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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 7 青年重役会

2025-04-11 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 7 青年重役会  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆8-7 青年重役会
 アメリカから帰国して一年が経った竹根である。
 経営コンサルタントの資格が取れると、今まで漠然と福田商事の社員として内側から見ていたのが、福田商事を第三者的に、俯瞰した見方をすることができるようになってきた。資格がそうさせているのではなく、竹根自身の中に、そのようなものの見方ができることへの自信のようなものがいつのまにか育ってきたのであろう。
 福田商事が、二年に一回募集をする経営に関する提案の論文に取り組んだ。見事金賞を受賞することになったのも、第三者的な俯瞰した見方のおかげであろう。
 その年の春からは、青年重役の一人としても活動をしていた。アメリカで見られるジュニアボードの変形である。青年重役会を通じて、本社取締役会に提言を出すのである。竹根は、そこでも各種の提案を出し、その多くが採用された。
 自分は経営コンサルタントの資格を持っているのだから、そんなことは当然であるし、それでもまだ経営コンサルタントとしては不十分だと思った。以前に増して、経営に関する書物を読むが、どの書物も論文も竹根には色あせて見えた。
 その頃から、自分自身の成長がスローダウンしてきたことに竹根は気がつかなかった。

 坂之下経営の恒例の講演会の案内が来て、今回も出席した。そこで、若手の経営コンサルタントが講師を務めたが、その斬新な発想に、竹根は打ちのめされた。
――そう言えば、最近は書物を読んでも、それが血となり肉となる気がしなかったのは、自分自身におごりがあったからではあるまいか――
 その日、帰宅してから、元気のない竹根を見たかほりは、また、そっと竹根の手に自分の掌を重ねた。それまで引きつるような形相をしていた竹根の顔が次第にゆるんでくるのが解るほどであった。
 竹根は、かほりの誘導尋問にかかり、自分の至らなさを告白した。
「『俺は、経営コンサルタントの資格を持っているのだから、その辺の書店で並んでいるような経営書の内容は知っていて当然だ。』という気持ちで本を読んだり、新聞を見たりしてきたので、全然自分の知識として蓄積されていなかったんだ」
「自分のおごりに、自分自身で気がつけるということは、あなたは、それだけ自分を解っているという証拠です。私のような凡人は、自分の至らなさを自分で気がつくことはできません」
 竹根は、かほりが凡人ではなく、竹根にとっては神様のように気づきを与え、勇気を与え、竹根を元気にしてくれていることを経験してきている。世界で、この宇宙でベストなベターハーフだと、確信している。
  <続く>

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■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 6 資格試験の合格は難しい

2025-04-04 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 6 資格試験の合格は難しい  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
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◆8-6 資格試験の合格は難しい
 中小企業診断士受験向けの参考書は書店に並んでいるが、こちらの資格の受験参考書はほとんど市販されていない。竹根は中小企業診断士向けの参考書を斜め読みして、基礎知識の整理をすることはしたが、むしろ経営者向けのノウハウ本を片っ端から読むようにした。日常の身近なことから学び初めて、次第にその道の奥義にまで到達するという意味を持つ「下学(かがく)上達(じょうたつ)」を地でいく竹根であった。アメリカで培った速読術がここでは大いに役に立つことになった。
 二次試験は、記述式の問題で、限られた時間にその設問に対する回答をするのは、まとめる力と構成力や文章力とともに、早く書けることが重要である。竹根は、ニューヨークで連日何十ページというレポートを本社に送っていたし、それに加えて毎夜かほり宛に手紙を書いてきたので、文章を早く書くことには自信があった。
 第三次試験は、企業診断実習とそれに基づく勧告書の提出である。実際に企業に行き、ヒアリングを通じたり、決算書などの財務資料などを分析したりして勧告書を書くのである。それも、試験会場で作成するのではなく、昼間は会社で仕事をして、そのあとのプライベートな時間に作成するのである。この点でも、竹根はかほりと福田商事の商社とメーカー問題や、海外営業部企画課の仕事をやってきたので、その延長線上のような感覚で取り組めた。気持ちの上では、非常に楽であったために、のびのびとした発想ができた。
 十月に第三次試験の発表があった。合格率は、二十分の一、すなわち五%である。幸い、竹根は、受検者すべての中の二番目の成績で合格ができた。順位まで発表されるという厳しさである。一位は、私立の名門大学のマーケティングの教授であった。竹根は、原町田というその教授に負けたことが悔しかった。原町田教授は、多数の著書もある、有名な先生であることは竹根も知っている。しかし、自分も曲がりなりにもアメリカの大学院でマーケティングを専攻してきたのである。相手が大学の教授であっても、その人に負けたことは、竹根にとっては大きな屈辱であった。
  <続く>

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■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 5 コンサルタント資格に挑戦

