立無援感を味あうことが多いかもしれません。
 昨今のように、経営の高度化が進むと経営コンサルタントに対するニーズも高度化してきます。一人の経営コンサルタントがすべての分野の問題に対応することが難しくなってきました。するとここでも益々孤立無権感を味わうことになりかねません。
 そのようなときに助けになるのが仲間です。ところが信頼できる仲間を捜すことは大変難しいでしょう。「肝胆相照(かんたんそうしょう)」は、人間の信頼関係を考える四字熟語です。「肝胆」は、「肝臓と胆嚢」のことですが、転じて「心」という意味です。「相照」は、「お互いに相照らす」ことですので、「肝胆相照」は「お互いに腹の内をすべてさらけ出し、親しくつきあう」という意味です。その逆が「虚虚実実(きょきょじつじつ)」で、「うそと真を織り交ぜた腹の探り合い」ですが、これが転じて「お互いに相手の策謀を知り尽くして闘う」という意味で用いられます。
「肝胆相照」の交際ができる親友のことを「管鮑之交(かんぽうのまじわり)」といいます。中国・春秋時代、斉に管仲と鮑叔牙(ほうしゅくが)という男が、大変仲良いことからこの四字熟語ができました。同様な意味で「刎頸之友(ふんけいのとも)」「刎頸之交(ふんけいのまじわり)」があります。史記に出てきますが、「友人のためなら、たとえ、くびを斬られても後悔しないほどの真実の交友。生死を共にする親しい交際(広辞苑第六版)」という意味です。「水魚之交(すいぎょのまじわり)」も「水と魚の関係のように強く切れない関係」から、同じような意味で使われます。
「真の」という意味で「正真正銘(しょうしんしょうめい)」とう四字熟語がしばしば使われます。「正真」は「ホンモノである」、「正銘」は「由緒正しい名前で呼ばれる」ということから「嘘偽りがない、ホンモノ」という意味です。
 私は、経営コンサルタントとして独立起業したときに、経営コンサルタントの団体に所属していました。経営コンサルタントとして、西も東も解らない時に、先輩コンサルタントからのアドバイスを得ることができました。いろいろな先輩会員がいますので、仲間を捜すことが容易でした。費用はかかりますが、高度な仕事をやりこなすには一人では無理です。仲間とともに仕事をすることの大切さを、無言のうちに教えられました。
 この経営コンサルタント団体では、別項でも記述ていますように「共業・共用・共育」という、奇妙な言葉を使っています。仲間とともに仕事をしながら、ノウハウを共用し合い、ともに育っていこうという考え方です。この行動指針に勇気づけられた人は多いと思います。
 人は、一人では生きて行けないでしょう。個人と個人が緩やかな関わり合いで繋がっているときには余り問題がなくても、他人と共に生きてゆくには、それなりの生き方があります。組織としての結団力が強くなればなるほど、リーダーシップをとれる人が求められます。リーダーの下で働く人が動きやすく条件を整えて、「集団=組織」として活動することにより「1+1」が「2以上」になるような組織になります。
 そのために役割分担をし、各自が自分の責任をまっとうできるようにリーダーが采配を振るいます。しかし、人間というのは、時には病気をしたり、怪我をしたりして働けなくなることがあります。その人が担当する顧客から電話があったときに「本日は、お休みをいただいていますので、出社しましたら対応させます」というお茶を濁すようなやり方で済ませて良いのでしょうか。たとえ、一人欠けても、何らかの方法で欠落したパワーを穴埋めできるのが「組織で動く」ということです。
 企業におきましても、例えば営業パーソンは、受注を首尾良くとれても、仕入や製造部門との連携がうまくいかなければ、発送して、売上に結びつけることはできません。この連携がうまくいけば、顧客に約束した納期より早く収めることができて、高い評価に繋がるかもしれません。
 社会というのは、独立した個の集団です。一人では生きて行けませんので、他の人と良好な関係をいかに作り、保ち、発展させるかが求められます。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-05 合従連衡 経営の高度化に立ち向かう 強敵に立ち向かうための連合戦略

2024-09-14 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-05 合従連衡 経営の高度化に立ち向かう 強敵に立ち向かうための連合戦略        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-05 合従連衡 経営の高度化に立ち向かう
       ~ 強敵に立ち向かうための連合戦略 ~


