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■【あたりまえ経営のすすめ】3部 ビジネスパーソン編 5章 ビジネスパーソンの論理思考法
多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。
世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。
ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。
ビジネスパーソンも、“真”のプロでなければ勝ち残りは愚か、生き残りもできません。
ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。
エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。
「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。
では、「あたり前」とは、なんでしょうか?
「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。
あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。
経営に王道なし
1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。
■ 3部 【あたりまえ経営のすすめ ビジネスパーソン編】 ビジネスパーソンがめざす一歩上の発想とスキル
本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。
将来社会を担うビジネスパーソンのためのテーマでもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。この論理を「痛感できる」ビジネスパーソンでなければなりません。
時代に即したスキルを磨きながら、業務に活かし、自分の更なる成長に繋げるにはどうしたらよいのでしょうか。その方法は、多岐にわたると思いますが、そのヒントとして、一助になるように、半世紀にわたる経営コンサルタント歴からお話して参りますので、参考にしてくださると幸いです。
ビジネスパーソンは、常に「管理とは何か」を知り、自己管理ができなければなりません。ただしい「管理」を理解し、実践する❷は、「温かい管理」とは何かを正しく理解しなければ、上司からも、社会からも正しく評価されません。
温かい管理とは
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f
ここでは、ビジネスパーソンなら誰もが知っているようなことを整理してみました。
知識としてはご存知のことでしょうが、莫迦にしないで、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。
士業・コンサルタントなど専門業とする先生方は、それを自分のものにし、現場では自分の体から出るオーラのごとく、相手に「感じさせる」ことができるようにして下さい。
■ 第3部5章 ビジネスパーソンの論理思考法
「日本人は、理屈に弱く、外交でも外国に押し切られてしまうことが多い」とお考えの人が多いと思います。
グローバル経済下においては、そのようなことを言っていられません。
論理思考を鍛える必要がありますが、その方法が解らないでいる人が多いでしょう。
論理思考を身に付ける方法は、いろいろとあります。それぞれ一長一短ががありますが、私がお薦めするのは「ロジカル・シンキング」です。
ロジカル・シンキングは、論理思考を学ぶための方法であるとともに、論理思考をするためのスキルでもあるからです。
手前味噌になりますが、本シリーズの第6部の論理思考体得法の連載をご覧下さると幸いです。
【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ6 思考法
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c6fd6770e8216d5d582d0f1f467ee661
■【あたりまえ経営のすすめ】 バックナンバー
あたり前の重要性を知る ←クリック
■【プロの心構え】 バックナンバー
プロとして、いかに思考すべきか ←クリック
■【あたりまえ経営のすすめ】3部 ビジネスパーソン編 5章 ビジネスパーソンの論理思考法
多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。
世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。
ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。
ビジネスパーソンも、“真”のプロでなければ勝ち残りは愚か、生き残りもできません。
ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。
エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。
「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。
では、「あたり前」とは、なんでしょうか?
「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。
あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。
経営に王道なし
1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。
■ 3部 【あたりまえ経営のすすめ ビジネスパーソン編】 ビジネスパーソンがめざす一歩上の発想とスキル
本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。
将来社会を担うビジネスパーソンのためのテーマでもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。この論理を「痛感できる」ビジネスパーソンでなければなりません。