2025-03-28 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 5 コンサルタント資格に挑戦 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
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◆8-5 コンサルタント資格に挑戦
 竹根は、高校の時に母親がポツンと言ったことを思い出した。
「最近は、計理士より上の資格があるんだってね」
 竹根は、そろばんは商工会議所の一級を持っている。母親は、それがあるので、将来を考える時には、その資格を取ることも視野に入れろと暗に示唆したのだろうと考え、担任の先生に、その資格のことを尋ねてみた。
 担任は、それがどのような資格かは解らなかったが、隣席に座っている隣のクラスの担任が教えてくれた。その先生は、大学への進路指導を担当しているだけあって、結構ビジネス関連の資格についても詳しかった。
「君が言っているのは、多分公認会計士の事ではないのかい」
 その一言で、母の中途半端な知識が、竹根を目覚めさせたのである。
 昭和二四年に、昭和二年に制定された計理士法に代わって、公認会計士法が制定され、その法律に準拠する資格が公認会計士であると教えてくれた。公認会計士制度を導入するためにアメリカに派遣された黒沢清先生や、その先輩である太田哲三先生などが中心になって視察をした結果、日本にも公認会計士制度が導入されたという。
 この制度が導入される時に、計理士から公認会計士への移行団体として、日本計理協会が設立され、公認会計士協会はそこから分離独立したような形となった。黒沢先生たちがアメリカ視察をした際に、アメリカの経営コンサルタントという職業についても関心を持ち、戦後日本の廃墟からの復興には、この制度も欠かせないことが切に訴えられた。その結果、太田哲三先生は、日本公認会計士協会の会長をする傍(かたわ)ら、日本にも経営コンサルタントの国家資格制度の制定に奔走された。それが、昭和二六年八月のことである。太田哲三先生を中心に、日本経営士協会の設立準備が開始され、正式には昭和二八年九月十日に日本で最初の経営コンサルタントの団体と資格ができあがったというのである。
 竹根は、経営コンサルタントの資格というのは、それから十年後にできた中小企業診断士だけかと思っていたのが、それより十年も先行して、中小企業診断士より歴史の長い経営コンサルタント資格があることを知ったのはそのときである。しかも、その経営コンサルタント協会の先生方は、中小企業診断士(当初は中小企業診断員といった)育成に多大な貢献をしたそうである。
 そのような経緯を知っていたので、経営コンサルタント資格を取得するということについては、竹根は躊躇することなくその協会の資格を選ぶことにした。その資格を選んだ理由が他にもある。
 中小企業診断士は、中小企業振興法に基づいて、中小企業の育成をするための業務を遂行するために、その法律に基づく書類を企業に代行して作成することができる資格であるという。
 それに対して、経営コンサルタント協会の資格は「現に事業を営んでいる者、将来事業を営もうとする者及び事業に関心を有する者に対して、経営に係る相談・診断・指導・調査・企画・能力開発訓練並びに経営管理等に関する事業を行い、活力ある経済産業社会の育成に寄与することを目的とする」(同協会Webサイトより)と範囲が広い。
 早速、資格取得に関する資料を取り寄せたところ、六月に第一次審査があることを知り、早速申込をした。それと同時に、資格取得のにわか勉強を始めることにした。中小企業診断士の場合には、結構細かい部分まで、範囲の広い基礎知識を試験で試されるために、暗記力がモノを言う。それに対して、こちらの資格の場合には、経営に関する実務的な知識をもとにした、表現力に評価のウェイトが置かれている。そのために、丸暗記では、二次試験は通らない。
  <続く>

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■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 4 糟糠之妻

2025-03-21 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 4 糟糠之妻 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
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◆8-4 糟糠之妻
 このような、地味な取り組みが、すべて成功するわけではなく、見込み違いの方が多いが、次第に海外営業部の売上増加という結果となって出てくるようになった。また、それが営業担当の成果に繋がるため、竹根の縁の下の力持ちに対する営業担当の評価は高まる。
「竹根先輩、ありがとうございます。おかげで、今期は受注も売上も目標を達成することになりました」
 そう言われることに竹根は快感を覚えるようになった。
 そんなときに、ヘッドハンティングの声をかけてくれた竹之下経営の副社長である小田川の「経営コンサルタントとは、クライアントに『ありがとう』と言われることを楽しみにできる仕事です」という言葉が頭をもたげてきた。
 その言葉が、竹根の頭の中を駆け巡ってくると、「商社の限界」という言葉が連想的にそれに加わってきた。

 帰宅すると相変わらず、かほりと由紗里の笑顔が迎えてくれる。昼間、「ありがとう」「商社の限界」という言葉の渦に巻き込まれそうになって、それに耐えようとする疲れが、一挙に吹き飛んだ。
 しかし、潜在的な疲れは解消できていないのか、夜中にうなされて、かほりに起こされる日々が続いた。
 ある晩のことである。
「あなた、何か悩んでいるのではないですか?私でよかったら、話してみません」
 竹根は逡巡することなく、人生のベターハーフであるかほりに自分の悩みを話し始めた。
 かほりは、また相槌を打ちながら、竹根の言葉を次々と引き出す。竹根は、催眠術にかかったかのように、しゃべり続ける。
「あなたは、福田商事で、やるべきことはやってきたのでしょ」
「すべて、完璧にやったわけではないが、たとえ完璧にやっても、商社は商社、やはりメーカーとは相容れないというか、基本的に体質が異なるので、私が福田商事でできることには限界がある」
「そこまで解ったのであれば、次にあなたがすべきことは、もう考えているのでしょ」
 完全に竹根の気持ちをかほりは見抜いているのである。
「できるかどうかは解らないが、経営コンサルタントの資格に挑戦してみようと思うんだ。それがだめなら、また足元固めからやってみようかと思う」
「私は、努力家のあなたなら、あなたがやりたいことは実現できると信じています。すでに経営コンサルタントをやっている人がいるのですから、他の人にできることを、あなたにできないことはないわ」
「それは、あまりにも俺を買いかぶりすぎているよ。手前味噌というか、身内贔屓というか、俺の実力はそれほど高くはないよ」
「イイエ、私が太鼓判を押します。私が愛した人です。私が信じてついてきた人です」
 竹根はうれしいけど、大きなプレッシャーをかけられたような気がする。でも、背中を押されたことで、――まず半歩進んでみよう。とりあえず、資格取得に挑戦することで、それからまた考えよう。当面は、福田商事海外営業部企画課の仕事と、経営コンサルタント資格取得の二兎を追ってみよう。――
  <続く>