 「従」という字は「縦」、「衡」は「横」という意味で、各々が「南北」と「東西」を表します。「合従連衡(がっしょうれんこう)」というのは、「南北に合流し、東西に連携を図る」ことの意です。このことから「強敵に立ち向かうための戦略」を指します。類語に「合従連横(がっしょうれんおう)」という言葉がありますが、ほぼ同意と考えて良いようです。
 「野党が合従連衡」などと表現しますが、「巧みな謀を巡らした外交政策」という意味でしばしば使われています。もともとは、史記に掲載されている中国の戦国時代の戦略から来ています。
 南北に6カ国が連合したのですが、それを「合従」と呼びました。ところがその合従が破綻すると東西に6カ国が連合し、それを「連衡の策」と呼んだことからあわせて「合従連衡」となりました。
 今日、経営環境は非常に厳しさを増しています。そのために経営も高度化を余儀なくされてきたことから、一人の経営者だけでは、あるいは経営コンサルタント単独では、全ての問題に立ち向かうことが難しくなってきました。
 かつては、一人の経営コンサルタントで全てのコンサルティングをできるようになってはじめて一人前と言われました。ところが全てに対応できるような間口の広いコンサルティングでは、複雑化し、高度化した昨今の経営環境下では、企業が抱える問題を解決することが困難なのです。
 少々宣伝ぽくなってしまいますが、私が所属します経営コンサルタント団体では別項でも述べていますが、「共業・共用・共育」という言葉を掲げています。経営コンサルタント同士が切磋琢磨し(共育)、ノウハウを蓄積してそれを相互で利用し合い(共用)、さらにそれを利用して共にコンサルティング業務に取り組む(共業)というユニークな発想でいます。
 そのために同協会は「士業の異業種交流会」とも呼ばれます。同協会に相談をかけると最適なコンサルタント(チーム)を受けられます。一つの声かけで、複数の専門コンサルタントが難問解決に取り組んでくれます。「ワンストップ・コンサルティング」を提供をする日本最初の経営コンサルタント団体なのです。
 企業経営面で見ましても、一つの企業でありながら、部門間の対立をしている状況を時々見ることがあります。社内でムダなエネルギーを使うよりは、まずは社内で合従連衡して、そのエネルギーを対外的に利用した方がロスが少なくて、効率よい経営展開をすることができます。
 合従連衡と関連して「遠交近攻(えんこうきんこう)」という四字熟語がしばしば上げられます。「遠交」とは遠くの国と親しく交わることをいい、「近攻」とは、近隣の国とは敵対して攻め入るという外交政策です。中国の戦国時代、秦の范雎(はんしょ)が王に進言した戦略で、どこかの国の政策みたいですね。
 経営でも地域戦略とか代理店戦略で、どの地域とか代理店を重点化して経営資源を重点配分するかを検討することがあります。中小企業ですと、日本全国をきめ細かく営業展開するのでは、経営資源が分散してしまうことから効率が悪いことがあります。「遠交」として、遠地では代理店と提携して営業展開をし、「近攻」すなわち自社の近くは、自社の営業パーソンが直接営業展開をするというような経営戦略も考えられます。
 類似四字熟語に「共存共栄(きょうぞんきょうえい)」というのがあります。互いに助け合って行き、共に栄えるということです。「共存(きょうぞん)」の「存」は、「そん」と読むこともあります。「共生」という言葉にも通じ、お互いに良い面を活かしあい、弱点を補強するために補完し合うことで「共栄」に繋げることができます。「ウィン・ウィンの関係」という言葉にも通ずるのではないでしょうか。
 この言葉の反対の意味を持つのが「弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)」「優勝劣敗(ゆうしょうれっぱい)」で、生存競争の厳しさを表すときに用いられます。弱い動物の肉を強い動物が食べる、ということから、弱者が強者に潰されてしまう状況を挿します。世の中では、時々「正者悪食(しょうしゃあくしょく)」という状況に出くわすことがあります。まじめな人が滅んだり、損をしたりして、そうでない人に有利なことが起こってしまったり、「正直者が馬鹿を見る」ということになってしまったりすることです。同様に、正論を唱える人の声より、ねじ曲げられた考えを持つ、声の大きな人がのさばることもあります。
「奸佞邪知(かんねいじゃち)」の「奸佞」は「心がねじれ、悪質である」、「邪智」は、「ねじ曲がった知恵」ということで、「ひねくれて、悪知恵が働く」ことをさします。このような世の中にはしたくないですね。
 因みに、論語で孔子は「益者三友(えきしゃさんゆう)」という友達を持つための三原則を述べています。「付き合いをするのに有益な友人というのは、正直な人、誠実な人、知識があって賢明な人」と言っています。徒然草の中で、吉田兼好は「良い友達には三種類ある。物をくれる人、医師、賢い人」をあげています。
「益者三友」の反意語として「損者三友(そんじゃさんゆう)」という四字熟語があります。兼好は、友達にふさわしくない人とには、七種類あるとあげています。「①身分が高く住む世界が違う人、②青二才、③病気をせず丈夫な人、④飲んだくれ、⑤血の気が多く戦闘的な人、⑥嘘つき、⑦欲張り(四字熟語辞典)」だそうです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-04 南船北馬 点から線へ仕事が繋がる 処々を忙しく旅する

2024-09-07 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-04 南船北馬 点から線へ仕事が繋がる 処々を忙しく旅する   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-04 南船北馬    点から線へ仕事が繋がる
 ~ 処々を忙しく旅する ~



