経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 2 東京での実務に着手

2025-03-07 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 2 東京での実務に着手  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆8-2 東京での実務に着手
 5年ぶりに東京に戻った竹根である。
 竹根は、海外営業部企画課の仕事にとりかかった。課長代理と言っても部下がいるわけではなく、自分ですべてのことをやらなければならない。
 まずは、自分の顕微鏡ビジネスの体験をヨーロッパに活かせないかと取り組み始めた。ヨーロッパの顕微鏡を扱っている、教材関連業者、理化学機器関連業者、医療機器関連業者などの、売り込み先リスト作りに取りかかった。JETROは、それらの情報の宝庫である。国立図書館にも行ってみた。東京タワー近くの機会振興会館も海外誌を含む最新の雑誌をそろえている。日比谷図書館を始め、各地の図書館もいろいろな情報が集まるので莫迦にできない。意外と資料が揃っていないのが、顕微鏡工業会とか理化学機器関連の協会などである。
 アメリカで広大な土地を飛び回り、走り回っていたので外回りは、苦にならなくなっていた竹根である。あちこちで資料を集め、整理しているうちに、情報収集のコツをつかめた。それが後に経営コンサルタントになってから、竹根の武器になることをそのときは知らない。
 それらの資料のコピー代は莫迦にならないが、領収書をもらえないことが多く、結局自腹を切ることになる。
 その資料の山を自宅で整理を始めた。いつかの晩のように、かほりがそばに来て「何から手伝ったらいいのかしら?」と手伝う姿勢である。一日の家事を終わって、ホッとするひとときだろうに、竹根の仕事を無視できないようである。人が何かをやっていると、自分だけのほほんと過ごしていられない性格でもある。
 竹根は、それが何の資料なのかを説明した。
「国別、業種別、規模別などの項目を基本にして、一つのリストにしてはどうかしら」
 さすが、由紗里が生まれるまで竹根の秘書をニューヨークでやってきただけあり、竹根が何を求めているのか、理解が早い。横罫の入った用紙に先ほどの項目を記入して、一覧表を作り始めた。それにデータを転記してゆく。二人で、黙々と続く作業は毎夜のように行われた。
 竹根は、できたリストから活動をはじめた。相手が、興味を持つかどうか、流通チャネルをどの段階にしているのか、知りたいことが全然解っていない。できたリストをもとにアンケートを採ってみようと考えたが、その送付先のリストはかほりの夜なべ仕事に使われている。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 1 転職なんて

2025-02-28 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 1 転職なんて 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
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◆8-1 転職なんて
 東京本社に戻った竹根に、雲の上の人とも言える福田社長が竹根に約束してくれた「できるところからやってみる」という言葉が、少しずつであるが見られるようになった。福田社長がいくら熱を込めて話しても、それが担当役員、部長、課長と階層を経るにしたがい、その熱が冷えて伝わってゆく。結局、現場の人たちにしてみれば、それも指示・命令の一つに過ぎず、目先のことに追われると、福田社長の熱は横に追いやられてしまうのである。
――これが、商社の現実なのか。限界と言ってもいいのかもしれない――
 暖かい笑顔に迎えられた竹根の夕食後のことである。新聞を読んでいたが、竹根の頭の中は、その日に見た商社の現実のことであり、記事の内容は眼を通過するだけで理解とか記憶の回路でそれなりの作業をしないのであった。
 夕食後の後片付けも終わり、まだ四歳になったばかりの娘の由紗里も眠ったらしく、いつのまにか、妻のかほりが竹根のそばにいた。最近、竹根の様子がおかしいことが気になっていたのであろう、かほりがそっと竹根の手に掌を重ねた。
 柔らかい、暖かなものが竹根の全身に走った。
 それが引き金となって、竹根は自分の悩みをかほりに話し始めていた。かほりは、時々「それで」とか「うん、うん」とか「解るわ」とか相槌を打ってくれる。それが、竹根の次の言葉の誘い水となり、次々と竹根の胸の内が言葉に変換されて、かほりに伝わる。
「福田商事に、こだわらなくてもいいのじゃないの」
 ポツンと、かほりが言った。
 竹根は、その言葉をどのように解釈してよいのか解らなかったが、かほりが竹根の周波数と同じに竹根を受け入れていることを感じ取ることができた。
――これが、夫婦か。かほりが、父親から勘当されてまで、俺のところに来てくれたことは、一生忘れてはいけないのだ。この女性を、不幸にすることは罪悪なのだ――
 妻のかほりの入れてくれたお茶が、とてつもなくうまく感じた。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 5 コンサルティング・ファームからの電話