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■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 3 早朝時間帯の残業

2025-03-14 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

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■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
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◆8-3 早朝時間帯の残業
 ニューヨーク5年勤務から戻った竹根の東京での仕事が始まった。
 電子機器事業部の中の、小型電算機部の係長をしている、同期の水町を訪ねた。水町は、福田商事の子会社である福田電算機の事務処理用に特化した、福田商事らしい電子計算機を販売している。
 水町に、竹根が今取り組んでいる内容を説明すると、すぐに答が返ってきた。
「プログラムとデータ部分を別々のテープで作成し、それを一枚の紙に出力をすれば、簡単に宛名入りの手紙を書くことができる。それにアンケート用紙を同封すればいいだろう。プログラムは、一週間もあればできるから、俺が作ってやる。それでいいか」
「ウン、恩に着るよ」
「その代わり、高いぞ。美人奥さんの手料理くらいはおごれよ」
「それなら安いものだ。そのかわり、味の方は保証しないよ」
 プログラムができれば、竹根自身が作業をしなければならない。まずは、電算機が使える時間帯に予約を入れなければならない。水町からの情報によると、朝八時以降は電子機器事業部など、福田商事の通常利用時間で、夜は、その日によって異なるという。そこで、竹根は、比較的利用者の少ない安定して利用できる早朝利用の申込をした。
 毎朝、五時ちょっと前の一番電車での通勤が始まった。かほりは、朝食用の弁当作りもあり、四時には起きなければならないのに、文句の一つ言わない。
 アメリカでは二四時間営業のコンビニができはじめたことは竹根も知っているが、日本にはまだコンビニというお店がない。
――お弁当を売っているようなお店が、早朝から開店しているといいのに――
 そう、思うのは、かほりではなく、竹根である。妻に朝早く起きることにつきあわせてしまうことが心苦しい。
 会社に着くと、電算機の電源を入れ、プログラムのテープをセットして読み込ませる。プログラムは、紙テープに鑽孔されている。コアメモリーという電算機本体に内蔵されているメモリー容量が小さいので、プログラムは鑽孔テープで管理をし、作業をするごとにそのテープを読み込ませるのである。
 プログラムが走り出すと、顧客データの入っている、別のデータ専用のテープから、一件だけ読み込み、それをプログラムのデータ領域に追加して印刷をする。差し込み印刷という作業である。今日なら、プログラムを作らなくてもワープロソフトを使えば誰にでもできるパソコン作業が、当時は電子計算機と言われたコンピュータで処理をするという大事(おおごと)なのであった。
 これをタイプライターで手打ちをするとなると、どんなに早く打っても、一件で三十分はかかるであろう。それが、電算機を使うと一分少々でできてしまう。その早さに、竹根の驚きは大きく、竹根の時間を大幅に短縮してくれる。
 電算機が処理をスタートするとその作業が繰り返されるので、竹根はかほりが用意してくれた弁当を開く。今日一日が始まることを実感するひとときである。
 半月もすると、アンケートがポツポツと返ってくる。そのデータを顧客管理用のテープとして作り直す。その繰り返しでできた顧客管理テープを使うと、売り込む商品ごとに指定した顧客データの中から、その商品に適しているだろうと判断された顧客データに基づき、手紙が印刷される。これにより、関係ない顧客先に売り込みをかけなくなるので、経費は大幅に圧縮でき、しかもレスポンス率、受注確率が高まってくる。
 電算機を使うメリットを痛感する。これが、後にパソコンを営業やマーケティング戦略に利用するという実体験がコンサルティングに活きてくることを、竹根はそのときには知らない。
 このような市場開拓も企画課の仕事である。
 あまり売れていない商品で、竹根が売れそうだと思うような商品の英文カタログを作ったり、付属資料、商品によっては取扱説明書やサービスマニュアルなどを作成しなければならない。
 これも、後にコンサルティングに活きることになる。
  <続く>

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■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 2 東京での実務に着手