 12月の和名は「師走」といいます。師走の語源は定かでないようですが、お坊さんが、忙しく走り回る、すなわち「師馳せる」から来ているという説が有力です。しかし、それがなぜ12月なのかとは結びつきません。
 「南船北馬(なんせんほくば)」というのは、淮南子に出てきます。南に船で行ったかと思いますと、次は北へ馬で向かうことから、「あちらこちらを忙しく旅する」ことを言います。東奔西走と同じような意味と考えられます。
 われわれ経営コンサルタントも、クライアント・顧問先のところへ赴かないと仕事にならないことが多く、日本全国を飛び回ります。面で活動できるほどクライアント・顧問先を持つことは困難ですので、点と点の活動にならざるを得ません。できれば点と線にしたいと考え、クライアント・顧問先とのスケジュール調整をしたりします。しかし双方のスケジュールを合わせることの大変さから考えますと、強引に点を線にするというようなやりかたも善し悪しです。
 私が経営コンサルタントとして独立してまもなくの頃、クライアント・顧問先が、上諏訪と松本にありました。毎月第○△曜日という決め方をしていましたので、前日上諏訪で仕事をし、その日のうちに松本に移動し、翌日は松本で仕事をしてから帰宅をするということが続きました。
 スケジュールが、順調に運んでいる間は、このやり方は、多少疲労度は高いものの時間効率が良く、少ない時間で、多くの仕事をこなすことに繋がりました。ところが、移動手段であります特急が故障や事故で遅延したり、クライアント・顧問先の都合で時間や日にちの変更があったりしますと、とたんにスケジュールが乱れてしまいます。
 点と線の仕事ですので、観光をするゆとりもない日々でしたが、お陰さまで収入は安定し、自分でも驚くほどに毎月大きな金額がボンボンと入り、本当にこれでいいのだろうかと逆に心配にもなりました。取引銀行の支店長がわが家に挨拶に来る程でした。しかし、ボロ屋に住んでいるのにも関わらず、定期的に大きな入金があるこの男は本当に信用できるのだろうかという思いをさせたのではないでしょうか。
 近年、経営コンサルタントとして独立起業される方も多いのですが、なかなか仕事にありつけず大変なようです。当時の私は運が良く、顧問先が顧問先を紹介してくださり、いつしか仲間とともに仕事をするようになりました。
 その仲間の仕事の手伝いをすることも多く、ようやく南船北馬、東奔西走という意味が分かりました。経営コンサルタントは、専門性の高い仲間と仕事をしますと、高度なサービスをクライアント・顧問先に提供でき、それが信用に繋がります。
 経営コンサルタントとして独立起業を考えている人、すでに独立起業しているがうまくいっていない先生方に、専門分野の異なる仲間との協業を考えてはどうかとい提案をするうようにしています。
 一般企業でも、とりわけ中小企業では、一社だけでは経営資源が不足してしまいます。かといって、補完関係にある知り合いの会社との合併というのはなかなか難しそうです。かつて、異業種交流会というのが流行しましたが、その方式を再考してみれば活路が拓けるかもしれません。
 大阪の中小企業が集まって「まいど1号」という人工衛星を打ち上げました。単一の企業ではできないことでも、それぞれの専門性を活かせば、中小企業でもこのように夢を実現できるのです。
 これに刺激された東京都板橋区の中小企業数社が、小型な深海探査機を開発して話題になりました。深海探査というのは人工衛星と同様に莫大な費用がかかります。ところが小型な深海探査機であれば、小さな舟でも運べて、レジャーボートに載せて目的の場所に行ってこれを沈めれば目的を達せます。
 ここで使われている技術そのものは、直接ビジネスに繋がらないかもしれませんが、技術の高さや社長達のアイディアの新規性が評価されビジネスに繋がる可能性がでてきます。夢を追いかけながら、ビジネスチャンス拡大に繋がるのであればやってみたいですね。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-03 機略縦横 難しい経営理論は有益か? 臨機応変に、自在に適切な策略を巡らす

2024-08-31 00:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-03 機略縦横    難しい経営理論は有益か? 臨機応変に、自在に適切な策略を巡らす   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-03 機略縦横    難しい経営理論は有益か?
       ~ 臨機応変に、自在に適切な策略を巡らす ~


「機略縦横(きりゃくじゅうおう)」の「機略」という前半の「機」は、「機を見る」ということから「タイミングを計る」という意味です。「略」は、「計略」「戦略」などという熟語にも用いられますように「はかりごと」という意味で、「機略」は、「臨機応変な計略、策略」という意味です。
「縦横」は「たてとよこ」ということから、英語で言いますと「フレキシビリティ」という言葉に相当します。「自由自在(じゆうじざい)」とか「勝手気まま」、という意味にも使えます。
 少々脱線しますが、「城孤社鼠(じょうこしゃそ)」というのは、城に住んでいる狐、神社に巣くう鼠のように、あまり人間が手を出せないような安全地帯に身を置き、自由自在に振る舞うということから「権力者の陰に隠れて悪事をするもの」という意味です。中には、虎の威を借る狐のように権力者を背景に、勝手気ままなことをする上司もいます。

 機略縦横は「状況に応じて、臨機応変に、自在に適切な策略を巡らすこと」を意味します。「自由自在」は、「自分の思い通りに行動する」ことを指し、「縦横無尽(じゅうおうむじん)」「縦横自在(じゅうおうじざい)」「縦横無碍(じゅうおうむげ)」も同じような意味です。
 関連語として別項にありますように「臨機応変」とか「合従連衡」という言葉もあります。また、「機知縦横」という言葉もあります。「機知」「機智」は「その時その場合に応じて働く才知。人の意表に出る鋭い知恵。ウイット(広辞苑)」という意味で「機知に富む」というような使われ方をします。

 広辞苑第六版によりますと、「縦横」に関連する言葉として、四字熟語を含み、下記が紹介されています。
 【縦横家】 中国戦国時代、諸子百家の一つ
 【縦横無隅(じゅうおうむぐう)】四方八方
 【縦横無礙(じゅうおうむがい)】どの方面にも妨げになるもののないこと
 【縦横無尽(じゅうおうむじん)】どの方面にも限りがないこと
 【縦横沙汰(じゅうおうさた)】いろいろの取り沙汰

「機略縦横」の反対が「頑冥固陋(がんめいころう)」です。「頑冥」は、「頑固で、ものの道理をわきまえない」、「固陋」は「頑固で見識が狭い」という、両者同じような意味の言葉で、それを重ねて用いることで、意味を強調する四字熟語です。すなわち「頑迷固陋」とは「頑固で、ものの道理も解らず、ものごとを正確に捉えて判断する能力がない」という意味で用いられます。
 また同様に反意語として「四角四面(しかくしめん)」があります。もともとは「四つの角も四つの辺もみな同じ正方形、真四角」ということから来ています。「大変まじめ」なことから「まじめの度が過ぎてしまって融通が利かない」というニュアンスで用いられます。