2025-02-14 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 5 コンサルティング・ファームからの電話 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆7-5 コンサルティング・ファームからの電話
 二月に入った暖かいある日曜日のことである。竹根は久しぶりに、妻のかほりが由紗里(ゆさり)と手をつないで散歩から戻ってきた。会社から一時間半の通勤時間の郊外に住んでいる竹根にとっては、挨拶回りで忙しく、それまでは日曜日もゆっくりできなかった。久しぶりに家族水入らずの団らんのひとときである。
 玄関をあがろうとした時に電話がなった。かほりが慌てて受話器を取った。はじめは「竹根です」といつもの話し方であったが、次第に声が小さくなってきた。売り込みなど、彼女にとって都合の悪い電話が来るといつもこのように話すので、竹根は「日曜なのに、熱心な営業マンもいるものだな」と思った。
「坂之下経営の小田川様ですね。ただいま代わりますので、少々お待ちください」と言ってから、受話器から声が通らないように掌でふたをして、竹根に相手の名前を伝えた。
 受話器を受け取った竹根は、坂之下経営と言えば、有名な経営コンサルタント会社のはずだけど、どんな要件なのだろう、と訝りながら「お電話を変わりました。竹根です」と丁寧に電話に出た。
 日曜であることを詫びながら、ケント光学の北野原社長の紹介であること、自分の役職や会社の概況説明をしてから、竹根に会いたいと言ってきた。北野原の名前が出たのでは会わないわけにはいかない。手帳のスケジュールを見ながら、火曜日の夕刻に銀座で会うことにした。
 小田川は、丁寧な言い方であるが、電話では面会の目的までは言わなかった。副社長だと言うから、別にコンサルティングの売り込みでもなさそうである。北野原がどのように関係するのかわからない。日曜なので、北野原に確認することもできない。
 せっかく、家族三人の散歩で、気分転換ができたのに、何となくすっきりしない日曜日が過ぎようとしていた。

 翌日、北野原に電話をしたが、二日間の人間ドックに入っているので連絡が取れないという返事であった。田近に電話を変わってもらって、坂之下経営の小田川という男を知らないかと聞いたが、知らないという。
 何もわからない状態で、小田川に会うことになった。
 銀座なので、超高級な料亭か、バーかと思ったが、路地を入ったところの気さくな女将のいる小料理屋であった。小田川は、六十歳を超えているのだろうか、身長は竹根とほぼ同じくらいだが、体重は有に九十キロを超えているだろう。
 小田川は、北野原とフルブライトの同期で、やはりニューヨークに三ヶ月ほどいたそうである。経営コンサルタント会社と言っても、有能なコンサルタントばかりがいるわけではなく、外部に優秀な人がいればヘッドハンティングをするのだそうだ。北野原が、何かの席で福田商事に優秀な人間がいると言うことを口にしたらしく、その日の会見のことを北野原は知らないはずであるという。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 4 商社は変身しなければならない

2025-02-07 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 4 商社は変身しなければならない 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆7-4 商社は変身しなければならない

 その後、あちらこちらに散らばっている福田商事の子会社、関係会社を駆け足で廻った。その大半がアメリカ詣でで竹根の世話になり、一様に竹根の献身的なアテンドに感謝をしている。その彼らは、やはり北野原と同じように福田商事の悪口を竹根に浴びせかけた。
 竹根は、考えた、悩んだ。
 そして、彼らの言い分を箇条書きに整理してみた。お茶を運んできた妻のかほりにそれを見せた。「あなたが、ニューヨークにいた時に言っていたことと同じね」と一言が返ってきた。
 その言葉に、「このままでいいの?」という声が含まれているような気がした。
 それからの竹根は、福田商事の実状を知ってもらおうと、角菊の時間が取れる時に、いろいろな角度で話した。のれんに腕押しの状態が続いた。
 次に竹根がしたことは、箇条書きにしたメーカーの言い分は、福田商事のどの部門の担当かによって振り分け、その担当者に直接話をするようにした。しばらくは、竹根の様子を見ていた角菊であるが、ある時に堪忍袋の緒が切れたらしい。竹根を別の階にある会議室に呼んで、「いろいろな部署から、竹根が難問を振りかけている」と苦情が来ていることを、顔を真っ赤にして三十分にわたって、くどくどと繰り返した。
 その原因は福田商事の体質、商社としての見方しかしていないことに原因があるとの竹根の反撃に、角菊はますます逆上してきた。
 竹根は、この状況では言っても仕方がないとあきらめかけた。そこに福田社長が顔を出した。
「竹根君、社内あちこちに難癖をつけて歩いているそうだね」
「社長、耳が早いですね」
「一体、何を言い廻っているのかね」
 福田が、聴く耳を差し出してきた。
――福田商事は、自分が売りたい商品には力を入れるが、売れない商品は、商品のせいにしてなかなか売ろうとしない。商品知識が不十分でライバルの専門メーカーに売り負かされている。もっと、顧客のニーズを掴んだ売り込みをして欲しいのに、価格を下げろとか、こういう機能がないから売れないとか、自分たちの努力不足を棚に上げて、言いたいことを言っている。言い方にしても、自分たちを下に見た、見下した言い方や、命令口調であったり、攻撃的な言葉をぶつけてきたりする――
 竹根は、メーカーの言い分を、要領よくまとめて福田に話した。角菊は、憮然として黙りこくっている。
 黙って聞いていた福田は、「竹根君、君はどうしたらよいと考えているのかね」と質問で返した。
――さすが、社長はやり方がうまい。汚いと言いたいところだけど・・・――
 竹根は、痛いところを突かれた。これを頂門一針というのかと思った。
「私は、商社としての福田商事と、子会社や関連会社というメーカー双方が抽象的なことを言っているので、このままでは平行線だと思います。もっと、双方が、対等な立場で、コミュニケーションを取るというか、意見交換をするべきだと考えています」
「それがベストな方法かどうかはわからないが、君の言いたいことはわかった。君も言っているように、確かにメーカーと商社では立場が異なるので、相容れられないこともある。しかし、今のままではいけないこともわかった。君が満足できるようになるかどうかは別にして、私なりに努力をしてみようと思う」
 福田は、角菊の方に視線を向けて「今日のところは、こんなことで、私の顔に免じて、竹根君を解放してやってはどうかね」と諭すように言った。
「社長、ありがとうございます」
 角菊が、刀をさやに収めて、その日は終わった。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 3 北野原との再会は想像だにしないことに