2025-03-07 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 2 東京での実務に着手  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆8-2 東京での実務に着手
 5年ぶりに東京に戻った竹根である。
 竹根は、海外営業部企画課の仕事にとりかかった。課長代理と言っても部下がいるわけではなく、自分ですべてのことをやらなければならない。
 まずは、自分の顕微鏡ビジネスの体験をヨーロッパに活かせないかと取り組み始めた。ヨーロッパの顕微鏡を扱っている、教材関連業者、理化学機器関連業者、医療機器関連業者などの、売り込み先リスト作りに取りかかった。JETROは、それらの情報の宝庫である。国立図書館にも行ってみた。東京タワー近くの機会振興会館も海外誌を含む最新の雑誌をそろえている。日比谷図書館を始め、各地の図書館もいろいろな情報が集まるので莫迦にできない。意外と資料が揃っていないのが、顕微鏡工業会とか理化学機器関連の協会などである。
 アメリカで広大な土地を飛び回り、走り回っていたので外回りは、苦にならなくなっていた竹根である。あちこちで資料を集め、整理しているうちに、情報収集のコツをつかめた。それが後に経営コンサルタントになってから、竹根の武器になることをそのときは知らない。
 それらの資料のコピー代は莫迦にならないが、領収書をもらえないことが多く、結局自腹を切ることになる。
 その資料の山を自宅で整理を始めた。いつかの晩のように、かほりがそばに来て「何から手伝ったらいいのかしら?」と手伝う姿勢である。一日の家事を終わって、ホッとするひとときだろうに、竹根の仕事を無視できないようである。人が何かをやっていると、自分だけのほほんと過ごしていられない性格でもある。
 竹根は、それが何の資料なのかを説明した。
「国別、業種別、規模別などの項目を基本にして、一つのリストにしてはどうかしら」
 さすが、由紗里が生まれるまで竹根の秘書をニューヨークでやってきただけあり、竹根が何を求めているのか、理解が早い。横罫の入った用紙に先ほどの項目を記入して、一覧表を作り始めた。それにデータを転記してゆく。二人で、黙々と続く作業は毎夜のように行われた。
 竹根は、できたリストから活動をはじめた。相手が、興味を持つかどうか、流通チャネルをどの段階にしているのか、知りたいことが全然解っていない。できたリストをもとにアンケートを採ってみようと考えたが、その送付先のリストはかほりの夜なべ仕事に使われている。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 1 転職なんて

2025-02-28 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 1 転職なんて 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
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◆8-1 転職なんて
 東京本社に戻った竹根に、雲の上の人とも言える福田社長が竹根に約束してくれた「できるところからやってみる」という言葉が、少しずつであるが見られるようになった。福田社長がいくら熱を込めて話しても、それが担当役員、部長、課長と階層を経るにしたがい、その熱が冷えて伝わってゆく。結局、現場の人たちにしてみれば、それも指示・命令の一つに過ぎず、目先のことに追われると、福田社長の熱は横に追いやられてしまうのである。
――これが、商社の現実なのか。限界と言ってもいいのかもしれない――
 暖かい笑顔に迎えられた竹根の夕食後のことである。新聞を読んでいたが、竹根の頭の中は、その日に見た商社の現実のことであり、記事の内容は眼を通過するだけで理解とか記憶の回路でそれなりの作業をしないのであった。
 夕食後の後片付けも終わり、まだ四歳になったばかりの娘の由紗里も眠ったらしく、いつのまにか、妻のかほりが竹根のそばにいた。最近、竹根の様子がおかしいことが気になっていたのであろう、かほりがそっと竹根の手に掌を重ねた。
 柔らかい、暖かなものが竹根の全身に走った。
 それが引き金となって、竹根は自分の悩みをかほりに話し始めていた。かほりは、時々「それで」とか「うん、うん」とか「解るわ」とか相槌を打ってくれる。それが、竹根の次の言葉の誘い水となり、次々と竹根の胸の内が言葉に変換されて、かほりに伝わる。
「福田商事に、こだわらなくてもいいのじゃないの」
 ポツンと、かほりが言った。
 竹根は、その言葉をどのように解釈してよいのか解らなかったが、かほりが竹根の周波数と同じに竹根を受け入れていることを感じ取ることができた。
――これが、夫婦か。かほりが、父親から勘当されてまで、俺のところに来てくれたことは、一生忘れてはいけないのだ。この女性を、不幸にすることは罪悪なのだ――
 妻のかほりの入れてくれたお茶が、とてつもなくうまく感じた。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 5 コンサルティング・ファームからの電話

2025-02-14 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 5 コンサルティング・ファームからの電話 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
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◆7-5 コンサルティング・ファームからの電話
 二月に入った暖かいある日曜日のことである。竹根は久しぶりに、妻のかほりが由紗里(ゆさり)と手をつないで散歩から戻ってきた。会社から一時間半の通勤時間の郊外に住んでいる竹根にとっては、挨拶回りで忙しく、それまでは日曜日もゆっくりできなかった。久しぶりに家族水入らずの団らんのひとときである。
 玄関をあがろうとした時に電話がなった。かほりが慌てて受話器を取った。はじめは「竹根です」といつもの話し方であったが、次第に声が小さくなってきた。売り込みなど、彼女にとって都合の悪い電話が来るといつもこのように話すので、竹根は「日曜なのに、熱心な営業マンもいるものだな」と思った。
「坂之下経営の小田川様ですね。ただいま代わりますので、少々お待ちください」と言ってから、受話器から声が通らないように掌でふたをして、竹根に相手の名前を伝えた。
 受話器を受け取った竹根は、坂之下経営と言えば、有名な経営コンサルタント会社のはずだけど、どんな要件なのだろう、と訝りながら「お電話を変わりました。竹根です」と丁寧に電話に出た。
 日曜であることを詫びながら、ケント光学の北野原社長の紹介であること、自分の役職や会社の概況説明をしてから、竹根に会いたいと言ってきた。北野原の名前が出たのでは会わないわけにはいかない。手帳のスケジュールを見ながら、火曜日の夕刻に銀座で会うことにした。
 小田川は、丁寧な言い方であるが、電話では面会の目的までは言わなかった。副社長だと言うから、別にコンサルティングの売り込みでもなさそうである。北野原がどのように関係するのかわからない。日曜なので、北野原に確認することもできない。
 せっかく、家族三人の散歩で、気分転換ができたのに、何となくすっきりしない日曜日が過ぎようとしていた。