 経営環境は、日々変化をしています。従いまして「経営のポイントは、時代を先読みして、臨機応変に対応する」ことではないかと考えています。その変化に対応しようと経営者・管理職は、情報収集に血眼になり、必死に考え、それを実行しようとします。その対応策の一環として、「一所懸命」に勉強をする経営者・管理職が多く見られます。難しい経営理論は、彼らの重要テーマの一つです。
 経営には、いろいろな理論がありますが、だからといってその理論をすべて採用すれば超優良企業、エクセレントカンパニーになれるというわけではありません。いろいろな理論を全て実行すれば完全な経営ができ、企業が成長するという経営におけます「王道」はないと言っても良いでしょう。残念ながら、世の中というのは「遺憾千万(いかんせんばん)」、「思い通りに行かず、残念なことが多く、心残りになりがち」です。
 情報が氾濫している昨今、いろいろな経営理論を、とっかえひっかえ試してみる企業がいますが、中途半端な取り組みに終わってしまいがちです。また「どの経営理論もダメだ」と頭から諦めてしまっている経営者も多いと思います。
 自分の会社にぴったりとマッチした経営理論でないと「隔靴掻痒(かっかそうよう)」、気持ちが悪いと言いますか、効果が今ひとつ出てきません。「靴を隔てて、痒きを掻く」と訓読みしますように、靴の上から痒いところを掻くのでは痒みはとれません。「隔靴掻痒」は、「歯がゆくじれったい」と言うことを表現するときに用います。同じような意味で「隔靴爬痒(かっかはよう)」と言います。「爬」は訓読みで「かく」と読み「掻」と同じ意味です。
 中には、「羮(なます)に懲(こ)りて膾(あつもの)を吹く」というような経営者も出て、「経営理論なんて、どれも理屈の世界であって、現実の世界にはそぐわない」と自分勝手な解釈をしてしまう人もいます。
 どのような理論でも、徹底して実行すれば何らかの成果が上がると信じています。徹底的に使いこなすことを充分にやりもしないで、「ダメだ」と決めつけることがうまくいかない原因となっていることが多いのです。

 経営理論というのは、大学の先生等の研究者や、実務経験豊かな人達が作り上げていることが多いのです。それぞれが立派な方達ですから、その人達が作り上げた考えに基づいた理論ですので、全てがダメだと言い切れるかどうかはわかりません。しかし、それなりの根拠のある理論として評価できるものが多いのではないでしょうか。
「理論」というものは、何かの基本となることです。基本を踏まえた上で、応用を行うのと、自己流で何かをなすのとでは、結果として大差が出ることがあります。
 ゴルフスィングの基本は、物理の力学に則って、クラブヘッドの最大スピードの時に、ボールに対して直角にクラブフェースを当てることが基本です。ところが、プロゴルファーの多くは、必ずしもこの理論に則ったフォームでゴルフをしているわけではありません。
 上述の理論をベースにして、自分独自の方法を編みだして、ゴルフを行っています。例えば、往年のプロゴルファーで、アーノルド・パーマーという人がいました。彼のスイングは、腰が回ってしまい、標準的なスィング理論から外れ、見た目にもあまり美しいフォームをしたスィングとはいえません。しかし、ずば抜けた成績を修めましたプロゴルファーのひとりです。彼のスィングは、おそらく基礎的な理論に則った上で、改良したスィングなのでしょう。
 このように、応用は、基礎理論の上にあってこそ、成功に繋がるのです。経営理論も、自己流ではなく、基礎理論を基に、自社にマッチしたやり方にカスタマイズできると成功の可能性が高くなります。
 スポーツ用品メーカーが、理論的に完璧で、高価なゴルフクラブを使っても、それが万人にマッチするわけではないように、経営理論もどの会社にも当てはまるとは限りません。採用しようとしている経営理論が、自社の現況にあった方法を選んでいるかどうかについても見直す必要があります。
 既製服のような経営理論は、なかなか自社の状況に合わないものです。自社の状況にカスタマイズして利用することも一つの方法です。ただし、カスタマイズを自分の都合の良いように解釈して行っては、生兵法はけがのもとになることを忘れないでください。自社の元凶をキチンと考慮に入れない中途半端な形で経営理論を取り入れ、中途半端な形でそれを実行に移すと失敗に帰したり、効果が出なかったりという結果になりがちです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-02 新規参入 強固な意志と挑戦 昔の状態のままで、進歩や前進のない様子

2024-08-24 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-02 新規参入 強固な意志と挑戦 昔の状態のままで、進歩や前進のない様子   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-02 新規参入    強固な意志と挑戦
       ~ 昔の状態のままで、進歩や前進のない様子 ~


 停滞している企業にしばしば見受けられるのが「旧態依然(きゅうたいいぜん)」とした経営の あり方です。この四字熟語は、説明をするまでもなく「昔の状態のままで、進歩や前進のない様子」をいいます。「十年一日(じゅうねんいちじつ)」ともいいます。
 他項でも記述していますが、経営環境は、「日進月歩」、「秒進分歩」の状態で変化しています。単なる変化だけではなく、質のレベルも変化しています。すなわち企業経営の困難度が高まり、経営に高度な判断力が求められます。そのような時代に「春日遅々(しゅんじつちち)」な人もいます。長い冬からあけて春は日が長く、また日の暮れるのも遅いということから「春の喉かで麗らかな日」を指します。「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」も似たような表現で、「ある風がそよそよと穏やかに吹く」春景色を形容する票田で「穏やかでのんびりした人柄」を指すこともあります。このような生活をしてみたいと思いますが、別項にあります「悠悠自適」のできる世代以外では、現代ではそのような贅沢ができる人は少ないでしょう。