2025-01-31 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 3 北野原との再会は想像だにしないことに 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
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 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
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◆7-3 北野原との再会は想像だにしないことに
 ニューヨーク赴任から戻った竹根は、関係先への挨拶回りから始めることにした。その最初が、顕微鏡や関連商品の改良など、仕事上で世話になったケント光学の北野原である。
 北野原のケント光学は、東京の郊外にある。ボートレースで有名な東京競艇場近くであるが、まわりには工場と住宅が混在したところだ。
 北野原自身が、駅まで迎えに来てくれた。会社までの十数分の間、二人はアメリカでの思い出話に花を咲かせた。
 工場内部は、昔と変わらない。研磨工場、組み立て工場、加工工場など、小さいながらも最低限度のことができる設備や人材が揃っている。従業員は、五十人ほどであるが、比較的高齢者が多く、平均年齢は高い。中小企業の典型的な社員構成であろう。
 一通り、アメリカ市場をにらんだ報告と意見交換が終わると、食事に誘われた。まだ、時間的には早いが、十二月の冬の帳(とばり)は落ちていた。
 アルコールは欠かせない北野原だが、下戸の竹根には強要しない。少しアルコールが廻ってくると、相変わらず饒舌になる。
 ひとしきり、子会社や関係会社への福田商事の対応の悪さについて、福田商事関連の他の会社の経営者の声の実例を交えて、あれやこれやと出てきた。中には、アメリカでも聞いたことがいくつか含まれていた。
 アメリカ詣でに来た、いろいろな経営者・管理職の顔が思い出された。彼らも北野原と大同小異のことを言っていた。竹根は福田商事の立場もわかるが、彼らにも言い分があると思った。
――商社とメーカーというのは、やはり立場が異なるので、相容れない部分があるのだ――
 北野原には、子どもがいない。常務をしている田近は、竹根よりいくつか上だから三十五歳くらいになるのであろうか、北野原の甥御さんであることをニューヨークで聞いて知っていた。竹根は、以前田近と話をしたことがあり、人の良さそうな、温和しい人という印象を持っている。それが気に入らないのか、北野原は田近に物足りなさを感じているらしい。
 かなり、アルコールが廻ってきたところで、北野原から思わぬ言葉が口をついて出てきた。
「竹根さん、俺の後を継いでくれませんか」
 かしこまって、頭を深々と垂れたので、冗談ではないことがわかった。
「社長、頭を上げてください」
「竹根さんが、ウンと言ってくれるまで、頭を上げません」
 竹根が狼狽する様子を感じて、「今すぐでなくてもいいですから、考えてみてください」といいながら頭を上げた。
「社長、冗談を言わないでください。私のような若造が、社長の後継者になぞ、なれるわけがないではないですか」
「超一流とは行かないが、曲がりなりにも福田商事は大会社だ。そこのエリートコースに乗っているのだから、やめる気持ちにはなれないかもしれませんが、このままではケント光学の行く末が思いやられるのです」
「私が顕微鏡のことなど全く知らないド素人であることは、社長が一番よく知っているではないですか」
「いや、短期間に竹根さんは顕微鏡のユーザーの立場をよく理解してこられた。竹根さんのレポートを時々見せてもらったが、腹が立つようなことを、ズケズケとよくも書いてきたね」
「済みませんでした。まさか、社長がごらんになるとは思ってもみず、筆の勢いに任せて書きまくってしまいました」
「おれは、そんなあんたが好きだ。福田商事だけでなく、あんたのような、実直な人は少ないよ。それに、角菊さんを相手に、言うべきことは言う、なかなかサラリーマンにはできないことだよ。無理を承知で頼んでいる。この通りだ」
 北野原はまた深々と頭を下げた。
 直視することができないほど北野原の顔は真剣であった。深刻な顔と言ってもよい。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 2 東京での仕事に復帰