時代に即したスキルを磨きながら、業務に活かし、自分の更なる成長に繋げるにはどうしたらよいのでしょうか。その方法は、多岐にわたると思いますが、そのヒントとして、一助になるように、半世紀にわたる経営コンサルタント歴からお話して参りますので、参考にしてくださると幸いです。
ビジネスパーソンは、常に「管理とは何か」を知り、自己管理ができなければなりません。ただしい「管理」を理解し、実践する❷は、「温かい管理」とは何かを正しく理解しなければ、上司からも、社会からも正しく評価されません。
温かい管理とは
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f
ここでは、ビジネスパーソンなら誰もが知っているようなことを整理してみました。
知識としてはご存知のことでしょうが、莫迦にしないで、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。
士業・コンサルタントなど専門業とする先生方は、それを自分のものにし、現場では自分の体から出るオーラのごとく、相手に「感じさせる」ことができるようにして下さい。
■ 第3部5章 ビジネスパーソンの論理思考法
「日本人は、理屈に弱く、外交でも外国に押し切られてしまうことが多い」とお考えの人が多いと思います。
グローバル経済下においては、そのようなことを言っていられません。
論理思考を鍛える必要がありますが、その方法が解らないでいる人が多いでしょう。
論理思考を身に付ける方法は、いろいろとあります。それぞれ一長一短ががありますが、私がお薦めするのは「ロジカル・シンキング」です。
ロジカル・シンキングは、論理思考を学ぶための方法であるとともに、論理思考をするためのスキルでもあるからです。
手前味噌になりますが、本シリーズの第6部の論理思考体得法の連載をご覧下さると幸いです。
【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ6 思考法
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独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ クラーク,ウィリアム・スミス 少年よ大志を抱け
William Smith Clark
1826年7月31日- 1886年3月9日
アメリカ人の教育者であり、化学、植物学、動物学の教師でもあります。農学教育のリーダーで、1876年(明治9年)札幌農学校(現北海道大学)を開校し、初代教頭を務めています。
同大学では、専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えたといいます。
この他、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じ、のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をしました。
日本ではクラーク博士として知られ、日本人から見るといわゆる「お雇い外国人」のひとりといえます。
札幌農学校1期生との別れの際に、北海道札幌郡月寒村島松駅逓所(現在の北広島市島松)でクラークが発したとされるクラークの言葉が、よく知られています。
「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」として知られていますが、クラークの離日後しばらくは記録したものがなく、後世の創作によるものだと考えられた時代がありました。
1期生の大島正健(後の甲府中学校(現甲府第一高等学校)の学校長)による離別を描いた漢詩に、「青年奮起立功名」とあることから、これを逆翻訳したものとも言われました。
しかし、大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録しています。安東が、当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラークの言葉として、1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に発表していたことが判明しました。
安東によれば、全文は「Boys, be ambitious like this old man」であり、これは「この老人(=私)のように、あなたたち若い人も野心的であれ」という意味になります。
北海道大学で 【カシャリ! ひとり旅】
http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-sapporo/hokkaido-sapporo04.htm
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f
◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。
一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281
◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e
【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。
二兎を追うブログ
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。
■ 一粒”ン”百円の梅干し、ホンモノの梅干し 730
ある人から南高梅の詰め合わせをいただいたことがあります。
果肉がジャムのようで、実に美味です。
孫と遊びに来ていた娘が「お父さん、これは1個ン百円もするのだから、じっくり味わって食べてね」とあたかも自分が持参したような口ぶりで言っていました。
スーパーマーケットの梅干しでも、その価格の高いのにも驚きます。
やすいモノを見ますと、中国産です。
最近は、梅干しではなく、梅漬け、梅干しまがいのものが、梅干しとして売られています。
それはそれでおいしいですが、梅干しではないですよね。
しその香りがほのかにして、目の前にあると口の奥の左右に酸っぱさが反射的に先行します。
口に入れると途端に「酸っぱさ」が爆発!!!