 翌日、北野原に電話をしたが、二日間の人間ドックに入っているので連絡が取れないという返事であった。田近に電話を変わってもらって、坂之下経営の小田川という男を知らないかと聞いたが、知らないという。
 何もわからない状態で、小田川に会うことになった。
 銀座なので、超高級な料亭か、バーかと思ったが、路地を入ったところの気さくな女将のいる小料理屋であった。小田川は、六十歳を超えているのだろうか、身長は竹根とほぼ同じくらいだが、体重は有に九十キロを超えているだろう。
 小田川は、北野原とフルブライトの同期で、やはりニューヨークに三ヶ月ほどいたそうである。経営コンサルタント会社と言っても、有能なコンサルタントばかりがいるわけではなく、外部に優秀な人がいればヘッドハンティングをするのだそうだ。北野原が、何かの席で福田商事に優秀な人間がいると言うことを口にしたらしく、その日の会見のことを北野原は知らないはずであるという。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 4 商社は変身しなければならない

2025-02-07 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 4 商社は変身しなければならない 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆7-4 商社は変身しなければならない

 その後、あちらこちらに散らばっている福田商事の子会社、関係会社を駆け足で廻った。その大半がアメリカ詣でで竹根の世話になり、一様に竹根の献身的なアテンドに感謝をしている。その彼らは、やはり北野原と同じように福田商事の悪口を竹根に浴びせかけた。
 竹根は、考えた、悩んだ。
 そして、彼らの言い分を箇条書きに整理してみた。お茶を運んできた妻のかほりにそれを見せた。「あなたが、ニューヨークにいた時に言っていたことと同じね」と一言が返ってきた。
 その言葉に、「このままでいいの?」という声が含まれているような気がした。
 それからの竹根は、福田商事の実状を知ってもらおうと、角菊の時間が取れる時に、いろいろな角度で話した。のれんに腕押しの状態が続いた。
 次に竹根がしたことは、箇条書きにしたメーカーの言い分は、福田商事のどの部門の担当かによって振り分け、その担当者に直接話をするようにした。しばらくは、竹根の様子を見ていた角菊であるが、ある時に堪忍袋の緒が切れたらしい。竹根を別の階にある会議室に呼んで、「いろいろな部署から、竹根が難問を振りかけている」と苦情が来ていることを、顔を真っ赤にして三十分にわたって、くどくどと繰り返した。
 その原因は福田商事の体質、商社としての見方しかしていないことに原因があるとの竹根の反撃に、角菊はますます逆上してきた。
 竹根は、この状況では言っても仕方がないとあきらめかけた。そこに福田社長が顔を出した。
「竹根君、社内あちこちに難癖をつけて歩いているそうだね」
「社長、耳が早いですね」
「一体、何を言い廻っているのかね」
 福田が、聴く耳を差し出してきた。
――福田商事は、自分が売りたい商品には力を入れるが、売れない商品は、商品のせいにしてなかなか売ろうとしない。商品知識が不十分でライバルの専門メーカーに売り負かされている。もっと、顧客のニーズを掴んだ売り込みをして欲しいのに、価格を下げろとか、こういう機能がないから売れないとか、自分たちの努力不足を棚に上げて、言いたいことを言っている。言い方にしても、自分たちを下に見た、見下した言い方や、命令口調であったり、攻撃的な言葉をぶつけてきたりする――
 竹根は、メーカーの言い分を、要領よくまとめて福田に話した。角菊は、憮然として黙りこくっている。
 黙って聞いていた福田は、「竹根君、君はどうしたらよいと考えているのかね」と質問で返した。
――さすが、社長はやり方がうまい。汚いと言いたいところだけど・・・――
 竹根は、痛いところを突かれた。これを頂門一針というのかと思った。
「私は、商社としての福田商事と、子会社や関連会社というメーカー双方が抽象的なことを言っているので、このままでは平行線だと思います。もっと、双方が、対等な立場で、コミュニケーションを取るというか、意見交換をするべきだと考えています」
「それがベストな方法かどうかはわからないが、君の言いたいことはわかった。君も言っているように、確かにメーカーと商社では立場が異なるので、相容れられないこともある。しかし、今のままではいけないこともわかった。君が満足できるようになるかどうかは別にして、私なりに努力をしてみようと思う」
 福田は、角菊の方に視線を向けて「今日のところは、こんなことで、私の顔に免じて、竹根君を解放してやってはどうかね」と諭すように言った。
「社長、ありがとうございます」
 角菊が、刀をさやに収めて、その日は終わった。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 3 北野原との再会は想像だにしないことに