2025-01-24 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 2 東京での仕事に復帰  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆7-2 東京での仕事に復帰
 五年ぶりに東京に戻った竹根である。
 竹根には、海外営業部の中の企画部課長代理という役職が与えられた。滞米中に直接的だけでなく、間接的にお世話になった社内の人に挨拶回りをした。それが終わると子会社、関連会社など外部の人たちにも挨拶回りをするスケジュールを組むことにし、そちらの仕事は、当分の間は、その合間にすることにした。ニューヨークにいた時には、秘書が雑用を含め、竹根の世話を焼いてくれたが、東京ではそういうわけにはいかない。スケジュールを組んだら、自分でアポイント取りの電話をしなければならない。それが、非常に時間のロスのように思えた。「郷にいれば郷に従え」、早く東京流に慣れなければならないと自分に言い聞かせた。
「もしもし、福田商事の竹根と申します。北野原社長様はいらっしゃいますでしょうか」
 まず、第一にはやはり北野原社長に会うべきだと考え、電話をした。すぐに、北野原の声が聞こえた。
「竹根さん、よく戻りましたね」
「社長、それはどういう意味ですか。とにかく、ご無沙汰しています」
 まわりの人が二人の会話を聞いたら、何をとんちんかんなことを言っているのかと思うだろう。
「今日から出社していますが、社長のところにご挨拶にあがりたいのです。ご都合はいかがでしょうか?」
「竹根さんのためなら、万難を排しますよ。何時でも結構です」
「それではお言葉に甘えて、これから出たいと思います」
「では、東府中の駅までお迎えに行きます。急行に乗るか、特急なら調布で急行か各駅に乗り換えてください。南口で待っています」
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 1 五年ぶりの東京の街

2025-01-17 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 1 五年ぶりの東京の街 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻れる日が来ました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆7-1 五年ぶりの東京の街
 五年ぶりの東京の街は、ニューヨークに負けず劣らずクリスマスの雰囲気が盛り上がっている。東京駅から福田商事へ歩く途中、かほりと五年前に入った喫茶店ベルフワーの灯が見え、何かホッとした。後になって知ったのであるが、ベルフワーは、キキョウ科カンパニュラ属に属し、桔梗のような花の形をしたうす紫色の五弁の花びらを持つかわいい花である。花言葉は期せずして「真剣な恋」で、かほりと竹根にピッタリする花である。深く記憶に残るような恋という意味で使われる。
 竹根は、五年ぶりに東京で机に座った。新入社員も多く、浦島太郎の気分が半分わかるような気がする。かほりがいつも座っていた席には、竹根が顔は覚えているが、名前が出てこない女性が座っていた。かほりでないのが、何となく違和感として竹根にまとわりついた。
 いつの間にか、その女性が竹根の机のところに来て、「加丘です。アメリカのことをいろいろと教えてくださり、ありがとうございました。相本さん・・・奥様の後を引き継がせていただいてから、仕事が楽しくなりました。それも竹根さんのおかげです。あい・・・奥様は、幸運な方ですね」
「ああ、加丘さん、いろいろとお世話になりました。おかげさまで、妻がニューヨークに来てからは、それまで以上に面倒を見てくださり、本当に助かりました」
「いいえ、奥様が有能な方でしたので、私では至らないことばかり。ご迷惑でしたでしょ」
「そんなことはありませんよ」
「これからは、奥様の代わりに何かできることがありましたら、おっしゃってください」
「それはありがとう。でも、事業部長の秘書に仕事を頼むわけにはいきませんね。その代わり、わからないことがあったら教えてください。何しろ、浦島太郎ですから」
「ええ、もちろんです。何でもおっしゃってください。お礼が遅くなりましたが、皆にお土産をありがとうございました。皆喜んでいました」
「妻に任せっきりで・・・皆さんが喜んでくれたと、妻に伝えます」
 加丘は、席に戻った。
――そうか、彼女が加丘さんなのだ――竹根は、ようやく名前と顔が一致し、妻のかほりの後釜として数々の連絡手紙のことが昨日のように思い出された。
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 11  充実した日々