赤く染まったご飯が、また格別においしく感じます。
(ドアノブ)
◆ ツイッターでのつぶやき
【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】
◇ 経営コンサルタントへの近道・資格取得 ◇ コンサルタントバンク人材銀行 ◇ 経営コンサルタントになろう ◇ 経営コンサルタントQ&A ◇ 独立・起業/転職
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◇ 杉浦日向子の江戸塾 ◇ ニュース・時代の読み方 ◇ 時代の読み方・総集編 ◇ 経営コンサルタントの本棚 ◇ 写真・旅行・趣味 ◇ お節介焼き情報 ◇ 知り得情報 ◇ 健康・環境 ◇ セミナー情報 ◇ カシャリ!一人旅
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中
まつだいら のりやす
寛延元年(1748年)-文政9年6月26日(1826年7月30日)
江戸時代中期から後期にかけての大名・老中で、美濃国岩村藩主で従四位下・侍従の官位を賜っています。
丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生しましたが、先代藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから養子に迎えられ、養父の隠居により家督を相続しました。奏者番、若年寄、大坂城代、西丸老中などを歴任しました。
1826年(文政9年) 6月26日に、老中在職のまま死去しました。享年78歳でした。
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。
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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。
一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281
◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e
【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。
■【きょうの人】 0729 堀田 正英 江戸時代前期の大名、常陸北条藩主、綱吉の子の守役
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 堀田 正英 江戸時代前期の大名、常陸北条藩主、綱吉の子の守役
ほった まさひで
寛永15年(1638年)-貞享5年7月3日(1688年7月29日)
江戸時代前期の大名、常陸北条藩主で、江戸幕府の若年寄も務めました。
寛永15年(1638年)、信濃松本藩主・堀田正盛の四男として生まれ、寛永18年(1641年)、第3代将軍・徳川家光の小姓となりました。
万治2年(1659年)に、中奥の御小姓に任じられ、寛文9年(1669年)に小姓組番頭に任じられ、頭角を現してきます。
その後も、書院番頭、大番頭と要職を歴任するようになり、延宝8年(1680年)には第5代将軍・徳川綱吉の世子・徳松の守役に任じられました。
その後、若年寄に任じられ、1万3000石大名となり、常陸北条藩主となりました。
貞享5年(1688年)7月3日に死去、享年51才でした。
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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。
一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
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【 注 】
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■ 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家
えどがわ らんぽ
1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)
大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。
戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。
本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。
ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。
三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。
1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。
1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。
江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。
助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
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■ 良忠 鎌倉時代中期の浄土宗の僧
りょうちゅう
正治元年7月27日 - 弘安10年7月6日 (1199年8月20日 - 1287年8月16日)
鎌倉時代中期の僧で、浄土宗第3祖、諱は然阿(ねんな)、記主禅師の諡号が滅後7年の永仁元年(1293年)に伏見天皇より贈られています。
善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。
信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。
そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。
鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。
建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。
弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。
■ デュマ 椿姫を代表作とするフランスの劇作家
アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils)
1824年7月27日 - 1895年11月27日
フランスの劇作家、小説家で、父(大デュマ)と区別するために「小デュマ」、またはフィス(息子)を付けて呼ばれます。
ロマン主義演劇の大家であった父の影響を受けながらも、小さな世界を写実的にしっとりと描く作風が特徴です。
パリに生まれ、充分な教育を受けました。
若い頃は、父親の金で遊び呆けていましが、1844年暮れ、20歳の時に7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦(クルチザンヌ)マリー・デュプレシと出会い、恋に落ちました。
マリーは間もなく病死するのですが、1848年に彼女との思い出を小説『椿姫』として書き上げて出版し、これがデュマの代表作となりました。翌年、その戯曲版を執筆して大成功に収めます。
パリの演劇界で絶大な影響力を持ち、経済、文学両面でも大成功を収め、フランスの国立学術団体でありますアカデミー・フランセーズ入り(座席番号2)も果たしました。
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【 注 】
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■ 隆光 知足院を護持院と改称してその開山
りゅうこう
慶安2年2月8日(1649年3月20日)-享保9年6月7日(1724年7月26日)
江戸時代中期の新義真言宗の僧で、大和国の旧家河辺氏からの出身。初名は、河辺隆長、字(あざな)は栄春です。
1658年(万治元年)仏門に入り、長谷寺・唐招提寺で修学した後、奈良・醍醐で密教を修め、儒学・老荘をも学びました。
1686年(貞享3年)5代将軍徳川綱吉の命により、将軍家の祈祷寺である筑波山知足院の住職となり、その後、急速に綱吉の帰依を得ることになりました。10月3日に、江戸城黒書院で安鎮法を修しています。
1688年(元禄元年)には、知足院を神田橋外に移して護持院と改称してその開山となりました。
1695年(元禄8年)には新義真言宗の僧では初めて大僧正となり、宝永4年2月25日に隠居し、駿河台成満院へ転住しました。
しかし、綱吉の死去と共に失脚し、宝永6年(1709年)には江戸城への登城を禁じられるまでに至りました。
筑波山知足院への復帰願いも認められず、失意の内に大和に帰郷し没したといわれています。墓所は大阪府羽曳野市と奈良市の佐紀幼稚園裏の2カ所にあります。
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経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。
日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。
【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。
幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけましたところ、ご協力いただけることになりました。
それが、今日まで継続されていますので、10年余もの長きにわたって、皆様にお届けできていることに誇りを持っています。
■ 今日のおすすめ
『高橋洋一のファクトチェック2023年版』
(高橋洋一著 ワック文庫)
■ You Tubeチャネルが、書籍に(はじめに)
紹介本は、You Tubeの「高橋洋一チャネル」の2021年から2023年3月までに配信した中から、40テーマにポイントを絞り、国内経済、国内政治、国際経済、国際政治の四つのジャンルに編成・編集し、書籍にしたものです。
最近は音声認識を簡単かつ安価に、文字起しを出来る時代になりました。DX時代・SNS時代を象徴する書籍と言えます。
この書籍の面白いところは、執筆のような文章ではなく、ナラティブな文章であることです。加えて、40テーマが232ページでナラティブされており、1テーマ当り5.8ページで簡潔に語られています。ちょっと一休みし乍ら、PESTのP(政治)とE(経済)のポイントを読み取ることが出来る“コラム”と言えます。
それでは次項で「ちょっと一休みし乍らの『PEコラム』」の幾つかをご紹介しましょう。
■ ちょっと一休みし乍ら「P(政治)E(経済)コラム」をどうぞ
【実は日本は黒字なのに赤字に見せたい財務省―国債の仕組みから解説―】
著者が言う「日本の財政は黒字」を数字で追ってみましょう。著者は国債の仕組みから黒字と説明します。日本国債の残高は1000兆円〈1079。以下〈〉は実数〉、、その内500兆円〈526〉は日銀が保有、残りの500兆円〈553〉は民間が保有する前提で説明します。
その上で、日銀の保有分について、政府の支払い金利は、日銀から入る収入で支払うのでチャラ。民間の保有分についての金利支払いは、政府が保有する600兆円〈606〉の金融資産などの収入でカバーできるとします。
加えて、返済・借換については、日銀保有分については借換債を渡すだけで良いし、また、民間分については政府保有金融資産などの処分で、何時でも返済できる状態の中で、借換できるので全く問題ないとします。(〈〉の実数は、令和5年3月財務省主計局「令和3年度『国の財務書類』のポイント」より引用)
以上収支の面から黒字であることを見てきましたが、連結B/Sの面で見てみましょう。最新の連結B/Sを示す「令和3年度『国の財務書類』」によると、▲571兆円の資産・負債差額です。つまり純資産が赤字だと言っているのです。ここが「赤字に見せたい財務省」のキー数値です。しかし、著者によれば、政府純資産は黒字と主張します。この点についてのIMFの報告を見てみましょう。
IMFの「Managing Public Wealth oct 2018」(公的機関のバランスシート:対GDP比 2016年)です。〔図1〕を参照ください。
IMF基準では、中央銀行の国債保有残高は、連結では相殺されるのです。IMF基準では、日本の純資産の赤字は3兆円。G7の中で、日本はカナダに次いで財政状態が良いのです(イタリアの日本以下は別途確認)。
この点について著者は、外為特別会計の含み益23兆円や埋蔵金を加味すれば純資産はトントンないしはプラスとし、財務省の、赤字を強調し実態を明らかにしない姿勢に疑問を投げかけています。
【アベノミクス潰えて失われた20年がやってくる】
日本の金融政策は、金融緩和を行うとインフレ率が上がり失業率が下がる「フィリップス曲線」理論と、インフレ率を上げても失業率が下がらない失業率の最低ラインNAIRU(自然失業率=完全雇用下における理論的失業率;〈注2〉)の考え方が背景にあります。現在は、安定的な経済成長と雇用状況(失業率と実質賃金)を目標に、NAIRUを2.5%、NAIRUを実現する安定的目標インフレ率を2%として金融緩和を継続しています。〈注2〉