2025-01-31 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 3 北野原との再会は想像だにしないことに 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
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◆7-3 北野原との再会は想像だにしないことに
 ニューヨーク赴任から戻った竹根は、関係先への挨拶回りから始めることにした。その最初が、顕微鏡や関連商品の改良など、仕事上で世話になったケント光学の北野原である。
 北野原のケント光学は、東京の郊外にある。ボートレースで有名な東京競艇場近くであるが、まわりには工場と住宅が混在したところだ。
 北野原自身が、駅まで迎えに来てくれた。会社までの十数分の間、二人はアメリカでの思い出話に花を咲かせた。
 工場内部は、昔と変わらない。研磨工場、組み立て工場、加工工場など、小さいながらも最低限度のことができる設備や人材が揃っている。従業員は、五十人ほどであるが、比較的高齢者が多く、平均年齢は高い。中小企業の典型的な社員構成であろう。
 一通り、アメリカ市場をにらんだ報告と意見交換が終わると、食事に誘われた。まだ、時間的には早いが、十二月の冬の帳(とばり)は落ちていた。
 アルコールは欠かせない北野原だが、下戸の竹根には強要しない。少しアルコールが廻ってくると、相変わらず饒舌になる。
 ひとしきり、子会社や関係会社への福田商事の対応の悪さについて、福田商事関連の他の会社の経営者の声の実例を交えて、あれやこれやと出てきた。中には、アメリカでも聞いたことがいくつか含まれていた。
 アメリカ詣でに来た、いろいろな経営者・管理職の顔が思い出された。彼らも北野原と大同小異のことを言っていた。竹根は福田商事の立場もわかるが、彼らにも言い分があると思った。
――商社とメーカーというのは、やはり立場が異なるので、相容れない部分があるのだ――
 北野原には、子どもがいない。常務をしている田近は、竹根よりいくつか上だから三十五歳くらいになるのであろうか、北野原の甥御さんであることをニューヨークで聞いて知っていた。竹根は、以前田近と話をしたことがあり、人の良さそうな、温和しい人という印象を持っている。それが気に入らないのか、北野原は田近に物足りなさを感じているらしい。
 かなり、アルコールが廻ってきたところで、北野原から思わぬ言葉が口をついて出てきた。
「竹根さん、俺の後を継いでくれませんか」
 かしこまって、頭を深々と垂れたので、冗談ではないことがわかった。
「社長、頭を上げてください」
「竹根さんが、ウンと言ってくれるまで、頭を上げません」
 竹根が狼狽する様子を感じて、「今すぐでなくてもいいですから、考えてみてください」といいながら頭を上げた。
「社長、冗談を言わないでください。私のような若造が、社長の後継者になぞ、なれるわけがないではないですか」
「超一流とは行かないが、曲がりなりにも福田商事は大会社だ。そこのエリートコースに乗っているのだから、やめる気持ちにはなれないかもしれませんが、このままではケント光学の行く末が思いやられるのです」
「私が顕微鏡のことなど全く知らないド素人であることは、社長が一番よく知っているではないですか」
「いや、短期間に竹根さんは顕微鏡のユーザーの立場をよく理解してこられた。竹根さんのレポートを時々見せてもらったが、腹が立つようなことを、ズケズケとよくも書いてきたね」
「済みませんでした。まさか、社長がごらんになるとは思ってもみず、筆の勢いに任せて書きまくってしまいました」
「おれは、そんなあんたが好きだ。福田商事だけでなく、あんたのような、実直な人は少ないよ。それに、角菊さんを相手に、言うべきことは言う、なかなかサラリーマンにはできないことだよ。無理を承知で頼んでいる。この通りだ」
 北野原はまた深々と頭を下げた。
 直視することができないほど北野原の顔は真剣であった。深刻な顔と言ってもよい。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 2 東京での仕事に復帰

2025-01-24 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 2 東京での仕事に復帰  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆7-2 東京での仕事に復帰
 五年ぶりに東京に戻った竹根である。
 竹根には、海外営業部の中の企画部課長代理という役職が与えられた。滞米中に直接的だけでなく、間接的にお世話になった社内の人に挨拶回りをした。それが終わると子会社、関連会社など外部の人たちにも挨拶回りをするスケジュールを組むことにし、そちらの仕事は、当分の間は、その合間にすることにした。ニューヨークにいた時には、秘書が雑用を含め、竹根の世話を焼いてくれたが、東京ではそういうわけにはいかない。スケジュールを組んだら、自分でアポイント取りの電話をしなければならない。それが、非常に時間のロスのように思えた。「郷にいれば郷に従え」、早く東京流に慣れなければならないと自分に言い聞かせた。
「もしもし、福田商事の竹根と申します。北野原社長様はいらっしゃいますでしょうか」
 まず、第一にはやはり北野原社長に会うべきだと考え、電話をした。すぐに、北野原の声が聞こえた。
「竹根さん、よく戻りましたね」
「社長、それはどういう意味ですか。とにかく、ご無沙汰しています」
 まわりの人が二人の会話を聞いたら、何をとんちんかんなことを言っているのかと思うだろう。
「今日から出社していますが、社長のところにご挨拶にあがりたいのです。ご都合はいかがでしょうか?」
「竹根さんのためなら、万難を排しますよ。何時でも結構です」
「それではお言葉に甘えて、これから出たいと思います」
「では、東府中の駅までお迎えに行きます。急行に乗るか、特急なら調布で急行か各駅に乗り換えてください。南口で待っています」
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 1 五年ぶりの東京の街