2025-01-10 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 11 充実した日々  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆6-11 充実した日々
 かほりと電話で話をできて、あきらめかけていた二人の間が急に温かいものになってきた。
 竹根は、仕事に、大学院の予習と復習に、今まで以上に身が入っている自分をうれしく思った。充実した日々のことを、毎夜かほりに手紙としてしたためた。かほりからも毎日のように、時には、重なって二通来る日もあった。そんなときにはうれしさが何倍かになる一方、翌日は、かほりから手紙が来ないことがわかっていながら、ときめきを持ってポストを開ける。
 かほりの手紙から、かほりが毎日仕事が終わると千葉の実家に行き、父親を口説いたことがわかった。頑固なかほりの父親は、かほりを勘当するとまでいい、かほりが出社した後、先日の竹根への最後通牒の電話をかほりの父親がしてきたこともわかった。
 勘当されたのだから、あとは竹根のもとに飛ぶしか自分の行くところはないと考えて、竹根に半月ぶりに手紙を書いてきたというのである。ようやく、竹根には、これまで手紙もなく、いきなり父親から電話があり、香りのする手紙が届くまでの経緯がわかった。
 竹根は、「自分に任せろ」という内容の手紙を、会社にいるかほりに電話したすぐあとに送った。それをかほりが受け取ったのは四日後であったが、かほりは次第に竹根の夫となることの自覚を持ち始めた。
 かほりは、竹根からの手紙を見せたことで、「第一関門の母親の了解も取れた」ということを伝えてきた。かほり自身も、自分の進むべき道が着実に拓かれ始めたことを実感できるようになってきた。
 戦後、二十歳そこそこで未亡人になってから、結婚もせず一人で育ててきた竹根の母は、かほりに優しい言葉の電話をした。
 それだけではなく、土地の権力者という、誰もがあまり近づかないかほりの父親を、怖いもの知らずで訪問して、説教をしたという。相手が、首を縦に振らないことがわかると「とにかく、竹根に籍を入れます」ときっぱりと言って帰ってきた。
 竹根が、それを知ったのは、会社のかほりに電話をしてから一週間後のことである。
 かくして、籍が入ったかほりは、会社でも皆から祝福され、ニューヨークに来ることになり、会社からは秘書として仕事をするように辞令が出た。三ヶ月後には、竹根は出張の時以外は、かほりと肩を並べて通勤することになっていた。
 竹根にとって、本社へのレポート、かほりへの手紙を書き続けたことで、ペンだこを育てるだけではなく、後に経営コンサルタントとしての仕事に重要な、文書での表現力がここでも培われた。
 駐在員事務所は、ニューヨーク法人となったが、相変わらず、日本からはアメリカ詣でがつづいた。一九七〇年代、海外で活躍する人たちは「企業戦士」と言われ、竹根も立派な企業戦士の一人となり、仕事も順調に進んだ。とりわけ、福田商事が開発した、日本で初めてのIC電卓は、アメリカでも順調に売れた。竹根が渡米して三年目には、めでたく大学院も卒業できた。
 長女も生まれた。アメリカで生まれたことにちなみ、「由紗里」と命名した。アメリカ、すなわちUSAは、「ゆさ」と読める。「アメリカが里」であるという意味である。
 丸五年のアメリカでの任期を終え、多くの経験、とりわけ、多くの中小企業の経営者・管理職と出会えた経験を持って、東京本社に帰任した。竹根にとって、もっとも大きな収穫は、かほりという人生のパートナーを得られたことである。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 10 かほりに電話をしようか・・・

2024-12-27 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 10 かほりに電話をしようか・・・  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆6-10 かほりに電話をしようか・・・
 懐かしい香りと共にかほりからの手紙を繰り返し読み続けた。読めば読むほど、心が乱れる竹根である。
――これでいいのだろうか――
――かほりさんにとって、これでいいのだろうか――
 自問自答を繰り返した。
――女性にここまで言わせておきながら、今更自問自答もなかろう――
 竹根は決心がついた。すぐにかほりに電話をした。呼び出し音が鳴り出した。胸がときめく。なんて言おうのか、考えもしないでかけてしまった。なんて言おう――
 呼び出し音はするけど、かほりは出てくれない。
――かほりさんの声を聞きたい――
 まだ、呼び出し音が鳴っている。
――これは、神様がかほりとの結婚を許さないという合図なのか――
 その時間は、日本では午前中で勤務時間中である。かほりは会社であろう。それがわかるとホッとした。神を信じているわけではない竹根が、神の啓示のように思ったことを、自分ながらおかしく思った。
――そうだ、たとえ会社で仕事中であろうと、かほりに一言感謝の言葉を伝えよう――
 そう思うと、もう受話器を握ってダイヤルを始めた。何度もかけたことのある会社の電話番号である。会社の交換台にすぐに繋がった。
「相本さんをお願いします」
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
 竹根は一瞬躊躇した。
「竹根と申しますが、相本さんには名前を言わないでつないでください」
 交換嬢は、それが同じ福田商事の竹根からとは気がつかないらしい。一瞬クスッと笑ったように聞こえた。
「はい、海外営業部の相本と申します」
――あの声だ。かほりさんの・・・――
 竹根が何も言わないと、「どちらさまでしょうか」と聞こえてきた。
「誰だと思います?」
 かほりの驚いた様子が、電話の向こうにうかがえた。
「手紙をありがとう。だけど、私から連絡をするまで、動かないでください。よろしいですね」
 有無を言わさない竹根の言い方は、かほりにとっては初めてである。かほりは涙をこらえようとするが、ほおをツーと流れるのがわかる。うなずくだけで、声にはならない。
「かほりさんの気持ちがうれしい。では電話を切ります」
 かほりは受話器を握ったまま、うつむき状態で見える範囲の周囲を見回した。誰もかほりのことを見ている人はいないようである。他の人に見られないように、化粧室に飛び込んだ。ハンカチで目頭を押さえてから、目の周りとほおを水に濡れた手で涙を拭いた。じっと鏡の中の自分を見つめた。しばらくして落ち着いたところで化粧をし直した。
――好助さんは私の気持ちを受け入れてくれたのだわ――
 竹根の声がまだかほりの耳に残っている。力強い「連絡するまで動くな」という言葉が・・・
  <続く>

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【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 9 懐かしい香りの便り