 GDPがマイナス成長をしている時代には、「現状維持(げんじょういじ)」は、絶対的には成長していなくても、相対的に見ますと、世の中全体的が落ち込んでゆきますので、そのような会社は、一見すると成長しているように見えます。一方、GDPが伸びている時代においては、現状維持というのは、他社が成長していますのに、自社では縮小していますでは、地位の低下を来していることになります。
 停滞している企業においては、昔の暖簾にしがみつき、過去の栄光を懐かしんでいる状況をしばしば見かけます。発想においても、過去の延長線上での発想が基本です。「斬新奇抜(ざんしんきばつ)」で新規性ある提案もなく、逆に新しいことへの挑戦的な提案がありますと、「誰も経験したことがないようなリスクを負うわけにはいかない」などと石橋をたたいても渡らない企業があります。そのような人を「萎靡沈滞(いびちんたい)」と言います。「萎靡」は草木がしおれることを言います。世の中に人々が新しいものを求めるという活気を失い、進歩や発展する動向にない賃貸した状態を指します。ちなみに「斬新奇抜」の「斬新」は、「新規性のある」「創造的な」「ユニークな」ということで、「発想の斬新性」を、「奇抜」は「奇妙な程抜きんでて異なる」ことです。このことから「大変ユニークで、想定外の違いのある」という意味で用いられます。
 反意的用法として「活溌溌地(かっぱつはっち)」という四字熟語があります。「溌」は水がこぼれることを指し、元来は、魚が元気に水もから跳ね上がって水しぶきを上げることをいいます。このことから「活溌溌地」は「元気な魚が跳ねるように勢いが良い」様子を指します。
 大企業では、多少の努力や投資をしたくらいでは焼け石に水で、新規事業が、企業に大きく貢献することは希なくらいです。ところが、中小企業におきましては、ちょっとしたアドバイスやアイディアを契機に大きく成長することがあります。基礎となる数値が小さいことから、伸び率に対する影響度は高いのです。
 いわゆる「急転直下(きゅうてんちょっか)」という状態で、企業業績が良くなることがあるのです。急転直下というのは「状況の変化で、おかれている事態が大きく変化する様」をいいます。良い方向に問題や課題が解決したり、良い結果を生んだりしたときに用いられる表現です。
 中小企業の場合には、大きな市場よりは、むしろ小さな市場でオンリーワンとして成功することが多いようです。いわゆる「ニッチ市場」への新規参入です。これまで蓄積してきました技術を活かして新たな顧客層に入り込むこともあります。既存の顧客に、従来とは異なる商品・サービスを提供することで成功することもあります。
 「新規参入(しんきさんにゅう)」という言葉は、四字熟語として取り上げるまでもなく広く知られた表現です。自社が新規参入をする場合とは逆に、これまで他業界の企業と思っていた会社がライバルとして新たに新規参入してくることもあります。そのために、企業は、3C分析を定期的に行う必要性があります。「3C」とは、Company(自社)、 Customer(顧客)、Competitor(競合)という三つの英単語の頭文字から命名されましたマーケティングでしばしば使われる分析手法であり、戦略立案ツールの一つでもあります。
 自社が新しくマーケティング戦略を検討するときに、どの様なマーケティング戦略をとるべきかを検討する目的で「ABCDセグメント市場戦略分析」がしばしば用いられます。



 マーケティング戦略を検討するときには、企業ではまず、現状維持のまま、いかに収益改善をはかるかの方向性を出すことをすべきでしょう。それにより足元固めができます。これを「深耕戦略(しんこうせんりゃく)」と言われます。すなわち、ABCDセグメント市場戦略分析表では、これを「市場浸透戦略(Attack)」と呼んでいます。既存の顧客を深く耕すことにより、既存顧客を相手に実績を高めていくのか、顧客単価を上げてゆくのかを検討します。一方、既存商品・サービスを既存顧客にもっと売り込むことはできないかというプッシュマーケティングの視点でも戦略検討をする必要があります。
 一般的には、深耕策も次第に「効果逓減(こうかていげん)」して、経営資源の投入効率が低下してきて、それ以上収益改善をするより、経営資源を別の方向に向けることの法が経営戦略上有利である状態に達することがあります。そのような場合には、新商品開発に目を向けることが多いのですが、既存顧客だけではなく、新規顧客を開拓することにより収益拡大を図ることも有益な戦略と言えます。後者の方が、一般的には前者よりも資金的にも、時間的にもメリットが大きいことが一般的です。前者を「新商品開発戦略(Bear)」と、後者を「新市場開拓戦略(Challenge)」と言います。B戦略をとるか、C戦略にするか、判断は企業の状況により分かれます。経営資源の分散で投資効率が逓減しますが、B戦略をとりながら、時間がかかるC戦略に着手することもあります。
 既存の商品・サービスではなく、新規商品を、新規顧客に販売していくという戦略もあります。「新需要創造戦略(Develop)」、略してD戦略と言います。こちらは、経営資源への負荷が大きく、またリスクも高いことから、なかなか挑戦する意思決定がしにくい部分でもあります。一方、ハイリスクハイリターンに挑戦するという戦略もあり得ますので、企業文化や経営者の考え方で判断は分かれるところです。
「狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)」の「逡巡」は「ためらう」という意味ですので、「狐が疑い、ためらう」ということから「疑い深い狐のように、決心がつかず、グズグズとする」ことを指します。
 余談となりますが、マーケティングでは、「ABCDセグメント市場戦略分析」を「アンゾフの市場戦略表」とも言います。しかし、両者は一見しますと類似性が高いですが、前者は、四つのセグメントで検討するだけではなく、経営コンサルタントなどプロは、九つのセグメントに分けて戦略立案に取り組める発想がありますので、私はそれを別の戦略思考法と考えています。
 また、別の余談ですが、上述の「効果逓減」に似た言葉に「効用逓減(こうようていげん)」という四字熟語があります。経済学で、正式には「限界効用逓減の法則」といいます。この観点からしますと四字熟語とは言いがたいという判断もありますが、経済学上の理論だけではなく、日常の生活やビジネスでもこの言葉がぴったりすることが多いことから、私は時々この四字熟語を用います。
 経済学の「限界効用逓減の法則」というのは「財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分(限界消費分)から得られる効用は次第に小さくなる(【Wikipedia】)」という考えです。
 例えば、好きな食べ物でも、目の前にたくさんあって、食べ放題といわれても、最初はおいしいと幸せ感一杯で始まりましたものの、次第に食傷気味になってしまいます。このように、広告など一つの経営手段が、次第に効果が低下してしまうような時に用いられます。
 新規参入は、前項の一念発起の結果、採るべき手段の一つと言えますが、新しい戦略も時間経過と共に効用逓減は必定です。それだけに「代々初代」という四字熟語が一層輝いて見えます。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-01 一念発起 過去の延長線上で思考しない 過去の言動・思考をを改めて、別の課題達成を決意する