2025-01-17 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 1 五年ぶりの東京の街 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻れる日が来ました。
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◆7-1 五年ぶりの東京の街
 五年ぶりの東京の街は、ニューヨークに負けず劣らずクリスマスの雰囲気が盛り上がっている。東京駅から福田商事へ歩く途中、かほりと五年前に入った喫茶店ベルフワーの灯が見え、何かホッとした。後になって知ったのであるが、ベルフワーは、キキョウ科カンパニュラ属に属し、桔梗のような花の形をしたうす紫色の五弁の花びらを持つかわいい花である。花言葉は期せずして「真剣な恋」で、かほりと竹根にピッタリする花である。深く記憶に残るような恋という意味で使われる。
 竹根は、五年ぶりに東京で机に座った。新入社員も多く、浦島太郎の気分が半分わかるような気がする。かほりがいつも座っていた席には、竹根が顔は覚えているが、名前が出てこない女性が座っていた。かほりでないのが、何となく違和感として竹根にまとわりついた。
 いつの間にか、その女性が竹根の机のところに来て、「加丘です。アメリカのことをいろいろと教えてくださり、ありがとうございました。相本さん・・・奥様の後を引き継がせていただいてから、仕事が楽しくなりました。それも竹根さんのおかげです。あい・・・奥様は、幸運な方ですね」
「ああ、加丘さん、いろいろとお世話になりました。おかげさまで、妻がニューヨークに来てからは、それまで以上に面倒を見てくださり、本当に助かりました」
「いいえ、奥様が有能な方でしたので、私では至らないことばかり。ご迷惑でしたでしょ」
「そんなことはありませんよ」
「これからは、奥様の代わりに何かできることがありましたら、おっしゃってください」
「それはありがとう。でも、事業部長の秘書に仕事を頼むわけにはいきませんね。その代わり、わからないことがあったら教えてください。何しろ、浦島太郎ですから」
「ええ、もちろんです。何でもおっしゃってください。お礼が遅くなりましたが、皆にお土産をありがとうございました。皆喜んでいました」
「妻に任せっきりで・・・皆さんが喜んでくれたと、妻に伝えます」
 加丘は、席に戻った。
――そうか、彼女が加丘さんなのだ――竹根は、ようやく名前と顔が一致し、妻のかほりの後釜として数々の連絡手紙のことが昨日のように思い出された。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 11  充実した日々

2025-01-10 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 11 充実した日々  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆6-11 充実した日々
 かほりと電話で話をできて、あきらめかけていた二人の間が急に温かいものになってきた。
 竹根は、仕事に、大学院の予習と復習に、今まで以上に身が入っている自分をうれしく思った。充実した日々のことを、毎夜かほりに手紙としてしたためた。かほりからも毎日のように、時には、重なって二通来る日もあった。そんなときにはうれしさが何倍かになる一方、翌日は、かほりから手紙が来ないことがわかっていながら、ときめきを持ってポストを開ける。
 かほりの手紙から、かほりが毎日仕事が終わると千葉の実家に行き、父親を口説いたことがわかった。頑固なかほりの父親は、かほりを勘当するとまでいい、かほりが出社した後、先日の竹根への最後通牒の電話をかほりの父親がしてきたこともわかった。
 勘当されたのだから、あとは竹根のもとに飛ぶしか自分の行くところはないと考えて、竹根に半月ぶりに手紙を書いてきたというのである。ようやく、竹根には、これまで手紙もなく、いきなり父親から電話があり、香りのする手紙が届くまでの経緯がわかった。
 竹根は、「自分に任せろ」という内容の手紙を、会社にいるかほりに電話したすぐあとに送った。それをかほりが受け取ったのは四日後であったが、かほりは次第に竹根の夫となることの自覚を持ち始めた。
 かほりは、竹根からの手紙を見せたことで、「第一関門の母親の了解も取れた」ということを伝えてきた。かほり自身も、自分の進むべき道が着実に拓かれ始めたことを実感できるようになってきた。
 戦後、二十歳そこそこで未亡人になってから、結婚もせず一人で育ててきた竹根の母は、かほりに優しい言葉の電話をした。
 それだけではなく、土地の権力者という、誰もがあまり近づかないかほりの父親を、怖いもの知らずで訪問して、説教をしたという。相手が、首を縦に振らないことがわかると「とにかく、竹根に籍を入れます」ときっぱりと言って帰ってきた。
 竹根が、それを知ったのは、会社のかほりに電話をしてから一週間後のことである。
 かくして、籍が入ったかほりは、会社でも皆から祝福され、ニューヨークに来ることになり、会社からは秘書として仕事をするように辞令が出た。三ヶ月後には、竹根は出張の時以外は、かほりと肩を並べて通勤することになっていた。
 竹根にとって、本社へのレポート、かほりへの手紙を書き続けたことで、ペンだこを育てるだけではなく、後に経営コンサルタントとしての仕事に重要な、文書での表現力がここでも培われた。
 駐在員事務所は、ニューヨーク法人となったが、相変わらず、日本からはアメリカ詣でがつづいた。一九七〇年代、海外で活躍する人たちは「企業戦士」と言われ、竹根も立派な企業戦士の一人となり、仕事も順調に進んだ。とりわけ、福田商事が開発した、日本で初めてのIC電卓は、アメリカでも順調に売れた。竹根が渡米して三年目には、めでたく大学院も卒業できた。
 長女も生まれた。アメリカで生まれたことにちなみ、「由紗里」と命名した。アメリカ、すなわちUSAは、「ゆさ」と読める。「アメリカが里」であるという意味である。
 丸五年のアメリカでの任期を終え、多くの経験、とりわけ、多くの中小企業の経営者・管理職と出会えた経験を持って、東京本社に帰任した。竹根にとって、もっとも大きな収穫は、かほりという人生のパートナーを得られたことである。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 10 かほりに電話をしようか・・・