2024-12-20 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 9 懐かしい香りの便り  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-9 懐かしい香りの便り
 かほりとの手紙のやりとりが中断して、まだ、それほど日にちは経っていないに、何か月も経ったような思いの竹根である。
 帰宅して、いつものように玄関を入って、郵便箱の鍵を取り出そうとポケットに手を入れた時に、何となくなじみのある香りがした。周りを見まわしたが女性がいるわけでもなく、一瞬のことで、何の香りかわからず、気のせいのようにも思えた。鍵を差し込んで、ポストのドアを開けようとすると、かすかながら確かになじみの香りがする。庭に植えられた四季咲きのバラかと思ったが、それとも違う、懐かしさを感じさせる香りである。
 ポストを開けると、その香りが顔を包み込んだ。一通の見慣れた封筒から香りがこもれ出ていて、ポストを開けた瞬間それが竹根の顔をめがけて、香りのキッスを繰り返したのだ。すぐにかほりからのものとわかると、あきらめたはずの決心が、その香りで吹き飛ばされてしまった。
 封筒を掴むと、一目散に二階の自室に駆け上がった。アパートの鍵を開けようとするが、手が震えて、なかなか刺さらない。もどかしさに、普通ならイライラするところを、なぜかきもちははやるが、そのようないらつきではなく、ときめきという表現に近い。
 いつもの竹根なら丁寧に開封するのに、乱暴に封を切った。かほりの香りが部屋中に広がる様が見えるようだ。その広がりを見るよりも、早く手紙を読みたい。
――好助様
 ここのところ、お手紙もなく、部屋が凍り付いた毎日です。
 私が手紙を出さない報いなので仕方がありませんね。
 今日、父が好助さんに電話をしたと電話で言ってきました。父の失礼な言葉をお許しください。
 私は、決心をしました。あなたについて行きます――
 そこまで読んでから、玄関の横にあるいすに腰を下ろしてから、またはじめから読み返した。歓天喜地(かんてんぎち)の竹根である。その言葉通り、天に向かって大声を上げて叫びたい、地に対して多いに喜びたい心地である。
――父の言葉を聞いていて、私は決めたのです。会社を辞め、アパートを引き払って、できるだけ早くあなたのところに飛んでいきます――
 竹根は、先を急いだ。そこからは、最後まで一気に読んだ。
――あの温和しいかほりさんが、なんと激しいことを・・・父親の反対を押し切ってでも自分のところに来るという・・・そんなかほりさんをあきらめようとした自分が恥ずかしい――
 竹根は、それから何度も何度も手紙を読んだ、そらんじて言えるくらい、かほりの香りに包まれながら、三枚に渡るかほりの手紙を読んだ。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 8 あきらめるべきか、強行すべきか、それが問題だ

2024-12-13 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 8 あきらめるべきか、強行すべきか、それが問題だ  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-8 あきらめるべきか、強行すべきか、それが問題だ
 かほりの父親からの電話で、かほりをあきらめるべきなのか、それとも、自分の選んだ人との人生を考えるべきか・・・
 右に振れたり、左に振れたりと振り子のように揺れているうちに、次第に振幅は小さくなり、かほりをあきらめるところで止まりそうで止まらない。「熟慮断行の時が来た」という声が遠くに聞こえたような気がする。
 窓に指す陽に目が覚めた。振り子はあきらめのポジションで揺れるのをやめたのである。かほりのことで吹っ切れた竹根は、歩く足が軽く感じられた。本社からの手紙を見るとこれまではすぐにかほりとのひとときを思いだすが、その日はいつもほどではない自分をみた。一度決断すると切り替えが速いのが竹根の長所の一つでもある。
――俺は、こうして成長して行くんだ――
 忙しい一週間がまた始まった。その週は、近場での仕事が中心となるスケジュールである。市内の顧客を訪問したり、隣接する地域や隣のニュージャージーへも足を伸ばした。セントラルパークの西側にあるコロンビア大学の北にあるジョージワシントン橋を渡ったニュージャージー側は緑も多く、そこからのマンハッタンの景色は、摩天楼が林立する南側とはまた違った落ち着きのある雰囲気で、それが竹根は好きである。
 車で来た人がマンハッタンをゆっくりと見られるように、小さな展望スペースが設けられている。小さな公園風に仕立ててある。日本では、このようなところには税金を投じることがないのだろう。社会資本の違いもカルチャーショックの一つである。暮れなずむ夕日に、そこから見るジョージワシントン橋が光っている。橋の上で、帰宅する車のヘッドライトが、マンハッタンに向かうバックライトの赤よりも多い時間帯になった。
 アパートにたどり着いた時は、夜のとばりが降り始まめていた。竹根が住むアパートは、空から見た全体がU字型をしていて、通りに面した側に門がある。中庭には、季節の花が植えられ、中央には、煉瓦造りの守衛小屋がある。ライトアップをされている様は、メルヘンを感じさせる。中から管理人をしている黒人のジョーが白い掌を上げた。オールド・ブラック・ジョーというあだ名を竹根はつけている。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 7 かほりの父親からの電話