直近の、インフレ率(消費者物価とGDPデフレーター)、失業率、実質賃金について見てみましょう。2023年4月の消費者物価の前年比は、コアコア(除く生鮮食品・エネルギー)で+4.1%です。失業率は、2022年通年は2.6%、2023年1月は2.4%、2月2.6%、3月2.8%、4月2.6%です。実質賃金の前年比は、2022年▲1.0、2023年1月▲4.1%、2月▲2.9%、3月▲2.3%です。12か月連続のマイナスです。GDPデフレーターの前年比は、2022年は+0.2%、2023年1~3月期は+2.0%です。(GDPデフレーター=名目GDP÷実質GDP:GDPに計上される全ての財・サービスを含むため、消費者物価指数よりも包括的な物価指標と言えます。)
著者は今の状況について次の様に説明しています。「見かけ上はインフレ目標を達成したように見えるけれど、GDPデフレーターで見ると達成していませんから、こういう時には積極財政と金融緩和が必要ですよ」「インフレ目標のターゲットに到達していないのに増税なんかすると、もう1回、失われた20年が来るかもしれない。」
今後の金融政策の動向には、実質賃金のプラス圏での安定的な伸びとGDPデフレーターに注目したいですね。
【ようやく30年前に戻れたのに、円安の何が悪い?】
著者は日経新聞の「悪い円安論」を次のように解説します。「日経新聞は円安だ!大変だ!と騒いでいた。・・日経がなぜこのようなスタンスをとるのか。それは、厳しい資本規制により、下手をすれば撤退と引き換えに工場からインフラからすべて取り上げられる中国をこれまでずっと押してきた。・・だから円安が悪い悪いと言わざるを得ないんだ。」
一方、日経新聞は「消えた『悪い円安』、株高との好循環が再び」(2023.5.22日経朝刊)と題し、「2023年1月には、輸出物価が輸入物価を上回り、5月には株価も上昇し、『悪い円安』が消え、好循環がやってきた」とする記事で、辻褄を合わせています。
最初から「円安の何が悪い」と言っていたのが著者です。著者は経済学と世界のファクトから、通貨安は「近隣窮乏化政策」と、次のように解説します。「通貨安は海外から文句が来ることはあっても、国内から止めることは国益に反する。これは国際機関での経済分析からも知られている。ざっくり言えば、10%の円安でGDPは1%程度高まる。その結果、税収増も望めるので、円安は抑えてはいけない。」(2022.9.8 J-castニュース 著者執筆より)
間違ったマスコミや世論には左右されず、ファクトに基づく政策が遂行されることを期待したいですね。
【環境運動家のグレタちゃんは真っ赤な女の子】
著者は次の様に語ります。「グレタさんは共産主義に転向したのかって言う人がいるけれど、・・もともとそうだったのが判りますよ。だって世界最大のCO₂排出国・中国のこと何も言わないじゃない。」
この延長で著者は、環境問題に係る多くの学者・活動家の歴史を語ります。「それは30年前のソ連邦の崩壊に遡ります。ソビエト連邦が崩壊して共産主義の研究が出来なくなり、何をしようかと、かなりの人が環境問題に移ってきたのです。環境問題の延長線上にあるのが、環境問題にビジネス風味を付けたのがSDGsです。環境問題と共産主義の親和性は高いんですよ」と。
環境問題、SDGsに於いて、資本主義・経済成長にマイナスとなる、原理主義的な側面のあることに注意したいですね。
■ 知って得する「PEコラム」(むすび)
一休みし乍らのコラムの散歩は如何でしたか。これからの政治・経済の行方を見るときの参考になるファクトチェックだったのではないでしょうか。
【酒井 闊プロフィール】
10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。
https://www.jmca.or.jp/member_meibo/2091/
【 注 】 著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。
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経営コンサルタントを目指す人の多くが見るというサイトです。経営コンサルタント歴半世紀の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 聖宝(理源大師) 醍醐寺の開祖 修験道の中興
しょうぼう
天長9年2月15日(832年3月21日)- 延喜9年7月6日(909年7月25日)
平安時代前期の真言宗の僧、醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖でもあります。また、後に当山派修験道の祖ともされています。
俗名は、恒蔭王(つねかげおう)で、天智天皇の6世孫にあたり、父は、葛声王(かどなおう)といい、諡号は、理源大師です。
三論、法相、華厳などを学び、後に、密教を真雅、真然より授かっています。醍醐寺を開き、また東南院を建てて、三論宗の本拠地としています。
役行者(役小角)の遺風を慕って、その再興に務めたので、後世、修験道の中興と言われるようになりました。
『古今和歌集』に歌一首があります。
聖宝に唱える言葉は「南無聖宝尊師(なむ しょうぼうそんじ」であり、三祖宝号の時は「南無遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」で、お山の中では順番は逆になるのだそうです。
善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。
信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。
そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。
鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。
建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。
弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。
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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。
一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e
【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。
■【あたりまえ経営のすすめ】3部 ビジネスパーソン編 06 現場百遍、ウラを取れ やり方を間違えていませんか?