2024-12-27 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 10 かほりに電話をしようか・・・  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-10 かほりに電話をしようか・・・
 懐かしい香りと共にかほりからの手紙を繰り返し読み続けた。読めば読むほど、心が乱れる竹根である。
――これでいいのだろうか――
――かほりさんにとって、これでいいのだろうか――
 自問自答を繰り返した。
――女性にここまで言わせておきながら、今更自問自答もなかろう――
 竹根は決心がついた。すぐにかほりに電話をした。呼び出し音が鳴り出した。胸がときめく。なんて言おうのか、考えもしないでかけてしまった。なんて言おう――
 呼び出し音はするけど、かほりは出てくれない。
――かほりさんの声を聞きたい――
 まだ、呼び出し音が鳴っている。
――これは、神様がかほりとの結婚を許さないという合図なのか――
 その時間は、日本では午前中で勤務時間中である。かほりは会社であろう。それがわかるとホッとした。神を信じているわけではない竹根が、神の啓示のように思ったことを、自分ながらおかしく思った。
――そうだ、たとえ会社で仕事中であろうと、かほりに一言感謝の言葉を伝えよう――
 そう思うと、もう受話器を握ってダイヤルを始めた。何度もかけたことのある会社の電話番号である。会社の交換台にすぐに繋がった。
「相本さんをお願いします」
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
 竹根は一瞬躊躇した。
「竹根と申しますが、相本さんには名前を言わないでつないでください」
 交換嬢は、それが同じ福田商事の竹根からとは気がつかないらしい。一瞬クスッと笑ったように聞こえた。
「はい、海外営業部の相本と申します」
――あの声だ。かほりさんの・・・――
 竹根が何も言わないと、「どちらさまでしょうか」と聞こえてきた。
「誰だと思います?」
 かほりの驚いた様子が、電話の向こうにうかがえた。
「手紙をありがとう。だけど、私から連絡をするまで、動かないでください。よろしいですね」
 有無を言わさない竹根の言い方は、かほりにとっては初めてである。かほりは涙をこらえようとするが、ほおをツーと流れるのがわかる。うなずくだけで、声にはならない。
「かほりさんの気持ちがうれしい。では電話を切ります」
 かほりは受話器を握ったまま、うつむき状態で見える範囲の周囲を見回した。誰もかほりのことを見ている人はいないようである。他の人に見られないように、化粧室に飛び込んだ。ハンカチで目頭を押さえてから、目の周りとほおを水に濡れた手で涙を拭いた。じっと鏡の中の自分を見つめた。しばらくして落ち着いたところで化粧をし直した。
――好助さんは私の気持ちを受け入れてくれたのだわ――
 竹根の声がまだかほりの耳に残っている。力強い「連絡するまで動くな」という言葉が・・・
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 9 懐かしい香りの便り

2024-12-20 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 9 懐かしい香りの便り  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-9 懐かしい香りの便り
 かほりとの手紙のやりとりが中断して、まだ、それほど日にちは経っていないに、何か月も経ったような思いの竹根である。
 帰宅して、いつものように玄関を入って、郵便箱の鍵を取り出そうとポケットに手を入れた時に、何となくなじみのある香りがした。周りを見まわしたが女性がいるわけでもなく、一瞬のことで、何の香りかわからず、気のせいのようにも思えた。鍵を差し込んで、ポストのドアを開けようとすると、かすかながら確かになじみの香りがする。庭に植えられた四季咲きのバラかと思ったが、それとも違う、懐かしさを感じさせる香りである。
 ポストを開けると、その香りが顔を包み込んだ。一通の見慣れた封筒から香りがこもれ出ていて、ポストを開けた瞬間それが竹根の顔をめがけて、香りのキッスを繰り返したのだ。すぐにかほりからのものとわかると、あきらめたはずの決心が、その香りで吹き飛ばされてしまった。
 封筒を掴むと、一目散に二階の自室に駆け上がった。アパートの鍵を開けようとするが、手が震えて、なかなか刺さらない。もどかしさに、普通ならイライラするところを、なぜかきもちははやるが、そのようないらつきではなく、ときめきという表現に近い。
 いつもの竹根なら丁寧に開封するのに、乱暴に封を切った。かほりの香りが部屋中に広がる様が見えるようだ。その広がりを見るよりも、早く手紙を読みたい。
――好助様
 ここのところ、お手紙もなく、部屋が凍り付いた毎日です。
 私が手紙を出さない報いなので仕方がありませんね。
 今日、父が好助さんに電話をしたと電話で言ってきました。父の失礼な言葉をお許しください。
 私は、決心をしました。あなたについて行きます――
 そこまで読んでから、玄関の横にあるいすに腰を下ろしてから、またはじめから読み返した。歓天喜地(かんてんぎち)の竹根である。その言葉通り、天に向かって大声を上げて叫びたい、地に対して多いに喜びたい心地である。
――父の言葉を聞いていて、私は決めたのです。会社を辞め、アパートを引き払って、できるだけ早くあなたのところに飛んでいきます――
 竹根は、先を急いだ。そこからは、最後まで一気に読んだ。
――あの温和しいかほりさんが、なんと激しいことを・・・父親の反対を押し切ってでも自分のところに来るという・・・そんなかほりさんをあきらめようとした自分が恥ずかしい――
 竹根は、それから何度も何度も手紙を読んだ、そらんじて言えるくらい、かほりの香りに包まれながら、三枚に渡るかほりの手紙を読んだ。
  <続く>

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