2024-12-06 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 7 かほりの父親からの電話  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆6-7 かほりの父親からの電話
 二月に入ったある夜のことである。電話がなった。夜の電話は、よい内容ではないことが多く、悪い予感が走った。聞き覚えのない男性からの日本語での電話である。男は、相本と名乗っているが、接続状態がよくないのか、不明朗で聞きづらい。まさか、かほりの婚約者が電話をしてきたのかと一瞬思った。
――婚約者なら『相本』と名乗るはずがない。かほりさんには兄さんがいるから、入り婿ではなくかほりさんを嫁に出すのが普通のやり方だ。強引に結婚させられてその夫から電話が来たのだろうか――理屈にもならないような、嫌な思いが竹根を襲った。
 ようやく相手の声がはっきりと聞こえるようになって初めて、かほりの父親であることがわかった。かほりには、自分が決めた婚約者がいるから、以後付き合いをやめて欲しいという、慇懃無礼な言い方であった。こういう時に、竹根はどう答えてよいのか、訓練を受けていなかった。かほりの父親というのは、県会議員を何年もやっており、近い将来は県議会の議長にという声も強くなっているという。それだけに押し出しの強さが電話の向こうから伝わってくる。
「ご主旨は、わかりました。ただ、かほりさんのご意向もご考慮に入れていただきたいと思います」と応えるのが精一杯のことであった。
 電話が切れると、虚脱状態になった。しばらくその状態が続いた。かほりから手紙が来ない理由が頷けた。
――こんなに彼女を苦しめているのは、自分なのだ。これ以上苦しめないために、やはりあきらめるのがよいのだろう。彼女のお父さんが言っている婚約者というのは、お父さんの後継者であると明言している。竹根のようなサラリーマンと結婚するよりは、裕福な生活が待っているだろう。旧家には、旧家のしきたりがある。それを無視することは、世の中のしきたりに反することで、彼女にとってもよいことはないだろう――
 そう思ったばかりであるのに、次の瞬間には小さく潜んでいたもう一人の竹根が久しぶりに大きな声を張り上げ始めた。竹根は、また胃がキューっとしてきた。
 しかし、かほりに理由も言わずに姿を隠すことには後ろめたさを覚える。竹根は手紙を書くことをやめる決心をした。彼女のお父さんに屈服するわけではなく、かほりの幸せを考えると、それが一番よい方法だと確信した。相手のことを考えすぎるのが、竹根の長所でもあり、そのために損をすることもこれまでも多かった。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 6 便りのないのは良い便り?

2024-11-29 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 6 便りのないのは良い便り? 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-6 便りのないのは良い便り?
 想定もしていなかったかほりの態度に、戸惑うどころか、天にも昇る心地の竹根であった。神田明神で、商売繁盛につきあってくれたかほりとのひとときであった。
 あっという間に東京でのそれからの三日間が過ぎた。四日が仕事始めで、忙しいスケジュールが始まった。かほりと二人だけで会う時間はなかった。
 寒さの厳しいニューヨークに戻ってからは、スケジュールに追われた。滞在中に打ち合わせをしたオフィス家具のノックダウン・ビジネスは順調に進んだ。統計器のビジネスは、竹根には無関係に、本社の統計器担当者と直接やりとりをしているので、推移を見守るだけである。時々、儀礼的に担当者に竹根から電話をしたり、近くに行く時には必ず顔を合わすようにした。
 ビジネスが進展するにつれ、駐在員事務所という現状が問題になってきた。ケント光学の北野原社長がアメリカに来たとき、ソーホー科学機器で言われた「在庫は充分あるのか?」という入札に即対応できる体制が必要である。すなわち今までのように駐在員事務所として連絡係程度のやり方では済まなくなってきたのである。ニューヨーク事務所が、信用状を開いて、本社から輸入をして、在庫を持つというアメリカ企業と同じやり方をこちらがしないと、大きな発展をするためには、今までのやり方ではやりにくくなってきた。
 幸い、竹根が通っているマンハッタン大学大学院の受講科目の中にニューヨーク州ビジネス法が含まれている。それを勉強するうちに、竹根が推進しようとしているビジネスは、ニューヨーク法人でないとできないことがわかってきた。
 竹根の次の提案は、福田商事のニューヨーク駐在員事務所をニューヨーク法人に格上げすることである。法律書や教科書、参考書を読みあさった。竹根の速読力はこの期間に極端に改善された。英語の斜め読みはできないと一般的には言われているが、日本語の斜め読みほどではないが、竹根には英語でも斜め読みができるようになってきた。入ってくる情報量が増えると、それを報告するレポートが増え、ペンだこはカチカチに固まってきた。
 昼間は時間に追われているし、夜は大学院に通う。その予習復習などをサボると、とたんに授業について行けなくなるので、必死である。帰ってくるのが十一時頃になる。それからが竹根の時間であるが、昨年の暮れまでは、寂しい帰宅であった。今はかほりに手紙を書く楽しみが増えた。毎晩、かほりに手紙を書いた。
 ところが、かほりからは全然返事がない。正月の初デート、その事実を考えれば、着実に二人の関係は進展しているはずだ。はじめは、忙しくて手紙を書く時間もないのだろうと自分にいいきかせていたが、どうもおかしい。
 おかしいと思い始めると、胃が痛むようになってきた。「恋をすると食事も喉を通らない」ということをよく聞くが、食欲はあまりないけど、食べることはできる。
 そんな日が何日か続くと、昼間の仕事の方もつらく思えるようになってきた。現地法人化に関する提案も一段落し、返事待ちの状態である。いつしか本社に書くレポートのページ数も少なくなってしまったような気もする。手紙は毎晩書き続けた。返事が来ないことへの恨み言は、絶対に書いてはいけないと自分に言い聞かせた。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 5 かほりからの電話は?