2024-08-17 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】3-01 一念発起 過去の延長線上で思考しない 過去の言動・思考をを改めて、別の課題達成を決意する      


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第3章 経営に戦略的企画力を
 日本の経営者・管理職は、非常によく勉強をしていますが、耳学問が進みすぎて、それらに振り回されすぎているように思えます。いろいろな経営理論を聞きかじり、そのメリットのみが強調されたお話を聞き、消化不良を起こしていることに気がついていません。そのために「知っているつもり」「やっているつもり」という”つもり”が積もっていて、自社にとって最適な方法が提案されても「陳腐な理論」「古い経営手法」というような位置づけでかたづけてしまっている企業が多いです。
 四字熟語の中には、【心 de 経営】の精神に則る、経営者・管理職の心の糧になる発想が多数見つかります。前章の思考法を用いながら、それを企業経営に活かすことが、“戦略的”な経営に繋がります。企業経営で欠けている【心 de 経営】をいかに読み解いて、戦略経営を行うかを感じ取ってください。
 3-01 一念発起 過去の延長線上で思考しない
 ~ 過去の言動・思考をを改めて、別の課題達成を決意する ~



 子供の頃、「一年の計は元旦にあり」ということを親から教えられ、正月には毎年、その年の過ごし方とか心構えを親の前で話させられました。それが尾を引いていたのでしょうか、小学生の時に「一念発起」という言葉を初めて耳で聞いたときに「一年発起」と思い込んだことがあります。
「一年の初めに発起すること」が私の正月行事の一つでした。成人してからも、自分自身の長所短所や自分の理想的な人間像、現在何をやりたいと思っているのか等々を、前年の正月の時に書き出したり、平素思っていることを参照したりせず、毎年、ゼロから書き出すことをやってきました。一見しますと効率悪い方法ですが、ゼロベース思考という論理思考の基本に則っていることもあるからか、毎年新鮮な気持ちになり、初心に返る思いで今日まで続けています。すなわち「初志貫徹(しょしかんてつ)」な気持ちを自分に言いきかせることに繋げるのです。「初志貫徹」は「はじめの決意を貫き通す」という強い意思決定、その志を指します。
 この継続的な経験の積み重ねが、私自身が経営コンサルタントになってから、自分自身で、その方法を使うだけではなく、それを自分の顧問先の社員研修でも利用するようになりました。自分が永年使い続けているやり方ですので、その作業を進めるときの注意点や使い方の上でのポイントを充分に把握しています。企業内で、管理会計的思考から、単に目標管理制度を導入するだけではなく、この作業を実施することにより、社員が自分を見直し、会社でどのように仕事をしたら良いのかを考える契機になることが分かりました。爾後、いろいろな面で成果を上げ、クライアントからは評価されるようになりました。昨今、大学生がキャリアプラニングという観点で、社会経験の深い先生が特任講師となって指導している大学が増えてきました。その走りを私が子供の頃からの経験でやってきていたのです。
 少々自慢話的になってしまい、ご不快に思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦ください。経営コンサルタントとして、クライアントの社員研修を重ねる内に、人間ドックをもじって「ビジネスパーソン・ドック」という形にまとめ上げました。それを自分の経営コンサルタントとしての売り込み商品として作り上げ、社員研修の一環で各社に売り込みをかけて多くの企業で利用していただきました。社員研修だけではなく、対象を企業に向けて「ビジネスドック」という名称でも展開するようにしました。「一年発起」が、企業やビジネスパーソンの「一念発起」の契機となることで、成果に結びつけることにもなりました。若くして経営コンサルタントとして独立起業したにも関わりませず、幸運なことに、クライアント探しにそれほど苦労もせずにスタートできる要因のひとつでもあったのかもしれません。その体験から、経験が浅く、クライアント獲得に苦労している経営コンサルタントや士業の先生方に「経営コンサルタントとしての商品創り」の大切さを説くことがしばしばあります。
「一念発起(いちねんほっき)」という言葉は、私どもの日常生活に溶け込み、知らない人がいないと言えるほどポピュラーな四字熟語です。改めてその意味を紹介する必要もないかもしれませんが、簡単に紹介して起きましょう。
 出典は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書として知られます「歎異抄(たんにしょう)」です。歎異抄の作者は、親鸞に師事した唯円です。書名は、その内容が親鸞没後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものです。(【Wikipedia】)