多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。
世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。
ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。
ビジネスパーソンも、“真”のプロでなければ勝ち残りは愚か、生き残りもできません。
ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。
エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。
「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。
では、「あたり前」とは、なんでしょうか?
「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。
あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。
経営に王道なし
1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。
■ 3部 【あたりまえ経営のすすめ ビジネスパーソン編】 ビジネスパーソンがめざす一歩上の発想とスキル
本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。
将来社会を担うビジネスパーソンのためのテーマでもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。この論理を「痛感できる」ビジネスパーソンでなければなりません。
時代に即したスキルを磨きながら、業務に活かし、自分の更なる成長に繋げるにはどうしたらよいのでしょうか。その方法は、多岐にわたると思いますが、そのヒントとして、一助になるように、半世紀にわたる経営コンサルタント歴からお話して参りますので、参考にしてくださると幸いです。
ビジネスパーソンは、常に「管理とは何か」を知り、自己管理ができなければなりません。ただしい「管理」を理解し、実践する❷は、「温かい管理」とは何かを正しく理解しなければ、上司からも、社会からも正しく評価されません。
温かい管理とは
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f
ここでは、ビジネスパーソンなら誰もが知っているようなことを整理してみました。
知識としてはご存知のことでしょうが、莫迦にしないで、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。
士業・コンサルタントなど専門業とする先生方は、それを自分のものにし、現場では自分の体から出るオーラのごとく、相手に「感じさせる」ことができるようにして下さい。
■ 第3部1章 ビジネスパーソンとして成功する術
他の人と、同じやり方をしていては、どんぐりの背比べになってしまいます。存在感を示すためにも、自分自身を「差異化(差別化)」しましょう。
それが、ご自身の成長に繋がるでしょうし、ビジネスパーソンとして元気に生きて行くことができるようになるでしょう。
それをどの様に身に付けて、どの様に活かしていったら良いのでしょうか。自分自身で立ち止まって考えてみることも重要です。
■ 3-1-06 現場百遍、ウラを取れ やり方を間違えていませんか?
ある人から、「社内に嘘つきがいる」ので、どの様に対処したら良いのかという相談を受けました。
私は、平素から「人間は失敗をしないと成長しません。失敗しながら成長しよう」ということを言っています。その対応法として「答を言わずに、考えさせ、失敗させ、そこから学ばせる」という支援法を採ってきました。
その相談者は、自分は、嘘が嫌いで、全うに生きていくことを信条として、これまで生きてきたと自認するほど、間違えたことが許せない人です。
ここでも答を言わずに、まず、下記のようにあおり運転の話から「ゆがんだ正義感」もあるということをお伝えしました。
あおり運転をする人というのは、ある種の正義感を持って行っていることが多いようです。
「なぜ、あのような下手な運転をするのか」、「そんなこともわからないのか・・・」
そのような思いから「それをわからせてやろう」という気持ちとなり、基本がわからない運転者に、それをわからせるためにあおり運転をするのだという人が多いそうです。
その上で、次のようなことをお話しました。
私は、ウソにもいろいろあると思います。
今回のケースの場合に限定しますと、下記のような三種に分類わけして考えてみたいと思います。
①真のウソなのか、②悪意なくして言っているのか、③ウソを聞いた側の誤解に基づいてウソのように聞こえるなか、いろいろなケースがあると思います。
①は、多くの場合に③であることが多いと思います。
見る角度によっては、ウソではなく、それなりの合理性を持っていて、これは③に分類されるべきものです。
②は、本人に悪意がないだけに、本人が改める機会が少なく、信頼できる人が、気づきを与えるなどが必要になると思います。
多くの場合は、③のケースが多いように思えます。
嘘をつかれたと思っている人が、その大半のケースにおいて、思い込みの物差しで測って、その結果、誤解や誤認をし、その上で、「それはウソである」と判定していることが多いように思えます。