2024-11-22 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 5 かほりからの電話は? 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-5 かほりからの電話は?
 日本に戻った竹根の正月、一枚だけの年賀状で母が大車輪。
 母のすすめで、年賀状の主、かほりに、胸を高鳴らせながら電話をしたが、つっけんどんな中年女性の不在返事に、嫌な予感がした。
 夕方、かほりから電話があった。
「今朝ほどは特別に用事があるわけではないのに電話をして済みません」
 かほりは、返す言葉に詰まったように一瞬間があった。「明日、友達と神田明神で待ち合わせをしています。もし、よろしかったら竹根さんもご一緒しませんか」と思わぬ言葉が続いた。
 待ち合わせの時間を確認して、出かけることになった。竹根の母はうれしそうであった。
 翌日、時間より十五分前に竹根は約束の場所に着くと、もうかほりはそこで待っていた。
「あれ、ごめんなさい。遅くなっちゃって。お友達はまだですか?」
「実は、友達と待ち合わせなんて、嘘なんです」
 両肩を上げて、にこりとしたかほりの答えに竹根は驚いた。
――あのかほりさんが、このようなことをするなんて――
「実は、今日、婚約者の家族がうちに来ることになっていたんです。それが嫌で、何とか口実をつってでも、家にいたくなかったの」
「私が、かほりさんに嘘をつかせてしまったというわけですか?」
「竹根さんをだしに使って、ごめんなさい。先日も言いましたが、私はまだ結婚をする気持ちはないの」
 きっぱりというかほりの気持ちが、やはり竹根にはわからない。
「だけど、なんで神田明神なんですか?」
「だって、竹根さんのアメリカでのビジネスが上手に進むようにお願いしたかったんだもん」
 今までのかほりのイメージにはない、そのはしゃぎように戸惑いを覚えた。
 お参りも済ませ、お茶の水の方向に何とはなしに歩き出した。今の状況が、信じられない竹根である。あのかほりが今自分の右側に寄り添うように歩いている。
 御茶ノ水の駅前の喫茶店で、何時間も二人で過ごした。別れる時は、あと一分でもいいから一緒にいたい、これが今生の別れになるのかもしれないと言うくらい、竹根はつらかった。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 4 母の思わぬ言葉

2024-11-15 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 4 母の思わぬ言葉 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
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 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

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 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
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◆6-4 母の思わぬ言葉
 正月は、母と二人で近所の天神様にお参りに行った。
 竹根が日本に一時帰国していることは誰も知らないので、年賀状は来ない。来ないはずが、一枚だけ、好助の名前が書かれた年賀状が来ていた。見慣れた文字に、竹根の心が騒いだ。
 竹根宛の年賀状が一枚だけなので目立ったのであろう、母が、どのような女性なのか、興味を持ったようである。竹根は、はじめは福田商事の社員で、日本での竹根の連絡係を務めてくれていると簡単に説明をしたが、母は満足しないでいる。しかたなしに、これまでのことを簡単に説明すると竹根が予想だにしない言葉が母の口から出た。
「すぐ電話しなさい。私と一緒に、先方に行ってきましょう」
 竹根には、その言葉の意味が一瞬理解できなかった。
「だって、お母さん、先方は、千葉の大地主で、地元の名士なんだよ。しかるべきところへでもなければ、嫁になんか出さないよ」
「そんなことを言って、好助、おまえはそんなよいお嬢さんを他の男に取られてもいいのかい?」
 そういわれると、竹根は逆に否定したい気持ちになった。
「それは、俺もあの人ならいい嫁さんになってくれると思う。でも、世の中というのは、そう言うモノでもないだろう。いつも、お母さんが言っているだろう」
「それは、それ、これは、これ」
 理屈にもならない、母らしからぬ言いぐさである。
 有無を言わさない母親のことをよく知っている竹根である。とりあえず、年賀状に書かれている電話番号に電話をかけた。
「はい、相本でございます」
 中年の女性の声である。
「私、福田商事で相本かほりさんにお世話になっている竹根と申します」
 竹根が話しかけると「お嬢様は、ただいま初詣にお出かけです。お帰りの時間はわかりません」ととりつく島もない冷たい言葉が返ってきた。
「では、竹根から電話があったとだけお伝えください」
「竹根さんですね。わかりました。お伝えはいたします」
 若い男からの電話なので、つっけんどんである。結婚前の娘にかかってきた電話が不愉快なのであろう。元日早々からのこの出来事が、逆の立場なら竹根にもわかる気がする。
――これで、完全に壊れてしまっただろうな――
 自分のことを思ってのことであるのに、何となく母が恨めしく思える竹根であった。
  <続く>

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