 歎異抄では「一念発起菩提心」とあり、それを略して「一念発起」となったと聞いています。仏教上では、「それまで行ってきた悪行を悔い改めて、悟りを開こうと決意すること」を指します。このことから「今までの行いや考えを改めて、別の課題を成し遂げようと固く決意する」という意味に使われます。
 多くの企業におきまして、過去の慣習や仕事の手順に固執して、新しい挑戦をすることに慎重になりすぎる状況をしばしば見てきました。経営コンサルタントの視点で見ます。効率の悪い仕事のやり方をしているのを発見しますと「なぜ、そのようにするのですか」とと言う質問が出てきてしまいます。その答の大半は、「先輩がこのようにやってきたから」とか「上司にこのようにしなさいと指示されたから」「マニュアルにそのように書いてあるから」という回答を寄せてきます。私の方で、「このようにしては如何でしょうか」と提案をしますと、多くの場合、それに対してできない理由が列挙されます。時には、キチンとした理由があり、私が経営コンサルタントとして提案を撤回するほどのアイディアで、しかもそれが過去の蓄積からの知恵であることを発見することもあります。
「自分の考えや主義主張が明確」という意味で「旗幟鮮明(きしせんめい)」という四字熟語があります。「旗幟」は、「旗と幟(のぼり)」のことですので「旗幟鮮明」は、「旗や幟が鮮明である」ということから「主義主張や考え方、立場などを明確に示す」ことやそのような人を指します。
 クライアントの中には「なるほど」と私の提案を素直に受け入れられることもあります。大半は、抵抗に遭いますので、クライアントとじっくり、一緒に考えます。その内に、その企業にマッチした方法を生み出し、仕事の効率を上げたり、商品・サービスの改善に繋がったりし、それを基に共に取り組んで来ました。
「一念発起」は、過去の延長線上での発想を止めることから始まることが多いようです。
 近年では、伝統のある企業でさえ、安穏として、暖簾を守るだけではなく、一念発起して新製品を開発するとか、市場を拡大するとか、他市場にまで手を伸ばすなどの努力をしています。
 山梨県に明治二二年創業の株式会社桔梗屋という老舗のお菓子屋さんがあります。ブドウや桃の産地として有名な山梨県では、昔からブドウを核に入れた「月の雫」という銘菓があります。桃を使った焼き菓子もあります。しかし、これらは果物を使っていますので季節性があり、当然売上も季節の影響を受けてしまいます。その問題を解決するために「信玄餅」という新製品を開発し、経営の安定化を図りました。
 この会社では、「代々初代(だいだいしょだい)」と四字熟語に基づき、暖簾に安住することなく、何代目の当主であろうとも「初代」のつもりで、謙虚に経営に携わり、創業者のつもりで新しい挑戦をするという理念が定着しています。そのために永い伝統ある歴史を持っていながら「一念発起」の精神が今日まで受け継がれているのです。
 因みに、過去の延長線上での思考に関して「刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)」という四字熟語があります。これを訓読みしますと「舟に刻みて剣を求む」となります。揚子江を渡ろうとした中国春秋時代の男が、途中で川の中に剣を落としてしまいました。落とした場所の目印として乗っていた船縁に印を付けておきました。舟の船頭に舟を戻すように頼み、慌てて戻りました。しかし、印を付けた場所に剣を見つけることはでき真せんでした。
 因みに、慌てる様を表す四字熟語に「周章狼狽(しゅうしょうろうばい)」があります。「周章」も「狼狽」も「あわてる」ことを指し、同じ意味の熟語を重ねて、慌てる様子を強調しています。「右往左往(うおうさおう)」すなわち「慌てて右に行ったり左に行ったりする様子」も同じ意味で、反意語としては別項にあります「泰然自若」があります。
 時は留まることなしに、「日進月歩」します。いつまでも過去と変わらないことをやっていてはダメであること、融通の利かないことのたとえとして使われる四字熟語です。過去からの蓄積が生きる場合もありますが、過去のやり方や考え方、習慣などを「後生大事(ごしょうだいじ)」にして、固執しすぎると大切なものを失ってしまうと言うことでしょう。
「後生大事」は、なにかを非常に大切にすることで、「後生大事にしすぎる」という揶揄的な表現として用いられることが多いです。「もとは仏教の語で、来世の安楽を願ってひたすら善行を積んで仏道に励むこと(新明解四字熟語辞典)」です。「後生」とは「死んだ後に来世の極楽に生まれ変わることです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】2-08 蓄積堅裾 塵も積もれば山となる 蓄積を広い裾野にして内容を豊かにする

2024-08-10 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】2-08 蓄積堅裾 塵も積もれば山となる 蓄積を広い裾野にして内容を豊かにする   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