私は、自分の会社のことを、時々「私を育ててくれたこの会社」という表現を使います。
私自身が、この会社に所属したために、多くのことを経験できたり、学んだりすることができました。
その感謝の気持ちを、このように表現しています。
この言葉を部下や、私の講演などを聴講するビジネスパーソンの皆さんに伝えるのは、多くの人が私と同様に「この会社に出会えて良かった」と思って、その会社への愛社精神や先輩・同僚やその他の関係者に感謝の念をもてるようであって欲しいという思いがあるからです。
ところが、「私を育ててくれたこの会社」を短縮して「私の会社」と聞き違える人が意外と多いということに気がつきました。
「私の会社」というのでは、たとえその会社の創業者であっても、その会社を私物化しているかのように解釈されてしまいます。
聞き手の傾聴力に問題があるといえますが、むしろ、このような誤解はつきもので、それが伝聞となりますと、さらに違った形に変形したり、歪曲されたりして広がって行くのだと考えるべきです。
そして、できる限り誤解されないように表現する努力をするようにしています。
それでも上述のように誤解され、「悪事千里を走る」状態は続いてしまうのです。
お互いの信頼関係ができていれば、「あの人が、会社を私物化するなんてあり得ない」と相手を評価してくれるでしょう。
ところが、信頼関係が不十分ですと、その様な修正作用が働かず、「私物化している」と誤解されてしまいかねません。
一方で、聞く側としては、漫然と聞くのではなく、傾聴をすることがポイントです。
私は、「ウラを取れ」「現場百遍」と刑事ドラマに出て来るようなことをしばしば口にしますし、自分でも、その様に努力をしています。
ところが、意外と、自分の仮説や考え、以前に入手した知識や情報の正当性に固執し、自分が入手して情報・データに対する自分の解釈を正当化し、それを裏付ける情報ばかりを集めがちなのです。いわゆる「正当化バイアス」が働いてしまい、それでウラを取ったつもりになってしまいがちです。
「伝聞、私見、事実」を切り分けなさいという話をしばしば聞くと思います。管理職が、部下から報告を受けるときに気をつける事項でもあります。
上述のウラを取るときに、複数の伝聞に耳を傾けたので、ウラを取ったつもりになってしまっていることが大半です。
正しくない情報、不正確な情報をいくら集めても、それは「事実の裏付け」とはいえません。
信頼できる情報源からの報告なのか、そうだとしますと、その情報源はどこかを明確にすることが必要です。単なる「伝聞」であっても、情報源が明確なのかどうかによって、情報・データの信憑性に差異が出てきます。
「私見」なのか、伝聞なのか、事実なのかが不明瞭な報告もあります。自分の考えを入手した情報であるかのように語る部下もいます。一方で、自分の考えを持つことも必要ですので、「私見」は、「これは私の考えですが・・・」というような前置きをすることを習慣づけることが大切です。
入手した情報・データの信頼性の問題ですが、たとえば「信頼できるあの先生が言っているのだから間違いない」という理由から、それが「事実」だと誤認してしまうようなことが多いと思いませんか。
その先生がいうことに正当性があったとします。しかし、それを聞いた人が上述のように誤認・誤解してしまい、先生が言った内容が変形したり、意図的に歪曲されてしまったりすることもあるでしょう。
情報やデータは、二次や三次情報・データは参考にはなっても最終的な、とりわけ重大な判断材料にしてはいけないと考えています。
一次情報・データですら真実ではないことが多いですが、やはり、ウラを取るときには一次情報・データを中心に収集し、それらを総合的にみて、最終的には、それを鵜呑みにするのではなく、自分で判断すべきと考えます。
その時に、自分の都合の良いように解釈してはならないのです。
えらそうなことを長々と書いてきましたが、これは自戒のつもりでいます。おはずかしいことに、この年になっても、まだ、誤解されるようなことを、自分では気づかずに、多々行っているだろうと反省しています。
世の中、生きていくのは大変ですね。<笑い>
<次項に続く>
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■【あたりまえ経営のすすめ】4章【経営者編】 1-4-53 【経営者分析】 経営者自身をSWOT分析してみる
多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。
世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。
ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。
それが露呈したのが、東日本大震災の福島原発事故ではないでしょうか。
その対応においても、事後対応においても、専門家と言われる人達な何もできず、口を閉ざしてしまっだではないですか。
ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。
一方で、エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。
「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。
では、「あたり前」とは、なんでしょうか?
「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。
あたり前とは、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。
45年余の経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。
■ 1-4章 【経営者編】 経営者の分析で経営に活かす
「自分のことは、自分が一番よくわかっている」
その様のおっしゃる人は多いのですが、本当にそうでしょうか。
「灯台もと暗し」という言葉がありますように、自分自身の足元というのは意外と見えないものです。
謙虚に自分を見るためには、まず、自分自身を見直してみてはいかがでしょうか。
ゼロベース思考で、自分自身を分析する方法をご紹介しています。
■1-4-53 【経営者分析】 経営者自身をSWOT分析してみる
「いまさら、SWOTでもなかろう」というのが大半の読者の声でしょう。
すでに経営者自身の分析について、ご紹介をしてきましたが、なにごとも分析のままでは、中途半端な人物像描写でしたありません。その分析をもとに、経営者自身が、どの様な人物で、自分の特質を活かしますと、今後どの様に人生設計をしたら良いのかを明確にすることができます。
SWOT分析表というツールをビジネスパーソンであればご存知でしょう。これは「分析表」といわれますが、諸分析の集約・整理にも使えます。ここでは、これまでの分析結果の集約をSWOT分析表に整理し、自分自身が、どの様な人物なのか、鏡を見て、絵に描くように、SWOT分析表を鏡として、自画像を描こうという手法です。
SWOT分析表は、4つのセルに分かれていて、各セルに名前がついています。その頭文字がSWOTですので、SWOT分析表と呼ばれることは周知の通りです。自己分析という視点ではありますが、ここでも、一般的なSWOT分析表の使い方は同じと考えてください。
SおよびWは、自分自身のことについての強みや弱点、OおよびTは、自分自身では、コントロールできないような外部要因が分析対象となります。
① S:strength 強み
自分自身の長所というのは、意外と気がついていないのです。自信があること、他の人と比べて平均以上であること、好きなこと、やってみたいこと、過去に誉められたこと等々を列挙します。
自分一人では、なかなか出てこない場合には、別項でも紹介していますが、「他己紹介」とか「長所探し」というような人事研修手法を仲間と共に行うとよいでしょう。
② W:weakness 弱点
欠点のない人はいません。謙虚に自分の欠点を列挙してみてください。それに加えまして、自分が苦手と思っていることなど、思いつくままに、一人ブレインストーミングをやってみて下さい。
過去に複数回失敗したり、大きな恥をかいたりしたことから弱点といわれることの中で、自分自身が弱点と思うような項目があれば、それも追加します。
③ O:opportunity 機会
機会というのは、外部環境の中で、自分にメリットがあったり、その条件を活かして時流に乗ったり、自分がやりたいことを連想して、それを活かせたりするような環境や条件を考えたりします。
④ T:threat 脅威
脅威というのは、機会の逆で、自分が生きていくことに対して、足かせになるようなことを記述します。
自分がしたいことややろうとしていることにとって、阻害要因・ディメリットとなるような事項が対象となります。
以上は、一般的なSWOT分析表と何ら変わりはありません。
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■ 大覚禅師(蘭溪道隆) 南宋渡来の禅僧
だいざく/らんけい どうりゅう
嘉定6年(1213年)- 弘安元年7月24日(1278年8月13日)
鎌倉時代中期の南宋(現在の重慶市)から渡来した禅僧で、諡は大覚禅師、俗姓は冉、名は?章、法諱は道隆、号は蘭渓です。
大覚派の祖で、無明慧性の法嗣、建長寺の開山を行っています。
13歳で出家し、無準師範・北?居簡に学んだ後、松源崇嶽の法嗣である無明慧性の法を嗣いでいますし、松源崇嶽の法嗣である無明慧性の法を嗣ぎました
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歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。
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一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。