  第2章 思考力を高めてビジネス全快
 四字熟語の中には、物事の発想や思考に関する熟語もあります。「理科系の人は理屈っぽい」とか「あの人に理屈でまくし立てられますと、太刀打ちできない」などという言葉をしばしば耳にします。
 たしかにビジネスの世界では、上手に説明ができなかったり、自分が主張していることが相手に正確に伝わらなかったりすることが多く、自分の非力さを痛感することが多いです。
 四字熟語の中に、思考に関して示唆ある熟語が想定以上に多くあります。その中には、相手の言っていることを正確に理解できるようになるための示唆を与えてくれるものがあります。どの様に発想したら、相手に自分の思いをわかっていただけるのかを感じ取らせてくれる四字熟語もあります。思考力のハウツー本としてではなく、四字熟語の中に、思考力を高めるヒントを見つけていただきたいと思います。
■2-0 8 蓄積堅裾 塵も積もれば山となる
 ~ 蓄積を広い裾野にして内容を豊かにする ~


 経営戦略というのは、その方法を一歩誤ると企業の存続すら危うくすることもあり得ます。それにより、時には社会的に大きな影響を及ぼすこともあります。そのようなことに陥らないように、企業では、経営理念を実現するために、深謀遠慮により、内外の経営環境を踏まえた上で戦略を立案し、それを実行して行き、経営の安全性を高めたり、成長に重点をおいたりという、その企業の置かれている状況に応じた経営判断をして行きます。
 独立起業した直後の企業では、その企業における経験が、ノウハウとなって蓄積されていることは少ないかもしれませんが、一般的には長短あれども企業としての経験があります。ところが、常に目先だけで経営を行い、深謀遠慮がなければ、いつつまずくかわかりませんし、経験が蓄積されて行きません。
「一暴十寒(いちぼうじっかん)」という四字熟語が孟子に出てきます。「暴」は「爆」という漢字と同じで、「日にさらして暖める」という意味で、「一日中暖め続けても、十日も冷やしてしまっては、せっかく暖めたことが無駄になってしまう」という意味になります。多少の努力は、後に怠けてしまうと意味がないと言うことで、継続して努力しなければ成果は上がらないことの例えとして用いられます。
「継続は力なり」という言葉がありますが、経験を重ねていくには、継続すると言うことも大切であるということの必要性を説いています。しかし、単に継続するだけで、自分達の過去の経験という財産を活かしませんと、過去の経験という価値あることが、「宝の持ち腐れ」になりかねません。
 日本のコンビニエンスストアというのは、コンビニ先進国のアメリカからそのノウハウに高いロイヤルティを払って日本に定着させ、それを育ててきました。今や、そのノウハウを先生であるアメリカ企業が欲しがるまでに高度化されてきました。
 その契機となったのが、レジシステムに蓄積されている販売データの活用です。顧客の属性と、売上の商品、時間や天候等その他の要因を複合分析することにより、顧客の購買特性をあぶり出し、それに基づく品揃えや仕入タイミング、テンポ陳列等々、小売業に関する戦略立案の知恵を蓄積でいたのです。
 「継続は力なり」という表現を借りて、「蓄積は力なり」ということを、私は経営コンサルタントになった初期から唱えてきています。
 例えば、日々の営業活動というのは、コンビニで言えば、POSシステムによるレジデータに相当します。POSシステムは、私が初めて渡米しました1970年代にすでにアメリカでは導入している企業がありました。日本のコンビニのレジシステムが今日のように高いレベルで利用され始めたのは1980年代に入ってからと言えます。私は、1970年代から営業日報の改革とその活用について、コンサルティングしてきました。
 当時は、まだパソコンが今日のように一般的ではありませんでした。営業日報とか業務報告書とかいう文書は、「○月○日の営業日報」のように、一般的には、日にちを基準に作成します。従いまして、一つの顧客の商談を時系列的に見るためには、過去の日報ファイルを何冊も引っ張り出してこないとできません。有能な営業管理職というのは、自分の部下の商談履歴をいかにたくさん記憶しているかにかかるいっても過言ではないほど、営業管理職の記憶力頼りでした。
 それを、レコード単位の管理に変更し、他の管理帳票と連動して利用できるように有機的な繋がりを持たせる形にし、「営業設備」と呼ぶようにしました。パソコンの時代が到来しますと、その方法がぴったりと営業設備にマッチしますので、パソコンで商談記録を管理するようにしたのです。
 それにより、営業活動の履歴を時系列的に見ることができるようになりました。顧客別に商談の流れが明確になりますので、流れのどこに、どの様な問題点があるのかが見えてきます。行動分析にも利用でき営業パーソン別の行動活動の効率性を分析して、その面からの部下へのアドバイスをしやすくできました。販売管理システムと連動させますと、どのような商品・サービスが、どの様な地域で、どのくらい売られているのか、マーケティング資料と営業活動を連動して分析することにより、どの地域で、どの様なお客様に、どの商品・サービスを、どの様に紹介したら営業成績を上げることができるか、見えてきますので、営業管理者も部下へのアドバイスが具体的になります。
 営業活動システムを、販売管理システムや財務管理システムとも連動させることにより、営業パーソン毎の粗利率だけではなく、経費状況を加味した営業利益率を算出することができます。営業パーソン一人一人が、どのくらいの経費を遣って、どれだけの利益を上げているのかという数値は簡単に出てきます。切り口を変えますと、商品・サービス毎の利益率も算定できますので、品揃えや商品戦略にも活用できます。
 「蓄積堅裾(ちくせきけんきょ)」というのは、蓄積することにより、裾野が広がり、固まりますので、仕事が効率よく、効果的に進められるということに繋がるということを教えてくれています。

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